26話 朝日に解ける氷
思考に靄がかかっていた
沈み行く意識、渦巻く冷たい水。その中で確かな感覚が一つだけあった。
「―――なすな!」
温かい手が首根っこを掴んだ。
「―――ロン、いけるか!?」
死に決まった運命、崩れる人格、バラバラになっていた心を繋ぎ止めた。
救ってくれた手が近くにあった。
「―――いしょっ!」
朝がやってきた。
長く、暗く、冷たい夜から、目覚めさせてくれてありがとう―――
「イオ……く……」
「よっしゃっ! 俺の魔法が効いたみたいだ! 急いで宿に―――」
少し疲れたから、今は大人しく眠っていよう。
◆◆◆
昨晩は街中が氷に覆われていた訳だが、リブラから来た『火星』や、他の火魔法使いの尽力もあり、全て溶かされたのだった。
一件落着した日の朝、宿屋『極楽』にて。
イオたちが寝泊まりしていた馴染みの部屋の真ん中に、一人の女が椅子に縛り付けられて丁寧に置かれていた。
その両手は、対魔法使い用の特殊な鉱物で作られた錠前と、縄を用いた特殊な拘束方法によって厳重に固められていた。
「―――んぅ、ふわぁ……おはよ」
「おはようございます、マイアさん」
「……マイア……私の名前だよね」
「そうです」
「私、元に戻れた?」
「どういう意味か分かりませんけど、マイアさんがそう思うならそうなんでしょう」
「っ! 良かったぁ……っ!」
マイアは椅子に張り付いたまま、ガタンガタンと揺れて喜びを表現した。
そうして倒れそうになったところを、後ろにいたバニローが押し戻したのだった。
「マイア……? 自分のことをメローペとか言ってなかった?」
「わっ、いたんだ。まあ、それは話すと長くなるから~……」
「話せるなら話してね。あ、話せない事情があっても話してね」
「あはは……はい」
観念したのか、マイアはうなだれた。
そして、下を向いたまま語り始めた。
「実は……ある日、取材中に出会ったんです」
「何に?」
「『性』の精霊に。他四体の精霊を統べる五体目の精霊に……です」
マイアは目を閉じて過去の記憶を呼び戻した。
語り口はどこか苦しそうだった。
「あれはタウロスの死刑台での出来事―――」
『さぁ、今からあの大罪人……女誑しのナルキッソスの断頭が見られるぞぉ! 国中の男はこいつに唾吐いて石でも投げていきなぁ! おおっと、刃が落ちる前に死ぬかもしんねぇぜ!?』
『ごほっ……げほっ……』
『もう、よく見えないし……うるさくて取材どころじゃないよ……』
『おい! 女はどいてろ!』
『きゃっ……どこかに高台あるかな』
『ここならよく見える。まあ、別によく見えて得するモンじゃないけど』
『さぁさぁ、あと一分だぁ! あと一分でこいつはあの世へ逃げるぞぉ! ちょっとばかし罰が軽過ぎるんじゃないかぁ!?』
『『『うぉぉぉぉ!!!!』』』
『……ばっちい』
『さぁさぁさぁ、もう死んだんだろうが念のために刃を落とすぜぇ! さんっ! にぃ!』
『もう何分延長したの……恨みって怖いなぁ』
『いちっ! さぁ、落ち―――』
「そこからの記憶がないんです」
「えぇ……いつ目覚めたの」
「すごくお腹が減ってたし、次の朝かなぁ。その時は街が氷に覆われてたから食べる物がなくって……」
「……ほう」
「で、そう言えばナルキッソスって『性』の精霊使いだったなぁ……と」
終始申し訳なさそうに続けた。
どこか他人事でヘラヘラして見えるのは、彼女の事件当時の精神状態が原因だろう。
完全に別人格に乗っ取られてしまっていたので、ちょっとした錯乱状態にあるのかもしれない。
「私に素質がなかったからか、精霊が飛び込んできた時に耐えられなくて、それで……もちろん私のせいで皆を傷付けたんだから責任は取るよ……いえ、取らせていただきます。本当にごめんなさい……」
俯いた彼女の表情は分からなかったが、彼女の体は震え、膝に水滴が落ちるのが見えた。
自分の知らないもう一人の自分が罪を犯したと知ったらどんな気分になるだろう。
自分はやってない、と暴れるだろうか。
はたまた声も出せないほどの深い絶望に囚われるのだろうか。
「ごめん、なさい……ごべんなざいっ! ほら、もう謝ったよっ! 謝ったんだから煮るなり焼くなりどうにでもしなよっ!!!!」
「…………」
「マイアさーん、もう起きまし……っ」
そこに朝食を作り終えたシロンがやってきた。
しかし、食事が喉を通るような状況ではない。
シロンは思わず足を部屋から引き上げそうになったのだった。
マイアの涙混じりの怒号が響いた後、しばらく沈黙が部屋を支配した。
その場の全員に思うところがあったのか、揃って床を見つめた続けたのだった。
しばらくしてからバニローが口を開いた。
「人を殺したいとか、思った事ある?」
「あるわけないじゃんっ!!!! そんなっ、そんなこと聞かなくても分かるでしょっ!?」
「だよね……」
彼女は、右後ろのバニローに怒鳴り散らした。
ヒクンヒクン、とマイアの肺は上擦っている。
「じゃあさ、ウチで働かない?」
「…………」
「強い水魔法使いが欲しかったんだよね。俺の次に強いくらいのヤツ」
「もう一人の私に負けてたでしょ。次の夜になったら殺しちゃうかもしれないよ」
「そ、そうだっけ? いやー……そうかー……」
どうやら夜になったら彼女の別人格のトリガーが引かれ、暴れ出してしまうようだ。
となれば、どうにかして治療するのが筋だろう。
皆で考えよう。
「そもそも、自分が危ない存在だって分かってたのに、なぜ俺たちを巻き込んだんですか?」
「そ、そうですよ。下手したら初日に殺されてたかも……」
そう言ったイオとシロンに対して、マイアはバニローから視線を離してゆっくりと振り向いた。
その目には、弱者が強者に無様にすがり付くような憐れさがあった。
正直、悲しくて目も合わせたくなかった。
「直感でイオ君が精霊使いだって分かったから。『性』の精霊は他の精霊に反応するの」
「……今なんて言いました?」
「『性』の―――」
「いや、その前です」
「イオ君が精霊使いだって……『性』の精霊に狂いはないと思うんだけど……」
「いやいやいや、初耳なんですけど」
イオは異世界に来て初めて自分が精霊使いだと知り、驚きを隠せなかった。
その一方でシロンは苦い表情をしていた。




