25話 ソレは冷たかった
アクエリアス水都国は季節外れの寒気に包まれていた。
まあ、寒気とは言っても例年の冬と比べ物にならないほど冷え込んでいるのだが。
「もう、手加減は……できないよ。精霊が欲し、いから。力が湧いて、止まらない」
「丁重に警告してくださってどうもどうも……あれ、俺って手加減されるほど弱かったっけ?」
極限の環境に晒され、あらゆる生物が心臓の鼓動を弱めていく中、たった二人だけはその勢いを増していた。
高まり過ぎて、むしろ暑いくらいだった。
メローペは煽り抜きの警告を浴びせて、それを受け止めたバニローはおどけて見せた。
そしてそんな会話の合間にも、刻一刻と命の門限は迫っていた。このままでは皆が凍死してしまう。
どうにかして元凶を討たねばならない。
(掃討戦は俺の得意分野なんだけど……何だろう、この不安感)
この世界には七……いや五つの魔法属性がある。
火、水、風、光、闇の五つだけだ。
それぞれ鍛練を積めば、爆、氷、雷などの上位属性に進化する。
そしてバニローは、この世界で五本の指に入るほどの氷魔法使いだ。他の属性はともかく、同じ属性の魔法を操る人間と戦って負けたことは一度しかない。
それほどの実力があるにも関わらず、この戦いに不安を抱いてしまったのはなぜだろうか。
「まあ、ぶつかって打ち勝つ。それだけだ」
バニローは目を閉じて静かに決心した後、背後にいるイオたちの方に振り返った。吹雪で姿こそ見えなかったが、そこにいるという確信はあった。
そしてゆっくり息を吸って言った。
「イオくーん! シロンちゃーん! この国から今すぐに逃げるんだ! 来た道を辿れば国境までいけるはずだよ!」
「バニローさんは大丈夫なんですか!?」
「そ、そうですよ! ボクたちを庇ったせいで死んじゃったりしないですよね!?」
「心配ないよ! あと何か言う事あるー!?」
「えっと、マイアさんは良い人です! 絶対に生け捕りにして、なぜこんなことをしたのか問い詰めてやってください!」
「ボクも同じです!」
「……りょーかい」
バニローは、イオたちに聞こえないくらいの声量で返事をした。
別に自信がなかった訳ではなく、絶対に願いに応えて見せようと強く決心していたから、そうなってしまったのだ。
バニローがマイアに向き直ったのを確認したイオたちは、足下に広がる純白の豪雪を踏み分けて逃げることを決めたのだった。
「俺たちじゃどうにもならないよな……シロン、魔法ってあとどのくらい続くんだ?」
「まだ全然大丈夫! 早く行こう!」
「ああ……」
宿場街を離れる際に少し心残りがあったのか、イオは吹雪の向こうにいるマイア……改めメローペを見てから駆け出した。
吹雪は勢いを増していく。降り積もった雪はとうとう建物を飲み込むほどにまでになった。
先ほどまで流れていた川も、ついには凍り付いてしまった。
そしてその凍った川の畔で、戦いの続きが始められたのだった。
睨み合い、鍔迫り合い、両者一歩も退かぬピリリと張りつめた空気だった。
「俺は優しくないから、さっさと終わらせるよ」
突き放すように言ったバニローは、人の背丈の何倍もある氷柱を空一杯に生成した。
彼なりの意趣返し……と言うか、負けず嫌いな一面がモロに表れただけか。凶悪な氷の束が曇天の中で鈍くギラギラと光っていた。
その氷柱の太さも数も、メローペの物より格段に上だった。
それらは、彼の合図と同時に―――
「ぶっ刺されぇぇぇぇっ! 俺の氷柱っ!!!!」
「風が、冷たい……けど手緩い」
弾丸の如く素早く射出された。
こうして二人の戦いの幕が改めて切って落とされたのだった。
吹雪が止んでくれそうな兆候は、依然として見当たらなかった。
◆◆◆
シロンは必死に雪を溶かしていた。
溶かさないと、足を取られて時間と体力を浪費してしまうからだ。
それは逃避行にて一番あってはならないことだ。
「……ごめんな、俺が何もできなくて」
「別に。イオ君はボクの体を癒してくれれば、それで十分だよ」
シロンが道を拓き、イオがそれを助ける。
そんな感じでどんどん国の中心から遠ざかっていった。目的地はもちろん国外だ。
「こんな寒さじゃ、ウミウシもたまったもんじゃないだろうな」
「死んでなきゃいいね……雪が鬱陶しいや、爆破しちゃおっか」
雪を溶かす方針でここまで進んできたが、それもどうやら限界か。なんと溶かした雪が冷水となって自分たちの体温を奪っていることに気付いたのだ。
こうなったら雪ごと消し飛ばすしかない。
荒削りだが仕方ない。逃げるのが最優先だ。
「うりゃぁぁぁぁっ!!!!」
「相変わらず魔法ってすげぇな」
周囲の空気を揺らすほどの爆風によって、人が通れる程度の道を確保することができた。
さっきより全然効率が良い。この方法ならすぐにでも逃げられそうだ。
「よし、このまま冷気の範囲外に―――」
避難がうまくいきかけていた、その時だった。
バキィィィィン、と背後から猛々しい雄叫びのような轟音が聞こえてきたのだ。二人は火花が散るような速さで振り返った。
もう宿屋からはかなり離れて、鬱蒼とした森林地帯に入っている訳だが、音の在処は一体どこなのだろうか。
イオはそんな疑問と共にゆっくりと振り向いたのだが、視界に飛び込んできた衝撃的な光景を目の当たりにして、思わず息が詰まったのだった。
「は……?」
「あれって氷……だよね?」
巨大な氷塊が突如として出現したために、イオたちは言葉を失った。
国境に向かうために森を突き進んでいた訳だが、その木々の間からでも青白い不気味な存在をはっきりと確認することができた。
だがしかし、ここでの問題は「なぜ氷が出現したのか」ではない。
それこそ魔法アリの世界観なんだから一々問題にする必要もないはずだ。その辺の魔法使いが暇潰しに作り出すことだってあるだろう。
本当の問題は「あの氷がどちらの物なのか」だ。
バニローがやったのか、それともマイア……もといメローペがやったのかで、今後の方針が大きく変わってくる。
「どっちかは確実に氷に呑まれたはずだ……」
「ば、バニローさんはあんな事しないよね? ボクたちと約束したもんね?」
「……どうなんだろうな」
パニック状態に陥った二人は、互いの質問に答えることもできなかった。思考が見事に散漫している。
ともあれ、ここで考えられる可能性は三つある。
一つ目、バニローがメローペを氷に閉じ込めた。
二つ目、一つ目の逆。
三つ目、あれはただの通常攻撃。
まあ、どれを取っても待ち受けるのは地獄だが。
もしそうなったら、何もかも振り切って二人で逃げるしかないだろう。
「し、シロン……早く行こうぜ。もう俺たちは信じるしかないんだからさ」
「……そうだよね」
シロンはイオに言われるがままに爆破のペースを早めた。木々の枝を巻き込み、吹き飛ばしながら一心不乱に前に進んだ。
そうやっている内に湖が見えてきた。
アクエリアスに来る際に、ウミウシの水分補給のために寄った場所だ。今は凍り付いているが、それなら道として使えるはずだ。
しかし滑ることを考えると、回り道をして普通の道路を進んだ方が良いかもしれない。
イオは冷静沈着にそう判断し、シロンのその旨を伝えようとした。
「なあ、ここは避け―――」
と、その時。
バキィィィン、とまた同じ音が聞こえた。
しかしさっきと違うことが一つだけあった。それはその音が近くで聞こえたということだ。
明らかに何者かに狙われている気がした。
「……ひっ」
恐る恐る振り返ってみると、なんと氷塊が逃げ道を封鎖するように地面に突き刺さっていた。
凍った湖面は滑るために避けたかったのだが、どうやら氷塊の主はそれを阻止したいらしい。イオたちは仕方なく湖面を通ることにしたのだった。
「に、逃げろっ!」
「うん!」
イオの合図に合わせて二人は駆け出した。
しかし、まるでそれを待っていたかのように踏み出した地面からすぐに新しい青白い氷が生えてきた。
逃げれば逃げるほど、その氷はハリネズミの針のようにどんどん地面に連なって、ついには湖面以外の足場をほとんど埋め尽くしたのだった。
イオたちは完全に追い詰められた。
「クソっ!」
「渡るよ! 気を付けてっ!」
靴が氷にくっ付かないように、細心の注意を払いながら走り抜けようとした。
しかし次の瞬間、獲物を追い詰める猛獣の牙爪の如く、湖を取り囲むように氷の壁が出現した。
絶体絶命というヤツだ。逃げ場はなく、ここで凍えるしかない。
だから二人は仕方なく空を見上げた。
鳥のように飛んで行けないと分かっていても「もしここから逃げられたらな」と妄想してしまうのだった。
白い粒をシトシトと落とす曇天には、白い星や黒い雲があり、それと―――
「なんだろうな、アレ」
「考えたくもない」
青く眩い彗星が浮かんでいた。
先端は矢のように尖っており、反対側は獣の尾のように細かい光を束ねた形状になっていた。
それがどんどんこちら側へ向かってきていた。
「……どうすんだよ」
「……さあ」
先ほどの可能性の話に戻るが、どうやら二つ目が正解だったらしい。
バニローは敗れた。もう助けは来ない。誰にも頼れない。希望はない。
その彗星は二人に明確な絶望を示した。
ガスが抜けるような音を発しながら空を駆けてきたソレは、湖面の氷を穿つようにして、イオたちの目の前にドシンと着地した。
彗星の正体は人の大きさほどの氷だった。
冷気の煙を出しながら、その一部が溶解した。
「あの、人……弱かった」
息を呑む二人。ゆっくりと表れる雪害の主。
彗星の本体である氷晶の中から、至って平気そうな表情のメローペが登場した。
こうなると分かっていても、改めて現実を伝えられると心苦しい部分があった。
メローペと自称した精霊使いの顔は、確かにマイアと瓜二つで、今から彼女をどうにかして倒さないと次は自分たちが殺られるのだ、という実感がフツフツと湧いてきた。
「降伏す、るか……戦って負、けるか……どっちが良い? どっち、も同じ?」
「た、戦わないで勝つ! 勝って見せますっ!」
「欲深い子供、だね……切り捨て、ることも大切……無駄は省か、なきゃ」
一週間程度の仲なのに、ずいぶんと聞き慣れたように感じる声だ。
それだけ親しく交流できて、仲を深め合えた証が確かにあるのに、なぜ謎の女はそれを邪魔するのか。
早くマイアの体から出ていって欲しい。
イオは最後の勇気を振り絞って、シロンを背に庇いながらメローペに立ち向かった。
ここで彼女に頼るなんて真似はできない。ここで立ち向かわなければ漢が廃るというものだ。
「今から君た、ちを殺す……殺さ、なぁ、ま……」
「ど、どうしたんだ……?」
「マイアさんの様子が変……」
「まっ、て―――待って」
イオたちはハッとした。メローペが急に頭を抱え始め、倒れそうになりながら放ったその一言に静かに驚いた。
そう、はっきりと「待って」と聞こえたのだ。
紛れもないマイアの声で。
一体何が起きたというのか。
「イオ、く……シロン、ぁん……逃げて」
「マイアさん!? マイアさんですよね!?」
「戻ったの!?」
「も、どて……ない……わた、ぃ……が抑えて、る……から、今すぐ、逃げてっ! ごめんねっ!」
最後の方は完全にマイアの口調だった。
しかし、所々メローペの口調が残っているのも気になった。いわゆる多重人格なのだろうか。
喋り方が二つほど存在しているように感じた。
そうやってイオたちが消えかかっていた希望の灯火を見つけて、顔をパアッと明るくした瞬間。
マイアは最後の正気を振り絞って、自分の膝から下を凍り付かせたのだった。
とりあえずこれで行動は抑えられた。
しかし、一体どう立ち回れと言うのか。
こんな湖面の上で行動不能になってもらっても、処理ができないのだから意味がないだろう。
メローペには勝てないだろうし、ここからの脱出も望めない。
もしマイアの人格が戻ってきてくれたら、それがイオたちにとって一番良かったのだが―――
「マイア、の人格は……私の、無駄……省くべ、き無駄なの」
「いや、無駄なんかじゃない! 俺たちはマイアさんの方が大切だ! だから元に戻ってくれ!」
「マイアさんを返して!」
「どうやっ、たら……戻、るのか……それは分かって、るはず……あの王のやり方、を真似れば……私を殺せば、いい」
(結局倒さないといけないのかよ!?)
もう正攻法で彼女を元に戻すのは諦めた方がいいかもしれない。
いくら首を捻ろうが、イオは専門医でもないので多重人格者の治し方なんて分からないし、何よりメローペの拘束が解けるのも時間の問題だ。
こうなったら彼女を気絶させるしかない。
意識を断絶させれば、一旦は凌げるだろう。
「……シロン、マイアさんを焼くことはできるか? 最悪の場合は俺が治すから」
「そ、そんなこと―――」
「もうそれくらいしか方法はないんだ。俺も魔法で人を滅茶苦茶にするのは嫌だよ。でも……それでも頼む。現状を打破するにはやるしかない」
「……分かった。やって……みるっ!」
イオは両手を胸の前に寄せて、木の魔力を少しずつ溜め始めた。これが魔法初心者なりの精一杯のセットアップ。
そしてシロンも彼に合わせて火球を放った。
合図の通りに、目の前の氷の悪魔を焼き尽くさんと灼熱の魔法を射出したのだった。
対するメローペは、かなり練度の高い氷魔法を操れるが幸いにも周辺には凝り固まった氷しか存在しなかった。
迫り来る火球から自分の身を守るための防護壁とするには、あまりにも固すぎる素材であったために、少しだけ反応が遅れたのだった。
湖面の氷は鈍い音を立てて、まるで亀のような遅い動きでパキパキと壁に変化した。
「あなたも、無駄……その茶髪、の子に……くっ付いて邪魔ば、かりする」
「精霊精霊って、さっきから何なんだよ!? 人違いじゃないのか!? それとシロンも無駄なんかじゃない! 俺のちゃんとした大切な仲間だ!」
イオは怒気を含ませた声で、メローペを威圧するように言い放った。
しかし、それがかえって逆効果に。集中していたシロンの心に波を生じさせてしまったのだった。
それを言い訳にするつもりはないが、彼女の火炎の攻勢は少しばかり弱まってしまった。
まあ、彼女の心の揺らぎを抜きにしてもメローペの方が有利だったのだが。
そう、実は氷は火に強いのだ。氷の表面をいくら熱しようが、温度が効率的に伝わらなければ意味がないのと同じ。
火球を氷の壁で防いでしまえば、熱量がメローペまで伝わることはないのだ。
しかも二人の魔法の練度の差も、その属性の上下関係に多大な影響を及ぼす。シロンよりもメローペが熟達していることを加味すれば、希望は遠ざかる一方であるとよく分かる。
結果として火属性と水属性が衝突しようが、その点でいくらシロンが有利になろうが、他の点を考慮してしまえば属性有利など塵芥に等しい要素に成り下がってしまうのだ。
こうして、シロンの力ではメローペの防御を突破できなかった。
「クソっ……どうするどうするどうする……」
イオは俯いて、しばし考え込む。
顔を跳ね上げたのは、そのすぐ後だった。
「シロン、もう攻撃はしなくていい! それよりこの湖を覆う氷をどうにかできないか!?」
「もういいの!?」
「ああ!」
シロンはイオの提案を疑うことなく、攻撃の矛先を足下に向けた。
しかし先程と同じ要領で、氷はそう簡単には溶けてくれない。
「熱も爆風も受け流されちゃう! せめて取っ掛かりがないと……ヒビとか作れない?」
「ひ、ヒビ? な、なんとかしてやるっ!」
二人がそうこうしている間にも、メローペは自分の足に張り付いた氷をペリペリと剥がしていた。
しかし、横目で窺ってみると氷を剥がすのに苦戦している様子が見られた。マイアの最後の足掻きが効いている形だ。
おかげで時間を確保できた。
「クソっ! この氷固すぎだろ……」
「む、無理はしないでいいから」
「でも……っ!」
限られた時間内に、イオは拳で氷を割りにかかった。当然だが氷はびくともしない。
こんな時は火事場の馬鹿力が働くと言うが、それでも氷は割れなかった。
何度拳を打ち付けようが、得られるのは成果ではなく自分の血のみ。あまりの冷たさと痛さで手先から血が滲んでしまっていた。
イオも、それを見ていたシロンも、うまくいかない現状にうちひしがれて、段々と気持ちを落としていったのだった。
そうやって「もうダメだ」と諦めかけていた。
その時―――
「クッ、ソぉぉぉぉっっっっ!!!!」
「ひゃっ!?」
イオの首に掛けられていたネックレス、その一部から光が溢れ始めた。
あまりにも眩しすぎたために一瞬だけシロンの目が眩んだが、なんと光が収まった時には氷が割れてしまっていた。
本当に刹那の出来事だったが、確かに彼の叫び声の後に湖面の氷にバキッと亀裂が入っていた。
「す、すごいけど……どうやったの?」
「どうでもいいだろ! それより、とりあえずここを爆破してくれ!」
「うん!」
シロンはその亀裂に両手をかけて、両側に引き離すようにしながら魔力を注入し、思い切り氷を爆発させた。
そして彼女の渾身の力が伝わったのか、氷に人が通れるくらいの穴が開いた。表から力を加えてもダメだった代わりに、こうして内部に直接力を伝えるのが良い打開策となってくれた。
「でも、これからどうするの?」
「……シロン」
「何?」
「……ここで待っててくれ」
「…………え!? ちょっと待ってよ!」
そして、イオは瞬時にその穴に潜り込んだ。
氷の下には零度に限りなく近い冷水がたっぷりあるはずなのに。
常人ならすぐに死んでしまうだろう。
そう、もしイオが常人ならば。
あいにく彼には授かった不思議な力『不死』があるのだ。こんな水では絶対に死ねない。
「だからってイオ君……っ、それは無茶だよ……ボクはここからどうす―――」
「逃げ、場はないね」
「っ!?」
「……っ、少し面倒だ、った」
イオの謎の潜水行動の後に一人取り残されてしまったシロン。彼女はイオの狙いが分からずに、思わず意気消沈してその場にへたり込んだ。
そして、その背中に迫る非情な影があった。
ヤツだ。メローペだ。
彼女はもう氷を割り終えて膝下を解放し、完全な自由を手に入れていた。
脅威が野に放たれてしまったのだった。
「っ! 近付かないでっ!」
「聞き入れ、られないね……すぐに殺、す」
腰が砕けて立ち上がれないシロン。彼女は最後の勇気を振り絞って、その手を振り上げて魔法を発動させた。
そして、その一発は虚しくも、メローペにいとも簡単に打ち消された。
震える彼女は魔法を撃つ手を止めて、必死に後退りをした。氷の穴から離れて、水中にイオがいることも忘れて、ただ必死に逃げようとした。
寒さによる震えか、恐怖による震えか、そんなのことも考えられないくらいの惨状をズルズルと這って逃げたのだった。
だがしかし、残念ながらメローペという人格は「容赦」なる単語を知らない様子。
非力な少女を前にしても道徳心を働かせることすらなく、まるで紙にスタンプを押すかのように、スラリと流れるように氷魔法をシロンにぶつけようとしたのだった。
彼女が命の危機に瀕した時―――
「……ん」
「地面が揺れてる……?」
シロンが言った通り、何の前触れもなく湖周辺がグラグラと揺れ始めた。
木も草も氷も人も、地底から伝わる振動エネルギーによって例外なく震わされたのだった。
そして次の瞬間―――
「ぷはぁっ! へへっ、魔法って……こんなこともできるんだなぁぁぁぁああああ!!!!」
「うわっ!? 怪物!?」
「……ふーん」
巨人の如き大土塊が、湖面の氷を突き破って二人の前に出現した。
先ほどの揺れに加え、氷面が割られた時の揺れ、それから氷面下の水の揺れが合わさり、シロンは大波を行く船舶の乗組員のように揺らされたのだった。
少しだけ揺れに酔いながら、彼女は土の巨像に目を向けた。そしてニッコリと笑った。
そうだ、こんなデカブツの主は一人しか思い当たらないのだから、笑えてくるのが彼女にとっては当然だろう。
その笑顔に応えるように、土の塊の中から元気な声が聞こえてきた。寒さによって声が少しだけ震えていたが、それを吹き飛ばすような威勢の良さだった。
氷から上半身だけを露にした巨像と、氷に立つ悪魔が対峙した。
先制上等と言わんばかりの巨像の右フックが、悪魔に向かって既に振り下ろされていたが。
「よく聞け、メローペっ!!!! 俺たちのマイアさんを返してもらうぜ!? ぶん殴られる準備をしろよぉぉぉぉ!!!!」
「いつで、もいいよ……負け、ないから」
「そうかぁぁぁぁ!? だったらコレを防いでみろぉぉぉぉっ!!!!」
イオは意識を集中させ、土で造られた巨人の右腕を思い切り湖面に叩きつけた。当然中から外は見えないので、勘と巨体を頼りに勢い任せで攻撃しただけ。
しかし、そんな杜撰なパンチでもしっかり狙い通りに飛んで行ってくれた。
攻撃が当たる寸前、メローペは分厚い氷の壁を呼び出して自身を守ろうとしたが、圧倒的な土の重量に耐え切れず、押し潰されるようなして崩壊したのだった。
そのままメローペごと湖面の氷を叩き割った。
「……いた、ひ……くる、ひい」
冷えた湖に沈みゆく体。
メローペは顔面を押し潰されて、まともに喋ることすらできない状態にされた。
彼女はそのグチャグチャに崩れた口で、終戦を迎えた際の心情を精一杯表したのだった。
そんな瀕死の体を少年が手ずから掴んだのは、湖面での激闘があっさり終わった直後のことだった。




