第1話 お腹いっぱい食べてみたい
☆☆ 序章 ☆☆
エフトニア国王の王女として生まれたレイニャには二人の姉がいた。長女のサーラと次女のヨハンナである。
エフトニア王国は、周りを大国に囲まれた新興の王国であったが、領内に広大な麦畑を有する一見豊かで平和な国家であった。
そんな王国の首都であるシューレの宮殿には、春の日差しが降り注ぎ、その庭では小さなレイニャが姉達を追いかけて無邪気に走っていた。
「うわわわ、待って!お姉様。」
振り返ったヨハンナは、転びそうなレイニャの手を掴み、前を行くサーラを呼び止めた。
「お姉様、待ってください。レイニャが追いつけないわ。」
立ち止まったサーラは少しだけ不機嫌そうな顔をした。
「もう、おチビさんは、お荷物ね。」
ちょっと自分勝手なサーラだったが、根はとても優しいことをレイニャは知っていた。
庭園の片隅にある緑の芝生は眩しいほどに輝き、その輝きは楽し気に戯れる三姉妹の心、そのままだったかもしれない。
ヨハンナの膝に抱かれたレイニャは、サーラが作ってくれた髪飾りを付けて大喜びである。
「ワーイ、ワーイ。」
はしゃいでいるレイニャの頭をサーラは優しく撫でてほほ笑んだ。
「レイニャ、私達三人は、いつまでも仲良くしていなければいけないのよ。きっと、それが一番大切なこと。」
「はい。サーラお姉様。」
レイニャは、元気よく手を上げて、何の疑いもなく笑った。こんな優しい姉達に囲まれて、幸せすぎるくらいに幸せだった。
そして、こんな日が永遠に続くと、彼女は信じて疑わなかったのである。
人は気まぐれで何かをすることがある。
しかし、気まぐれで行動を起こす場合、多くは、その根底に何らかの根拠と理由があるものだ。すなわち、気まぐれと言いながらも、心の奥底には、そうしてみたいだとか、そうすべきだとかという何らかの思いが隠されているのだ。
ただ、人は、深い考察もなしに、思いつきだけで、何気なく行動してしまうことがある。そして、そんな気まぐれな行動が、後に大きな影響を及ぼしてしまうこともよくある話だ。
まだ、火薬もなかった時代、四季のある豊かな大陸には七つの国があった。
そのひとつ、エフトニア王国は肥沃な農地を有する豊かな国だった。この物語は、その国の地方都市であるサーバスから話は始まる。
市街地を離れると、うねるような大地に麦や芋の畑が広がり、東には険しい山並みが見渡せた。中心街は賑やかな市場も有するエフトニア第三の都市である。
貧しい農民の娘であるラウナは、畑の中で芋いっぱいのカゴを背負い、額に滲んだ汗を拭った。豊かな国と言っても、最下層の農民は過酷な作業強いられ、生きるのがやっとの生活を強いられているのが現状である。
「ああ、今日も暑くなりそう。」
貧しい少女はとても痩せていた。重い籠を背負う体は折れそうなほどに細く、目は窪み、頬もこけている。この辺りでは珍しくもない、極貧農民の娘である。
しかし、この娘、普通の農民とは少し違っていった。
朝の仕事を終えたラウナはボロボロの作業着から、不似合いなほどに綺麗な制服に着替えると、畑の間に続く道を急ぎ、女学院へと向かった。
貧しい農民は、普通、学校になど通わない。まして、女学院になどには通えないのが、常識である。しかし、幼少期から勉強ができたラウナは特待生として、今年女学院に入学していた。
これは、貧しい農民にも教育を行き届かせようと尽力するハンスという先生の強い後押しにより実現したことで、奇跡に近いくらいのできごとだった。
制服も靴も、全部、彼が与えてくれたものである。普段はもちろん裸足で、服だって藁や麻で編んだ粗末なものしか着たことのないラウナにとっては、女学院の制服は特別なものと言えた。
元々、勉強することは嫌いではなかった。ラウナは胸を膨らませて、女学院に入学したわけなのだが、実際に通ってみると、そこは思ったよりも楽しいところではなかった。
そっと、教室に入ったラウナは一番後端の席に着くと、静かにノートを取り出した。
周りの目がとても気になってしまう。ほとんどの生徒が裕福な家の娘で、地主であったり、金持ちの商人であったり、貴族であったりするわけで、農民の子などはいなかった。
小さいころから、金持ちの子供に虐げられるのに慣れているラウナは、できるだけ目立たないように過ごすように務めていた。
それでも、何もなく一日を終えられることはまずなかった。
席を立とうとすれば足を絡められ、自分の席に本でも置いたままで離れでもすれば、必ずなくなってしまう。座る時にも気を付けないと、椅子に何かを置かれていることもしばしばである。
ラウナは少々のことでは泣きもしなければ、怒ることもない。そんな彼女が面白くなく、性悪のクラスメートはいじめを繰り返すのである。
しかし、その日は何も起こらなかった。授業が終わって立上ったラウナは、全ての本を鞄にしまうと、深く頭を下げた。
「御先に失礼させていただきます。」
誰にという訳でもなかったが、まだ残っているクラスメート全員への挨拶である。できる限り、彼女達の気に障らないようにする。それが、彼女が心がけている一番のことだった。
-ああ、これで平和な一日が終わる-
そう思った矢先だった。
すぐ近くの机に腰掛けていたカティヤが、ジロジロとラウナを見ながら歩み寄ってきた。彼女の意地悪そうな顔に、ラウナは嫌な予感に包まれていく。
「待ちなさいよ。ラウナ。ちょっと、付き合いな。」
有名な商人の娘であるカティヤは要注意人物である。貴族の娘達には頭が上がらないカティヤは、その腹いせのようにラウナに当たってくる。
「申し訳ありません。帰って、家の手伝いをしなければなりませんので、またの機会にさせてください。」
俯き加減で言い訳するラウナの顎を持ち上げたカティヤは不敵な笑みを浮かべて睨みつけた。
「おまえさ。いつも、そんなこと言って、先に帰るよね。たまには、私達にも付き合いなよ。そんなに、私達が嫌いなの?」
ラウナは、瞬時に暗い気持ちになってしまうが、それほど、落胆はしていなかった。この程度は、子供の頃から、何度も味わってきた当たり前のいじめである。
「とんでもありません。嫌いだなんてことはありません。でも、そんな態度で接していただいても、好きにはなりません。」
「何!」
右手を挙げたカティヤは思いきり、ラウナの頬をひっぱたいた。
パシーン。
ジーン。
その衝撃で、ラウナは床に両手を付いてしまう。
カティヤは足をあげると、そんなラウナのお尻のあたりを蹴り飛ばした。
「ウワッ。」
ラウナは顔から床に倒れ込んでしまい、スカートがめくれあがってしまった。
「アハッハッ。何、そのパンツ。ゴワゴワの藁じゃない。」
カティヤが合図すると、隣で見ていた二人の少女がラウナの両腕を掴んで引き起こした。どちらも商人の娘である。
引きずられるように連れ出されたラウナは、裏手にある物置小屋に連れ込まれてしまった。
カティヤは片足を置いてあった木箱に載せると、二人の少女に抑え込まれたラウナを睨みつけて、ほくそ笑んだ。
「おまえ、本当にかわいくないな。」
「生まれつきなので、すみません。」
真面目一辺倒に言い返してくるラウナに、カティヤはおもしろくなさそうである。箱から足を下ろすと、その足で腹の辺りを蹴り飛ばした。
「ウグッ。」
激しい痛みに顔をしかめたラウナは歯を食縛って我慢する。
-ああ、痛い-
-誰か、助けてくれないかな-
-でも、わかっている-
-誰も助けてなんかくれない-
こうなっては、耐えるしかないことをラウナは知っていた。下手なことを言えば、余計酷くやられてしまう。
何度も蹴られた挙句、ラウナは縛り上げられ、物置に放置されてしまった。
誰もいなくなった小屋の中で、何とか脱出できないかと試みたが、きつく縛られた手は抜けず、足の縄も解けなかった。
辺りは暗くなり、遠くで獣の嘶きが聞こえる。
「ああ、怖いな。それに、寒くなってきた。」
もう一度、力の限りもがいてみたが、縄はほどけそうにもなかった。
「朝まで誰も来ないのかな?ううん、朝になっても、こんなところには誰も来ない。」
力を抜いたラウナは冷たい土に顔を当てて目を閉じた。
「お腹すいたな。朝、芋を食べただけだものなあ。金持ちの娘はいいな。皆、美味しそうなお弁当を食べていた。羨ましい。」
自分が貧しい農民の子でなければ、どんなに幸せだったろうと思いながら、ラウナは眠ってしまった。
夜明けからの農作業をこなしながら女学院に通っているのであれば、もう、体力も尽きていた。多くの農民は、このように眠りにつき、そのまま、息絶えることも珍しくはないのだ。
夜の闇の中で眠るラウナは誰かに揺り動かされて目を開けた。
「ラウナ、起きろ。」
目を擦ったラウナは自由になっている手に気づいて顔をあげた。
「ああ、お父さん。」
そう言った瞬間に、父親の平手が飛んできた。
パシーン。
「ウワッ」
ラウナの小さな体は、簡単に飛ばされてしまった。
ガシャーン。
「何をやっているんだ。全く、世話のかかる奴だ。畑仕事もせずに、こんなところで寝てやがって、女学校になど、いかせても何も良いことなんかない。」
物置小屋にあった掃除用具をなぎ倒して転がったラウナは叩かれた頬を押さえながら地に付くほどに頭を下げた。
「ごめんなさい。」
ラウナを睨みつけた父親は不機嫌そうに唾を吐いた。
「チッ。全く、手間がかかるだけの役立たずが・・・。早く、立て!」
立上ろうとしたラウナは、昼間に蹴られた脇腹や胸を押さえて顔をしかめた。
「痛い。」
「何をぐずぐずしている。早くしろ。帰るぞ。」
「あっ、はい。」
全身の激しい痛みを飲み込んだラウナはやっとの思いで立ち上がった。
父親の後ろをとぼとぼと歩くラウナは歯を喰いしばって痛みに耐えるしかなかった。もう、歩きたくないくらいに痛かったが、歩かなければ父親に、また叩かれそうである。
前を歩く父親は落胆した顔で呟いた。
「全く、使えない娘だ。明日は朝飯抜きで、先に畑に出て働け。」
「あっ、あの。夕飯は?」
泣きそうな目で父親を見ながら訴えるラウナだったが、そんな娘の切なさなど、この父親には察することはできなかった。
「何だって、そんなもの、とうに終わっている。帰ったら、すぐに寝ろ。」
ラウナはがっくりと項垂れてしまった。
体が痛くて辛かったが、それよりも、何も食べられないことの方が悲しかった。
-いつか、おいしいものをお腹いっぱい食べてみたいな-
-でも、そんな日は、きっと来ない-
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