31話 吐露
デネボラたちと別れた後、イオは局長室に戻った。
身の安全を確保するためだ。
それから、しばらく時間が経ったのを見計らって、彼は中庭に向かった。
いくつもの扉の前を通り過ぎて、階段を下りて、管理局の中央に位置する草木が生い茂る空間に出向いたのだった。
冷たい夜風が芝生の上を流れ、彼の足を撫でる。
「ふう……さっむ」
中庭のベンチは冷たくなっていて、座るのを躊躇ってしまいそうになった。しかし、立ち尽くすのも嫌なので、イオは仕方なく座り込んだ。
ある人を待つために、粛々と尻を冷やすのだった。
「来てくれなかった……か」
しばらく待っても、その人はやって来ない。
仕方ないので諦めて帰ろうとした、その時だった。
中庭の暗闇が突如としてうねり始め、イオの前に集まってきた。
これはもしかしなくても魔法による現象だろう。
しばらくすると、影は形になった。
「お待たせ。もしかして誰か見張ってる?」
「いえ、俺だけですよ……あ、でも、ここで俺を襲ったら流石に誰か駆け付けますよ。ここは管理局のど真ん中ですし」
集まった影の中から浮き上がるようにして登場したブラキウム。
彼女の表情は暗闇に隠れて見えなかったが、その声色はどこか哀愁を感じさせるものだった。
彼女はゆっくりと歩み出て、イオの隣に座った。
「ふう……それで、なぜ私を見逃したのかな? あのままシロンちゃんに助けを求めても良かったと思うんだけど」
「咄嗟に気になったんです、俺を襲った理由が」
「うーん、それが分からないんだよね」
「そうですか?」
彼女は自分の顔を両手で覆い、ゴシゴシと洗うように動かし始めた。疲れているのだろうか。
黒髪に黒い服だったので、彼女の白い手だけが浮いているように見えた。
「そもそも何で呼び出したの? 結局はアークトゥルスに言いつけるつもりだよね?」
「まあ、そうなりますよね。放置はできませんし」
「酷いなぁ……一度だけ希望を見せて、その後にしっかり始末する、と」
「そ、そんなつもりじゃないですよ! 人聞き悪いですね!」
「いや、あなたはそうでも私は違うの」
彼女は両手を払った。
美しい横顔が月光の下に露になった。
「あなたはどんな幼少期を過ごしてきたの?」
「え?」
唐突に質問を投げ掛けてきた。
これはどう答えるのが正解なのだろうか。
イオは答えに悩んだ。
「いいから言ってみてよ」
「えっと、共働きの夫婦の子供として生まれて、特に不自由なく生きてきました……それで気付いたらこの世界に来て……あんまり言うことないですね」
「私は孤児だった。上流階級の人間の家で金庫番をやらされていた。食事は一日に一回だけ、それも健康を害さない程度。それが十数年くらい続いたかな。
そして、その家の主人が死んだ時に、噂を聞きつけた団体に雇い直された。使い捨ての諜報員になったの。任務に成功すれば少量の報酬が支払われて、衣食住を保証してくれた。それから、また次の任務に向かわされた。もちろん失敗したら捨てられる。
だって、代わりはいるんだから。社会から溢れ出た魔法使いなんてたくさんいる。皆が仕事を求めてた。どんなに危険な仕事でも、生きるために引き受けてた」
「……」
二人は目を合わせた。
イオには彼女の瞳が悲しそうに見えた。
ブラキウムには――――
「良いなぁ。話すことがないくらい波風の立たない平凡な人生を送れるなんて」
「……もしかしてブラキウムさんは諜報員として俺を狙ったんですか? いや、でも何で……俺はまだ管理局に加入したばかりなのに……」
「目標をあなたに変えただけ。本当は別の人を狙ってたんだけど、流石にハードルが高いかなって。だから、任務の成功のために独断であなたを狙うことにした。雇い主さんも満足してくれるかと思って」
ブラキウムは立ち上がって、イオの瞳を覗き込むようにして言った。彼女の顔は綺麗なのに、それを上回る恐ろしさを感じて、イオの脳は混乱した。
彼女にもっと顔を近付けたい欲と、今すぐ離れて逃げ出したい意志が胸の中で衝突したのだった。
「私の任務はね、絶対に失敗するように設定されてたんだ」
「……え? ど、どういう――――」
「たぶん捨てられた。はははっ、捨てられちゃった。私は何回も任務を成功させてきた。殺しだって人攫いだってやった。生きるために必死で頑張った。生と死の二択を迫られた時、私はいつだって生を勝ち取り続けてきた。それなのに、今回はばっさり切られちゃった。選択肢すら提示してくれなかったよ……ふふっ」
「そ、そんな……」
「だから、私はあなたを連れて帰ることにしたの。代わりにあなたを差し出して、私は生き延びてみせるから」
「……」
言葉が出なかった。絶句した。
自分との境遇の違いに、自分を襲った理由に、それぞれの方向から喉を締め付けられた。
しかし、だからと言って――――
「お、俺は……俺にはどうにもできません」
イオは聖人にはなれなかった。
もしブラキウムの言う通りにすれば、彼は元の世界に帰れなくなってしまうから。
だから、彼女がいくら可哀想でも、同情も協力もできなかった。
その返答を聞いて、彼女はまたイオの隣に座った。
「最初から期待してないよ。安心してね」
一言だけ呟いた後、しばらくしてから立ち上がった。
まるで何かを決心したかのように。
「ま、待って! どうやって捜査をすり抜けたんですか? それだけでも教えてください!」
「教えないよ。意味ないから。と言うか、引き止めるくらいなら、いっそのこと思い切り殺して欲しいな。どうせ始末されちゃうんだし」
イオは慌てて立ち上がり、ブラキウムの手を掴もうとした……が、もう遅かった。
二人を分かつように影が集まり、その影が晴れた頃にはブラキウムの姿は消えていた。
「はあ……俺はどうすれば良いんだよ……」
彼は地面にへたり込み、頭を抱えたのだった。




