28話 誘い
目を開いてみると、灰色の空間にいた。ネズミの皮みたいな気持ち悪い灰色。
ぐるっと見回してみても、どこにも隙のない一面の灰色だった。
『どこだろう』
宛てもなくフラフラと彷徨っていると、突然目の前に影が現れた。人型の大きさの影法師が、ズンと立ち塞がるようにして。
『……鏡を見てるみたい。私にそっくり』
影はその女性とよく似ていた。
少し垂れた目尻、整えられたまつ毛、うまく上がらない口角、弛んだ頬。そのどこを見ても、まるで生き写しかのようにそっくりだった。
しかし言葉を返すことは一度もなかった。
『……ねぇ、あなたは誰なの? もしかして私と一緒にいた人?』
『…………』
なんとなく話しかけてみた。
だがしかし、もちろん反応は返ってこない。まさに命を落とした死体同然、表情をピクリとも変えなかった。
『少し触っていい? 優しくするから』
『……っ』
口が少しだけ動いた。さっきの台詞のどの部分に反応したのだろうか。
触られるのが嫌なのだろうか。
影の反応を無視して、女性は手を差し伸べた。
掌は影にぶつかることなく、そのまますり抜けそうになったが、まるで水をかくように頑張って触れようとしたのだった。
『全然動かないから死んでるのかと思った……意外と温かいね』
『……ん』
そうしたら、影は優しく抱き返してくれた。
『怖かったよね?』
『……う、ん』
『どれもこれも精霊のせいなんだよ。一人ぼっちにさせてごめんね』
『…………うん』
『私のところに帰ってきて』
『うん』
影はだんだんと溶けて黒い液体になった。
そして、それらが勢いよく女性の胸の中に飛び込んで、きっちりと合体したのだった。
『……よし、元通り』
儀式を終えた後、その灰色の世界が少しだけ明るくなった。どこからか太陽の光が差し込んだのか、雨上がりの空のように目を細めてしまうほどの眩しさが空間全体を包み込んだ。
その十数秒後、生糸の束が解けるみたいに、その世界が七色の糸になって崩れていった。
◆◆◆
「―――ん、ぁ」
「お、やっと起きた」
「しっ! 静かにしてあげて」
ここは宿屋『極楽』の一室。
それなりに広い泊まり部屋に、男二人と女二人が詰め掛けていた。
マイアを縛り付けていた縄は傍から見てもキツそうだったので、バニローが先んじて解いていた。
今は腕を足も自由に動かせる。
「……ありがとう、イオ君。すごいね精霊って」
「精霊使いがそれ言いますか」
マイアは両手を組んで思い切り伸びをした。
ただでさえ主張の強い胸が、伸びにより更に強調されて物凄いことになっている。
今にもバチンとボタンが弾け飛びそうだった。
伸びを終えた彼女は、近くで本を読んでいたバニローの方に振り向いてから淡々と報告を行った。
「『耳』の精霊の力を借りて、私の別人格と話し合ってきたよ。もう仲直りできたから大丈夫」
「それは良かった。晴れて俺の部下にできるよ」
「あなたの部下になるって言いましたっけ?」
「もし嫌なら、投獄することになるけど」
「なりますなります是非とも働かせてください」
「ふふっ、良かろう……まあ、ウチの部下の避難誘導のおかげで、昨晩の豪雪では怪我人は一人も出なかったって話だから、そんなに気にしてないけどね。家は雪の重みでほとんど壊滅させられたけど」
「……本当に申し訳ありませんでした」
「まさか国全体の天候に影響を与える魔法使いがいるなんて思わないから、誰も君の仕業だなんて疑わないと思うよ。とりあえず水に流してあげるから」
バニローは今までの見てきた中で、一番気味が悪い笑顔を浮かべた。それを受けたマイアは怖気を感じ取ったのか、思わず身震いしたのだった。
しかしまあ、これで一件落着といったところか。
「じゃあ、俺は仕事に戻るからゆっくりしててね。あ、イオ君は良かったら……ほら、あそこに見える木の根本まで来てね」
「え!? なんで俺だけ……」
「別に深い意味はないよ。少し話をしたいだけだからさ」
バニローは窓から見える巨木を指差した。
遠く離れた山にそびえ立つ一本の枯れ木。樹齢が高い老木であると一目で分かったが、イオはその木のどこかに不思議な魔力を感じた。
「そういうことで!」
彼はそのまま窓から飛び出して行ってしまった。




