19話 希望は闇に包まれた
目覚めは思ったより早かった。
しかし、体の痛みが引いた頃には、既に黒い靄に取り囲まれていたが。
イオは、予想通り一度死んでしまったようだ。
必死に忘れようとしていた、あの林での出来事がフラッシュバックしてしまいそうだった。
地面の上にいる。ここは寮舎裏だ。
「はぁっ、はぁっ……!」
イオは朦朧とする意識を振り切り、靄から逃げるべく一心不乱に足を動かした。全速力で駆け出した。
それでも、靄のスピードには敵わず、足を絡め取られて転ばされてしまったが。もう逃げ切られる可能性は、ほぼゼロに等しいと思った方がいいだろう。
彼は何とか靄を振り払おうとするが、水をかいているような感覚がして、全く効果を感じられなかった。手足に錘を付けられているようだった。
だから、立ち上がって逃げようとすると、強靭な鎖のように強く締め付けてくるのだ。
厄介極まりない。
「誰か……ぅ、んーっ!」
靄はすぐさま口を塞ぎに来た。ゆっくりと、イオの全身を包むようにして飲み込んでいった。
二度の死から蘇ったイオには『自分は死なない』という確信があったが、それでも十分に怖かった。
靄に飲み込まれる感覚が、水に溺れるそれと近かった。だから、本能的に怖くなった。
足掻いても、何かに捕まろうとしても、それを拒否される絶望感がイオの心を蝕んでいった。
「んぁっ! んーがっ!」
だが、諦められない。
あくまでイオの最終目標は元の世界への帰還だ。まだ異世界生活は始まったばかり。
こんな有象無象に命の灯火を消されるようでは、悔やんでも悔やみ切れない。
イオは、自分の心がどれだけ暗い靄に侵食されても、誰かに殺される未来を受け入れることを許さなかった。
そのまま必死に靄の中で足掻いていると、何かに触れる感覚があった。
これは土だ。柔らかい土の感触だ。
指先だけが靄の外にたどり着き、地面に触れることに成功したのだ。
イオは少しだけ希望を持った。
爪で地面を引っ掻き、この暗い海から出られるのではないかと考えた。
しかし、それも叶わなかった。
いくら引っ掻いても、靄に捕まった体は言うことを聞いてはくれなかった。体がグルングルンと回転し、肝心の動きができなかったのだ。
(クソが……っ!)
無性にイライラしてきた。
なぜ靄はイオを捕まえるのか、それが気になってしょうがなかった。
何かしらの方法でイオの不死の力を知った人間が、私欲のために暴走したのがオチだろう。それ以外に、襲われる動機が見つからない。何も悪いことはしていないはずだ。
不死の能力が欲しいが故に、簡単に命を狙ってくる輩のことを想像して、イオは行き場のない怒りを覚えた。
私利私欲の為なら、他人を死の深淵に突き落とせる最低最悪の人間の顔を想像して、吐き気を催した。
しかし、そんな激情も、この靄の中では全て受け流されてしまう。
まるで『はいはい、分かったから』と、少しも分かっていない癖に、その場を収めるために取り繕う奴に出会ったみたいだった。
だから、彼は人生最大の憤怒の情を、どうしようもなく地面にぶつけたのだった。
(ふざけんなっ! 絶対に逃げてやる……っ!)
その時、何が指先から出て行くのを感じた。それを感じ取る暇もなかったが。
(何だ……この感覚…………っ!?)
イオは次の瞬間、轟音に耳を塞いだ。
なぜか地面がドンドン膨れ上がり、靄を吹き飛ばす勢いで爆発したからだ。本当に爆発した。かなりうるさかった。
彼は予想だにしなかった幸運に、思わず口の端が釣り上げた。これはチャンスだ。
爆発音と共に舞い上がった土が、そこら中に撒き散らされ、ようやく事態に気付いた職員たちが駆け付けてくれたのだった。
「大丈夫かい!? 怪我はしてないかい!?」
「は、はい……ごほっ、ごほっ!」
「早く療養室へ行きましょう! さあ、腕を支えにしていいから!」
寮舎表から、ゾロゾロと魔法使いが集まってきた。
イオは一組の男女に介護されつつ、療養室へ戻ったのだった。
流石にこれだけの人数に恐れをなしたのか、靄は跡形もなく消えてしまっていた。
と言うか、療養室に運ばれるのはこれで何度目だろうか。もう専用ベッドを作ってもらった方が良いのではなかろうか。
それから、数十分後。
イオはアークトゥルスと話し込んでいた。
「はあ、困ったことになったのう……」
「あはは……俺は一ヶ月間無事に生きられるんですかね……」
念のため、二人以外は誰も療養室に入れないようにしてあった。イオを殺そうとした犯人が、管理局に紛れ込んでいる可能性があったからだ。
「君が見たのは、恐らく闇魔法じゃ。術者が近くにおったに違いない」
「近くに!? この魔法管理局にですか!?」
「ああ、先ほど精霊使いから情報をもらったのじゃが……君が襲われた時間帯は職員しか敷地内におらんかった」
「間違いないんですか? その、精霊……?」
「『目』の精霊を持った我が子が本部におるんじゃ。ほぼ間違いない。少しだけなら未来や過去を見られる」
「……それじゃあ、俺が襲われた時に怪しい動きをしていた人が犯人ですよね? 精霊の力で見通せるなら話は早くないですか?」
「そこが厄介でのう……儂も耳を疑ったわい」
「…………」
「整理するとな、被疑者は儂を含んだリブラ魔法管理局地方支部の全員なのだが、あの時間帯に怪しい動きをしている者はおらんかったそうじゃ」
「えぇ……」
てっきり、事件はすぐに解決すると思っていた。
しかし、想像以上の事態になりそうだ。
「イオ君、我々は君を召喚装置で呼んだから、君を元の世界に無事に帰してやる義務があると思っとる。だから、我々は犯人の捕縛に尽力するつもりじゃ」
「た、頼みましたよ……」
何が何だか意味不明だが、とりあえず管理局で一番偉い人は仲間になってくれるらしかった。




