第10話 伝説を作るだけが王女の務めではない
いつまでも語り継がれるような奇跡的な出来事がたまに生じる。
時代の変貌に翻弄されるエフトニア王国で、動乱の中を生き抜いたひとりの王女にも、そんな逸話が残っていた。
もうすぐ、麦の収穫が始まる時期に差し掛かった頃、ダニエルは奇襲をかける決断をした。
敵に油断も見え始めたこともあったが、それ以上に、もはや食料が底をついてしまっており、背に腹は代えられない状況と言って良かった。
精鋭を引き連れたダニエルは日が落ちた夜道を尾根伝いに進んだ。正面の敵の横を突くためである。
夜が更けた頃、副官のブラムは夜明けからの攻撃に備え兵に休息を取らせた。
草に布を敷いたレイニャ達もローブに包まって眠りについた。さすがに、二か月以上もいれば、野宿も慣れたものだ。
静かな夜に、二人はすぐに眠りへと落ちていった。
秋の虫の声が響き渡る中、二人は身を寄せ合いながら眠っていた。すやすやと、無邪気な寝顔で・・・。
誰もが寝静まった頃、遠くで草を踏む音が聞こえてきた。それに気づいたラウナは目を覚ました。
「何?」
その瞬間、左手の方で叫び声が上がった。
「ウワー、敵襲だ。」
これが、その戦いの始まりである。
敵に夜襲をかけるつもりだったが、その動きは見破られ、逆に手薄になった陣営に敵の主力が切り込んできたのだ。
生まれてこの方、王宮の中で大切に育てられた王女は、戦いなど知る由もなく、完全なるド素人である。
ラウナに起こされたレイニャは眠そうに目を擦った。
「ああ、何事?」
「起きてください。」
ラウナに手を引っ張られたレイニャはフラフラと立ち上がったが、何が起きているのか把握できなかった。
「うん。何が起こっているの?」
「敵襲です。逃げましょう。」
敵襲という言葉に反応して、レイニャは目を見開いた。
「おお、それは大変だ。」
近くに転がっていたレイニャの剣を拾ったラウナは、とりあえず敵と反対の右手の方向に歩き出した。
この時の二人には、まだ、それほどの危機感はなかった。
「状況が分かりませんが、どうやら敵が攻め込んで来ているようです。」
「むむむ、だいじょうぶかな?」
しかし、その目の前に、矢が飛んできた時、誰に対しても容赦などない戦いが始まったことを知った。
「キャー。」
思わず目を閉じて飛び退いたラウナを見たレイニャは、驚いてバッチリと目を開けた。これで、完全に目が覚めたようだ。
「おお、危なかった。」
その時、フランクが走ってくるのが見えた。
「レイニャ様、馬に乗ってください。後方に下がります。」
「うん、わかった。」
レイニャとラウナが馬に飛び乗ると、すごい勢いで敵の兵士が切り込んできているのが見えた。阻止しようとする味方の兵は切り殺され、鮮血が飛び散る中を敵は進んできていた。
それはあり得ないような光景に見え、二人は恐怖のどん底にまで叩き落されてしまった。そんなレイニャ達に、敵は容赦なく襲い掛かる。
「レイニャ王女とお見受けする。いざ、見参。」
どうしていいのかわからないレイニャは馬を動かして交わそうとした。ギリギリのところで、敵の剣は空を切り、すぐに、フランクとナバロがレイニャの前を固めた。
「レイニャ様、お逃げください。ここは、私達が食い止めます。」
「わかった。頼む。」
ラウナに目で合図したレイニャは反対方向に逃げ出したのだが、近づく風切り音に思わず目を閉じてしまった。
「ウワッ。」
体ギリギリを掠めていく矢を見たレイニャは、王女であることなど関係なく、容赦なく殺されるのだと実感した。
「ウワワワ。やばい。」
闇の中、馬を進めるレイニャは後ろを振り返り、敵を確認したのだが、その顔は泣き出しそうに歪んでいた。
「ラウナ、どうしよう。」
馬を止めたラウナは、キョロキョロと辺りを見回したが、暗くて状況はわからなかった。しかし、敵と味方が入り乱れての大混戦になっているのは確かである。
冷静になって耳を澄ましたラウナは確信した。敵はやはり左手から侵入してきているようである。
「こっちです。」
ラウナが指し示す方向に、レイニャは馬を走らせた。しかし、また、近くに音を立てて矢が飛んできた。こうなれば、もはや、必死に逃げるのみである。
陣を抜けたあたりで、二人は生い茂る木立の中に逃げ込んだ。
「はあ、はあ、はあ。」
息を切らしながら後ろを振り返ると、十騎以上の敵が追ってくるのが見えた。あれに追いつかれたら、終わりである。
ローブを被っていても、やはり王女は目立つ存在だった。滅多にいない白の駿馬もそうだったし、宝石や金を張り付けた戦闘用の服にしても敵の狙いの的である。
目の前に現れた味方の兵士が敵に突っ込んで行ったが、あっという間にやられてしまった。断末魔の悲鳴と共に切り裂かれる男達と飛び散る鮮血を見たレイニャは死というものをはっきりと実感した。
一刻の猶予もなかった。ラウナはできる限り、目立つ服が隠れるようにレイニャのローブを整えた。
「レイニャ様、馬を代えてください。私が囮になります。レイニャ様は木の間を抜けてお逃げください。」
「えー、でも。」
「早く。レイニャ様が死んだら負けなのですよ。」
「うーん、でも、ラウナが死んだら嫌だ。」
「駄々をこねないでください。私も逃げ延びて見せます。」
渋々、レイニャは頷いた。
「わかった。」
レイニャの白馬に跨ったラウナはフードを被ると、わざと敵前に姿を見せた。
それを見た敵兵の声が響く。
「いたぞ。王女だ。追え。」
ラウナは全力で逃げ出した。
「あああ、どうして、こんなことになっちゃったのだろう。」
それを見たレイニャは馬首を返し、森の中へと逃げ込んだ。
「ああ、もっと、ちゃんと馬の乗り方を教えてやればよかった。ラウナ、死んじゃうかな。ううん。そんなの、絶対、いやだー。」
森を抜けたところで、馬を止めたレイニャは辺りを見回した。誰もいないと思ったのだが、草の陰から松明を持った男を先頭に、数人が飛び出してくるのが見えた。
「あっ。」
咄嗟に剣を抜いたレイニャに、男はどもりながらも告げる。
「レ、レイニャ王女様。み、味方です。歩兵部隊のエルです。」
「ああ、味方か。もう、だめかと思った。」
ほっとしたレイニャは剣をしまった。
森の向こうには、悲鳴を上げて逃げ惑う味方の兵が見えた。見た限りでは敵の姿はなく、見えるのは逃げ惑う味方の兵だけだった。
敵もいないのに、逃げている兵士達を見たレイニャは愕然としてしまった。頭の中には、ラウナといっしょに読んだ兵法書の文言が浮かんできた。そして、レイニャは唱えるように呟き出した。
「私は王女だ。雑兵とは違う。私は王女だ。私の前に人は平伏する。私は王女、ラウナとは違う特別な存在だ。」
レイニャは大きく深呼吸をすると、男に命じた。
「その木に登るから、下で見張っていなさい。」
「えっ、何をするおつもりですか。」
レイニャは馬から飛び降りると、少し離れたところに立つ巨大な木にしがみついた。
とても大きな木だったが、何とか登れそうである。
その頃、ラウナは後ろから迫りくる馬の音を聞いていた。
「ああ、殺される。レイニャ様、助けて!」
そう思った瞬間、数騎の味方がすれ違っていった。
「ウォー。」
槍を持ったフースに続き、副指令のブラムが凄い形相でラウナと敵の間に立ちはだかった。
敵が振り上げる剣を間近で見たラウナは殺されると思って目を閉じたが、ブラムの剣が弾き返してくれた。
ガシーンとすさまじい音が鳴り響き、闇の中に火花が飛び散る。
その先では。フースは槍を振り回し、敵兵を次々に薙ぎ倒していった。
「ウォー。」
グサッ。
「ギャッー。」
ブラムは襲い掛かる敵を切り裂くと、怯えているラウナの耳元で呟いた
「心配するな。」
血しぶきが飛び散る中、ラウナはガタガタと震えていた。あたりは、まるで、地獄の殺戮絵図と化し、狂気に取り付かれた男達は夢中で剣を振っている。
「ウワッ。こんなに、こんなに、戦いって恐ろしいものなの?」
ブラムは最後の一人を切り裂くと、もう一度、ラウナに声をかけた。
「ラウナ。しっかりしろ!」
「ええ、はい。」
てっきり、レイニャと間違えられて助けられたと思っていたラウナは驚いてしまった。
「あの、私なんか・・・。」
弱々しいラウナの声に、ブラムは見下すように言い放つ。
「ふん。農民ではなく、貴族の娘ならば、守らねばならない。」
その言葉を聞いたラウナは思わずジーンと来てしまった。何と嬉しい言葉であろうか。
「あっ、ありがとうございます。」
「レイニャ様は、どこだ?」
「森の中に逃げ込みました。たぶん、ずっと、向こうの方。」
ラウナの指さす方角を見たブラムはフースに命じた。
「フース、おまえは二騎を連れて、レイニャ様を捜せ。見つけたら、安全なところまで逃がしてやれ。俺は、残兵を集めて立て直す。」
「はっ。」
目まぐるしく男達は動いていた。
「ラウナ、おまえは、俺といっしょに来い。王女の身代わりだ。敵を引きつけろ。」
恐ろしくって堪らなかったのだが、ブラムの命令を聞くと不思議と震えは止まった。生きるために戦う。怯えているだけでは勝てないのだ。
「はい。」
風のように森の中へと消えていくフースを見送ったラウナはブラムに従い馬を進めた。
「しかし、意外に勇敢だな。少し見直したぞ。」
「ああ、でも、何もできなくって・・・。」
「王女の囮になったのだろう。よくやった。」
「あの。褒めていただき、光栄です。」
レイニャは腕を伸ばして枝を掴むと顔をしかめながらもよじ登っていった。そして、やっとの思いで、高い枝の上に立つと辺りを見回した。
「ここからなら、暗いけど良く見える。ふーん、敵の数はそれほどでもない。それに、近くに敵はいないじゃない。なるほど、見えない敵は多く見えるとは、こういうことなのか。あと、そうだ。味方の戦力か。数では負けていないけど、みんな恐怖が先走って戦意を失っている。まともに、戦っている兵は僅かだ。まずは、逃げ惑う兵士を集めて、やる気を出させなければどうにもならない。でも、どうしよう。」
レイニャは下の男に向かって叫んだ。
「松明を貸して。」
男は枝に飛びつくと、手を伸ばしたがとても届かなかった。レイニャは上から叫んだ。
「投げて。」
レイニャは手を下に向かって差し出した。
「しかし、火傷します。」
「いいから、投げなさい。」
男はレイニャを見上げながら、思い切り松明を投げた。クルクルと回って飛んでくる松明を凝視したレイニャは見事に火のついていないところを掴んだ。
急いでローブを脱ぎ捨てたレイニャは自らを松明で照らし、腹に力を込めて叫んだ。
「ハハハッ。エフトニア軍総大将レイニャは、ここだ。全軍、集結せよ。敵は少数だ。今から、逆襲するぞ。」
高い木の上で、明るい松明に照らされた王女の姿はかなり遠くからでも確認できた。
レイニャを捜していたフースは、それをすぐに見つけた。
「嘘だろう。何をやっている。あれでは、狙ってくださいと言わんばかりじゃないか。」
フースは馬首を回し、レイニャに向かって馬を駆った。
レイニャは枝の上で両手を広げた。
遠くから矢が飛んできたが、足よりも下に落ちていく矢を冷静に見届けた。
「おお、危ないな。」
心の中で、みんな集まってと祈りながら、レイニャは力の限りの声で叫んだ。歯を食いしばり、必死の思いである。
「恐れることはない。私がいれば、絶対に勝てる。何をしている。早く、集まれ!」
レイニャは叫び続けた。
「後ろを良く見ろ!敵などいない!出遅れた奴は、もう遊んでやらないぞ!」
すると、暗がりの中から、次々と味方が現れてきた。それを見たレイニャは、腹に力を入れると大声で笑い出した。
「ハハハッ。これから、逆襲だ。見ていろよ。エフトニア王女の底力を見せてやる。」
そこに、途中で合流した手勢を引きつれたフースも駆つけてきた。
「レイニャ様、そこは危険です。降りてください。」
「ふーん、腰抜けめ。戦場が危険なことくらいわかっている。フース、ぐずぐずしないで、早く兵を纏めなさい!敵を蹴散らしに行く。」
「ああ、あ、はい。すぐに・・・。」
王女の命に、フースは急いで集まった兵士を整列させ始めた。そうする間にも、続々と味方は増えていった。
レイニャは木の上から、戦闘の様子を見つめていた。
丘の上の陣では、まだ、激しい戦闘が続いているようだった。入り乱れていた軍は、ある程度立て直され、右と左に分かれての交戦になっていた。
「うーん。左の木立を迂回していけば、敵の後ろに出られる。あの辺りはラウナと良く散歩していたから、暗くても抜けられそうだ。」
下を見たレイニャは味方の戦力を確認した。
三百名以上は集まったようだったが、この戦力では不安だった。
「ああ、今一つ少ないな。これだけで勝てるのかな?」
そんな不安を呑み込んだレイニャは自らに気合を入れた。
「いや、絶対に勝てる。死んだら、死んだ時よ。私が弱気でどうする。」
目を見開いたレイニャは高い枝から飛び降りた。
「よし、行くぞ!着いて来い!」
馬に飛び乗ったレイニャは手綱を掴むと、元気いっぱいの掛け声とともに馬を駆った。
「イエー、イエー、イエー!突撃!」
「ウォー。」
怒涛のような叫びをあげ、集まった兵士は一斉に走り出した。
「エフトニア第三王女 レイニャ・フォン・フリューゲンを舐めるなよ。」
馬を駆るレイニャに追い縋ったフースは大きな槍を片手に馬を寄せた。
「どうするおつもりですか?」
「うーんと、左手を迂回して、敵の後ろから突っ込む。」
レイニャの作戦を聞いたフースは頷いた。
「わかりました。御身、お守りいたします。」
左手の丘を下り、木立の裏手を迂回しながらレイニャは辺りにも注意を払っていた。
「フース。右手に敵だ。」
右の草むらから飛び出す数名を見たフースは槍を振って蹴散らした。すぐに、他の兵士も加わりあっという間に仕留めてしまう。
「おお、お。フース、つよー。」
そう言いながらも速度を落とさず突っ走るレイニャを兵士たちは必死に追いかけて行った。
少し遅れを取ったフースも馬を飛ばして追いかけていった。
-なんだろう?-
-この心躍るような気分は・・・-
走る兵士達の目を見たフースはニヤリと笑った。
全員、目の色が違っていた。勝利を確信し、もう、敵に突っ込むのが待ちきれないような目である。
「駆けろ!レイニャ様に追い付け。あの方がいれば、勝てる。」
「ウォー。」
その頃、丘の上ではブラム達が奮闘していた。
馬の上で怯えながら見ているラウナの目の前では、激しい切り合いがいつ尽きるともなく続いている。
時々、近くに矢が飛んできたが、そんな恐怖にも慣れてしまっていた。
どこで傷ついたのか、服が破れ、右肩からは血が流れていたが、そんなこともさしては気にならなかった。
先ほどよりは恐怖は確実に薄れ、彼女は戦況をしっかりと見つめていた。
-よく持ち応えているけど、戦況は少し不利-
-このままでは、勝てないかもしれない-
闇の向こうを見つめるラウナは、常に動きながら敵の矢を避けようとしていた。こんなことをしていても、いつかは矢に当たりそうではあったが、じっとしているよりはましである。
-もしかしたら、ここで、死ぬかもしれない-
-でも、不思議と怖くはない-
ブラムの叫び声が聞こえる。
「怯むな。敵を通すな。」
ブラムは味方の兵を鼓舞させながら必死に戦っていた。剣のぶつかる音や、男の叫び声が絶えることなく響き渡る。
ラウナにはどうするころもできず、ただ、状況を分析しながら見つめるだけである。
それでも、火あぶりにされかかった時よりはずっとましである。王女の囮ではあるが、何しろ、たくさんの男達が自分を守るために戦ってくれている。
「がんばって・・・。」
ラウナは祈るような気持ちで、それを見守っていた。
「負けないで・・・。」
その頃、目の前の丘陵に駆け上ったレイニャは馬を止めた。
全軍が集結するのを待つためである。すぐに、追いついてきたフースが隣に馬を寄せてきた。
もう、戦場は近く、敵味方が交戦する音や声がはっきりと聞こえていた。
「まだ、敵はこちらに気づいていないようですね。」
「うん。真っ直ぐ、突っ込めばいいかな?」
「いいと思いますよ。敵に近づいたら、止まってください。部下に守らせますので、後は任せてください。」
唇を噛みしめたレイニャは頷いた。もう、怖くって堪らなかったが、王女の威信にかけても泣き顔は見せられない。
彼女は大きく息を吸うと目を見開いて後ろを振り返った。オレンジの瞳を輝かせ、ブロンズの髪を靡かせたレイニャは、ニッコリ笑うと思いきり叫んだ。
「フフフッ。行くぞー。クルーシェの奴らを蹴散らしてやる。私は、神の加護を受けた王女だ。恐れるものなど、何もない。」
「ウォー。」
そして、剣を抜くとレイニャは力の限り叫んだ。
「イエー、イエー、イエー。行けー!」
「ウォー。」
怒涛の叫びが夜の闇を激震させた。彼女の言葉は心の底を震わす程に勇気を奮い立たせる。正しく、戦場の女神である。
レイニャが馬を進めると、全軍、乱れることなく突撃を開始した。
必死の防戦を強いられていたブラムは、怒涛のように突進してくる味方の叫び声に耳を傾けた。
「うむ。何だ?」
敵の背後から突っ込んだ兵はあっという間に敵を蹂躙していく。
「ウワー。オオー。」
前の敵に集中していたクルーシェ軍は不意を突かれて大混乱である。
それに気づいたブラムは目を輝かせて号令する。
「よし、今がチャンスだ。前に押し出せ。」
剣を振り上げたブラムの耳には、甲高いレイニャの叫び声を聞えてきた。
「行けー。蹴散らせ!」
「ふっ。勇敢な王女だ。しかし、不思議だ。あの声を聞いただけで、負ける気がしなくなった。あいつさえいれば・・・。ふふっ。何だろうな。」
レイニャの突撃の威力は十分だった。あっという間に形成は傾き、日が登った頃には敵軍は敗走した。
日差しが降り注ぐ丘の上で、レイニャは大の字に転がっていた。
その横に、ラウナは座り、彼女の髪を梳かしている。
「さすがレイニャ様ですね。」
「ああ、でも、生きた心地がしなかった。もう、何度もチビッてしまった。」
ラウナは自分が着ていたローブを脱ぐと、レイニャの上に載せると、そっと頬に触れてみた。
「秋風が冷たくなりました。ローブは、失くされてしまったのですね。」
「なくしたのではない。脱ぎ捨てたんだ。でもさ。収穫まで、もう少しだったのに、畑、荒らされちゃったね。」
「はい。これで、また、私のように、何人かの子供達が売られていくことになるでしょう。」
「ラウナは冷静だな。」
「時が流れ、世が移り行くだけです。いつの世にも犠牲になる者はいます。」
「おお、動じない奴だな。」
「そうでもないですよ。戦いは怖かったです。怖くって、何もできませんでした。チビッても、戦えるレイニャ様は、やっぱり凄いです。私は、漏らしたりはしませんでしたけどね。」
「それ、褒めているつもりか?」
櫛をしまったラウナは、レイニャの胸に頬を乗せた。
「レイニャ様のことが、大好きです。誰よりもカッコよくて、一番、素敵でしたよ。」
「ふん、お世辞か。でも、ラウナにそう言ってもらうと、嬉しいな。」
戦火の直後で辺りは、まだ、騒然としていたが、目を閉じたレイニャは、安心したようにスヤスヤと眠ってしまった。
太陽が真上に差し掛かる頃になって、レイニャは目を開き起き上がった。
よく見ると、戦闘着にも腕にも血がいっぱい付着していた。
「おお、どこか怪我したのか?」
捜してみたが怪我はなく、全部返り血のようだった。近くに座るラウナは服をずらして、救護兵に包帯を巻いてもらっていた。どうやら、肩に傷を負っているようだった。
丘の下を見れば、傷ついた兵士が大勢、横たわっているのも見えた。重傷を負ってうめき苦しむものや既に息絶えたものもいた。
起き上がったレイニャに気づいたラウナが駆け寄ってくる。
「怪我をした人の手当の手伝いに行ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん、構わないけど、ラウナ、肩に怪我したのか?」
「かすり傷です。」
レイニャは目の前の惨憺たる光景を見つめると、思い立ったように立ち上がった。
「私も行く。」
「えっ?」
「私は見るだけだ。おまえは手伝え。」
丘の下に降りて、怪我人達を間近で見ると、その惨状は目を背けたくなるほどだった。
ゆっくりと歩くレイニャは埋め尽くす重症者の間を進んでいった。見たくはなかったが、レイニャは意識的に目を見開いて、その状況を焼き付けていった。
ラウナは、そんなレイニャから離れ、救護兵といっしょに怪我人の手当を始めていた。
戦争というのは、こういうものなのだと、レイニャは初めて理解した。
「こういうのは、王宮の中に居ても、絶対にわからないな。想像以上に、酷いものだ。」
苦しむ男達の間を抜けたレイニャは、自分の馬まで戻ると鞍を掴んで飛び乗った。
走り去るレイニャを見つけたフースは馬に飛び乗ると後を追いかけた。
-どこに、行くのだろう-
レイニャの乗った馬は颯爽と駆けていった。
敵に踏みにじられた畑を進むと、小さな集落が見えてきた。
馬を止めたレイニャは粗末な小屋を眺めて、フーと息を吐く。
破壊された扉の近くには、服をむしり取られた女の死体が仰向けに転がり、小屋の中には子供の死体も見えた。
少しは離れた木立の下には血まみれの男の屍も転がっていた。
馬の音に振り返ったレイニャは近づいてくるフースに目をやった。
駆ける青年兵士の背景には、戦で壊された小屋と、めちゃめちゃにされた畑が映っていた。
「レイニャ様、ここは、まだ危険です。」
「馬があれば、逃げることもできる。でも、この人たちは、なす術もなく殺された。これを見ておくのも、王女の務めだと思う。」
荒廃した集落の真ん中に佇むレイニャの悲しそうな顔を見たフースは言葉を失ってしまった。