7話 闘争の本能
あけましておめでとうございます
リオの王であるレグルスに案内されたのは、大きな半球状の屋根に覆われた闘技場だった。もちろん観客席はすっからかんである。
そんな広々としたスペースに、ウォルフたちがポツンと座り込んだ。
そして、イオとレグルスだけは闘技場の中心で向かい合うように立ち尽くしている。
「あの、ウォルフ様、レグルス様ってどれほどの実力を持っているんですか?」
「計り知れないほど。もちろんあの方は混血ですから体の頑丈さは圧倒的で、魔法の才も秀でております」
「ボク、心配です」
シロンは、戦いに向かうイオの表情を一瞬だけ見たのだ。ちなみにスピカとゲミンガはイオより身長が高いため、彼の顔を覗けなかった。
彼女が確認した時、彼の顔からは言うまでもなく血の気が引いていた。顔面蒼白とでも言おうか、生物的直感による死を予見した顔をしていたのだった。
だから彼女だけはウォルフに、それこそ頻りに戦いの行く末を訪ねていた。
そして、その間にもイオとレグルスの決闘の準備は進められていく。
「この決闘の規則を話しておく。聞け」
「……へぃ」
もうイオは、まともに返事ができない。
腹に力が入っていなかった。
「一に、魔法の使用は禁ずる。ただし魔法特性は例外とする。貴様の不思議な性質については我も聞かされているからな」
「そ、そうですか……」
「二に、試合の間は獣化状態を維持するものとする。貴様の体に秘められた資質を総合的に判断するためだ」
「わ、分かりました……」
「三に、片方が意識を失うまで試合は終了しないものとする。理解できたら返事をしろ」
「……は、はい」
イオの『不死』の性質を知っておきながら、試合終了の条件をどちらかの気絶にするのは中々狂っていると思う。
つまりレグルスは「貴様の体が治る前に倒す」と言っているようなものだ。
これが分かった時、イオの体の震えは止まらなくなった。
「ウォルフ、合図を任せる」
「はい」
「あの、待ってください! これって危険じゃないですか!? ボクは止めた方がいいと思います!」
シロンの発言にレグルスは視線を尖らせた。
そうして何も言わずして、彼女の意思は抑え込まれてしまったのだった。
しゅんと落ち込む彼女をスピカが慰めた。
「心配すんな、相手は一国の王だ。手加減くらいは分かってるだろうよ」
「で、でも……」
「もし何かあったら、アタシが自慢の『足』で蹴り飛ばしてやるぜ」
「…………」
シロンが納得できる形ではないものの、とりあえずイオは試合に合意した。
始まりの合図が告げられる前、獣化の動作について指導が入った。
「そこに立て。貴様は獣化の方法について心得ているな?」
「はい、何となくですけど」
「良かろう」
そして、互いに中心からニメートルほど離れ、姿勢を正し呼吸を整えた。
イオは一度だけシロンの指揮で獣化したことがあるので、そもそも獣化できないという問題については考えなくてもいいだろう。
しかし、レグルスだけは何かを危惧していた。
それについて、これから見定めるのだ。まだイオも分かっていない問題について。
しばらく二人の様子を見た後、ウォルフはズリズリと鎖を引きずって観客席の柵の上に乗った。
「では、用意―――」
「…………」
(気絶したフリでもしようかな……)
「―――開始っ!」
ウォルフは自身の尾についた鉄錘に、頭部の平べったい鎌を叩き付けて音を鳴らした。
その甲高い音が闘技場に響き、開始の合図を告げたと思った瞬間、それは何者かの咆哮によって塗り替えられた。
鼓膜を押し破るような重低音に、闘技場の全てが荒らされた。
「ゴォォォォオオオオッッッッ!!!!」
「ぐわっ!?」
それがレグルスの咆哮だと気付いたのは、耳の穴を突き破られてからしばらく経った頃だ。イオたちの理解を遅らせるほどの、凄まじく巨大な轟音だった。
その音波によって土煙が舞い上がり、彼の視界が遮られた後、しばらくして目の前に現れたのは紛れもない獅子。
ある程度だけ残されていた人間の部位が、全て獣に置き換えられていたのだ。
平面に近かった顔には凹凸がはっきりと現れ、五指は膨れ上がって肉球と鉤爪を備え、風船のように肥大化した上半身の筋肉は王の礼装を破り裂いて、かつビッシリと厚い体毛に覆われていた。
もう人間らしい部位と言ったら、かろうじて二足歩行をしている点だけしかない。しかも、それもかなり前屈みである。
足の後ろを浮き上がらせて、よく見るネコ科の動物の後ろ脚のようにしていた。
てっきり玉座で対面した時の状態こそが、既に獣化しているものだと勘違いしていた。
今は予想を遥かに上回って、暴力的な造形をしている怪物のようだった。
しかし、イオも負けていられない。
「うぉぉぉぉっ!!!!」
あのウミウシ車での出来事と同じように、彼は意識を集中させて獣化を試みた。
首に掲げていた石が輝き、体が変化する。
「ぐ、あァァァァッ!!!!」
側頭部を突き破って白い角が生え、全身の筋肉が若干肥大化し、足の関節がいわゆる逆関節っぽい形になる。
そして、尾骶骨の辺りから黒い尾が伸びて、手足の爪は全て蹄に変化した。
その姿は見紛うことのない―――
「面白い」
牛だった。
獅子に相対するのは家畜として、とある地域では神聖な動物として知られている牛だった。
本人がこれを知ったらどう思うだろうか。残念に思うのだろうか。
レグルスは初めて笑みを見せたが、それに侮蔑の意味は込められていないとだけ書いておく。
代わりに込められているのは純粋な喜悦だ。
レグルスはリオの王としてあらゆる混血を目の当たりにしてきたが、そんな彼にとっても牛の混血は珍しかった模様。
しかし、互いに状況が整った訳だが、なぜか戦おうとはしなかった。
「……イオ君?」
どうもイオの様子がおかしい。
痙攣でもしているかのように体をピクピクと震わせていた。生理的嫌悪感を催すような、見るからに危険で不安定な体の震えだった。
「ねえ、イオく―――」
「ゴォォォォアァァァァッッッッ!!!!」
「……え?」
「アァアァッ! アガァッ!!!!」
「ど、どうしたの……」
「そこの小娘よ。ヤツの姿、そして嘶きを記憶に刻んでおけ。これがヤツの中に眠る闘争の本能だ。本当に危険なのはどちらか、分かっただろう?」
「ギィアァアアアアッッッッ!!!!」
「そんな……」
「一目見た時から尋常ではない男だと思っていた。しかし、これは想像以上だ。想像以上に劣悪で醜悪。何が彼をここまで駆り立てる?」
どうやら初めて合った時から目を付けられていたらしい。だから訓練もさせずに、急に決闘を申し込んできたのか。
イオは野性に支配されていた。その薄れる意識の中で自分を変貌させた存在に身を震わせていた。
もう体の自由を奪われたのだから、ただ震えるしか残されていなかった。
そして、その恐怖の対象が自分自身であるとは、いくら時間が経っても気付けなかった。




