拒まれた希望の光
神さまの木から希望の光が玉になり落ちた。
妖精の仕事は、その希望の光を神様の決めた場所に届けるのが仕事だった。
「どこなの?どこに行っちゃったの」
「僕はどこに置いてきたんだっけ?」
妖精が慌てています。
妖精は、決まった人に希望を運ぶのがお仕事です。
なのに、この生れてから30年しか経っていない新米妖精は、今回もどうやらミスをしたみたいです。
光る球は、池の水面を流れています。
つぃーーっと。
池は小さな小川に繋がっていて、今度は小川を下っていきます。
川を流れ、水路に入りました。
水路は続き、ある牧場まで来ました。
そうして、ある水場に落ちた光の玉は、そこでクルクルと回っています。
何かを待っている様です。
妖精が、やっと空から見付けました。
「ああ、自分で来ちゃったんだね」
妖精は、光の玉を抱えて牧場の厩舎に入ります。
そこでは6、7の大人の男たちが集まってワイワイ言い合っています。
「可哀そうだから殺すなと全国からメールやらメッセージが来ているんだぞ!」
「お前たちだって、毎日世話をしているんだろ。可哀そうじゃないのか!」
スーツの男たちが叫んでいます。
「可哀そうだから、殺すのです。・・・すぐにでも楽にしてあげたいのです。 それに、何も解らない人からのメールだので、この子の苦しみを長引かせないでください」
作業着の男たちは、深いしわに影を落として、静かに、でもずっしりとした重みの言葉を発しました。
「やっぱりここは、ギブスとか義足とか出来ないんですかね?」
若くカジュアルな服の男性も、生かしておきたいと望んでいる様です。
「ほら、アメリカであったじゃないですか。ハリケーンに巻き込まれた馬が義足を付けているのが。そうしましょう!それで、決定で良いでしょうか!」
若い男が提案を出し、それをスーツの男たちは感心したように、口々に若い男の提案を褒めたたえました。
「それは、身体の小さなポニーだから出来たのです。サラブレットには不可能です」
「でも、やってみる価値はあるだろう?世間のイメージは大切だよ。人のために競争をさせて、使い物にならなくなったら殺処分だなんて」
スーツの男も賛同します。
「そうだ。残酷じゃないか。走れなくなったら殺してしまうなんて!」
「哀れとは思わないのか!」
作業着の男は、目を細めて言いました。
「サラブレッドを生み出したことが残酷で哀れなんです。 もう普通の生き物ではありません。
早く走るために強靭な筋肉がこの細い足にかかるのです。 普通の状態で100キロから150キロ。走り出せばその何倍もの重さが、この細い足にかかるのです。
折れた足は強靭な筋肉で伸ばせないので、ギブスは出来ません。 足を切っても、ギリギリ四本足で走ることを許された生き物です。三本の足では直ぐに別の場所に負担がかかり死にます。
寝かしておいても、寝かされていることにストレスを感じます。またサラブレッドは皮膚が弱いので、床ずれから病気になります。
あなた方の、世間を気にする偽善のために、生かしておくことこそ残酷なのです!この子は4歳。しかし、生き物としてのサラブレッドの寿命は20年とも30年ともいわれています。しかし、実際には10年以上生きれるのは1パーセントです」
馬は横たわり、人々の怒鳴り合いをうるさく感じ、そっと目をつむり想像しました。
子供の頃に母親と一緒に走り回ったこと。
母馬とは仔馬の時に引き離されました。
同じ時期に一緒に走っていた仔馬も居なくなりました。
うつらうつらとした夢の中では、その仔馬たちもたくさんいて、一緒に走っていました。
ただただ、楽しく走りました。
妖精が光の玉を持ってそばにきました。
怪我をした馬は眠っています。痛み止めもあるのでしょうか。
「ああ、気持ちのいい夢を見ているね。ああ、良かった」
妖精が、水の滴る光る球を口に入れました。
光る球は、すうっと口の中に入っていきました。
あ、お母さんだ!身体が軽くなって仔馬にかえり走り出します。
サラブレッドは走るのが大好きな馬です。
うふふふ。あははは!
たてがみを振るわせ、尻尾を上げて風になびかせました。
ああ、気持ちいい。
風が気持ちいい。
仔馬たちと競争をしました。昔の友達たち。お母さんも。
「ヒーンッ!」
後ろで麻酔を打って寝ているはずの馬が叫びました。
「どうした?」
作業服の男たちがザッと動きました。
「強い麻酔なので夢でも見ているようです」
「そうだな。あの声は機嫌の良いときの声だ。楽し夢を見ているのだろう」
「ええ。それが救いです」
作業着の男たちが皆、膝を着いて静かになでたり額をかいたりしています。
スーツの男も、若い男も言葉を出せなくなりました。
その光景は、なぜか静かな宗教画を連想させました。
しばらくの沈黙の後、作業着の年嵩の男が言いました。
「いま、息を引き取りました」
「え?」
スーツの男も若い男も驚きました。
「レースで心臓が弱っていたのかも知れません。苦しまず逝けて良かったです」
静かな声でした。
「え?そんなに馬って簡単に死んじゃうの?俺、何千万円も出したのに!」
若い男が驚いて声を上げました。
後ろのスーツの男達も「俺だって」とか「俺なんか」と金額を言い合っています。
「先ほど申し上げた通り、競走馬として走れる馬が1割。 あとは屠殺されます。
残った馬も訓練で気が狂ったり、調教を恐れると殺されます。
皆さんがオーナーになれたりレースで走っている馬は、そこから更に残った馬たちなのです。
・・・この子の身体もすぐに馬刺しやペットフードになるのでしょう。 痛み止めを投与していたので、肥料に回されるかもしれませんね」
「肥料・・・」
誰かが呟きました。
男は続けて言います。
「競走馬に関わる人間は全て残酷なのでしょう。もちろん私も含めて。 あなたは、なぜ、競走馬のオーナーになったのですか?」
若い男は少し取り乱していました。
「なぜって、そりゃあ、会社の業績が上がって億単位のお金があるから、大人っぽい格好の良いお金の使い方がしたくて。俺がパドックに入ったのを写真に撮られるのも、馬の名前を付けられるのも良い広告になると思って・・・」
「そうですか。それは、良い広告になったでしょう。 しかし競走馬の命は細く短いのです。
どんなに心を込めて世話をしても、いずれ私はこの厩舎に居る全部の馬を殺すことになるでしょう。う。・・・そんな世界なのです」
身綺麗な男たちは、少しぼんやりした顔をしながら帰っていきました。
一頭の優秀な馬を複数の人がオーナーになっていたのでした。
「先輩。痛み止めを打った時点で、安楽死じゃないですか」
「そんな事は知らせなくていい。生きられないなら、痛みは長引かせるべきじゃない」
「そうですねー」
「せめて、静かなところで逝かせてやりたがったが、企業イメージに関わるだの。クソくらえだ。競馬自体に良いイメージなんて持たせる必要はないんだ。
俺は、馬が一頭いるだけで、その足元に百頭の馬の死体があると思うとぞっとする。どんな名馬でも足が駄目になったら、どんなに足掻いても、悲しんでも殺してやるのが人の責任なんだ。
だから、ここに居るのは一頭一頭がちゃんと生き残れるように、俺たちが少しでも良い環境でストレスをなくしていくんだ。
たとえそれが戦場に送り出す事でもな!」
「「「うっす」」」
残った作業着の男たちは声をそろえました。
馬の身体は、連絡をした業者がもう運び出しています。
厩舎の天井近い梁に座って見ていた妖精は涙を流していました。
「なんで。なんで、こんなに悲しい死なの?まだ4歳だったなんて。 まだ大人になったばかりじゃないか! なんで、こんな残酷な事が許されているの?」
妖精の声は誰にも聞こえないはず。
年嵩の作業服の男が一人残っていました。
さっきまで馬が寝ていた場所に座り込んでいます。
そして、静かな声で呟きました。
誰も居ません。耳を傾けるのは馬たちだけです。
「なあ。お前たちの先祖はたった3頭だったってしっているか。
ゴルドフィンアラビアン、バイアリーターク。ダーレーアラビアン。この三頭だ。
お前たちサラブレッドが世界中に存在しているのは、結局、人間を操っているんじゃねぇのか?
じゃないと、こんな残酷な場所では生きて居たくないだろう?」
ぶるるるっ
厩舎のどこかで馬が鳴きました。
エサでもくれよと言っているのでしょうか。
「俺も、この残酷な世界から離れられないのは、お前らが奇麗だからだよ。 走る姿が、神さまが作った何よりも美しいからだよ。 俺は、お前たちに惚れちまっている。 でも、こんなのは、辛いよなぁ・・・」
男は声を殺して泣いていました。
妖精は、ハッとしました。
希望の光の玉は、この男に渡すべきものでした。
馬は、この男が処方した薬で夢の中で楽しそうに走りながら逝ったのですから。
「でも、あいつは最後に機嫌良さそうに鳴いたなぁ。 それだけは・・・それだけは、救われたぜ・・・」
きっと妖精の希望の光を飲んで、楽しい思い出がよみがえったのでしょう。
妖精は少しほっとしました。
光の玉の希望は少しだけではありますが、男にもちゃんと届いていました。
そして願いました。
僕が早く大きくなって希望の光を一度にいくつも運べるようになりますように。
二つ持てれば、一つは命の源に還るお馬さんに、もう一つは、この人に。
何年か経ちました。妖精は少し大きくなりました。
そして、希望の光を運ぶ場所は、あそこの馬の厩舎です。
ああ、また馬さんが死んだんだ。
光の玉を一つ運びました。
男の背に一つ。
男の背に置いた玉は、弾かれました。
「なんで?なんで?希望の光を拒むの?」
妖精は怒って弾かれた光の玉を再度投げつけました。
また弾かれます。
なんで?
なんで?
だって、男はあの時のように泣いているのです。
声に出さず、誰も居ない場所で。
「受け取ってよ!悲しい気持ちが減るから!!!」
投げつけても、男の背中は壁のように希望の光の玉を弾きます。
なんど、男にぶつけ、跳ね返った事でしょう。
それを拾い、また男に投げつけるのです。
そこに別の妖精が現れました。
「何をしているのです?」
先輩の妖精です。
泣きながら訴えました。
「この人の希望の光なのに、受け取ってくれないのです」
妖精は泣きながら訴えました。
「貸してください」
「お願いします」
妖精は鼻をすすりながら、先輩妖精に希望の光を渡しました。
妖精は光の玉を手に持って、背中に押し付けました。
やはり、拒まれました。
そっと、背中に手を触れました。
しばらく、目をつむっていました。
目を開けた先輩の妖精は言いました。
「彼は「希望」は受け取れないと拒んでいます。 自分が直接手を下したのに、気持ちを軽くする気はないと。 この苦しい心を一生かけて持っている。と魂が言っております。行きましょう」
「でも、でも、彼には必要なんです!泣いているんです!」
「そうですね。しかし、彼の魂が誓っているのです。自分が殺した馬を忘れない。それが命に対する礼儀だ。彼の大好きな馬への謝罪と存在の礼だと。 この痛みは一生背負うと」
「そんなぁ。そんなのは哀しいです」
「そうですね。でも、彼の魂からの決意です。どうすることも出来ません」
「神さまからの贈り物を拒むだなんて!」
「私も、こんな事は初めてです。頑なな方ですね。 自分の愛する生き物を殺さなければならない。それに対して、逃げない。 安らぎも要らない。
そんな生き方は命を削りますが、いつか必要になるでしょう。
神さまが、この人用に用意したものです。保管しておいてください」
「・・・はい・・・」
妖精は大きくなってから出来た服のポケットに入れて、先輩妖精とその場を後にしました。
それから妖精は、何度かこの厩舎に訪れては、男の背に光の玉で壁ドッチボールのように、投げては弾かれ、慌ててキャッチし、また投げるを繰り返しました。
馬が厩舎で死ぬことは、最初に出会った時以降無くなりました。
通常は、レース場でパンク(重い怪我を負う)した馬は、その場で安楽死をさせられます。
妖精が最初に出会った、レースに出た馬が厩舎で死ぬことは稀なのです。
なので馬が死んだ夜は、男が静かに厩舎に佇んでいました。
その悲しむ背中に、希望の光を投げては、拒否されるのを何度も繰り返しました。
そして、何度か厩舎を訪れるうちに、馬の数が減ってきたのに気づきました。
「なあ、オヤジさんよう。あんたの腕を見込んでこちらはお願いしているんだ。うちの馬を預かってくれよ。あんたの所は調教でもなんでも、事故が少ないから、ここに入れたいんだよ」
どこかの馬主さんでしょうか、おじさんに言っています。
しかし、おじさんは受け入れませんでした。
「私も、もう歳です。自分で出来る範囲の馬をお世話してきました。この子らが居なくなったら、私もここを閉めて、この仕事から離れます」
「え~?あんたほどの馬の扱いに長けた人が居なくなるのは業界の損失だよ」
「いえ、私の弟子たちは他の厩舎で働いています。彼らが次を担うのです。私のもとで働いていたのです。彼らは信用できます」
その後も、身なりの良い馬主が、作業服の男にすがるも、断られる場面が何度かありました。
何年経ったでしょう。
生後3カで母親から引き離されて2歳半でレースに駆り出され、競走馬としての全盛期は4歳から6歳でしょうか。
そして、20頭ほど居た厩舎から全部の馬が居なくなるのは、8年ほど経ったころでした。
最後の馬が死んだ夜。
自分で手にかけた男は、やはり厩舎に1人佇みました。
もう、馬は居ません。
預かっていた馬の全てが死んだのです。
がらんとした夜の厩舎です。
男は呟きました。
「なあ、お前たち。レースから終わってここに帰ってきた時は嬉しかったか?
俺は毎回嬉しかったさ。無事に良く戻ったってな。
この場所は少しはお前たちにとって安らげる場所だったか?
調教も苦しかっただろうな。まだ乳離れも済んでない子供だもんな。
辛かったな。寂しかっただろうな。
俺たちは、少しでも、お前らを支えることが出来たか?
この場所を少しでも好きでいてくれたか?
それとも、レースも、ここも地獄でしかなかったか?
俺は、この仕事を誇って良いのか分からないんだ・・・」
男は、顔を両手で覆ったまま、柱を背にずるずると座り込みました。
妖精が飛び出ました。
ポケットには男が拒絶した、たくさんの希望の光が入っています。
「もう、受け取って!終わったなら、今、受け取ってよ!」
光の玉を投げました。玉は男の肩に当たり吸い込まれました。
「ああっ!」
どんどん次から次へと投げていきます。
光の玉は、男の身体に吸い込まれれていきます。
「お願い。もう苦しまないで。悲しまないで!」
ポケットの玉を全部男にぶつけていきました。
玉は、ほんわりと光り男に吸収されます。
「はあ。はあっ。うんぐっ。はあっ」
妖精は全部の玉を投げ切りました。
肩で息をしています。
ブルルルルッ!
不意に馬のおやつの催促の声が聞こえました。
「え?」
男は顔を上げます。
そこは、昼間のように明るい厩舎で、柵には全部の馬が居ます。
「お前たち・・・」
ブルルルルッ!
ああ、そうだ。こいつは食いしん坊で、いつもエサをねだっていたな。
「あ、おとうさんだ。おとうさんがきたよ。はやくなでて!」
「なにか、おいしいものが ほしいな」
「ああ、やっと帰ってきた。お父さんほめて!頑張ったんだよ!」
「ただいま。やっとかえれたよ。つかれたー」
「ああ、寝床がきれいだな。いいにおい」
なぜか、そこにいる馬たちが話しかけています。
皆、彼の指示で死んでいった馬たちです。
いつの間にか扉が開いていて、馬が入ってきました。
この厩舎で殺した馬です。
ゆっくり歩きながら、男の前に立ちました。
そして、顔を降ろしました。
「おとうさん。目の間をカリカリして。ぼく、あれが好きなんだ」
「そうか。そうか」
男は、涙を流しながら、馬の希望をかなえてやります。
「わあい。嬉しいな。お父さんのカリカリ」
「ずるいよ。俺もなでてよ!」
「おれはオヤツ」
馬たちは、自分勝手に言っています。
ああ、この場所は、こいつらのちゃんとした安らげる場所だったんだ。
「おとうさん。おとうさん。この場所だいすき。走るのも競争も好き」
「そうか・・・」
「だって、僕たちは走りたいって、どんどん早く走りたいって想いを重ね続けた生き物なんだもの」
ふと暗転しました。
さっきまでの光に溢れた馬が沢山いた厩舎ではなく、
元の男が一人でいる場所です。
男は唖然としています。
「今のは・・・なんだったんだ?夢か、幻なのか?」
誰も応えてくれません。
しかし、それが馬たちの心だったのは感じました。
「そうか、この場所を好きでいてくれたか。帰ってきたと安心できる場所だったか。・・・良かった。信じて良いのか判らんが。今の光景を信じたい。信じても良いよな。お前ら」
男は、再び涙を流しました。
そして、立ち上がり、厩舎の扉を閉め、鍵を掛けました。
男は少しだけ、背中が伸びていました。
男は、厩舎を再開させた。
レース用の馬を預かるのではなく、レースを生き延びた馬たちの安らぎの場にするために。
何頭かの種馬用の高額な馬もいるが、レースでたいした成績を残せなくて退場させられた馬もいた。
通常、殺処分となるが、血筋が良いからとか何とか言い訳を探して生き残った馬を入れた。
ここの馬たちとはこれから長い付き合いになるのだろうな。
横から馬の顔が飛び出し、顔を撫でてと甘えてきた。
男は皴を深くし、笑いながら撫でていた。