1話 旅立ち
「え? 俺、帰れないの?」
焦げ茶色の髪に手櫛を入れながら、イオは心底残念そうな表情で言った。
ここは療養室。
イオはベッドの上でダラダラと過ごしていた。
「ごめんね、イオ君」
そして、そんな彼と会話をしているのは、金髪と紅眼を持ったボクっ娘美少女のシロンだ。
彼女もまた、心底残念そうな表情で答えた。
まあ、それもそのはずで、本来なら今頃はイオは元の世界に帰っているはすだったのだ。しかも、記憶喪失ではない状態で。
それなのに現実はうまくいかず、踏んだり蹴ったりの末に異世界に取り残されてしまった。
残念がるのも無理はない。
「それで、その召喚装置とやらは直るのか?」
「ボクにも分からない……召還装置は古代の遺物だし、設計図も保存されてないから修復は難しいらしいんだ……」
「そっか。それじゃあ、あの装置が元通りになるまで、異世界生活を楽しむとするか」
イオの言動一つ一つが、シロンの心に鋭い針のように突き刺さっていった。
事件当時、シロンが彼を無理矢理にでも引き止めていれば、こんなことにはならなかった。
そう思うと、彼女は自然と申し訳なくなった。
そうやって、イオが呑気に窓の外を見て、シロンが視線を落としていた時――――
「アークトゥルスさん、どうしたんですか?」
「ああ、イオ君に一つだけ伝えておきたくてな」
「何でしょう?」
アークトゥルスは特に深刻な表情でもなかった。
イオはともかく、横にいたシロンは少しだけ安心したのだった。
「実は管理局のことなんじゃが、建物の節々がちょいと傷んどってな。これから修復作業が行われるから、職員の大多数を本部に転勤させることにしたんじゃ」
「ああ、ここって支部だったんですね」
「そうじゃ……だから、君にも安全な場所に避難してもらいたくてな。まだ働かせる訳にはいかんから、イオ君とシロン君は特別な場所に出向いてもらいたい」
先日の中庭での激闘により、建物全体が傷んでしまったとのこと。
だから、ここは大幅に建て直す必要があるし、召還装置の修復作業もある。そこで外部の人間が多く出入りすることになるので、管理局の戦闘員を数名残して、それ以外は本部に異動して職務を引き継ぐと。
そして、イオを狙う人間がまたやってくる可能性も捨てきれないので、彼とその護衛であるシロンを安全な国へ避難させようという考えだ。
「――――で、それってどこなんですか?」
「ああ、このリブラ法治国に囲われた内陸部に位置する国である、アクエリアス水都国じゃ」
(……知らんし、分からん)
「大きな湖を囲うように発展してきた都市国家でな、行商人が多く集う場所なんじゃ。それゆえ宿屋が多く、交通整備も為されておる。そして、治安維持のために国費を多く割いておるから、リブラ並みに犯罪件数が少ないんじゃよ」
(社会の授業を聞いてるみたいだな……)
「そこに二人で向かってもらう」
「わ、分かりました……って、もう一人は誰ですか?」
「シロン君じゃ。他に誰がおるか」
「えっ、そこの女の子ですか!? 二人っきり!?」
「一々騒ぐでない。目的地の宿屋の二部屋を予約してある。イオ君とシロン君は道中を共にするだけじゃ」
「……で、ですよねー……焦ったぁ」
「あはは……」
シロンは苦笑いをした。
以前のイオなら、皮肉の一つや二つくらい吐いていたのだろうが、このような純情に基づいた反応をされると少し気まずい。
どうせなら異性を意識しないで欲しかった。
「シロン君とイオ君は年が近いし、彼女は魔法を使うのに長けておる。君をあらゆる危険から守ってくれるじゃろう」
「なんで襲われる前提なんですかね……?」
不意に、イオの切羽詰まった表情が、シロンの脳裏を過った。
あの時に引き止めていればイオは記憶を失わずに済んだのに、と彼女は心を痛めた。
「シロン君、出発の準備は良いかね?」
「はい、もちろんです。イオ君をあらゆる危険から守ってみせます」
「うむ、その意気じゃ」
彼女は固く決意をした。まるで自分に言い聞かせるかのように。
次は彼を絶対に守ると誓ったのだった。
「それで、俺はどうすればいいんですか? 着替えとか持ってないんですけど」
「それはこちらで用意させてもらった」
「本当ですか!? いやぁ、至れり尽くせりで悪いですね」
「このくらい当然じゃ」
イオは浮かれていた。
異世界生活楽勝過ぎじゃね?、と。
それもそのはずで、召喚されて早々に美少女と旅行することが決まり、流れるように事が運んだら誰でも浮かれるだろう。
誘惑の放つ香りが甘すぎる。
逆に何かの謀略を疑うレベルだ。
「アクエリアスでの滞在期間は一週間。まあ、体と心を休めてくることじゃな」
「うへへっ、はい」
「そんなに気持ち悪い笑い方できたんだ……」
シロンは小声で、イオを軽く罵倒した。
これで彼女は改めて、過去の彼と現在の彼は全く違う存在なのだと認識したのだった。
ただ、彼の記憶を戻してあげたいという思いは人一倍持っている。彼への友愛も少なからず残っている。
シロンはイオのことを見限らずに、健気に信じ続けていた。
いつか記憶が戻ると信じて。
◆◆◆
そして数十分後、管理局近くのウミウシ車屋にて。
イオたちは出発の準備を整えていた。
あまりにも早すぎる出発、ブラキウムの処刑から一日も経たない頃のことだった。
「うわっ、こんなにでかいウミウシいんのか……」
「人懐っこいから安心して。ほら、近付いてみてよ」
「ヒ~ヒヒ~」
「っ、わぁ……すっげえプルプルしてる」
今のイオにとっては、これが初めてのウミウシとの邂逅になる。本当は随分前に林の中で乗ったことがあるのだが。
それにしても、この相変わらずのサイズ感には驚かされるばかりだ。
「じゃあ、そろそろ行こうぜ、シロン」
「うん!」
明るく呼び掛けてくるイオに面影を感じ、少しだけ口元が緩んだシロンだった。
そうして、二人はウミウシがズリズリと引きずる大きな車体に乗って出発したのだった。
ウミウシ車の車体の仕組みは、どうやら元の世界で言うところの馬車みたいなもので、ウミウシの背中から綱が伸びており、大きな四輪の車輪が台車を支えていた。少し高い位置に搭乗口があったので、イオが先に乗り込んで、その後にシロンが彼に手を引かれて飛び乗った。
「俺の顔に何か付いてんの? さっきからチラチラ見てるけど」
「……別に、何も付いてないよ」
「そうか……? もしかして俺のこ――――」
「ボクは君のことを友達だと思ってるよ」
「ぐはぁ……っ! あえて友達だと言い切ることで距離を詰めさせない作戦か……っ」
そんな茶番を他所に、ウミウシ車の車輪がガラガラと音を立てて回り始めた。
ついに、イオの二度目の異世界生活が始まった。
「――――あ、その前にイオ君」
「何だよ? 俺の心は泣いてるぞ」
「はいはい、途中で寄る場所があるからね。とりあえずこのことは耳に入れといて」
「お、おう……」
シロンは浮かれるイオに忠告を入れたのだった。
◆◆◆
しばらく車を走らせた頃、視界の向こうに不気味な林が見えてきた。
相変わらずウミウシ車は道なりに進むが、よく見てみると林道は苔むして隠れていた。ここからはウミウシたちの感覚だけが頼りになるという訳だ。
木々のトンネルに徐々に近付いて行き、やがてイオたちはその陰の空間に飲み込まれたのだった。
しかし、ウミウシは喰らい雰囲気に物怖じせず、ひたすらヒレを動かして前に進んでいく。
まるで何かに導かれるように。
しばらくすると、運転用のウミウシ以外のデカブツたちが車の周囲に集まってきた。
「うわっ、コイツの仲間か!? 大量のウミウシが集まってやがる……」
「みんな人懐っこいから安心して、ちょっと気持ち悪く見えるかもしれないけど」
青や紫の肌をした巨大なウミウシたちが、口から粘液を垂らしながら這い寄ってきた。いくら人に危害を与えないと言っても、精神的に生理的に無理なものがあった。
ちょっと吐きそうになったところを、林の清らかな空気を吸って誤魔化した。
イオたちが車に乗ったまま近付くと、野良ウミウシたちは隊列を組んで林の奥へ進んで行った。
ウミウシ車も当然のように後に続いた。
「こいつらはどこに……って、あれは泉か?」
「そうだよ。よく見えたね」
林に入って数十分ほどで、青白い光が溢れる神秘的な泉に到着した。ウミウシたちはそれを囲うように彷徨いている。
「――――で、何がしたいんだ? 儀式でもすんのか」
イオは車から降りて泉を覗きこんだ。
シロンも彼に続くように泉へ歩み寄った。
そして――――
「えいっ!」
なぜかシロンがイオを突き飛ばした。
彼にとっては不意打ちだったので、体のバランスを崩され、見事に泉に頭から突っ込んでしまったのだった。
(こいつ……っ! 何しやがるっ!?)
イオはすぐに泉の底に足をつけて立ち上がろうとしたのだが、なぜか力が入らなかった。
シロンに対する疑念を抱いたまま、彼の意識は空の彼方へ遠ざかっていったのだった。




