39話 ソレは黒かった
リブラ法治国は、それこそ建国されて間もない頃から、多大なる名声を世界に轟かせていた。
と言うのも、この大陸では魔法を用いた戦争による略奪や侵略が続いていて、安寧の土地が存在していなかったのだ。中でも『王家の星』と呼ばれる四つの血族が、自らが牛耳を執るべく闘争していた。
しかし、そんな中、とある男が世界各地から勇気ある活動家を呼び寄せて国を建てたのだ。
法による秩序を保証する、と銘打って。
だから――――
「リブラの秩序を脅かす者は野放しにできん、絶対に。スピカ君、カナン君……迅速に始末したまえ」
「建物ごと押し潰しましょうかァ? 確実ですよ?」
「それは控えなさい」
「……はァい」
「アタシは外から見張る! 絶対に逃がさない!」
「頼んだぞ、二人とも」
リブラ魔法管理局の正面玄関前、点呼を終えたアークトゥルスは声から怒りを滲ませていた。
しかし、それを犯人に直接向けることはなかった。
なぜなら、リブラには法があるから。法だけが罪人を裁くことを許されるのだ。私刑は認められていない。
何よりも平和を重んじるリブラで罪を働こうとする者は多くない。多くないのだが、それでも犯罪者は生まれ続ける。
それならば、リブラは何時だって罪に相応しい罰を与え続けるのみ。
管理局を襲った靄の正体を太陽の下に引きずり出して、その者を罰するだけだ。
イオたちは無事に避難を終えていた。
もちろんシロンやアークトゥルスも一緒にいる。
今はカナンとスピカが、取り残された局員の救助と犯人の捕縛に向かったところ。
「アークトゥルスさん……犯人が捕まったらどうなるんでしょうか……」
「エル法長の裁量による。しかし、重罪は確定じゃ」
「え、そうなんですか……?」
「ここは一応国家機関じゃぞ。我ら平和の使徒の生命を脅かそうものなら、それは国家反逆罪にあたる。軽くても数十年の禁固刑、重ければ死刑は免れん」
(嘘だろ……っ)
避難を終えた局員らは呑気に駄弁っていた。
冷や汗を垂らすイオとは正反対。
「――――ってか、犯人は誰だろうな?」
「ちょっと待って……ブラキウムさんはどこ!?」
「逃げ遅れたヤツを助けてんだろうよ。まだ何人か来てないのがいるだろ?」
「そ、そっか……」
「それにしてもカナンさんはカッコいいな! 靄の中に一人で突っ込んでいったぜ! 頑張れー!」
身近に起きた大事件に対して、彼らはどこか他人事のような話しぶりを貫いていた。
まあ、それもそうだ。もう保護対象であるイオとシロンは避難を終えているし、こちらは万全の体制で犯人の捕縛に向かって動いているのだから。
もう後は詰めるだけ。
(ど、どうしよう……このままじゃあ……)
犯人が捕らえられるまでの残された短い時間の中で、イオは必死に思考を巡らせていた。
彼だけは、他の皆と違って犯人を生かすことだけを考えていた。
(ブラキウムさんが捕まっちゃう……俺に狙いを移したばっかりに……)
管理局を覆っている黒い靄は、間違いなくブラキウムの魔法によって作られたものだ。
イオだけは、これを何度も見ていたから分かった。
しかし、彼女を助ける方法は分からなかった。
そもそも、なぜこのタイミングで靄を展開したのか、なぜ不利な勝負を仕掛けてきたのか、それさえも分からなかった。
分からないことが多くて、イオの頭はパンクしそうだった。
(でも、行かなきゃ……まずはブラキウムさんの所に行かなきゃ……俺が助けないと……)
彼はフラフラと正面玄関から離れ、管理局西側にある非常口まで向かった。
シロンにバレないように、こっそりと。
◆◆◆
着いてみると、非常扉から靄が漏れているのが分かった。ドライアイスが煙を出すみたいに、止めどなく溢れ出していた。
だから、イオは慎重にドアノブに手を伸ばした。
中に溜まっている靄の暴発を警戒しつつ、ゆっくりとドアノブを回して中に入ろうとした。
そんな時――――
「ちょっとイオ君! 一体何してるの!?」
血相を変えて飛び掛かってきたシロンが、イオの背中を掴んで離そうとしなかった。どうやら、こっそり非常口まで来たことが早々にバレていたらしかった。
まあ、彼女が怒鳴るのも無理はない。
イオが今からやろうとしていることは、端から見れば大変危険なものでしかないのだから。
このタイミングで靄を作り出したブラキウムと同類で、イオも自ら悪い方向へ向かっているとしか思えない。まさに飛んで火に入る夏の虫だ。
火は危険だと知りながら、あえて飛び入ろうとしている分、イオの方がよっぽどバカかもしれない。
「もう無理だよ! カナンさんが先にブラキウムさんを見つけちゃうよ! だから……ね? ここで待っていようよ……」
「ブラキウムさんを傷付けてください、と頼んだ覚えはない。あの人を放っておく訳にはいかないんだ」
「で、でも……」
「中で話し合ってくるよ。カナンさんとブラキウムさんを説得してくる。でも、もしかしたら俺が先に見つけちまうかもな…………じゃあな」
「待って! 行かないでっ!」
イオは、シロンの手を振りほどいて扉の向こうへ突き進んだ。
何も考えないままに。
◆◆◆
幸いにも、イオは管理局の内部構造を隅々まで記憶していた。
だから、暗闇の中だろうが関係なく目的地に向かうことができた。
(荷物運びがこんなとこで役に立つとは……)
手を壁に沿わせて慎重に歩みを進めていく。こうしていると、召還された時のことを思い出した。
暗闇の中を手探りで進むのは、いつになっても慣れないものだ。
(あの時もこうやって……手の感覚だけを頼りに頑張ったな)
当時の彼は、無事に光が差す場所を見つけられた。
今もそうだ。
イオは目的地に辿り着けた。
(よし……中庭に出たぞ)
中庭から冷たい風が吹き込んでいたので、イオはそれを頼りにここまでやって来られたのだ。
ではなぜ中庭を目指したのか。その理由はブラキウムにある。
「――――遅かったね」
「いや、遅かったねって……俺が来なかったらカナンさんに逮捕されてたんですよ。分かってるんですか?」
「そうだね」
靄を抜けた先には月明かりが差し込む中庭があり、そこに黒髪の美女が佇んでいるのが見えた。
彼女の足元からは例の黒い靄がドロドロと溢れ出していた。
「ほら、早く逃げましょう。こっちに来てください」
「どこに逃げたらいいの? 私の居場所なんてないんだけど」
「へ、屁理屈はいいんで逃げてください! 本当に捕まっちゃいますよ!?」
「……逃げ切れたとして、私は何を頼りに生きればいいの? 寄る辺なんてないよ? だから、こうやって管理局を襲撃して見せたんだよ?」
「いや、適当に生きてくださいよ! そのくらいブラキウムさんならできますよね!?」
「できないよ。生きる意味が分からないんだから」
イオの言葉は一つも彼女の心に響かない。
今の彼女の心を動かせるのは誰一人としていない。
どうすればいいんだ、とイオは思い悩んだ。
「……っ、もういいです! 来てください! 俺の手を掴んで!」
「…………」
もう時間がないので、イオは強引な手段で彼女に干渉することにした。
彼女の腕を乱暴に掴み上げ、そのまま中庭を脱出しようと試みたのだった。
今の彼女は、されるがままの人形のようだった。
力を加えたら枯木のようにグラッと傾いて、倒れるように移動した。
「は、早く歩いて! 間に合いませんよ!」
「…………」
彼女の体は死体のように重かった。
それに、イオがいくら引っ張っても、動いてはすぐに歩みを止めてしまうのが厄介極まりなかった。
そうしてイオが四苦八苦していると、思わぬ人間が月明かりのライトの下に姿を現した。
最初はその人物に視線を向けていなかったのだが、ブラキウムが驚いた様子を見せたので、イオは慌てたそちらを振り返った形になった。
見てみると、そこには――――
「え、アークトゥルス……さん?」
アークトゥルスが立っていた。
彼の双眸には、驚きと怒りと憐れみの感情が宿されていた。
イオが二言目を放つ前に、彼は冷酷に言った。
「カナン君は苦戦しておるようじゃから、儂が自ら足を運んだ次第なんだが……何か言い残すことは?」
「ちょっ、おかしいですって! ブラキウムさんを見逃してあげてくださいよ! 俺は気にしてませんから!」
「答えるのは君の役割ではない。ブラキウム君、早く何か言ったらどうだ?」
アークトゥルスは険しい表情のままに話を続けた。
ずっと優しい顔だけを見てきただけに、今の鋭いナイフのような表情が際立っていた。
普通の人が怒るよりも何倍も怖く見えた。
そんな時、新たな影が中庭に乱入してきた。
その影は靄の中から飛び出した後に、綺麗な姿勢で地面に着地を決めたのだった。
「はァ……すみません。もっと奥の方にいると思ったんですけど……それで、ブラキウムを処刑すればいいんですか? 刑罰はかなり重いですよ」
「か、カナンさんまで何を……今まで一緒に働いた仲間ですよね!?」
「その仲間を傷付けた上に、管理局を滅茶苦茶にした悪い人だよ。違うかなァ、ブラキウム?」
「…………」
「君はイオ君を連れて皆の所へ戻りなさい。あとは儂がやろう」
「はい」
カナンはイオの両手をガチッと掴んだ。
苦しくはないが、今のイオには振りほどけないくらいの絶妙な力加減だった。
「は、離してください! ブラキウムさんを罰するかどうか、もう少しだけ考えてくれませんか? あの人は襲撃をやりたくてやった訳じゃないんです!」
「あのねェ……この世界には生まれながらの悪人がいるんだよ。彼女もその内の一人だったってことさ」
「そ、そんなの分からないでしょ!? なんで決めつけちゃうんですか!?」
「残念ながら、如実に行動に表れているんだよねェ」
そう言い合う二人は、どんどんブラキウムから遠ざかっていった。
イオは揉み合いになりながらも、ブラキウムの横顔から目を逸らさなかった。少しでも目を逸らせば、彼女が目の前から忽然と姿を消してしまうんじゃないかと思ったからだ。
そして、ついにイオという支えを失ったブラキウムは、その場にガックリと膝をついてしまった。
膝立ちになり、その美しい顔を俯かせたまま、アークトゥルスに向かったのだった。
局長は彼女の目の前に掌を突き出した。
「内乱罪、器物損壊罪、違法魔術行使による殺人未遂並びに略取・誘拐罪、諜報行為防止規約違反。
ここにブラキウムの罪状を認め、リブラ憲法とエル法長の下に刑罰を下す。言い分はあるか?」
「……ないです」
ブラキウムは蚊の羽音のような声で返事をした。
泣いているのか、若干声が震えていた。
「法と秩序を穢す罪人よ、炎に魂を捧げたまえ。平和を愛さぬ者よ、罰を受けたまえ。迷える民よ、あの世で安寧を知りたまえ」
アークトゥルスは、その掌の中に真っ赤な血のような火球を作り出した。
それは、シロンのものより小さかったが、中に秘めるエネルギーは何倍にも大きく思えた。その熱気は離れた場所にいるイオの顔まで届いた。
まさに地獄の業火、罪人を焼く裁きの炎だった。
「イオ君、後ろ向かないでねェ。刺激が強いかも」
「…………」
カナンは目を逸らすよう命令してきた。
しかし、イオはこれを聞き入れられない。
だって、ブラキウムを死なせたら――――
「離してください!」
「ッ!? 何やってるんだい!」
絶対に嫌、死なせてはダメだ。
イオはそんな思いを胸に、カナンの手を振りほどいて、勢い良くブラキウムの方向へ走り出した。
後戻りできなくなってもいい。
無性に彼女を助けたくなったのだった。
アークトゥルスは火球を巨大化させて、ブラキウムの額に近付けた。
「処刑は熱いし痛いぞ。さあ、肩の力を抜きたまえ」
「…………」
局長はイオの接近に気付いていない。
気付けるほどの距離にいなかったのだ。今のイオは中庭の端に、ブラキウムから離れた場所にいた。
だから、救いの手を伸ばしたとしても処刑の瞬間には間に合わない。イオの行動は手遅れ。
そう思うのは、魔法を使えない人間だけだ。
イオは習いたての土魔法を行使した。
届かない場所に自分の思いを届けるために、必死に地面に力を込めた。
偶然にも、アークトゥルスの掛け声とイオの叫び声が重なったのだった。
「はぁっ!」
「当たるなぁぁぁぁっ!!!!」
盛り上がった土が波のようにうねり、ブラキウムとアークトゥルスの間に割って入った。
火球のエネルギーを土塊で相殺した。
これに対して、アークトゥルスはもちろん激昂。
処刑の執行を邪魔されては、法治国の名が廃る。
彼は引き続き新たな火球を撃ち込もうとした。
「っ!? 君は何をやっておるんじゃ!」
「やめろぉぉぉぉっ!!!!」
間髪入れず二度目の衝突。
アークトゥルスは先程の魔法とは段違いの火力を火球に込めて、それを撃ち込もうとした。
しかし、イオも負けじと手を地面に突き立てて、唸るように大量の土砂を操作した。
赤色の猛攻と土色の抵抗がぶつかり合って、中庭を火花と土煙で埋め尽くした。
「そんな半端な土魔法では、儂を止めることはできん!」
「そんなの分からないでしょ!?」
片手で火球を放っていたアークトゥルスだったが、ついに両手で魔力を溜め始めた。
彼の本気が垣間見えた瞬間だった。
しかし、イオはその間にもブラキウムの正面に到達していた。
更に効率的な術式を展開できるようになった。
「なぜ罪人を庇う? なぜ彼女を救おうとする?」
「そんなの関係ないでしょ……助けたいから助けるんですよ……」
アークトゥルスは両手を前に突き出し、膨大な熱量を蓄えた火炎を放出した。
それに続いて、イオは両手を地面に突き刺し、土煙の渦を生成した。
イオは、アークトゥルスの炎を正面から受け止めれば、確実に力負けすると分かっていた。実力差は折り込み済みで、その差を埋めようと思案していた。
そこで彼は、周囲の土を高速回転させたら強大な魔力を横方向に逃がせるのでは、と考えた。
それがうまくいった形になった。
「ふむ、君も考えたな……しかし、時間が全てを解決してくれよう。力押しでは儂は負けんぞ」
「クソっ……ブラキウムさん、後ろに抜け穴を作りました! そこから渦の外に出られるはずです! 今のうちに逃げてください!」
「ねえ、一つ聞いていい?」
「ちょっ、魔法に集中させてください!」
「何で私を助けてくれたの?」
「……うまく言えませんけど、ブラキウムさんが可哀想に思えたんです。そんなことより早く逃げて! これ以上は耐えられません!」
「――――ふふっ、ありがとう。もういいよ、私のために頑張らなくても」
「…………え?」
その言葉と共に、ブラキウムはイオの背中を優しく撫でた。
その瞬間、彼の背中に電撃が走った。
何かが流れ込んでくる感覚がしたのだ。
その感覚は、やがて上の方へ向かい――――
「い、っだぁぁぁぁ!?!?」
イオは激痛を味わった。
脳がズキズキと内側から刺されるような痛みに襲われて、彼の集中力が一瞬だけ途切れたのだった。
その瞬間を見逃さなかったのか、アークトゥルスは火炎放射をすぐに止めて、その右手に光の剣を生成した。剣を慣らすため二、三度だけ軽く振った。
そして、土の渦の間隙を押し広げるように切り裂いたのだった。
「――――ブラキウムよ、これで終わりじゃ」
「あ、頭が……割れるっ! いだいぃぃぃぃっ!」
「かふ……っ」
地面にうずくまって、のたうち回るイオ。
そんな彼を尻目に、アークトゥルスはブラキウムの首を切り落とした。
光の剣によって作られた傷口からは、ピューッと血が噴出し、切り取られた頭はコロンと転がった。
その傷口は歪むことなく、綺麗な輪を描いていた。
しかし、隣でブラキウムを殺された後も、イオは謎の頭痛に意識を奪われかけていたのだった。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!!! いだいぃぃぃぃっ!!! っ――――」
イオの意識は、自分の絶叫を最後に途切れた。
イオの作戦は失敗したのだった。
まだまだ小さい彼に、彼女は守れなかった。




