第11話 恋しがっているのは誰?
ダニエルの夜襲も成功し、クルーシェ軍は敗走した。
懸念されていた戦いも、結果としては、エフトニア側の大勝利として終わった。
軍の撤退には時間を要するため、一足先に、レイニャとラウナはレリージュの街へと向かった。
そんなレイニャを待ち受けていたのは、この街を仕切る大商人フェリクスだった。
「この度のご活躍、祝着至極であります。これはつまらないものですが、どうぞお納めください。」
フェリクスは、豪華なドレスと装飾品を用意して、王女の帰還を待ち構えていたようだ。
「できますれば、しばしレリージュに滞在いただけないでしょうか。是非とも、街をご案内したく存じ上げます。粗末な屋敷で恐縮ですが、レイニャ様滞在の部屋も用意してございます。」
丁重に誘いをかけてくるフェリクスにレイニャは愛想よく答えた。
「元より、しばらく、ここに滞在するつもりなの。今回のことで、北の備えが重要であることは身に染みたわ。もう、矢がビューと飛んできてさ。ラウナなんて、チビリまくりだったのよ。」
ラウナはじろっとレイニャを見たが、何も言わなかった。
「ハハハッ、それはご苦労を成されましたね。まずは、ゆるりとお休みください。」
フェリクスの屋敷に滞在することになったレイニャは大きなベッドに寝転びご満悦である。
「ああ、やっぱり、ふかふかの暖かいベッドはいいな。」
いきなり大の字に寝転ぶレイニャの横で、ラウナは荷馬車が運んできた荷物を片づけ始めていた。
「でも、フェリクスという男を信用して良いのですか?」
「別に、信用なんかしていないよ。だいたいさ。来るときにも立ち寄ったのに、何もなかったじゃない。それが、ちょっと活躍しただけで、この通りだもの。下心、見え見えだ。」
その言葉に、少し安心したラウナは作業を続けた。
ある意味で、誰も信用できないのかもしれない。そんな中でも上手く生きて行かなければならない世界なのだ。元々、そういう世界で育ったレイニャは、ラウナよりも遥かに慣れているのかもしれない。
「それにしても、チビったのは、私ではなくレイニャ様ですよ。あんなことを人前で言わないでください。幾ら、レイニャ様でも許せません。」
珍しく怒っているラウナを見たレイニャはニコニコと笑った。こういうことに対しては、強いプライドがあるようだ。
「まあまあ、細かいことは気にしない。それより、畑を荒らされた農民を少しでも救う手立てでも考えなよ。言っておくけど、ただで施しなんかしないよ。」
「はい。お気に掛けていただいているのですね。そのお気持ちに応えられるように、何か考えます。」
夜の会食の席にはフェリクスだけではなく、レリージュ知事のステファンも同席した。
小太りでいかにもがめつそうなフェリクスとは対照的に、ステファンはいかにも知的で厳格そうな風貌だった。
年齢的にはどちらも四十代の半ば過ぎというところだ。
ステファンは知事らしく、早速レリージュの宣伝を始めた。
「レリージュの街は、首都シューレに次ぐ、この国、第二の都市でございます。広大な北の大地で取れる農作物の他、北東に接するクルーシェ国や西に接するルートニア国からの商品も集まる北の要所でもあります。」
「ふむ、ふむ、昼間、ちょっと市場にも行ってみたけど、確かに、シューレにも劣らないくらい、人でいっぱいだった。」
「ほう、市場に行かれましたか、何かお目に止まるものはありましたか?」
「うーん。私はシューレの市場も、あまり見たことがないからな。ラウナ、何か目についたものある?」
スープを飲んでいたラウナはゴクリと飲み込むと、落ち着いた表情で答えた。
「毛織物ですかね。シューレでも見られないような華やかで立派な織物がたくさんありました。」
ステファンは待っていましたとばかりに身を乗り出した。
「その通り、レリージュの特産物のひとつは、山羊の毛や羊毛を使った織物です。」
「そうか。そう言われてみれば、シューレ周辺だと牛が多いのに、ここでは、山羊とか羊を飼っている農家が多かったな。」
戦場にいる時とは違いレイニャは活発さを取り戻していた。肝いりの商人や政治家相手でも臆するところなどまるでない。
そんな王女に取り入ろうと、二人も必死のようだった。
「良くご存知ですね。中でも山岳地帯の山羊から取れる織物は高級品です。」
「ああ、先日、フェリクスさんから頂いた肩掛けも、山羊の毛だったよね。とても、肌触りが良くて、しかも柔らかくって最高。ウーン。できれば、遠征に行く前にほしかったな。」
レイニャの言葉を機に、今度はフェリクスが喋り始める。
「これは、気が利かずにすみません。でも、気に入っていただいたのであれば何よりです。あの肩掛けは、中でも厳選された毛で編まれたものです。軽く、肌触りも良く、暖かいと三拍子揃っております。」
笑顔の商人の説明に、レイニャの口も軽くなる。
「へえ、フェリックスは、この街一番の商人なのでしょう?」
「ええ、まあ、そんなものです。」
「どんな商品を扱っているの?」
「いろいろですよ。毛織物から、家具や小麦に至るまで、いろいろな商品を扱わせていただいております。」
笑顔のレイニャは滞りなく、喋り続けた。
「そうか。小麦もやっているのか?それじゃあ、もうすぐ忙しくなるよね。」
「ええ、そろそろ、各農村からの小麦が集まり始めるでしょう。」
メインディッシュの肉をナイフで小さく切り取ったレイニャは口に入れると満面の笑みを浮かべる。
「ああ、美味しい。もう、軍隊の食事は最悪だったからな。もう、もう、最高に幸せ。」
「どうぞ、たくさん召し上がってください。明日は若い者に、美術館をご案内させます。エフトニア一番の美術館です。」
「おお、それは楽しみだ。」
結局、ラウナはほとんど喋らなかった。こうした場はレイニャ任せておけば問題なしである。
数日後、レイニャはレリージュの北にある砦を訪れた。
出陣前は兵でいっぱいだったが、今は閑散としていた。
「ねぇ、ラウナ。もし、この街が攻められると想定して、この砦はどう思う。」
「ないよりはまし、くらいですかね。」
「だよね。だよね。シューレみたいに、街を囲む壁もないし、こんなチンケな砦じゃ、
いざって時に役に立たない。一番北にあって、一番攻められそうな街なのに、これでいいのかな?」
ラウナは砦を見渡し、街の構造を思い浮かべた。レイニャの指摘はもっともである。
「だからこそ、北の大地まで出て、向かえ撃ったのでしょう。」
「うむうむ、では、ラウナ、反省会をしよう。」
「反省会ですか?」
「そうだ。まずは、今回の戦いの反省点を列挙せよ。」
レイニャに問われたラウナは思いを巡らせた。
「はあ、まず、事前の備えがなかったことですね。過去にも何度か戦っているのに、北の大地に拠点のひとつもなかった。」
「次は?」
「敵よりも早く戦地に到着できず、かなり出遅れてしまいました。」
「おお、それから?」
「危険を予測できずに、不意打ちを受けてしまった。というか、ある程度、わかっていたのに、防御の手立てができていなかった。」
「おお、それでは、解決策は?」
「ええ、そんな、すぐには考え付きませんよ。」
とんとん拍子に聞かれて詰まってしまったラウナに、レイニャはゆったりとした口調で言い聞かせた。
「ゆっくりでいいから、考えなよ。どうすれば、あんな苦戦をせずに敵をしりぞけられるか。方法さえわかれば、私がなんとかしてみせる。」
それから二週間が過ぎた。
レイニャは街を巡り遊びほうけていて、少しも帰る様子は見せなかった。
街の中心にある高い塔に登ったレイニャは、そこからは、街全体を見渡した。
「おおお、すごい眺めだな。」
今日は知事であるステファン自らの案内である。
北からの冷たい風が吹き抜ける中、厚手の派手なローブに包まれたレイニャは心地よさそうに街を見下ろした。
「お寒くはないですか?」
「戦場では、夜明け前の川で体を洗っていた。それに比べれば、こんなの何でもないわ。」
「頼もしい王女様ですね。こんなことをお訊ねするのもなんですが、ギルギール様のご病気はいかがなのでしょうか?レイニャ様の元に、何らかのお知らせは来ておりませんか?」
「うん。まあ、あまりよくはないようだけど、すぐにどうこうはなさそうかな。」
警戒心もなく、ごく普通に答えるレイニャにステファンは安心していた。このように無邪気な王女であれば、手懐けるのも難しくはなさそうである。
「それをお聞きして少し安心いたしました。して、こちらには、いつまで御滞在の予定ですか?」
「ここ、気にいっちゃった。しばらく、居ようかと思っているの。シューレには戦闘で疲れたから、逗留するってことにすれば問題ないわ。」
「それは嬉しい限りです。ところで、次期女王は、決定されているのでしょうか?」
その質問にラウナはドキッとしてレイニャを見たが、彼女は顔色一つ変えることはなかった。
「まだだと思うよ。それよりも、年貢はちゃんと集まっている?」
「それはもう、大方集まりつつあります。昨年よりも豊作で、年貢の量も多くなっております。」
どうやら、レイニャの方が一枚上手のように見えた。ラウナは安心して景色に目をやった。お世辞ではなく、そこからの眺めは絶景である。
街の規模はシューレほどではないが、自然の景観と街並みの美しさはレリージュの方が上にも思えた。
レイニャは話を続けた。
「それは良かった。戦をすると出費も多くなるから、不作だと大変だもの。帳簿はちゃんと付けているよね。」
「それは、もう、間違えなく。フェリクスに確認させております。そう言えば、どこぞの商人が麦を誤魔化していた事件がありましたね。御心配なさっておられるのですか?」
「ううん。そんな悪い人、滅多にいないでしょう。」
「おっしゃる通りです。この街の者は、みな、王家に忠誠を誓っております。」
「ふふーん、ならば心配ないね。」
すこぶるご機嫌のレイニャは、笑顔を絶やすことはなかった。
その日の夕方、ダニエルは主力軍の半分を率いてレリージュに帰還した。
残りの半分の兵はブラムが率いて、直接シューレを目指したとのことだった。
翌日、レイニャは、ラウナを伴い、砦にいるダニエルを訪問した。
長旅の疲れも見せずに、ダニエルは豪快に笑った。
「ワハハハッ。レイニャ王女様、まさか、あそこまでやっていただけるとは思いませんでしたわ。この勝利は、正しく、レイニャ様のお蔭です。この通り、御礼申し上げます。」
「ハハハッ、おしっこチビるほどに怖い思いをさせられちゃったけど、まあ、勝てて良かった。」
「ワハハハッ、そんなに怖かったのですか?」
「それは、もう、矢がビュンビュンビュン飛んでくるわ、大きな男の人が剣を振り上げ向かってくるわ、もう、何度、殺されると思ったことか。」
「ああ、もう少し楽に勝てると思ったのですが、誠に申し訳ありませんでした。」
相変わらずの笑い声をあげるダニエルだったが、そこで、レイニャは急に真面目顔になっていた。
「それで、だ。」
それに対応して、ダニエルの方も顔を引き締めた。
「父ギルギールの代理である王女として、ちょっと、まじめな話をさせてもらいます。」
「はっ。何でしょう。お聞きいたしましょう。」
「まずは、部下の指導が不十分ね。私が左手の窪地に見張りを立てることを提案したにも関わらず、それを却下した。そのあげくに、そこから夜襲をかけられるとは、何たる失態。」
「ああ、それは、仰せの通り、副指令であるブラムのミスです。」
「ミスでは済まされないよ。そのため、何人の命が失われ、どれだけ危ない事態になったと思っているの。戦たるものは細心の注意を払い、いかなる敵の戦略も阻止することが肝要。それもできずして、副指令が聞いて呆れるわ。」
断固たるレイニャの指摘に、ダニエルは言い返す言葉もなかった。
「これは面目ない。早急にブラムは解任いたします。」
「いいえ、そういうことではない。彼は兵士として優秀であり、戦場での働きは素晴らしかった。解任するのではなく、敵の策略を読み、事前に対応できる人間に育てるのが、ダニエルの仕事ではないの。」
「御意。」
「次に、五年前、そして、七年前にも、同じ場所で、クルーシェと剣を交えているにもかかわらず、その拠点に砦ひとつもないというのはどういうこと?これは、軍の総責任者であるあなたの怠慢よ。」
「いや、しかし・・・。」
「言い訳なんか聞きたくない。次回の戦いに備え、今年中にあの地に拠点を構築しなさい。」
「そうは言われましても、資金もいることですし・・・。」
レイニャはバシンと机を叩いた。
「資金の話は後だ。グタグタ言わずに、拠点の構想を開始して!できれば、高い見張り台があればいいと思うな。次。」
レイニャの合図を受けたラウナはレリージュの地図を机の上に広げて説明を開始した。
「レリージュには南側、北側、それに南東側に街道があります。この要所に石の防壁を築いてください。万一、北の防衛線を突破された場合、最悪はレリージュに籠って敵を迎え撃つのが、エフトニアの最終防衛線と考えられます。ここを突破されて、シューレまで攻められてしまえば、もはや負けと同じというのがレイニャ様と私の見立てです。」
「石の防壁ですか?これも、相当な労力が必要になりますな。」
弱気で曖昧なダニエルに、レイニャは、またバシンと机を叩いた。
「そんなことはわかっている。ラウナにも協力させるから、すぐに、準備にとりかかりなさい。」
「はっ。ただちに、技術者を集めます。」
さすがのダニエルも笑ってはいられなかった。勝利に浮かれるどころか、次の準備に抜かりないレイニャに詰め寄られると、反論などしようもなかった。
「では、次は資金調達の話ね。こっちは、私に考えがあるから任せてほしい。ただ、そのために、腕っ節の強い人を十人、帳簿を読める人を三人用意してくれないかな。」
「それは構いませんが。何をするおつもりです。」
不審そうな顔のダニエルに、レイニャは緊張を緩めてニッコリと笑った。
「まあ、見ていてよ。しっかりと、資金は集めるからさ。良き将とは、敵地であっても資金を調達できるものだと兵法書にも書いてあったわ。」
「はあ、しかし、どこで・・・。」
その日、レイニャはフェリクスと約束していた。午後から、郊外にある自慢の酒蔵を見せて貰う約束である。
約束の場所で待つレイニャの前に、立派な馬車に乗ったフェリックスが現れた。
「お待たせいたしました。あっ、あれ?」
てっきり、レイニャとラウナだけかと思っていたのだが、彼女の後ろにはいかつい兵士が十人以上並んでいた。
不審顔で馬車から降りてきたフェリクスに、レイニャは凛とした態度を示した。有無を言わさぬ王女としての言葉である。
「すぐに、麦の倉庫に案内しなさい。それから、今年の麦に関する帳簿も全て用意してね。」
いつもとは、全然違うレイニャの態度に驚きながらも、フェリクスは声を荒げて言い返した。
「何を御無体な。いったい、何をしようと言うのですか?」
困惑するフェリックスに対して、レイニャは余裕の笑みを見せる。
「麦の入庫と出庫のチャックよ。」
「チェックと言われましても、帳簿を全部となれば、かなりの量がありますので、お見せするのはちょっと・・・。」
胡麻化そうとするフェリックスだったが、もちろんレイニャは許さない。
「見せられないと言うことは、やましいところがあるのかな?」
「いいえ、そのようなことはありませんが、チェックなら、街の役人がやっております。前にも申しましたが、知事の承認も受けております。」
「言い訳無用。つべこべ言わずに、言われた通りにしなさい。」
レイニャの合図で、後ろの男達は前に進み始めた。
「待ってください。何か誤魔化しているという証拠でもあるのですか?」
「ない。別に、強盗をするつもりもない。ただ、チェックするだけよ。」
なおも抵抗したフェリクスだったが、レイニャは有無を言わさずに、二手に分かれ麦の倉庫と事務所に乗り込んでしまった。
倉庫には、レイニャが八人の兵士を連れて向かい。事務所にはラウナと帳簿を読める軍の事務官三人に加え、兵士二名が同行した。
事務所に行くとごねたフェリクスだったが、レイニャは無理やりに倉庫に連れて行き、フェリクスの部下が事務所に同行することになった。
郊外にある巨大な倉庫に入ったレイニャはフェリクスの目の前に座り、じっと、彼を見つめていた。
八人の兵士が倉庫に残っている大量の麦袋を数えている最中である。
オレンジの瞳は瞬きもせずに、フェリクスを見つめて放さなかった。フェリクスはふてくされた表情で横を向き、指で机を鳴らしていた。
もう、二時間もこの状態である。
遂に、堪りかねたフェリクスが声を上げる。
「いったい、何が御不満なのですか?」
「別に、不満なんかないよ。ただ、真実を知りたいだけかな。」
「袖の下を受け取ったではありませんか。」
「おお、あれは袖の下だったのか。でもさ。私は、何の約定もしていない。」
「くっ。」
また、押し黙ってはみたものの。レイニャの視線がどんどんと深く突き刺さってくる。さすが、王の血を引くだけのことはあると、気づいてはみたものの、遅かれしである。あの天真爛漫で少女のように無邪気な態度に油断していたのだ。
「私をどうするつもりですか?」
「むむむ、何やら心配そうだね。小麦は誤魔化していないのでしょう。それであれば、調べたところで何も出てこないはずよね。そうなれば、私が謝罪しなければいけないかな。」
渋面のフェリクスは何度か、レイニャの顔を伺った。たかが小娘という思いもあったが、相手は王女であり、しかも、屈強な兵士まで引き連れてきてしまっている。下手なことなどできる状態ではなかった。
「わかっておられるのでしょう。」
「何が、かなあ?」
「うーむ。」
「何やら、顔色が優れないね。どうしちゃったのかなあ。フェリクスさん。」
フェリクスの視線が揺らめいていた。明らかに動揺し、迷っている証拠である。
何度か、レイニャの顔色を窺ったフェリックスは、遂に白状した。
「年貢の集約と発送の手数料を少し割り増ししました。でも、このようなことは、どこでもやっていることだ。」
フェリックスとしては、もはや開き直るしかなかった。
しかし、レイニャは冷静だった。
「ふーん。どのくらい割りましたのかなあ。」
「うーむ、それほどの量ではない。」
「あいまいな言い方ね。でも、調べればわかるから、いいかなあ。」
フェリクスは頭を抱えて唸った。
「何がほしいのですか?あなたが望むものは何でも用意します。世の中は、王女様が思っているほど、綺麗なものではありません。あまり、細かいところをほじくり出さずに、お互い、美味しいところを得る。世の中というのは、そういうものなのですよ。」
段々と、追いつめられ、もはや論理もへったくれもない言い逃れである。そんなフェリクスに対し、レイニャはニコニコとしながら、体を揺らしていた。
「たかが小娘と思っているのかな。ウフフッ。でも、王女をあまり舐めない方がいいと思うなあ。もはや、あなたは私の手の中も同然、握りつぶすも、手駒として生かすも、気分次第よ。どうしようかな。」
「くっ。」
右手を握ったり戻したりしながら、レイニャはフェリックスを見ていた。
「横領の罪は重いんだよ。この前の商人なんか、殺されちゃったもの。」
フェリクスはもう一度レイニャのオレンジの瞳を見た。いつもと変わらない柔らかな笑みを称えてはいたが、真っ直ぐに自分を見つめる瞳には迷いもなく、威厳に満ち溢れていた。彼女の言う通り、舐めていたことを認めざるを負えない。
若く無邪気に見えても絶大な権力を持つ王女だということに注意を払うべきだったのだ。
「何か思惑があるのですね。目的はなんなのですか?こうなったら、協力します。」
「うーん。やっと、そういう気になったのね。いいよ。教えてあげる。おまえが誤魔化した麦を使って、まずは、北の大地に砦を築こうかなって思っている。次のクルーシェの進軍に備えるためにね。敵の動きをいち早く察知し、優位な陣営で戦うための準備よ。」
「そのようなことであれば、国家の事業、中央から資金を出して貰えば良いのではありませんか?」
「ごもっとも、と言いたいところだけど、シューレに持ち帰って議会にあげたところで、すぐに動きはしない。お父様は御病気だし、ヨーランの奴はケチで軍事などに金を出したがらない。あの戦いでは、本当に殺される寸前だったんだから、そんな悠長なことはしてられないわ。」
「ふーむ。まずはということは、他にもあるのでしょうか?」
「あるよ。更には、街道沿いに石の壁を構築する。これは、万一、北の大地を突破された場合でも、レリージュの街を守り、敵を食い止めるための備えだ。ここまで、完成させれば、北の備えは万全となる。街の防御を固められるのだから、レリージュで商売をするおまえにとっても悪い話ではないはずだ。」
「目的はわかりました。何をすればお許し願えるのですか?」
観念したフェリックスに、レイニャの方もほっとした。
「ふむー、メチャやる気になったみたいね。でも、不正がないなら、別に協力する必要もないのだけど、いいのかな。」
「レイニャ様、もう、わかっておられるのでしょう。しかし、いったいどこで、そのような情報を得られたのですか?」
「ふーん、それは教えない。」
レイニャはニコニコしながら、フェリクスの肩をポンポンと叩いた。
「それでさ。この倉庫に小麦はどれだけあるのかな?」
観念したフェリクスは白状するしかなかった。どの道、男達が数えているのだから、じきに明らかになってしまう。
「一万袋余りです。」
「では、それを全部資金として提供してくれないかな。」
「ま、待ってください。この中には、私の正当な取り分も含まれています。」
「まあ、いいじゃないか。余ったら、返してあげるよ。それとも、正式な裁きを受けたいのかな。」
「ああ、あなたという方は、なんと、あくどい。」
「おまえに言われたくはないな。でもさ。北の大地の安全が確保できれば、農地は更に広げられるよ。例えば、千反の農地が開拓できれば、おまえの利はどのくらいになる。あの辺りには、まだ、農地になりそうな肥沃な土地が一万反はある。」
フェリクスは驚いて、頭の中で算段を始めていた。一万反あれば、莫大な利益を見込める。しかも、毎年続くのだ。
「一万反。そんなに・・・。」
「それにさ。街道の石壁を作り始めれば、工事のための人が入る。おまえの酒場や店の売り上げも増えるだろう。まあ、気の長い投資だと思って諦めるのだな。」
「それで、許していただけるのですよね。」
「うん、約束する。袖の下も貰ったからね。でも、今度は、ラウナの分も用意しておいてほしいな。ひがまれると、困るもの。」
したたかすぎるレイニャの言葉に、フェリックスは感嘆してしまった。
「承知しました。しかし、大したものですね。年は変わらないのに、家の娘とは大違いです。」
「当たり前だ。こう見えても王女だもの。」
冷たい風が山から吹き降ろしてくる中、レイニャは北の大地に向かっていた。白馬に跨るレイニャの横には、ラウナとフース、それにフランクが付き添っていた。
「もうじき、雪が降ります。」
馬を寄せたフースの言葉を聞いたレイニャは、厚手のローブの首元を押さえた。
「もう、そんな時期か。寒いわけだ。」
森の中の一本道を抜ければ、小高い丘が見えるはずである。そこは、三か月前、命からがらに戦った場所である。
二度とあんな目には合いたくないし、他の兵士達にも味あわせたくはない。こんな思いは戦場に来なければ抱かなかったであろう。
丘に登ると、石壁に囲まれた砦が見えてきた。建物には二百名以上が収容でき、石壁の内側にも野宿すれば、ニ千名の収容も可能である。中央には井戸も掘られ、高い櫓からは北に聳える山の麓まで見渡せた。
工事は仕上げに入いっており、外観上はほぼ完成していた。
レリージュの建築士の指示の元、周辺から集めた農民が重たい石を運び、壁を整える作業をしていた。
畑を荒らされた農民を優先して集めて報酬を与えることにより、少なくとも、冬を越せるだけの小麦も行き渡ったはずである。
馬から降りたレイニャがフードを取ると、それに気づいた農民の一人が地面に平伏した。
「こ、これはレイニャ王女様。この度のご配慮、誠に、ありがとうございます。」
それに続き、周りにいた者も、次々に平伏した。
「あ、ありがとうございます。これで、無事に冬を越せます。」
レイニャは剣を肩から下げた武装姿だった。彼女はそんな農民には視線すら向けず、櫓を見上げた。これだけの高さがあれば、十分に周りを警戒できるだろう。
レイニャは王女として、平伏する者達に下知した。
「もう少しで、砦は完成する。おまえ達を守るための砦だ。作業に励め。」
キリッとした態度で、農民に命じたレイニャは目の前の櫓に登り始めた。
天辺まで登ったレイニャはクルリと周囲を見回した。
「うーん。良く見える。どう、ラウナ。」
同じように、全域を見回したラウナは、すぐに答えた。
「東側の木が少し邪魔ですかね。」
「おお、なるほど。切らせるか?」
「その方が良いと思います。あの木が無ければ、ずっと先まで見渡せます。」
「わかった。この砦に、人を常駐させておけば、クルーシェに遅れを取ることもなくなるよね。しかも、この地での戦闘は圧倒的に優位になる。ねぇ、フース、次の戦いがあるとしたら、敵はどう攻めてくると思う?」
突然振られたフースは目を伏せて考え込んでしまった。何も考えていなかったので、すぐに答えが浮かばなかったのだ。
レイニャは、ラウナに視線を向けた。
「どう?」
「そうですね。前と同じように、正面の丘には陣取らないと思います。それでは、余りに向こうが不利です。もっと、遠く離れた場所になると思います。山岳地帯の麓近くでしょうか。」
そこで、考え込んでいたフースが口を開いた。
「しかし、ここを通らなければ、先には進めません。左右は険しい尾根です。であれば、こちらを誘い出して戦う以外にないでしょう。そのためには、麓近くでは遠すぎます。」
フースの意見に、レイニャは満足そうに頷いた。
「ふむふむ、どっちにしても、ここから出なければ負けないってことだね。しかも、誘い出すなら、危険な場所に陣を張るしかない。うーん。これなら、だいじょうぶそうだ。」
鋭い目つきで辺りを睨んだフースは王女のあどけない顔に見とれてしまった。
「この砦があれば、負ける気がしません。こんなに容易く砦が築けるのであれば、もっと、早く作るべきでした。」
レイニャはフースの肩をポンポンと叩いた。
「頼むよ。隊長。槍を振るだけではなく、もっと頭も使ってよね。」
フースは一歩下がると、膝をついて頭を下げた。
「はっ。肝に銘じます。」
気がつくと、ラウナはじっと尾根の方を凝視していた。
そんなラウナに、レイニャが声をかける。
「どうかしたのか?」
「いいえ、別に大したことではありません。左の尾根の上に人が見えたものですから、ちょっと気になって・・・。」
「うぬぬ?」
目を凝らして見れば、確かに、尾根の上を歩く三人の影が見えた。
「ふむ。あんなところに登れるんだな。」
「峠ではなく、山頂を目指すのであれば、尾根からの方が登りやすいのかもしれません。」
「でもさ。あんな絶壁みたいな尾根にどうやって登るのだろう?」
「さあ?見る限り、こちら側には登れそうな道は見当たりませんね。尾根の向こうに道があるのでしょうか?」
「ふふーん。絶壁をよじ登るんじゃないのか?そういうもの好きがいるって聞いたことがある。」
「ああ、なるほど。」
そう言いながらも気になるらしく、ラウナはしばらく尾根の上を眺めていた。
レリージュに戻ったレイニャは、フェリクスと食事をした。
「ああ、そうだ。余った小麦は返しておいたよ。」
「はい。部下から、連絡を受けました。三千袋も戻していただきありがとうございます。酒場も盛況でしたので、これで何とか商売を続けられそうです。」
フォークに突き刺した肉を口に運ぶレイニャは愛くるしい笑みを浮かべた。
「またまた、お金、いっぱいあるくせに。そうだ。私、家が欲しいな。」
それを聞いたフェリクスは思わず吹き出しそうになってしまった。人の財産を散々使っておき、まだ、家をほしいなどと言うレイニャには驚くしかなかった。
しかし、もうこうなると、半分やけである。
「どのような家がほしいのですか?」
「うーん。そうね。私、お城の御姫様になりたかったの。」
「それは、幾ら何でも無理です。お父上にでもおねだりしてくださいませ。」
「ねえ、フェリクス、そんなことを言わないで、何とかしてよ。侍女三人とラウナ、それから、ユーリエの部屋も必要ね。あと、お客様を止める部屋に大広間、謁見の間も必要かな。入ったところは三階くらいまで吹き抜けがいいなあ。」
フェリクスは溜息をついてしまった。
その夜、自室でラウナと話しているところに、レリージュから呼び寄せた侍女が扉をノックしてきた。
「レイニャ様、フース様がお見えです。」
レイニャは部屋着の胸元を押さえてラウナの顔を見た。
「夜這いかなあ。どうしよう。らうなあ。」
ラウナは真面目な顔で答えた。
「違うと思いますよ。」
部屋着に肩掛けを羽織ったレイニャは、ラウナを伴い階下の応接室に入った。
「こんな夜更けに、王女の元に来るとは、曲者め。」
いきなりの言葉に、立って待っていたフースは頭を掻いた。
「いや、その、普段着の王女様も素敵ですね。」
「ぬぬ、それは口説き文句か?」
「いや、その、そうではなく、是非にでもお耳に入れておきたいことがあったので、寄らせていただきました。」
困り顔のフースを見たラウナは右手で椅子を指した。
「どうぞ。レイニャ様の冗談は気にせず、お座りください。」
「あっ、はい。」
すぐに、レイニャとラウナも向かい側に腰掛けた。
「それで、何か用?」
「えーと、ですね。以前、ラウナ殿を養女にしてくれる家をお探しになられていたと記憶していますが、実家の父に話したところ、是非、ラウナ殿を養女に迎えたいと言い出しまして・・・。」
「おう、それはいい話だ。それで、おまえの実家はどんな家だっけ?」
「はい。実は、レリージュに、実家がありまして、明後日、私はシューレに帰還することになりましたので、本日立ち寄ったところ、そのような話になりました。実家の爵位は伯爵です。よくある地方の貴族であり、正直なところ、特に由緒ある家でもなく、あまり豊かであるとは言い難いのですが、いかがなものかと・・・。」
レイニャは目を輝かせた。特に裕福である必要もなかったし、シューレの貴族よりもむしろ都合が良かった。
「ふむふむ、それはありがたいな。ねぇ、ラウナ。どうかな?」
ラウナはドキドキしてきていた。貴族になれるなど、夢のような話である。実質的に何が変わるわけではなかったが、身分の差は絶大な壁という認識があった。
「こんな私を養女に迎えていただけるなら、それほど光栄なことはありません。」
ラウナの謙虚な言葉を聞いたレイニャは、フースに回答した。
「まずは、会ってからだね。養女になれば家族だもの。一生付き合わなければならない。」
「御尤もです。それでは、明日の朝、お迎えに上がってもよろしいでしょうか?」
「うん。いいよ。」
レイニャの返事を聞いたフースは意気揚々と帰っていった。
彼を見送ったレイニャは、ラウナの肩を抱きよせた。
「この話がまとまれば、フースはお兄ちゃんだ。ちょっと、言ってみてよ。」
「えっ。」
「お兄様、だよ。」
「お兄様。」
「ああ、そんなのではなくさ。もっと、妹らしく。禁断の恋に焦がれる少女のように・・・。」
「そんなの、無理です。」
「もう、つまんないな。」
レイニャの落胆を見たラウナは一世一代、心を込めて囁いた。
「お兄様。」
「おお。いい感じだ。」
翌朝のフースの実家は大変な騒ぎになっていた。
当主のヘイス・テルトニアはいっちょうらのタキシードを着て、部屋の中をウロウロと歩き回っていた。
「掃除は終わったのか。食事の準備は・・・。」
「今やっていますよ。私も服を着替えなくてはならなのですから、少し静かにしていてください。」
そんな父と母を余所に、フースはリビングのソファに両足を広げてくつろいでいた。
「あの方なら、だいじょうぶですよ。目的はラウナ殿の養女の話です。そこのところだけ、しっかりとなされば問題ありませんよ。」
のんびりとしている息子に対し、ヘイスは居ても立ってもいられない様子だった。
「しかし、王女だぞ。ギリギール様の娘だぞ。こんな辺境のボロ屋に、そんな方をお連れして良いものなのか。」
「ここに、連れて来いと言ったのは父上ではありませんか?」
「いや。それはラウナ殿のことだ。まさか、王女様まで来るとは・・・。」
フースは立ち上がると、軍服の襟を正した。
「そろそろ、時間ですよ。」
街外れの古びた家に到着した馬車から降りた御者は、素早く跪くと顔を出したレイニャの手を支えた。紫色のドレスに身を包んだ王女の壮麗さは、田舎の貴族とは段違いの壮麗さがあった。
それに、続いて、黄色のドレスを纏ったラウナが降りてきた。
レイニャはかなりガタのきた建屋を見ながら、崩れかかった門柱を指で押してみた。ボロっと崩れる煉瓦に、少々落胆しながらも頷いた。
「伯爵といえどもいろいろだな。まあ、こんなものか。」
玄関先に出迎える人々を見たレイニャは後ろを振り返った。すると、ラウナは、まだ、馬車を降りていなかった。
「ラウナ、どうかしたのか?」
「いえ、こんなドレス、初めて着たので、お腹が苦しくって歩きにくいだけです。」
「私のドレスだからな。サイズがちょっと合わなかったか?」
二人の身長はほぼ同じであり、ラウナの方が痩せている位なのだが、悲しいことにウエストはレイニャの方が細いようである。
進み出てきたフースは、レイニャの前で跪くと頭を下げたまま、挨拶した。
「このような辺境まで、御足労願い恐縮です。」
それに対して、レイニャは王女としての挨拶をした。
「御機嫌よう。フース・テルトニア。」
「はい。こちらは、わたくしめの父と母でございます。」
フースの紹介を受けた二人は前に出て、フースと同じように深々と頭を下げた。
「ヘイス・テルトニアでございます。」
「レイニャ・フォン・フリューゲンです。」
挨拶したレイニャはラウナの手を取ると、隣に引っ張り出した。今日の主役は彼女なのだ。
「こちらは、私の大切な友であるラウナです。」
白髪まじりのヘイスは笑顔を作ると、軽く会釈した。
「ヘイスです。よろしく、ラウナさん。」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
スカートを掴み優雅に頭を下げたラウナは、かなり緊張気味だった。
王女らしい態度もそこまでで、部屋に入ったレイニャはいつもの通りのおふざけモードに戻ってしまった。
「それで、殺される。キャー、みたいなところで、フースが槍を振り回して助けてくれたんだ。ビュンビュン、グサッってね。おお、スゴーって感じだった。」
笑顔で聞いているヘイスは内心驚きでいっぱいだった。まさか、レイニャ王女が、こんな砕けた少女だとは思ってもいなかったのだ。
驚いて何も言えない父の顔を見たフースは姿勢を正して口を挟んだ。
「それで、レイニャ様。養女の件はいかがでしょうか?」
「うん。私はいいと思うよ。ラウナはどう?」
緊張した顔で聞いていたラウナははっきりと答えた。
「こんな私を養女にしていただけるのであれば嬉しい限りです。」
ラウナの返事を聞いたフースはほっとしたようだ。
「それでは、決まりですね。元々、こちらから言いだしたのですから、父上にも異存はありませんよね。」
ヘイスもあっさりと頷いた。
「そっ、それはもちろんだ。」
これで一件落着という雰囲気だったのだが、そこで、レイニャは注文をつけた。
「待った。待った。そんなに急いで決める必要はないよ。フースはともかく、ヘイスさんは、ラウナのことを知らないはずだよね。ラウナは置いていくから、いっしょに暮らしてみてほしい。三日後に、迎えに来るから、その時に、返事をくれればいいわ。」
「いや、しかし、見ての通り、家はあまり余裕のある貴族ではありませんので、大したおもてなしはできません。」
「別に、おもてなしの必要はないはずよ。ラウナは娘になるのだから、ごく普通でいいと思う。聞いていると思うけど、ラウナは元々極貧の農民育ちよ。おなかが空けば床に落ちたパンくずでも食べるような生活をしてきている。今日は、ドレスで着飾って連れて来たけれど、染みついた低俗さは隠しきれない。だから、そんなラウナを見て貰ってから決めてほしいの。王女としての都合で貴族にするのだから、せめて、大切に扱ってくれる人の養女にしたい。それが、私の願いよ。だから、無理だと思うなら、遠慮なく断ってくれていいわ。」
ヘイスは神妙な顔で頷いた。
「わかりました。それではお預かりしましょう。お帰りになる前に、ひとつ聞いてもよろしいでしょうか?」
「なんなりと。」
「レイニャ様は、なぜ、ラウナ殿を、そこまで大事になされるのですか?」
「それは・・・。あんまり、ラウナの前では言いたくなかったのだけどな。」
レイニャが視線を移すと、ラウナは立ち上がった。
「外に出ていましょうか?」
「まあ、いいよ。」
レイニャは少しだけ間を置いて、はっきりと言った。
「王宮の中は多くの人間の思惑が絡み合っていてさ。だから、無条件に信頼できる人間なんて誰もいなかった。でも、彼女だけは違っていた。何も考えず、何も気にしないでも、信頼できた。身分も地位も、生まれも卑しさも、そんなのはどうでもいいって思うくらいに、傍にいて欲しくなっちゃったの。」
レイニャの言葉を聞いたラウナは嬉しくて堪らなかった。それほどまでに、信じてくれているならば、もう、何も言うことはない。
そして、信頼されているということは、ラウナの誇りにもなり、いっそう、王女のために尽くそうという気にもなった。
ヘイスは深くレイニャに頭を下げた。
「わかりました。ラウナ殿をしかと見させていただきます。」
それから、二週間の時が経過した。
街道沿いの石壁を視察したレイニャは空を見上げた。
「降ってきましたね。」
隣にいるラウナの声にレイニャは頷いた。
「雪って、不思議だよね。融ければ同じ水なのに、氷のように硬くなくって、軽くフワフワしている。」
空を見上げたラウナは降り注ぐ白い雪を見つめた。
「そうですね。どうして、こんな風に凍るのでしょうか?」
「きっと、当たっても痛くないように神様が配慮してくれたのよ。それよりも、この石壁。どう思う?」
顎に手を当てたラウナは首を傾げた。
「もう少し、伸ばしたいですかね。これでは、防御として不十分です。」
「だよね。石を切り出して、ここまで運ぶのに思いの外、時間がかかってしまった。続きは、また、来年かな。」
「また、フェリクスから資金をせしめるのですか?」
「そうしたいところだけど、ちょっと無理があるかも。ラウナ、何かいい方法を考えてよ。」
ラウナは軽くレイニャの体を押した。
「もう、面倒なことはみんな私なのですね。」
「まあ、いいじゃないか。おまえ、頭いいのだからさ。ラウナ・テルトニア。」
フルネームで呼ばれたラウナは、とても新鮮な気分だった。随分と、遠くまで来たという感慨が込み上げてくる。
「そんな風に呼ばれるのは、なんだか恥ずかしいですね。」
「ふふふーん。偉くなった気がするだろう。」
「まあ。でも、そんなことは重要ではないです。ただ、優しいお父様とお母様ができて、ラウナは幸せです。ありがとうございます。」
「そう思ってくれたなら、良かった。」
掌を前に出したラウナは雪を受け止めた。
「冷たいです。そろそろ、シューレに戻った方が良いのではないですか?」
「ぬぬ、さては、ユーリエが恋しくなったな。」
「それを言うならば、レイニャ様ではないのですか。」
苗字だけではなく、いつのまにか、レイニャと対等な目線で話せるようにもなっていた。農民からすれば、天に位置するような王女だったのに、これほどまでに近くまで来れたという感慨がラウナにはあった。
肘で、ラウナを突っつくレイニャは悪戯っぽい目を向ける。
「片時も離さずに、ブローチをつけている女が何を言う。」
「これは、そんな意味ではありませんよ。パンを食べることしか頭になかった私が、初めて得た贅沢なのです。その時の気持ちを忘れたくないのです。」
「いやいや、恋しくて堪らないからだろう。ユーリエ様、私は片時もあなたのことを忘れていません、みたいな。」
「違いますよ。」
「おお、顔が赤くなった。この、この、かわいいな。」
レイニャはふざけるように追及していたが、ラウナは少しだけ不安も感じていた。でも、この時は、それほどは気に留めていなかった。
「でも、本当に、そろそろ戻られた方がよろしいかと思いますよ。ギリギール様のことも気になります。」
「そうだな。もう、シューレを出て半年だからな。」