7話 ずぶ濡れ
長い眠りから覚めた時、どんな夢を見たのかも覚えていないのに、あぁ長かった、と感じてしまう。
しかし、今回ばかりは別のケースだ。
おぞましい夢と、そのリアルな時間の長さを体験してきた。
「……きて……ねぇ起きてよ」
「―――ぁ」
「置いてくよ」
「起きます起きます。帰り道全然分かりませんし」
「……大丈夫だった?」
イオは不覚にも、出会って数時間程度の美少女に安心感を得てしまった。
それは決して悪いことではないし、むしろ心の拠り所になり得る少女の存在は好ましいが、何より気に障る。
緩みきったイオの表情から漢のジレンマを悟られた日には、きっと揚げ足を取られるに違いない。
「もしかして、結構怖かったぁ?」
そう言って、シロンは半笑いでイオに顔を寄せてきた。
やはり、こいつは調子に乗らせてはいけないタイプのボクっ娘美少女だ。どこかで痛い目を見た方が良いタイプのやつ。
まあ、彼女の挑発に乗るのは大人げないので、イオは気丈に振る舞って見せた。
「正直怖かったが、もう大丈夫だよ」
「……冷たいなぁ」
「でさ、顔をどけてくれないか?」
「あ、ごめん」
なぜかシロンに膝枕をされていたので、イオは彼女に退くように頼んだ。彼女はそれを断ることなく、素直に受け入れてくれたのだった。
立ち上がったイオは、背中や尻に付いた泥を落として、一旦辺りを確認した。今は夜の林の中にいる訳だが、あの夢の中に比べると明るく感じる。
ひんやりとした夜風は葉を鳴らし、虫の鳴き声がそれに合わせて音楽を奏でている。
泉の回りは少し開けているので、月の柔らかな光が、イオとシロンの姿を夜に浮かび上がらせていた。
「って、寒いな!? 俺の服はどうした!?」
「風邪引いちゃうかなと思って……そこに」
そう言って、シロンは木の枝を指差した。そこには、イオが泉に落ちる前に着ていた上着が干してあった。下着については、気遣いなのか知らないが、イオに装着されたままだった。
「ありがとな! 濡れた服を着るよりマシだ! でもさ、何か体に被せといてくれよ!」
「ええ……でも、着させられそうな物は、このボクの大事な服しかないし…………」
シロンは申し訳なさそうに、自分が着ている服をピンピンと引っ張ってみせた。
今は冬の寒さが残る初春なので、重ね着していてもおかしくないが、このような事態が想定できるわけがないので、彼女は昼間用の軽装を纏っているだけの状態だった。
もちろん、これ以上脱げば、ハレンチな事態を引き起こしかねない。
「……そう言えば、今思い出したんだが、お前って火の魔法を使えるとか言ってたよな!?」
「ああ……調整が難しいから、ここで使ったら服も君も林も焼きそうなんだよね。あはは……」
「いや、どんな言い訳だよ!? 調節くらい流石にできるだろ!?」
「君のお葬式なんてしたくないよ」
「いやいや、俺が凍死するか、焼死するか、もしかしたら助かるかを選ぶとしたらどれがいいんだよ!」
「はぁ……しょうがないなぁ」
シロンの太陽のような瞳に、一瞬だけ陰りが見えた。しかし、しばらくしてから、その手をイオの方に向けて、ゆっくりと火を出した。
イオが経験したことのない未知の術、憧れのその一端を見たのだった。
空中に現れた赤い点は、やがて膨れ上がり、大いなる熱を伴って、イオに恩恵を与えた。
「あったけぇ……っ!」
(調整調整……)
魔法に触れることができた感動と、ギュッと命を吹き込まれる感覚に、イオは思わず涙を流しそうになったが、それとは反対に、シロンは別の感情を抱いているようだった。
イオにはよく分からなかったが。
「やればできんじゃねーか! 濡れた人間を服剥いで放置とか、新手の拷問か!?」
「あはは……そうそう拷問拷問…………」
「マジかよ、冗談だったんだが」
シロンは何か整理がつかない事情でもあるのか、イオには目を向けず、ただ空を眺めている。しかし、彼はそれをとやかく問い詰めることはしなかった。
ただ、彼女の魔法の熱に触れ、体をブルブルと震わせていたのだった。
「あちっ……悪いんだが、もっと火を小さくしてくれないか? バチバチ言ってるぞ」
「ん……ああ、はいはい」
そんなこんなで、二人は無事に管理局に帰ることができた。
イオはシロンに炙り肉にされかけたので、すっかり夢の内容を忘れてしまったみたいだった。
管理局への帰路、その途中で魔法についての会話が弾んだ。
「魔法、早く使いたいな」
「意外と才能とかあるんじゃない?」
「……そんな風に見えるか? でもまあ、一応異世界転移してきたんだし、チート持ってそうな顔だろ?」
「んー……確かに、ちょっと普通じゃない顔立ちをしてるね」
「おい、どういう意味だ」
「そのまま」
魔法。それはゲームや漫画などで頻繁に目にする存在。
イオは元の世界では、使えるんだったらどの属性が最強か、みたいな議論を友達と交わしていた。
しかし、いざ使えるとなると迷ってしまう。この世界で生活するなら、水属性が良いだろうか。いや、せっかく異世界に来たのだから、火属性の魔法で悪者を焼き払ってみたい。他にも、考えればキリがなかった。
とにかく、どんな魔法が使えたとしても、単純な足し算の要領で、それらが悪いように働くことは無いだろうと思った。
そうと分かれば、イオの気分は空を駆ける鳥の心地。もう胸が弾んで止まらない。
ああ、この幸せな気分が続けば、一体どれだけ幸せなのだろうか。