9話 魔法の検査
イオは結局眠ることが出来なかった。ただ、夜更かしの後の独特の疲労感や不快感はなかった。
窓からは朝日が差し込んでおり、扉の外からは忙しない足音が聞こえる。
「おはよ~う」
そうやって、ベッドの上に寝転がっていた時、気怠げな女の声がドアの向こうから聞こえてきた。その調子から、眠い目を擦りながら、猫背でズルズルと足を引きずってきたのが想像される。
シロンがイオを起こしにやって来たようだ。
「おはよう」
「……イオ君は朝は得意なんだね。ずっと起きてこないかと」
「夜中にずっと起きてただけだ」
「うわぁ……暇すぎて何回か死んでそう」
当然だが、シロンの服が部屋着になっていて驚いた。昨日の服よりも機能的で、更に可愛らしく見える。服の色が彼女の金髪とマッチしていて尚更良い。
と、そんな感想を抱きつつ、イオはシロンに尋ねた。
「朝食って、どこで……?」
「ああ、こっちだよ。ついてきて」
なぜか眠れなかったことを抜きにしても、イオは朝が得意な方だ。しかし、シロンはあまり得意ではない様子。露骨にテンションが低い。
イオを起こしに来た時も、余計なことは一言も言ってこなかった。
「良い匂いするじゃん。豪勢な朝食だな」
「…………」
シロンは、ついに返事もしなくなった。どうやら本当に朝が苦手なようだ。そっとしておいた方が良いだろう。
二人が寮のホールを出て、そのまま食堂へ向かうと、そこは多くの人で溢れていた。寮で暮らしている職員以外にも、自宅から通勤している職員が混ざっているらしく、昨日の夜よりも総数が多く見えた。
そんなことより朝食が大事だ。さっきから、至極の芳香が鼻を刺激して止まない。これ以上やられると、精神に異常をきたすかもしれないくらい。
食堂は、元の世界で言うところのバイキング形式になっており、様々な料理が小分けにされて並べられていた。
イオも他の職員たちの列に混ざり、なんとか料理をゲットしてきた。それから、シロンと一緒に席についたのだった。
って、これもしかして、よく考えたらタダ食いじゃないか。
「管理局に対して申し訳なくなってきた」
「今日から働くんだし、別に良いんじゃない」
「……だよな」
食糧の匂いに意識を覚ましたシロンが、ふわふわと相槌を打ってきた。
正直、イオは管理局のことがあまり好きではない。だって、紛れもなく異世界転移の一因を担っているから。それを思うと、不思議と、いくら食べても罪悪感を感じなかった。
イオは腹を満たしたところで部屋に戻り、服を替えた。シロンとは一旦お別れだ。
彼が今着ているのは、管理局員の制服――――ではなく、この世界に馴染むための支給品の服だ。そして、制服の代わりに小さなワッペンがあり、これを服に付けていれば、管理局で働くことが許されるらしい。
イオはその服に素早く着替えた後に、洗面所に行って顔を洗うことにした。少し肌寒いくらいの夜だったので、あまり汗はかいていないが、洗顔でリフレッシュしておきたかった。
――――バシャ、バシャ
心地よい水滴の音が響く。他にも職員たちがいるのだが、彼らの声はあまり聞こえなかった。自分の世界没頭していたためだ。イオは今集中していた。
顔をタオルで拭いて、じっくりと鏡を見る。
すると、そこには、表情を険しくする少年の姿があった。何かを思い悩み、何かに迷う思春期の少年の姿だ。頼りなく、それでいて儚げな姿だった。
これから1ヶ月間か、今までとは違う自分としてやっていかなければならない。
理由は一つ、無事に元の世界に帰るため。
真面目に働いて、人の機嫌を伺って、何とか召喚装置を直してもらわなければならない。
イオは鏡の中の少年を睨み付けるようにして、洗面所から去ったのだった。
「……行くか」
事前にブラキウムに指示されていた仕事場へ足を運んだ。綺麗な黒色と金色が目印だったのですぐに分かった。その部屋は装飾が豪華だった。
「じゃあ、今日の仕事なんだけど――――」
「ボクとイオ君はある依頼を消化するからね」
「依頼って……そう言えば、魔法管理局って名前だから、魔法に関することをメインにやってるんですか?」
「そうだね。その中でも、私たちは少し危ない方を担当してるから」
「あ~、なんとなく分かりました」
だよな。安全な仕事をさせてもらえる訳がないよな。そもそも、ブラキウムは兎も角として、シロンが事務作業をしている姿が想像出来なかった。恐らく魔法を使う仕事に従事しているんだろうな、とずっと考えていた。
勝手に決めつけるのは良くないし、こう見えて彼女がエリートである可能性は捨てていないが、違和感があり過ぎる。
そんな感じで、危険な仕事に巻き込まれるのは察しがついていたし、覚悟もしていた。帰るためなら仕方がないだろう。
「任務はリブラ郊外の林で行われるよ……と言うことで、出向の前に魔法の適性を調べようか」
「やっとですか!? 俺は魔法をずっと楽しみにしてて……」
「嬉しそうで何より。シロンは準備をよろしくね。私たちは後で向かうから、中央玄関で待ってて」
「はーい」
イオの願いである魔法の行使が、すぐそこまで迫っている。もしかしたら、今日の依頼で使わせてもらえるかもしれない。
そう考えるとイオの体は震えた。
仕事場から離れた場所に小さな部屋があり、そこに案内された。 イオは促されるままに、中に入ってみると、その内装の美しさや物品の物珍しさに圧倒された。
豪華絢爛――――と言う感じではないが、言い方はおかしいかもしれないが、異世界に迷い込んだみたいだった。
瓶詰めの乾燥した植物に、液体に浸けられた動物の標本。魔石が詰められて、不格好に歪められた革袋に、木で作られた魔法の杖。そんな物たちが、至るところに置いてあった。
目に入るもの全てに価値を感じられ、イオの胸は高鳴った。
そうやって、部屋を眺めつつ、ブラキウムと共に奥へ進んでいくと――――
「この水晶に触れてみて。息を吸って、吐いて……落ち着いて触ってね」
「は、はい」
まるで夢を見ているようだ。それは召喚されてからずっと、一貫して言えるが、今は更に凄い。
夢の中でまた夢を見ている気分。
ここに来て、魔法の適正を調べることによって、その夢が現実味を帯びた気がする。夢が醒めるということではなく、更にのめり込むという意味で。
イオはそんな夢見心地のまま、希望と好奇心を抱いて、水晶に触れ――――
「あれ? 何か変ですけど……」
「っ! 危ない!」
そうやって触れた瞬間、水晶が禍々しい色に染まり、勢い良く破裂した。間一髪のところでブラキウムがイオを押し、破裂した水晶の欠片から守ったのだった。
しかしそれだけに留まらなかった。
水晶の内側にあった禍々しい色が、殻が割れたことで、その実体を顕現させたのだ。靄のようなイメージから徐々に手足が伸び、やがて人の形をとった。
「ひっ……」
「下がってて」
ブラキウムは彼を背中側に誘導し、そして真正面から禍々しい色の悪魔に対峙した。今の彼女は、いつもより頼れる存在に思えた。
「体を低くして、衝撃に耐えられるように」
「は、はい」
「…………はぁぁぁっ! 消えろっ!」
「ぐっ!?」
罵声を浴びせられたのはイオではなく、もちろん悪魔の方だ。機会を窺っていたブラキウムの声と共に、彼女の手から暗黒が溢れ出し、一瞬でその悪魔を飲み込んでしまった。
その時、あまりに強い衝撃で、イオは背中から地面に倒れ込んでしまった。
「ふう、大丈夫?」
「は、はい……何だったんですか?」
「怖がらせちゃってごめんね……ああいう事は稀に起こるの」
「あ、そうなんですね。てっきり、予期せぬ事故かと」
「ずっと魔法を使ってなかった人が、急に魔力を解放すると、極稀にあんな風な化け物を作り出してしまうの。私としたことが、失念していたわ」
「…………」
現世では滅多にない死への誘いに、イオは恐怖するばかりだ。
もし誰もいなかったら今頃は――――
「これは完全に私の責任ね。ごめんなさい」
「いえいえ! 俺は感謝してます! 気にしないで下さい!」
感謝している、というのは本当だ。
彼女の監督責任はあるのは確かだ。しかし、こうやってイオを守って見せたのだ。それだけでも十分じゃないか。
騒動の後はブラキウムと別れ、シロンと合流した。結局、どの魔法に適性があるのか、分からずじまいだ。
シロンは書類と見ていた。たぶん依頼の内容に目を通しているのだろう。
「……待ったか?」
「うん、長かったね」
「悪かったな。早く行こうぜ、その依頼をこなしに」
二人は管理局の外へ出て、階段を下りながら依頼の詳細に目を通していく。どうやら害獣駆除の依頼らしい。
林に大きなウミウシがいて、その中に人を襲う変異種がいるとのこと。
そんなことより、一つ気になるのが――――
「この世界のウミウシって、そんなにデカいのか?」
「え? ウミウシは普通に大きいでしょ?」
「えぇ……何か嫌だなぁ」
「まあ、人を襲うことはないから安心して。いざとなったらボクがどうにかするから」
「魔法を使ってか? 頼もしいぜ」
「そう言えば、イオ君は何が使えるの? 転移してきた人は、漏れなく闇魔法に適性があるって噂だけど」
「それがな、水晶が割れてさ、結局分からなかった」
階段を下り切り、二人で歩みを進めていく。
その中で、イオはある可能性について考えていた。彼がこの依頼に宛てられた理由だ。
彼が任務に同伴させられた理由は、恐らく二つある。
一つ目は同年代の少女との意志疎通。
二つ目は魔法の試運転。
まあ、その二つ目はアクシデントのせいで、叶わないものになったが、シロンとのコミュニケーションくらいは大事にしておこう。これから仕事仲間として協力関係になるのだから。
そんな邪推をしていると、いつの間にか林の前まで来ていた。
「これから林に入るけど、何かあったら言ってね」
「ああ、分かった」
「……君も出来ることはやってよね」
昨日の薄暗い雰囲気とは違い、かなり明るく、鳥のさえずりが聞こえてくる。何だか、ハイキングに来たみたいで心が踊る。
浮かれつつ、二人で草を踏み分けて進んで行くと、とある大きな影に遭遇した。
「ひっ」
「そんなに怖がらなくても」
見慣れない姿に、彼は思わず腹の底から息を漏らした。タンスの裏にゴキブリを見たような感覚だった。腹筋が縮み、足が固まって動かない。
しかし、シロンはそんな彼を意に介さず、その巨大な生物に近付いていった。
「久しぶり~! 背中に乗せて~」
「ズミウゥッ~」
「カリッヒ!」
シロンの呼び掛けに、ウミウシは特徴的な甲高い声で返事をした。周辺にいるウミウシは全部で6体だが、敵対心を見せる個体はいないようで、シロンの方にずるずるとやって来た。
人の大きさを越える、本当に大きな生物だった。
彼女はウミウシの背中に飛び乗ってそのまま寝転んだ。
「イオ君も乗ってごらんよ~。気持ちいいよ~」
「お、おう。は……初めましてー」
「ミ~ヤ~」
「何て言ってるんだ……?良いってことだよな……?」
「ミヤミ~」
恐る恐るウミウシに手をついた。
イオは痩せても太ってもいないが、人間が乗って重く感じないのか心配になった。
しかし、ウミウシは拒否をする動作をせず、ただ体を低くして乗ることを促す。
そこで、彼は覚悟を決めてウミウシに乗り込んだ。乗ってみると案外心地が良い。
(悪くないな……)
「ミ~ミ~」
ウミウシに乗ったまま、二人は依頼に書かれていた林の奥地を目指した。