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気まぐれ  作者: 鈴木樹蘭
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第2話 火あぶりなんて耐えられそうもない

 女学校に通うラウナは身分の差から、いじめられる日々が続いていたが、サーバス知事の娘であるソフィアに出会い、少しだけ未来が開けたような気がした。しかし、そこから先の運命も過酷だった。

 朝の女学校。

 登校してきたカティヤは誰もいない物置を恐る恐る覗いた。

 -誰もいない-


 フーと息を吐いたカティヤは、ほっとしながら、そっと扉を閉めた。

 実のところ、昨夜は眠れなかった。その訳は、単純である。

 ラウナを縛り上げたまま放置してきたはいいが、明日の朝になって死んでいたらどうしようかと心配になってしまったのである。

 なので、ラウナがいないことに安堵したわけだが、誰もいない物置を振り返ったカティヤは、段々と腹立たしくなってきた。

 「あの女のせいで眠れなかったわ。頭にくるな。」


 教室に入ったラウナはいつものように、静かに席に着いた。もう、おなかが空きすぎて、立っているのもしんどかった。

 そんなラウナを見つけたカティヤはニンヤリと笑う。

 「ラウナ、よく、あそこから抜けられたな。」

 お腹が減りすぎているラウナの方も、その日はかなりイライラしていた。

 「カティヤ様、あまり酷いことをなさると、いつか後悔することになりますよ。」

 澄ました顔で言い返してきたラウナにカティヤはカチンときてしまった。唯でさえ頭に来ていたカティヤは目を吊り上げて食いついてきた。

 「ふーん、後悔だって、そんなものするわけがないだろう。下衆女が・・・。」

 彼女は思いきりラウナを突き飛ばした。

 「キャッ。」

 咄嗟に椅子から立ち上がったラウナだったが、バランスを保ちきれずに、隣の席のソフィアにぶつかり、彼女の机を薙ぎ倒してしまった。

 ソフィアの方は倒れはしなかったが、机の中の上にあったバッグが床に落ち、中に入っていたパンは床に転がった。

 「何をするのですか!」

 落ちたパンを見たソフィアは、倒れかけたラウナを軽く突き飛ばした。

 「ウワッ。」

 何とか持ち応えようとしたが、空腹のために力が入らなかったラウナは堪らず、顔から床に倒れ込んだあげくに、激しく頭を机にぶつけてしまった。

 「あっ、イター。」

 ソフィアの方は軽く押しただけのつもりだったのに、ラウナが激しく転倒してしまい、驚き顔だった。

 「あっ、だいじょうぶですか?」

 頷いたラウナは、急いで身を起こすと、ソフィアに向かって謝罪した。

 「この位、だいじょうぶです。それよりも、ソフィア様、申し訳ありません。」

 カティヤとは違い、品の良いソフィアであったが、床に転がったパンを見てショックを受けている様子だった。

 「もう、お昼に食べようとしていたパンが落ちてしまったわ。捨てておいてくださいね。」

 ラウナは、目の前に転がっている拳くらいのパンに目をやると、じっと凝視した。すると、パンに齧りつきたい衝動が、どうしようもないほどに湧き上がってきた。昨日、蹴られたところと、今ぶつけた頭に激しい痛みが走っていたが、そんなことも忘れてしまうくらいである。

 「あの、これ、捨ててしまわれるのですか?」

 「当たり前ですわ。床に落ちたパンなんて、食べられるわけがありません。」

 バッグを拾い上げたソフィアは中に残ったパンを確認すると、蔑むような目でラウナを見下ろした。

 「もう、ひとつも残っていませんわ。お昼、どうしましょう。」

 そんなソフィアの愚痴など、ラウナの耳には聞こえていなかった。もはや、目の前の美味しそうなパンだけしか見えていない状態である。

 「あの、これ、食べてもいいですか?」

 脇腹の痛みに耐えながら、手を伸ばしたラウナはパンを手にすると、ガブリと食いついた。

 床に這いつくばり、両手でパンを口に押し込むラウナの姿は、惨めで、悲しい動物だった。

 「なんだ。こいつ、落ちたパンを食っているぜ。」

 カティヤの罵声を聞きながらも、ラウラはもう一口かぶりついた。

 -ウワワワワ、美味しい-

 -小麦のパンなんて、何年ぶりだろう-

 -ソフィア様、あるがとう-


 カティヤと、その仲間達は大声で笑い、ソフィアは呆れたように顔を背けた。

 ラウナにとっては、そんなことはどうでも良かった。パンを食べられる幸せは、何にも代えがたく、他人の目など気にする余裕もなかったのだ。

 口の中をいっぱいにしたラウナはもうひとつのパンに手を伸ばした。

 それを見たカティヤは、ラウナの目の前のパンを蹴飛ばしてしまった。

 「あっ・・・。」

 床を転がっていくパンを見たラウナは這いずるように、それを追った。

 カティヤ達は大笑いである。

 「はははっ。さっすが、農民の娘は意地汚いわね。」

 ソフィアは憐れむような目で、そんなラウナを見下ろしていた。

 「もう、なんてこと?まるで、家畜ですわね。」


 這いずるラウナを追いかけたカティヤは背中を踏みつけた。それでも、ラウナは必死に手を伸ばしてパンを掴んだ。

 踏みつけられる屈辱も痛みも、パンの美味しさに比べれば何のことはない。パンを掴んだ至福の時にラウラは笑みすら浮かべていた。

 「ああ、あー、もうひとつ、食べられる。」

 「ふん。そんなにひもじいのか。」

 掴んだパンを口の中に詰め込んで噛みしめると、甘い小麦パンの味が広がっていく。胃の中に入った小麦は、瞬く間に体に広がっていくようだった。

 カティヤの足を跳ね除けたラウナは、ソフィアの前で土下座した。

 「ソフィア様、ありがとうございます。すごく、美味しかったです。本当に、本当に、ありがとうございます。」

 残ったパンを噛みながら、心底、嬉しそうなラウナにソフィアは溜息をついた。

 「あっ、まあ、落ちてしまったのも、あなただけの責任でもありませんものね。それを捨てようが、食べようが、私には関係ありませんわ。」


 横で見ていたカティヤは大きな声で笑い続けていた。

 「これは、傑作だ。確かに、こいつは家畜だな。いや、家畜以下だ。」

 それに合わせて何人かのクラスメイトの笑う声も聞こえたが、ラウナはあまり気にしていなかった。

 夜まで、何も食べられないと思っていたのに、ここで、こんなに美味しいパンを食べられたのは、幸運という他はなかった。


 そんな学園生活を送る内に、ラウナは十五歳の誕生日を迎えた。

 誕生日と言っても、何かあるわけでもない。いつものように、朝の畑仕事を終えたラウナは制服に着替えると、女学校への道を急いだ。

 一階の廊下には、先日行われた試験の結果が張り出されており、それを見て騒ぐ生徒達でごった返していた。

 その中を、そっとすり抜けたラウナは二階の教室へと向かう。誰の目にも止まらぬようにと祈りながらである。

 級友達に埋もれるように、張り出された結果を見ていたソフィアは、そんなラウナに気づくと意味深な視線を送っていた。


 目の前に貼られた結果を見ると、ラウナは三番手だった。農家の娘ということで、いじめられてはいるが、成績は優秀なのだとソフィアは感心した。

 -朝早くから畑仕事をしているらしいけど、成績はいいのね-

 -勉強する時間なんてないはずなのに、カティヤなんかよりも、余程、優秀だわ-

 ー農民は、みんな馬鹿だって言うけど、そうでもないのかもしれない-


 昼休みになると、みんな持参したパンやおかずを出しての昼食となる。それを横目に、ラウナはそっと教室を抜け出して、誰もいない庭の片隅へと向かった。

 そこで、空腹に耐えながら本を読むのが日課なのだ。食べられないことは辛かったが、ゆっくりと本読めるのは、この時間だけだった。

 いつものように、歴史の本を読んでいると、突然の声が聞こえてきた。

 「ラウナ、よろしければ、これを食べませんこと。」

 驚いたラウナは本を下ろして、目の前に立つ少女を見上げた。

 ソフィア・ペトロビッチ。この街で知事をしている貴族の娘である。商人の娘のカティヤどころではなく、本来、対等に会話などできないような本物のお嬢様である。

 その上、綺麗に結い上げた長い髪も、白く整った顔も眩いばかりの美しさだった。

 ラウナは少し俯き加減で、遠慮がちに答えた。

 「あっ、あの。よろしいのですか?」

 ソフィアは笑みを浮かべると、ゆったりと上品に返答した。

 「どうぞ。いつぞやは、とても美味しいと言っていましたわね。」

 笑顔で見据えられたラウナは恐縮しきってしまった。こんな優しい笑顔で見られることなど、初めてで、かえって怖くなってしまたくらいである。

 しかし、そんな気持ちも、差し出されたパンに目を移すと、一瞬で消え去ってしまった。

 「美味しそうです。いただきます。」

 素早くパンを取ったラウナは夢中でかぶりついた。口の中で広がる小麦パンの甘さが堪らない。嬉しくって涙が出そうだった。


 そんなラウナを見たソフィアはクスクスと笑い出した。

 「本当に、美味しそうに食べるのですね。」

 口の中をいっぱいにしたラウナは残ったパンを無理やり口の中に押し込んだ。

 「おいひいです。」

 「そんなに急いで食べなくてもよろしいのですよ。誰も取ったりはしませんわ。」

 もぐもぐと噛んだラウナは、あっという間に呑み込んでしまった。

 「下品ですよね。でも、美味しくって、美味しくって、我慢できないのです。家では、こんなパンを食べたことなどありません。今日は、私の誕生日なのです。だから、きっと、神様が、誕生日プレゼントをくれたのでだと思います。ありがとうございます。ソフィア様。」

 「まあ、それでは、私は神様ですか?」

 金髪の髪を綺麗に結っているソフィアは品格高き少女だった。彼女の笑顔を見たラウナの目には涙が光っていた。

 -こんな優しい人がいるんだ-

 -こんな美味しいものを食べさせてくれるなんて、女神様みたいな人だ-

 至福の時を味わうラウナに、ソフィアは思いがけないことを語りかけてきた。

 「わたくしは、ね。一生懸命に勉強して、宮廷官僚になりたいと思っていますの。おそらく、次の世代は女王様が治めることになりますわ。今までに、女性で宮廷官僚まで登り詰めた人は誰もいませんのよ。」

 ソフィアは、頭の良いラウナであるならば、興味を持ってくれるだろうと思って話したのだが、涙を浮かべて喜んでいるラウナに少し落胆してしまった。こんな話をしても、彼女の頭には残ることはなさそうに見えたのだ。


 しかし、少し噛む速度を緩めたラウナは落ち着いた声で返答した。

 「そうですね。国王陛下には御子息はなく、三人の王女様だけですから、そうなるかもしれません。」

 「あら、よくご存知ね。女王様が治める国となれば、女性が社会に進出するチャンスだと思いますの。わたくしの父も何人もの女性を囲っていますが、男性に媚びるしかできないような方達を見ていると悲しくなります。女は男の言いなりになっていれば良いなど、間違っていると思いませんか?」

 ソフィアの問いかけに、ラウナにはピンと来なかった。女が男の言いなりになるのは当たり前の現実である。実際、女性の政治家など聞いたこともなかったし、次の王が女王になったとしても、それは、単なるお飾りのようなものでしかないだろうと思っていた。

 おそらく、女王は戦争に出向くこともないだろうし、実際に政治をすることもない。

 でも、もし、女でも政治家になれるのであれば、それは素晴らしいことである。それは理解できた。

 ラウナは、恐る恐るソフィアに尋ねてみた。

 「ソフィア様、女でも国の政治などできるものなのでしょうか?」

 「できない理由はないと思いますわ。」

 その言葉はラウナの胸に突き刺さった。

 「では、では、農民でも、官僚になれますか?」

 ソフィアはクスッと笑った。

 「それは、とても難しいでしょうね。でも、なれないと決めつける理由はありませんわね。」

 ラウナは呆然とソフィアを見つめてしまった。彼女の姿は、まるで、崇拝する神のように、ラウナの目に映っていた。

 生まれたから、ずっと、虐げられるのは当たり前だった。だから、これから先も、ずっとそうだと思っていた。

 本の中で活躍する女性は知ってはいたが、それは本の中だけの夢物語だと思っていたのだ。

 「あー、そうか。できない理由はないのか。」

 彼女の心には一筋の光明が差してきたようだった。


 しかし、ラウナを待っていた運命は過酷だった。


 女学校から戻ると、母親は深刻な顔で俯いていた。

 「どうかしたの?」

 何気なく言ったつもりだったが、母親はラウナを抱きしめて泣き出してしまった。


 農家であれば、必ず、地主に年貢を収めなければならないのだが、今年の出来は悪く、年貢が足りなかった。おまけに、昨年も不足しており、不足分はツケになっていて、今年は許さないとの通達が来てしまったのだ。

 ラウナの家は弟を含めて四人家族であったが、このままでは、家族四人で飢え死にである。

 「ラウナ、ごめんなさい。こうするしかなかったの。」

 「はあ?」

 ラウナは街の商人に売られることになってしまっていたのだ。もう、父親と商人との間で、契約もなされてしまった後である。

 母親は、何度も何度もラウナに謝り、涙するだけだった。全てが決まった後で、話されても、もうどうすることもできやしない。泣きたいのはラウナの方だった。

 女学校で勉強して、一生懸命に働き、両親にも楽をさせたいと思っていたが、そんなことも、一瞬で消えてしまった。あまりに、呆気なく、あまりに残酷な終わり方である。

 放心状態のラウナは、母親に問い正した。

 「お母さん、私は幾らだったの?」

 「えっ?」

 「私は幾らで売られるの?」

 済まなそうな顔の母親は小さな声で答えた。

 「そっ、それは、ライ麦三袋よ。これだけあれば、年貢を納めても、何とか三人で生きていける。こんな値段で売れるなんて・・・。お父さんは、それはもう大喜びだったわ。でも、あなたには辛い思いをさせてしまう。本当に、ごめんなさい。」

 ラウナは固いライ麦パンを思い浮かべた。小麦に比べれば、ライ麦は安物である。

 「私の価値は、そんなものなのか。」

 ラウナの中で、仄かに灯った夢はガラガラと崩れていった。


 数日後、使用人に連れられたラウナは生まれ育った家を後にした。

 絶望的な気分だったが、涙は出なかった。父親の最後の言葉を思い出したラウナは自虐的な笑みを浮かべて自分の不幸を嘲笑った。

 「おまえは、街一番の商人であるコーレ・ヘルナム様の目に止まったのだよ。だから、こんな法外な量の麦と交換できた。ヘルナム様に尽くし、幸せになってくれ。」

 十五歳になったばかりのラウナであっても、買われた女がどうなるのかくらいは承知していた。

 -ライ麦三袋が法外だというのか-

 -五十過ぎのジジイに身を捧げて、幸せになれるわけがない-

 -先生は、どんな時でも諦めずに、最良の手を打てと教えてくれたけど、どうすればいいのかわからない-


 ラウナはしっかりと自分の腕を掴んでいる使用人を見上げた。体格のいい男の手は振りほどけないだろう。とても、逃げ出すことなどできそうもなかった。

 それに、ラウナが逃げ出せば、母や弟がただでは済まないはずだ。

 下を向いたラウナはとぼとぼと男に従い歩き続けるしかなかった。


 その頃、ラウナの父親はとっておきの酒を片手にご満悦だった。ヘルナムの元からは約束通りのライ麦袋が届き、テーブルには山盛りのライ麦パンと畑で採れた野菜があった。 

 小さな弟も口いっぱいにパンを頬張り嬉しそうだった。

 ただ、母親だけは、寂しそうに俯き、いなくなった娘に思いを馳せていた。


 街外れにある大きな屋敷に到着したラウナは、玄関先で侍女に引き渡された。そこから、若い侍女に付き添われたラウナは狭い洗い場に連れていかれた。

 チラリと見れば、外には男の見張りが立っていて、ここでも逃げ出すことはできないようだった。

 「ここで、裸になって体を洗って。」

 もはや、あがいても仕方ないと覚悟を決めたラウナは女学校の制服を脱ぎ始めた。それを見つめている侍女は声を掛けてきた。

 「女学校の制服ね。それを着られる身分でありながら、こんなところに来てしまうなんて、いったい何があったの?」

 藁の下着を脱ぎながら、ラウナは答えた。

 「いいえ、私は雇われ農民の娘です。年貢を払えなくなった両親に売られて来たのです。」

 それを聞いた侍女は口手を当てて涙ぐんだ。驚くほどに、涙もろい女である。

 「かわいそう。でも、私には助けてあげられない。」

 裸になったラウナは井戸の水で体を洗い始めた。

 「泣いてくれたりするのですね。それだけでも、うれしいです。」

 それを聞いた侍女は目頭を押さえて余計に泣き出してしまった。裸のラウナの体は、まだ、子供の域を出ていなかった。それに、ガリガリにやせ細っていた。それが、彼女の涙を一層誘ってしまう。

 「あなた、幾つなの?」

 「十五歳です。」

 「そう。旦那様も、もう少し、歳のいった子を選べばいいのに、惨いことをするわ。」

 悪気はないのだろうが、これから、その惨い目に合うラウナはいっそう絶望的な気分になってしまった。

 侍女は用意してあった薄手の服を着せ、髪も綺麗に結い直してくれた。出来栄えを確認する侍女に、ラウナは質問してみる。

 「あなたの名前を教えてくれますか?」

 「ああ、マイヤよ。」

 とても優しくって従順そうな女性である。しかも、農民と聞いても、ラウナを蔑む様子はまるでなかった。

 少し気を許したラウナは更に質問した。

 「先ほどの口ぶりからすると、こうして売られてきたのは、私が初めてではないのですよね。」

 マイヤは少し乱れた襟元を直しながら正直に答えてくれた。

 「そうね。たくさんいたわね。」

 「その人達はどうしましたか?」

 「旦那様は飽きっぽいので、だいたいは一年もしない内にどこかに売られてしまったわ。でも、この前の女の子は二階から飛び降りて死んでしまった。」

 我慢すれば、一年足らずで、ここを出られるということのようだ。しかし、転売された先での境遇も期待はできるものではない。それに、自殺するくらいの辛さに耐えなければならないということもわかった。

 「旦那様は優しい方ですか?」

 こんなことを聞いても無駄だとは思ったが、念のために聞いてみた。

 「いいえ、それは期待しない方がいいわね。気に入らなければ、好きなように暴力を振う人だから、逆らわないで何でもした方がいいわ。どんなに屈辱的なことでも我慢した方が身のためよ。」

 侍女は悪い人ではなさそうである。親身になっての言葉であろうが、聞いているラウナは余計に沈んでしまった。

 「それ、ものすごくめげますよ。」

 「ああ、そうか。そうかもしれないわね。でも、耐えるしかないわ。終わったら、介抱してあげるから、がんばるのよ。」

 「介抱して貰わなければならないほど、酷い目に合うのですね。がんばれるか、自信、ありません。」

 これから、何をされるのかもわからないラウナは、食事も喉を通らなかった。十分な量の食事なのに、食べられなくって勿体なかったが、どうしても食べられなかった。

 こんなことがあるのかと信じられないくらいである。


 その後、旦那様の元へと連れて行かれた。果たして、耐えられるものなのだろうか。まるで、死刑台に登るような気分だった。

 部屋の前で振り向いたマイヤはじっとラウナを見つめていた。

 「ここまで、泣かないで来たのは、あなたが初めてよ。いってらっしゃい。」

 腹に力を込めたラウナは頷いた。

 「はい。」


 見えない運命への恐怖に包まれた少女は抗う術もなく、闇に向かって流されていった。

 暗い部屋にラウナを送り込んだマイヤは扉を背にして直立不動で、彼女が出てくるまでの長い時間を待ち始めた。

 すぐに、若い長身の男がマイヤの隣に来て同じように立つ。こうして、扉番をするのが、慣習なのだ。


 中に入ったラウナは少し待たされていた。

 部屋にはヘルナムの他、もう一人、男がいて、何やら緊迫した顔で話し合っていたのだ。

 「ヨーラン様からの命令です。すぐに、着服した小麦をヴァルター殿が管理する倉庫に移せとのことです。」

 もう、我慢できないらしくヘルナムは薄気味悪く笑うと、ラウナに近くに来るように手で合図を送ってきた。

 椅子に座るヘルナムに近づくラウナは全身に嫌悪感を覚えた。目だけがギョロギョロとした中年男は醜く太り、顔は脂ぎっていた。

 「ふん。ヨーラン様にしては手際が悪いな。大方、誰かが、調査にでも来るのだろう。仕方ないな。言われた通りにしよう。」

 「わかりました。すぐに、荷を運ぶ準備をさせましょう。」

 男が出て行くや否や、ヘルナムはラウナの服を引き裂いた。

 「キャー。」

 「おお、かわいい体だ。膨らみかけた蕾のようだ。」

ヘルナムに引っ張られたラウナは、膝に抱かれて体を触られた。

 「ああ、嫌だ。」

 心の底から、嫌だと思った。でも、歯向かうことはできなかった。


 ヘルナムの部下が出て行くと、マイヤは中の様子に耳を傾けた。すると、男のえげつない笑い声と、ラウナの悲痛な泣き声が響いてくる。

 隣に立つ、腰に剣を携えた男がマイヤに話しかけてきた。

 「旦那様も趣味が悪いよな。あんな年端もいかないガリガリの少女を犯して、何がおもしろいのだか。」

 マイヤは答えなかった。女として、絶対に許せないと思ったのだが、下手なことは口にできないのだ。

 彼女は真っ直ぐに前を見たまま、目を潤ませて立ち続けた。


 一時間程が経過した時である。ラウナの悲鳴が聞こえなくなったかと思うと、今度はヘルナムの悲鳴が聞こえた。

 「ウワー。」

 それに反応した男とマイヤは顔を見合わせてしまう。

 「ギャー。この娘、何を・・・。」

 長身の男は躊躇なくドアを蹴り飛ばして、中に突入した。続いて飛び込んだマイヤは、思わず悲鳴を上げてしまう。

 「キャーーー。」


 ヘルナムの下半身からは大量の血が吹き出し、ベッドの上も、裸のラウナも血だらけである。

 マイヤはベッドで震えるラウナを抱きしめた。

 「ど、どうしたの?」

 泣きじゃくるラウナの口からは血が溢れて零れ落ちていた。

 「ウエーン、こんなの我慢できないよ。」

 「えー、何をしたの?」

 ヘルナムを抱き起した若い男は大声で叫んだ。

 「医者だ。誰か。医者を呼んでくれ。」

 その声に、何人かの使用人たちが走り込んできた。

 「おお、これは大変だ。すぐに、医者だ。」

 恐る恐るヘルナムの状態を見たマイヤは何が起きたのか、だいたい理解できた。

 「噛み切っちゃったのね。」

 マイヤの腕を掴んだラウナは泣きながら答えた。

 「だって、あんなのを口の中に突っ込むんだもの。」

 「そのくらい、我慢しなきゃ。言ったじゃない。」

 「でも、でも、汚い。気持ち悪い。臭い。あんなの、我慢できない。」

 もはや、救いようがなくなってしまったことを知ったマイヤは裸のラウナをしっかりと抱きしめた。

 「ああ、やっちゃたのね。かわいそう。」


 ボロボロの服一枚を着せられたラウナは独房に叩きこまれた。

 冷たい土の上に転がった彼女は、やっとの思いで体を起こすと、壁に寄り掛かって座りなおした。悲しくって、悲しくって、いつまでも涙は止まらなかった。

 -男なんかいなくなればいい-

 -お父さんもいらない-

 -弟もいらない-

 -あんなおぞましい生き物は、皆、死ねばいい-


 数日後、両手を後ろに縛られたラウナは、首輪を付けられ、広場に引きずり出された。

 柵の中のラウナは地面に打ち伏せられ、取り囲む市民の目にさらされた。下着もなく、ボロ布一枚の惨めな姿である。

 役人が読み上げる罪状を聞きながら、ラウナは呟き続けていた。

 「私は悪くない。私は悪くない。私は・・・悪くない。」

 ヘルナムの命は取りとめられたが、もう二度と女性と交わることはできなくなってしまったようだ。

 数々の罪を列挙した役人は、最期に判決を言い渡した。

 「火あぶりに処す。」

 それを聞いたラウナは押さえつける男の手を振りほどこうと暴れた。

 「嫌だ。私は悪くない。火あぶりなんて嫌だ。」

 そんなラウナに向かって、役人は無情に繰り返した。

 「ジタバタするな。火あぶりだ。燃え盛る炎の中で、罪の重さを思い知るがいい。」

 ラウナは泣き叫んだ。

 「嫌だ。私は悪くない。」


 「イヤーー。」

 力の限り叫んだが、誰も聞いてはくれなかった。



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