32話 なにげない日常
中庭は静寂に包まれていた。
佇むは一人の少年。
夜空の月だけがイオを見守っていた。
雲一つない晴天に、不気味なくらい無風の夜だった。
「とりあえず帰ろう」
しばらく続いた静寂を破り、彼はベンチから立ち上がった。
少しの焦りを含んだ言葉は誰の耳に届くこともなく、夜の闇に消えて行ったのだった。
彼はブラキウムのことだけを考えていた。
◆◆◆
局長室前の廊下にて。
「あれ、遅かったねェ。寄り道でもしてたのかな?」
腕を組んでイオを見下ろすのは、局長から部屋の護衛を一任されているカナンだ。
彼は扉の前でムスッと口を結んでいた。
どうやらイオの行方が掴めず、不安でしょうがなかったらしい。
「いやー、お腹が痛くなっちゃって」
「そう……まァ、無事ならいいかな」
カナンは腕をほどいてから扉を押し開けた。
部屋の中を覗いてみると、そこにはアークトゥルスとスピカの姿があった。いつものメンバーだ。
「随分と遅かったが、何かあったのかね?」
「いえ、特に……すみませんでした」
「謝るほどのことでもなかろう。まあ、ゆっくり休みたまえ」
スピカは眠そうに目を擦っている。
普段はイオに対して姉のように振る舞っているために彼女の年上としての部分しか見えていなかったが、今は年相応の可愛らしい雰囲気を纏っていた。
聞いた話によると、彼女はシロンと三、四歳くらいしか離れていなかったはず。
つまり、実はイオと年が近い……かもしれない。
そんな彼女を横目に、イオは局長室の椅子に座り込んだ。少しだけ疲れていたので、座った時に思わずため息が出てしまった。
「ふう……そう言えば、ドロフさんの捜査はどうなったんですか? うまくいきましたか?」
「特に目立った手がかりを得られんかったので、ドロフ君には元の任務に戻ってもらった。すまんの、進展がなくて」
「いえいえ……」
イオの脳内に二つの疑問に思うことがあった。
なぜ闇魔法を使ったはずのブラキウムが、あのドロフの捜査をすり抜けられたのか。
なぜゲミンガの『目』に怪しいように映らなかったのか。
この二つだ。何か特別な能力がない限り、こんなことはあり得ないはずだ。
「アークトゥルスさん、ゲミンガさんは管理局には来られないんですか?」
「ああ、彼には本部で働いてもらっとる。リスクの分散と警備の問題じゃな。しかも、休めと言っても、彼自身は中々休もうとせんのでな。近々強制的に休暇を与える予定なんじゃが……」
「そうなんですね」
「ああ、仕事熱心なのは良いのじゃが、彼は自分の事が全く見えておらん。そのせいで、いつも体を悪くしておる」
「アタシとゲミンガは小さい頃から一緒にいるんだけど、いっつもそうなんだよ」
「へえ、損な性格してますね」
イオが言えたことではない。
仕事馬鹿で視野が狭くて損な性格なのはイオも同じなのだが、彼自身はそのことに気付いていないようだった。
そうやって談笑していると、カナンが唐突に話を切り出した。
「スピカ、見回りに行くよ。念のために何か羽織っておけ……あァ、寒い……」
「はーい」
カナンはランタンとレイピアを手に取り、スピカは厚手のコートを手に掛けた。
そして、アークトゥルスとアイコンタクトをしてから局長室を後にした。
二人が扉の外へ出たのを見届けてから、イオはアークトゥルスに質問した。
「あ、そうだ。魔法特性について質問なんですけど……アークトゥルスさんって何か持ってらっしゃるんですか?」
「儂は持っておらんよ。この管理局でも魔法特性を持って生まれた者は多くない。スピカ君とデネボラ君、あとは……カナン君が持っておると、遠い昔に聞いたような……」
「例えばどんなものがあるんですか?」
「三者三様じゃな。魔法で姿を変えられたり、自分の分身を作れたり、それから魔法の火力を引き上げるものもあれば、前例に囚われない驚くべきものもあるな。まあ、使える属性を考慮すれば、君の『不死』は特に変わったものとは思わんがね。
しかし、一つだけ魔法特性に共通して言えることがある。それは、埋もれるような才能は何一つとしてなかったことじゃ。今まで見てきたものは例外なく強力じゃった
……君は、今回の犯人がそれを利用して捜査を掻い潜ったと言いたいのかね?」
「いえ、そういう訳では……」
局長との会話の最中、不意に核心を突かれて動揺してしまった。
イオの勝手な推測だが、ブラキウムはほとんど確実に魔法特性を持っていると考えられる。逆にそう考えなければ辻褄が合わないのだ。
彼はアークトゥルスとの雑談を終えた後、局長室のベッドに潜り込んだ。
安全が保障されるまでは、この退屈な事務室で寝泊まりすることになるが、それは別に苦ではなかった。
そもそも、イオは不眠体質なのだから、管理局のどこを寝床にしようが彼には関係ない。
ぐったりと横になって、来るはずのない眠気を待ち続け、何かを考えようとしても集中できずに、最後は夜の静けさに呑まれてしまったのだった。
ブラキウムの能力についての考察は、いつの間にか忘れ去られていた。
◆◆◆
次の日の朝、食堂にて。
「シロン、おはよう」
「ふぁ~……おはよう、イオ君。間違って君の部屋に起こしに行っちゃった」
「俺は朝型なんだ。別に起こしに来なくていいよ」
「そっか……ふぁ~……」
(…………)
イオはシロンと会った。まずは朝の挨拶だ。
冷え込んだ空気と眩しい朝日の中で、二人は他愛もない世間話をしていたのだが、彼の視線だけは食堂を舐め回すように動いていた。
そして、シロンもそれに気付いていた。
どうやらイオは会いたい人物がいるようだった。
「今日は一人で食べててくれ。俺はあっちに行ってくるから」
「……ボクが一緒だとダメ?」
「あぁー……すまん、そういうことになるな」
「嘘でしょ!? 一人ぼっちで食事なんて無理だよぉ……」
シロンの顔に絶望の色が浮かんだ。
彼女はイオとしか食事を取らないので、彼がいなくなると自動的に一人飯を貪ることになる。何とも可哀想なヤツだ。
イオがこの世界に来る前は一体どうしていたのか。
虚ろな表情でトレイを抱えるシロンを背に、イオはチョロチョロと人混みを掻き分けていった。
そして、無事に素早く目的の人物がいるテーブルに到着したのだった。
「おはようございます、ブラキウムさん」
「……一緒に朝ごはん食べる?」
ブラキウムも一人で机に座っていた。しかし、それなのに、シロンとは決定的な違いがあった。
と言うのも、ブラキウムには周囲からの熱い視線が注がれていたのだ。
それも男女関係なしに、特に好意の色が強かった。
「ふぅ~……居心地が悪いですね」
「場所変える? 落ち着いて話したいでしょ?」
「別にいいですけど。ってか、優しい話し方に戻りましたね。昨晩は結構怖かったですけど」
イオがそう指摘した途端に、彼女の雰囲気と声色が変化した。柔和な女性という印象が一気に崩れ去り、悪意と暗黒が滲み出る悪女の印象に様変わりしたのだった。
「何が言いたいの? 私を告発したいなら好きにすれば? そのつもりがないなら普通にして」
(メンヘラかよ……面倒臭いなぁ)
イオに態度の改善を求めた訳だが、それは彼の台詞だ。ブラキウムこそ、局員としての顔と諜報員としての顔をコロコロ使い分ける面倒臭い人間だ。
話していて結構疲れるではないか。
「――――まあ、話があって来たんですよ……もしかしなくても魔法特性を持ってますよね? 俺も珍しく勉強してきたんですよ。もし正解なら、ここでトリックの種明かしをしてくださいよ」
「……半分正解って感じかな」
「ありゃ?」
一体何が半分だと言うのか。
普通の魔法と魔法特性の合わせ技という意味か。
それとも、魔法特性ともう一つ別の要素が絡んでいるという意味か。
今は真相は闇の中だ。
「魔法特性はドロフの『嗅分』を受け流す時に使ったよ。私の人生の伴侶とも呼べるものをね」
「それで、ずばり詳細は……?」
「……媚びるような視線が感じ悪いね。まあ、いいや、ここまで辿り着いたんだからご褒美に教えてあげちゃおっかな」
「マジですか!? よっしゃ!」
イオは思わずガッツポーズをした。しかし、周囲からの白い視線を浴びて元の姿勢に戻ったのだった。
ここで目立つのは良くない。
ブラキウムはそんな彼を尻目に、淡々と能力の詳細を明らかにしていった。
「名前は、そうね……この場で名付けるなら『唯一』かしら。急ごしらえだけど可愛くない?」
「俺の『不死』と同レベルのセンスですね、ふふっ」
「ぶっ殺すよ」
近くのテーブルには多くの職員がいるので、ブラキウムは声を押し殺して言った。
その冷たい脅迫はイオにだけ突き刺さった。
「念のために言っておくけど性能は名前の通りだよ。
自慢じゃないけど、私は三つの属性を操れるの。そして『唯一』を発動させている間は一つの属性しか操れない。でも、その代わりに魔法の火力が大幅に上がる。
今回の件では、魔法特性の副作用が上手い具合に噛み合ってくれた」
「副作用?」
「ええ……選択した属性以外は使用不可。だけど、匂いも一切残さないの。面白いでしょ? デメリットがこんな風に役立つなんて、私も予想さえしてなかったよ」
「それでも、捕獲対象でありながら魔法に関しては無学の俺にバレてしまった、と。めちゃくちゃ可哀想ですね」
「……そんなに強気な性格だったっけ? 何だか鬼みたいで怖いなぁ」
ブラキウムは大袈裟に怯えて見せた。
イオが彼女の想定よりも深く切り込んできたので、それを恐れたのだろう。
今の彼女は、嗜虐心を煽る表情をしていた。
殴り付けたい可愛さがそこにあった。
しかし、イオの狙いはそうじゃない。
あえて強気に振る舞うことで、彼女を改心させられると思い込んでいただけだ。
実際は脅しが成功せず、イオの猿芝居に終わったが。
「まあ……この冗長な流れに早く決着を付けた方が良いのかもね。イオ君を連れて帰るのは難しそうだし、ここで死んじゃおっかな」
「いや、絶対に死なせませんから」
「生きる理由はないから」
「ちゃんと理由を探しましたか? 意外とその辺に転がってませんか?」
「……うるさ――――」
「あれ? イオくん、今日はシロンちゃんと一緒にじゃないの?」
そう言ってイオたちのテーブルに来たのは、あの風呂場で出会った男の娘・アルテルフだ。
ここで怪しまれる訳にもいかないので、適当に嘘をついて場を逃れようと思った。
「ああ、ブラキウムさんに用事があって……」
「アルテルフ君はイオ君と一緒に朝食を食べたいの? 私は食べ終わったから、二人でどうぞごゆっくり」
「……良かった。イオくんとはいつか一緒にご飯を食べたいなって思ってたんだ。嫌だったかな?」
「ちょ、ブラキウムさん……っ! い、いや、俺は真面目に嬉しいけどね……」
「やったー!」
逃げるブラキウムの背中を目で追いかけた後、一旦アルテルフの中性的な横顔を見てから、目の前の皿に視線を落とした。
つい先程まで会話に没頭していたので、まだ皿の上には大量の肉や野菜が残っていた。朝食の時間は長くはないので、早めに食べてしまわないと。
「イオくんはいつもシロンちゃんとお喋りしてたからさ、結構話しかけにくくって」
「ははっ、俺は別に話し相手が増えようが困らないぜ」
「そう? じゃあ、明日も一緒にこのテーブルで食べよ!」
「おう……って、うわ」
イオは怨念さながらの気配に気付いた。
邪悪なエネルギーの発生源を見てみると、そこには不貞腐れた金髪美少女の顔があった。
恐ろしいことに、シロンの表情は悲しそうでも怒ってそうでもなかった。
深い海の底のような、まさしく無の感情を瞳に宿してこちらを見ていた。
「あれ? シロンちゃんが見てるよ。誘ったほうが良いかな?」
「ほ、ほっとけよ……」
ブラキウムとの言い合いはどこへやら、イオは皿の上の料理を食べながら、どうやってシロンから逃げようかと画策していたのだった。
もしかして彼女はヤンデレ体質なのだろうか。




