37話 思惑は静かに揺らめく
現在の状況は深刻だった。
なぜなら、達成すべき目標が山積みだからだ。
まずは、シロンをブラキウムから守ること。
次に、ブラキウムを管理局から守ること。
そして、最後に――――
「……無事に帰ってやる」
イオが元の世界に戻ること。
だから今は、足りない頭を酷使してでも無理をしなければならない時だ。取り返しのつかない事件が起きてからでは遅い。
つまるところ、目の前の女に抵抗せねばなるまい。
「まだ俺を誘拐するつもりですか?」
「もちろんだよ。あなたは私が生き残るための希望なんだから。あなた自身に実感はないだろうけど」
職員らの喧騒溢れるロビーの一角、イオとブラキウムは静かに火花を散らしていた。
先程まで、精霊による術で周囲の音が全く聞こえなくなっていたのだが、今はそれか鮮明の聞こえた。どうやら彼女は能力を解除してくれたらしかった。
だから、誰かの足音がこちらへ向かって来ていることに、イオはすぐに気付いたのだった。
「――――ごめん、遅れた……大丈夫?」
「別に」
「あれ、シロンちゃん。仕事は終わったの?」
「はい……あの、ボクたちは用事があるので、もう行っても良いですか?」
「良いよ。じゃあ、また明日」
シロンがやって来た瞬間、ブラキウムはいつもの調子に戻った。少し高めの猫なで声で話していた。
しかし、最後の言葉だけは低めの声で、まるで何かを忠告しているようだった。
よく聞いてみると、それはブラキウムがイオと二人きりの時だけに出す声そのもの。
そんな悪魔のような声から逃げるように、イオとシロンは足早にロビーを後にしたのだった。
「な、何やってたの……? ブラキウムさん、すごく怖かったけど」
「あー……先に一つ言っていいか?」
「いいけど」
「シロンに話したことがバレた。すまない」
「そう……まあ、遅かれ早かれバレてたと思うし、気にしないで。焦らずに作戦を進めよう」
「……本当にごめんな」
「だから、気にしないでって」
これらの会話は駆け足で行われてた。話すスピードと歩くスピードの両方が駆け足だった。
黒幕との対峙による緊張で、そしてシロンの場合は仕事疲れもあってか、二人とも息が途切れ途切れだった。
「お前さ、どうするよ? ブラキウムさんに狙われたら危ないだろ? 同じ女子寮だし」
「そうなるよね……口封じされるかも」
「それなら一緒に局長室に匿ってもらおうぜ」
「で、でも何て説明すれば……? ブラキウムさんのことがバレちゃダメなんでしょ?」
「うーん……アークトゥルスさんは優しいし、部屋だって狭くないから大丈夫だろ。シロンを俺の護衛要員に加えてもらう」
「うまくいくかな……」
忘れそうだが一応言っておくと、二人はまだ十五歳の子供だ。そんな子供たちが、こうして不安に胸を押し潰されてしまいそうな思いをしているのだ。
これは何とも残酷ではなかろうか。
こんな絶対絶命の状況にも関わらず、大人に頼ることを制限されているんだから、冷静さを保てるだけでも凄いだろう。
二人が局長室に戻ると、扉の前にカナンがいるのが見えた。
「――――お、イオ君と……シロンちゃんだね。二人で何をしているのかなァ?」
「あの、お願いがあって、ホント唐突で申し訳ないんですけど……シロンも局長室で匿ってもらえませんか? 護衛役として俺に付かせたいんです」
「えェ……それは無理じゃないの」
イオは良い返事をもらうつもりでいたので、カナンの予想外の反応に思考が止まった。
一体何がダメなのか、何が気に入らないのか。
「な、何で見捨てるんですか!? 匿って欲しいだけなのに!」
「……その子がさァ、犯人じゃないって証拠はあるの? こっちとしては部外者を入れたくないんだよね」
「しょ、証拠……」
当然と言えばそれまでの疑問を突き付けられた。
確かに、カナンから見ればシロンはまだ容疑者候補の内の一人なのだ。そこの疑念を晴らさないと、イオの要求は通る訳がないだろう。
しかし、こんな時のために、それらしい回答はこちらで用意してある。
「一日中二人っきりでいましたけど、特に何もありませんでしたよ」
「そりゃそうだよォ。もしイオを襲ったら、管理局の全員に反撃されるんだもん。僕が犯人なら、例え君と二人きりでも好機を待つよ」
「た、大切な仲間なんです……」
「じゃあ、何で急に守りたくなったの? 昨日の夜も今日と同じようにも危なかったんじゃないの?」
「いや、俺の近くにいさせたことで、犯人に目をつけられたかもしれないと思って……」
「ふぅん…………じゃあ、まァ、自己責任でよろしく」
「え?」
「局長室に匿うのは君の責任ね。勝手にどうぞォ」
「本当ですか!? やった……」
シロンは、イオの隣で交渉の行方をジッと見守っていたが、局長室で匿ってもらえると分かって、とりあえず一安心した様子。
イオもそれを確認して、部屋に彼女を誘導した。
そこで中を見てみると――――
「あれ……スピカさんは?」
中にはアークトゥルスとスピカがいると踏んでいたのだが、なぜかスピカの姿だけはどこにもない。
「おかえり、イオ君」
「ただいまです、アートゥルスさん。それで、スピカさんはどこに?」
「スピカ君はな、ゲミンガ君の助言もあって、管理局の敷地内を巡回させるようにしたんじゃ。監視の目は多い方が良いとな。これで安心安全じゃよ」
アークトゥルスは至って冷静に、机上の雑多な書類に目を通していた。
いつもと変わらぬ安心感があった。
「イオ君にシロン君、二人は熱心に仕事に励んでおるらしいな。スコルピイ君に聞いたぞ」
「あ、ありがとうございます」
(ボク、局長を間近で見るのは初めて……)
シロンは恐縮して、局長室の真ん中で棒立ちになっていた。猫に睨まれたネズミみたいだった。
しかし、そのままでいる訳にもいかないので、彼女はジリジリと移動し、部屋の隅に自分の居場所を見つけたのだった。
そして、それから少し経った頃、巡回を終えた様子のスピカが帰ってきた。
「先生、ゲミンガから報告は?」
「ない。予知に異常は見られたが、気にするほどでもないらしいそうじゃ」
「じゃあ、このまま行けば、イオを無事に元の世界に帰せそうですね!」
「ああ……イオ君、お土産を買うなら今しかないぞ」
「あはは、そうですね……」
イオの顔は笑っていたが、心は真逆だった。
だって、このまま無事に異世界生活が終わらないこたを、彼は知っているからだ。
もう犯人は分かってるし、あちら側がイオを誘拐する気なのも分かってる。
しかも、犯人が玉砕を覚悟していることも。
賑わいを増す局長室の中で、イオとシロンの二人だけは、自らの未来を恐れずにはいられなかった。
◆◆◆
リブラ魔法管理局本部、中央監視塔にて。
そこで目を光らせる人物がいた。
見た目は、ボサボサの灰色の髪を短く切った髪型に、瞳は明るい空色。目の下に薄いクマを作っている青年だった。
「イオと一緒にいるのは……ブラキウムか?」
親指と人差し指で作った丸い穴を睨み付けていた。
一見すると何かの遊びに見えるが、実は穴の向こう側には誰も知らない景色が広がっているのだ。
彼が見ているのは、少し前の過去だ。
「暗くて見えないが、アイツらは部屋の中で何をやってんだ……エロかグロじゃなけりゃ良いんだが」
穴の中に、靄に満たされた例の部屋が映っていた。
そう、彼は『目』の精霊を操る立派な精霊使い。リブラが誇る二大精霊使いの内の一人であるゲミンガだ。
彼は管理局本部で、親しい仲にあるスピカと協力して、とある事件の捜査をしていた。
「あー……こんなに時間をかけたのは初めてだ。ムズムズする。全然見えねぇじゃんか……」
なんと『目』の精霊の能力は、過去と未来を見通せるという強力なもの。ただし、それは人が視認できる範囲に限るが。
例えば、暗闇や霧の中なんかは『目』を使っても確認が難しくなっている。
だから、この捜査は難航していたのだ。
ブラキウムがあまりにも上手に闇魔法を使うから。
そして、精霊使いが故に悩みが多くある。
と言うのも、彼が見た未来は特別な場合以外は変えられないという制限があるのだ。
育て親であるアークトゥルスからの依頼で、何度も未来を見てきたのだが、その中で変わらない現実も目の当たりにしてきた。
精霊の力で局員の事故死を予見したのに、その未来を変えられないことが多々あった。
強力な光には濃い影が付き物で、精霊使いとして称えられる彼は理不尽な苦悩の日々を生きていた。
そして、今回の件も苦悩の一部になり得た。
未来が見えてしまったのだ。
「これが最善……皆を信じて待つしかない……」
彼の首筋や脇腹には、無数の掻き毟り痕がある。
ストレスで体が痒くなるのだ。
掻き過ぎて、血を出して、先輩のカナンに包帯を借りることが何度もあった。
「あれ……? な、何で……未来が変わってる……?」
そんな不幸な彼だが、暗闇の中で仄かに輝いた希望を見逃さなかった。
その日の捜査を終えた後、彼は「信じられない」といった様子で静かに笑ったのだった。




