第7話 冬籠りの季節が終われば
白地に銀色のローブを羽織ったラウナは、ラウンジの窓から降りしきる雪を見つめていた。ここに来てから、もう四か月が経過していたが、未だ、レイニャへの恩返しは、全くできていなかった。ただ、毎日のように、いっしょに遊ぶだけである。
人の気配に振り返ると、そこにはヨハンナ王女がひとりで立っていた。
「あっ、すみません。ヨハンナ様、気づきませんでした。」
ラウナは膝をついて頭を下げた。
「気にしなくてもいいわ。ここに、座っても構わないかしら?」
「はい。どうぞお座りになってください。」
いつ見ても、息を飲むほどに美しい王女である。とても無口な王女なのだが、椅子に腰かけたヨハンナは、思いがけずに話しかけてきた。
「お姉様には、もう会ったのかしら?」
「いいえ、まだ、一度も、お会いしたことがありません。」
銀色の髪を軽く指で払ったヨハンナはグリーンの瞳をラウナに向けてきた。どこまでも深い緑の目に見つめられたラウナは凍り付きそうなほどに緊張してしまった。男性に対しては魔性の輝きでもあり、ラウナから見れば、何事にも動じない強さを感じさせる目でもあった。
「私の元にはすぐに連れて来たのに・・・。」
「ああ、きっと、レイニャ様には、何か、お考えがあるのだと思います。」
ラウナはとても緊張してきていた。レイニャとは違い、物静かなヨハンナとでは会話が続かない。
何か喋らなくてはと思ったラウナは思わずしようもないことを口にしてしまった。
「あの、寒いですね。」
ラウナは、自分でも馬鹿なことを言ってしまったと思ったが、ヨハンナは答えを返してくれた。
「冬ですからね。」
「あの・・・。」
「どうかしたのかしら?」
「いいえ、ヨハンナ様の前だと、緊張してしまいます。」
結局、何を喋っていいのかがわからず、ラウナは少し視線を外してしまった。
風が吹き込むラウンジの空気は張り詰めるように冷たかった。
比較的薄手のローブを羽織るヨハンナの吐く息が白く見える。横目でチラッと見ると、彼女のグリーンの瞳が白い肌と銀の髪に浮き立つように光って見えた。
ラウナは動けなくなってしまっていた。心臓はドキドキと音を立てて鼓動していて、どうしていいのかわからない。
そんなラウナを気にしてなのか、ヨハンナは静かに口を開いた。
「今は冬籠りの季節。春になれば、いろいろなことが動き出すわ。」
意味が分からなかったラウナは、その言葉だけをしっかりと記憶した。ヨハンナには気負いもなく、怒りも歓びも何も見えない。ただ、受け止めきれないほどの威圧感があった。
そこに、足音を響かせて、ユーリエが近づいてくるのが見えた。
「ああ、ユーリエ様・・・。」
ラウナはなんだかほっとしてしまった。
「おお、ラウナ。これは、ヨハンナ様も、ご機嫌麗しそうで何よりでございます。」
軽く会釈したヨハンナに深々と頭を下げたユーリエは、ラウナの頬を摘まんで引っ張った。
「ウワッ。痛い。」
「随分と、ほっぺたが膨らんだね。柔らかいし、なかなかかわいい顔になったよ。ここに来た時から思えば、見違えるようだ。」
ヨハンナとは違い、ユーリエとは話しやすかった。
「ありがとうございます。でも、ユーリエ様、あまり、気安く触らないでください。これでも、女なのですから・・・。」
ユーリエはニッコリと笑いながら、ラウナの頭を撫でる。
「なかなか、言うようになったね。でも、ただ飯、食っているのだから、このくらいは奉仕してくれてもよいのではないか。」
「ただ飯でもないと思います。私がレイニャ様のお相手をしている恩恵で、ユーリエ様は相当に楽をしています。それとも、私にレイニャ様を取られて妬いているのでしょうか?」
ユーリエはコツンとラウナのおでこを弾いた。
「イター。」
「全く、どんどんと生意気になるな。おお、そうだ。レイニャ様が捜していたぞ。これから、侍女も交えて雪合戦だそうだ。早くいかないと、怒られるぞ。」
「もう、それを先に言ってください。」
ヨハンナに向かい優雅にお辞儀したラウナはバタバタと退散していった。
笑顔で見送るユーリエに向かって。ヨハンナは告げる。
「羨ましいですわ。」
その声に、ユーリエは神妙な顔に変わった。
「何が、そのように羨ましいのですか?ヨハンナ様に羨ましがられるほど、私は恵まれていませんよ。」
ヨハンナは瞬きをすると、ユーリエに視線を向けた。
「私も、あの子のように、気安く誰かと接したいと思っただけです。」
「ほう。ヨハンナ様でも、そのようなことを考えるのですか?」
「それは、私も女ですから、殿方からかわいがられてみたいと思いますわ。」
頭を掻いたユーリエは胸に手を当てると、ヨハンナに向かって、もう一度深く頭を下げた。
「いやいや、あなた様は、そこに居るだけで輝いていますよ。ああ、そうだ。私も雪合戦を観戦しないと怒られますので、この辺で失礼いたします。」
足早にラウンジを出たユーリエの脳裏には、あの深い緑色の瞳で見つめるヨハンナの顔が焼き付いていた。
-全く、不思議な方だ-
飛んできた雪を避けたラウナは身を翻して雪の玉を投げた。
「ウギャ。」
雪は見事にレイニャに命中した。
「ヤッター。」
大喜びのラウナにレイニャは激怒する。
「クソー、皆のもの。ヤレー。ラウナを生かして返すな。」
レイニャの号令に、侍女も庭師も一斉に、雪を掴むと、ラウナ目がけて投げつけた。
「キャー。」
背中を向けたラウナには無数の雪が着弾する。
「もう、参りました。レイニャ様。」
息を切らした二人が部屋に戻ると、ユーリエが待ち構えていた。
濡れた髪を拭きながら自室に入ったレイニャはユーリエを見ると立ち止まった。
「もう、遅いよ。雪合戦、終わっちゃたよ。」
「お疲れのところ申し訳ありませんが、ちょっとお話があります。」
髪を拭いた布を侍女に渡したレイニャは神妙な顔のユーリエを見据えた。
「いいよ。話して。」
ユーリエは遅れて入ってきたラウナを振り返ると少し厳しい目を向けた。
「おまえも聞いてくれ、それから、お手数ですが人払いをお願いします。」
「えー、私の専属侍女だけだよ。心配性だな。」
そう言いながらも、レイニャは侍女達を退出させた。
「はい。これでいい。ラウナ、もう少し近くに・・・。」
言われた通りラウナはレイニャの脇に立った。
ユーリエは早速、話を始めた。
「麦の植え付け間隔の話です。ラウナの話を聞いてから、いろいろと調べてみましたが、シューレの郊外に土地を持つジョエルという男が農業技術を独自に研究していることがわかりました。この男の教えに従い、シューレ近郊では、適切な苗の選定や肥料を与える時期や量などを調整し、近年、植え付け間隔を狭めることに成功しています。実際、かなりの増産が実現できているようです。そこで、この技術をエフトニア全土に広げられるように、人を当てて貰えるように宮廷議会に提案してみました。ですが、なぜか、ヨーランに反対されてしまいました。」
レイニャは不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうしてだろう?麦が増産できれば、いいことずくめじゃない。技術を広める手間などどうってことないように思えるけどな。」
ユーリエは少し声を落して告げる。
「ヨーランは、かなり剝きになっていました。もしかしたら、下手に、地方に役人を差し向けられるのが嫌なのかもしれません。」
それを聞いたラウナははっとした。
彼女が想像したのは、サーバスだけではなく、いろいろな場所でヨーランは年貢の誤魔化しをしているのではないかということだ。
ユーリエはニッコリと笑うといつもの優し気な顔に戻った。
「レイニャ様、そんな深刻な顔をしなくてもいいですよ。まあ、こういうことがありましたという御報告です。」
それに対して、レイニャは真面目顔で反応した。
「ユーリエ、軽率に動かない方がいい。今、ヨーランに睨まれたら終わりだ。」
真剣なレイニャの表情を見たユーリエは、軽く彼女の頭を撫でた。
「だいじょうぶですよ。そのようなことは心得ています。」
夜も更けるまで、ラウナはレイニャの部屋にいた。
無理もないが、彼女は浮かない顔である。
「あの、レイニャ様、私、そろそろ戻ります。」
立上ったラウナの手をレイニャは握り悲しそうな顔で見つめた。
「いやだ。傍にいてよ。」
ラウナは膝を折り、レイニャの手を両手で握った。
「はい。お望みであれば、一晩中でも傍に居させていただきます。」
レイニャは目にいっぱい涙を溜めていた。
「私、わからないよ。お父様の病は良くないし、ヨハンナお姉様は、自分が女王になろうと独自に動いているみたいだ。サーラお姉様は、サーラお姉様で女王になるべく、ヨーランと足固めをしている。これから、どうなっちゃうのかな。ねぇ、ラウナ、私はどうすればいいの?」
レイニャの胸は不安で張り裂けそうだった。そんな彼女を思うラウナはギュッと手を握り、頭を下げた。
「何の力にもなれないかもしれませんが、こんな私で良ければ、朝まででもお付き合いしますよ。」
「ラウナー。ずっと、いっしょにいてくれるよね。」
「はい。私はどこにも行きません。ずっと、レイニャ様のものです。」
部屋の奥の扉を開くと、そこはレイニャのプライベートルームだった。
初めて入ったラウナは、見事な部屋に驚いてしまった。
窓辺には豪華な椅子が二つとテーブルが置かれ、奥のカーテンの向こうには大きなベッドが置かれていた。
天井を見上げるラウナは静かに呟いた。
「天使がたくさん戯れていますね。」
「うん。何だったけなあ。有名な人が描いた絵を張り付けてあるんだ。ラウナ、来て。」
ドレスを脱いだレイニャはベッドの上で、ゴロリと横になった。
手をつないだまま、横に寝転がったラウナはふかふかのベッドの大きさに驚いてしまう。大人でも四人くらいは寝られそうな立派なベッドである。
ラウナの手を握ったレイニャは、静かに語り始めた。
「たぶん、ヨハンナお姉様は自分が女王になろうとしている。」
「そうなのですか?」
「もう、お父様はあまり長くもないかもしれない。毎週、ヨハンナお姉様といっしょにお見舞いに行っているけど、悪くなる一方だ。」
「でも、お二人が行けば、お父様もお喜びでしょう。」
「それは、嬉しそうにしてくれる。でもね。ヨハンナお姉様は、お父様のことをあまりよく思っていないはずなんだ。自分の母親が死んだ後、すぐに別な女と再婚して、あげくに、私を産ませたのだから、当然よね。それなのに、行く度に、お父様に抱きついて、もう、見ていられないくらいに濃厚に自分の体を擦りつけたりしているの。」
「それで、ヨハンナ様が王女になろうとしていると言ったのですね。」
「そうよ。だって、他に考えられない。お父様は、もう、ヨハンナお姉様の虜みたいなものよ。死んだお母様に、そっくりらしいの。きっと、病に侵されたお父様は、愛したお妃様とヨハンナお姉様を重ねているのだと思う。たぶん、お父様は死ぬ前に遺書を書くはず。あの様子だと、きっと、ヨハンナお姉様を指名するに決まっている。」
ラウナは少し考えていた。
もう、あまり長くない王と三人の娘。これは、その三人を中心に繰り広げられる権力争いなのだ。
自らの権力確保に暗躍する貴族や官僚の中で、まだ、十六歳のレイニャは困惑している。何とか力になりたいとラウナは思ったが、自分とて、どうしていいのかわからなかった。
ただ、傍にいるくらいしかできない自分の無力さを感じるだけである。
「だいじょうぶですよ。ユーリエ様もついています。今まで通りに、ヨハンナ様ともサーラ様とも仲良くしていれば、きっと何もかもうまくいきます。」
「そうかなあ。私もだけど、お姉様達の仲はどうなってしまうのかなあ。」
「そんなにお気を病まないでください。きっと、なんとかなりますよ。」
ラウナは恐る恐る手を伸ばして、レイニャに触れてみた。すると、レイニャは思いきり、ラウナに抱きついてきた。
「ラウナ、ずっといっしょにいてくれるよね。」
「先程も同じことを言いました。私は、永遠にレイニャ様のものです。今は静かに時を待ちましょう。」
ラウナはふと、ヨハンナが言った言葉を思い出していた。
-今は冬籠りの季節-
-春になれば、いろいろなことが動き出すって、ああ、そういうことか-