29話 悪魔の落とし子
大きくて不気味な枯れ木。
それがアクエリアスの北部の山に、ポツンと孤独に立っていた。
「来ましたよ、バニローさん」
「お、早かったね」
飄々とした男は、その木の近くにある湖に足を浸して涼んでいた。
この国にも既に暑さが戻ってきている。
「君もこっち来なよ」
桟橋の先端に座る彼は隣を勧めてきた。
よく見てみると、近くには靴と靴下が放り出されていた。イオもそれに倣って、履き物を脱いでから湖に足を浸したのだった。
「それで、話とは?」
「そんな大層な話じゃないって……いや、大層か」
自らの誤りに気付いて思わず笑ってしまうバニローだったが、その笑顔もすぐに静まった。
今まで見せてこなかった王として気迫が垣間見えたようで、イオは身震いしてしまった。
「マイアちゃんを止めてくれてありがとうね……って話」
「……え、それだけ?」
身構えて、何を言われるのか一言一句聞き漏らさないようにいたつもりだったが、その話の内容のあまりの軽さに拍子抜け。イオは思わず聞き返した。
バニローが勿体振るほどの話というから、てっきりもっと恐ろしい話かと勘違いしていた。
「それだけって……結構凄い事なんだよ。君自身はそう思ってないの?」
「まあ、そう言われたらそうですけど……」
「昨晩、俺がどうなってたか覚えてる? 凍らされてたんだよ、あのメローペに。死んではないけど本当に危なかったんだよ。君があそこで食い止めてくれたから、この国の今があるんだよ?」
「そう……なんですね」
「そうさ。だから謝礼が必要だと、一国の王として思い立った次第」
「それならシロンも連れてきた方が……」
「あ、待って待って。あの子にも後で個別に謝礼を聞くから。呼ばなくていいよ」
居たたまれない雰囲気が合わず、思わず席を立とうとするイオをバニローが制止した。
あいにく彼はこういうのが苦手なのだ。
真面目に話し合うとか、向き合うとか、そういう目と目を合わせるような作業が大の苦手。できればそういうことは全部すっ飛ばしたいのだが、こうやって呼び出されて無理矢理やらされたら参ったものだ。
「何か必要な物ってあるかな? これでも立派な王様だから、君が言うものはたぶん何でも買い与えられると思うよ」
「そんな急に言われても……特にないですよ」
その返答に、バニローは驚いた様子を見せた。
いかにも「信じられない!」といった感じ。
「でも、何もないです、って謝礼を押し退けるのも失礼ですよね。何か必要なものですか……あ、それじゃあこの石について教えて下さい」
「そういう感じね。えっと、詳細は教えられないかな。その代わりに石の産地は教えられるよ」
「産地? それを知って何になるんですか?」
「うーんとね……仲間に会えるかも」
ここでイオは耳を疑った。
仲間というのは、もしかして異世界から来た人間を指しているのではなかろうか。
もしそうだとしたら是非とも会っておきたい。
「それって、俺と同じ世界から来た人……」
「ではないよ。もっと大きな枠組みというか、血筋って感じだけど」
バニローの素っ気ない答えに、彼は思わず意気消沈してしまった。
まあそうか、そうだろうな。期待した自分がバカだった。もし召喚者がこの世界に何人もいたら、まず最初に会わせてくれるはずだからな。
そうした方が異世界についての説明もしやすいだろうし、逆にそういうイベントが起きなかったということは、イオと同じ世界の人間は召喚されていないということになる。
少しだけ残念に思いつつ、彼は説明を聞いた。
「―――リブラの南西にある国でその石は産まれた。その国の名前はズバリ……リオさ」
「リオ……俺の名前と響きが似てるな」
「ははっ、リブラに帰ってもまだ時間が残されてるなら、その時はアークに頼んでリオに行ってみるといいよ」
「時間、ですか」
「召喚装置はそんな簡単に直せる代物じゃないからね。たぶん残り滞在時間については心配いらないと思うよ。あれは初代『金星』の最高傑作だし」
すっかり忘れていたが、元の世界に帰るためには召還装置の修復が必要不可欠で、それは今ある人物によって直されている途中だった。
言われてみれば、人を全く違う世界から呼び寄せる装置なのだから、すぐに直るはずがない。
つまり、まだこの世界にはいられるはず。
「それで、欲しいものは?」
「今しがた情報をいただきましたけど」
「……ズルいなぁ」
バニローは力なく笑ってみせた。
どうやらイオの策謀にお手上げの様子。
「んじゃあ、もう一つ情報をあげようかな」
「何ですか?」
「この場所について……さっき初代『金星』の話をした訳だけど、実は彼女はここで亡くなっているんだ」
「……寿命で?」
「いや、ここで殺されたんだ」
「かなりヤバい場所じゃないですか!?」
イオは恐怖のあまり飛び上がった。
ちなみに『惑星』とは、リブラで代々受け継がれている魔法使いの称号のことを指している。その名を冠する者は異次元の才能を持って生まれ、実力は誰もがひれ伏すほどである。
彼は覚えていないだろうが、現に『水星』であるドロフは管理局員にかなり恐れられていた。
「それで、誰に殺されたんですか……?」
「アレ」
「……へ?」
アレという人物ではない。
バニローは後ろを指を差したのだ。
そう、指で差せるほど近くに「アレ」はあった。
「木……ですか?」
「そうさ。この木は『悪魔の落とし子』と呼ばれている。何百年に一回という周期で恐るべき果実を実らせるんだ」
木が初代『金星』を殺した。そう説明されても、にわかには信じられない。
だからイオはバニローの話を注意して聞いた。
「しかも、これと同じ木が世界に七本あるんだ。初代『惑星』の内の六人はこれに殺され、残り一人は生死不明。たぶん遺体ごと吹き飛ばされたんだろうね」
「吹き飛ばされた……?」
「ああ、魔力を吸い取る巨大な果実に。朝に実ったことを確認すれば、昼にはもう手遅れになるほど大きく育つ。
そして、魔法で除去しようとしても生半可な実力じゃ意味がなく、高確率で誘爆させてしまうんだ。だから『惑星』が身を削った禁術を行使することで果実を消そうとした。
でも、それは失敗に終わり、果実は多量の魔力を放出して爆発したんだ。そうして『惑星』は一人残らずこの世から消えた」
「よくそんな場所に呼びましたねぇ!?」
「ははっ、人避けにちょうどいいんだ。人がいたとしても、それこそ……怖い物見たさにやって来る近所の悪ガキくらいさ」
「ええ……大丈夫なんですよね?」
「うん、果実はあと百年ほどは実らないそうだよ」
イオはやっと胸を撫で下ろした。
今回の問題は無事に解決できたが、こんな恐ろしい樹木には流石に歯が立たない。だってメローペを倒せたのはあくまで運が良かったからだ。
この悪魔の落とし子とやら、今のイオの実力では到底敵わないと分かる。
「もう戻っていいよ。お話も終わったからね。次はシロンちゃんを呼んで」
「あ、はい……さようなら」
「さよなら」
イオは足に付いた水を切った後、靴下を履かずに靴だけを履いて山を下りた。
これから宿屋に帰って、シロンと入れ替わりでマイアの看病をしなければならない。彼女の意識はまだ混迷状態にあるのだから。
そして彼が去った後―――
「……あの方は行きましたか?」
「うん」
「はあ、全く……あまり無茶をするなと何度も何度も言いましたよね!? 私はしっかり忠告したはずですよ! 私の怒りはまだ収まりませんからね!?」
「あはは……ごめんよ、メリク」
近くの木陰から姿を現したのは黒装束だった。バニローがイオに迷惑を掛ける度にどこからともなくやって来たあの人物だ。
声でなんとなく女性だろうと推測していたが、フードを取った今はそれがはっきりと分かった。綺麗な髪を押し分けて立派な角が生えていること以外は普通の女性だった。
「いいから服を脱いでください!」
「あれ、君ってそんなに積極的だったっけ?」
「茶化さないで! まだ治ってない傷を隠しているでしょう!?」
「え……そ、そう?」
バニローはおもむろに上着を脱いで、首を回して自身の背中を確認。
そうするとすぐに発見できた。白い背中の真ん中に線を描くように赤々とした傷が付いていた。
凍らされた時の裂傷だろうか。かなり酷い。
「もう、私の代わりに無茶ばっかり! そうやって私を心配させてどうするつもりですか!? はぁ……罰として私をギュッと抱き締めて下さい。私を心配させないように」
「うん」
メリクは両手を広げてバニローの抱擁を待った。
彼は特にもったいぶることもなく、彼女の要望通りに胸に抱き入れた。筋肉質な腕で優しく包み込むように。
バニローと比べてメリクは小さいので、腕の中にすっぽりと収まる形となった。
「私を……心配させないで……」
「うん、よく分かってる」
濃い日差しを浴びてギラギラと光る湖の畔。
そこに生えた『悪魔の落とし子』の枝の影に隠れるようにして、二人は夏の気温に負けないくらいの熱い抱擁を交わしたのだった。
そうして抱き合う形になっているため、バニローの背中の傷は自ずと白日の下に晒される。
傍から見ればいかにも重度で、即刻な治療が必要だと思わざるを得ない傷。たいへん痛々しく見ていられないものが、眩い日光に当てられてジンジンと滲んでいた。
しかし、彼にはその傷を放っておける理由が確かにあった。
「―――無茶させてよ、お願い。だって傷なんかすぐ治るんだよ。それに死んでもまた蘇られる。君のためなら何度でも頑張れちゃうのが俺なんだから」
「もう……私を言いくるめてばかり」
艶かしく真っ赤に照らされた傷は、なんと翡翠色の光を纏って見る見る内に修復されていった。
血は止まり、ジワリと傷口が塞がり、外からは視認できないほどまで完璧に治療されてしまったのだった。
そう、それはまるで―――
「ははっ、俺がそうするって自分で決めたんだ。ミラ様だって雲の向こうで喜んでるよ」
バニローは自分の腕の中で頬を染めている女と、自分に強大な力を与えてくれた存在と、その両方に思いを馳せながら満足気に微笑んだ。




