18話 意志は固く、岩の様
風邪を引いた時、イオの両親は決まって靴下を履かせようとした。目的は一つ、体を温めるため。
しかし、イオはそれがどうしても嫌だった。脚に張り付くようなごわごわ感が、布団の中で更に増長されてしまうからだ。あの不快感は何よりも酷い。
あれじゃ、まともに眠れやしない。
「くしゅん」
どれだけ寒くても、必要最低限の服しか身に纏わない彼のことを、世間は馬鹿と呼ぶのだろう。
しかし、ここには譲れないプライドがあるのだ。
彼はいつもそうだ。
ゲームに登場するレアキャラを捕まえるために、わざわざ夜通し起きていたことがあった。
学校で逆上がりが一人だけできなくて、放課後にずっと練習をしていたこともあった。
本人に努力をしているつもりはない。
ただ、どんなことでも一度決めたら、堅牢な鋼のように曲がることを知らない、頑固で聞き分けのない人間に変身してしまうのだ。
簡単に言うなら、イオは変なヤツだ。
変なヤツだから、薄着でベッドの布団に包まっていたのだ。
◆◆◆
療養室で休んだ後、次の朝から仕事に駆り出された。イオは欠勤続きだったので、これからじっくり搾り取られることになるだろう。
しかし、なぜか嫌な気分はしなかった。
彼の中の日本人の遺伝子が働け、働け、と言っていたからだろうか。
「おはよう、シロン」
「おはよう……何か顔が変だよ」
「いつも変だから問題なし。さあ、一ヶ月間しっかり働かせてもらうぜ」
「おおー、やる気満々だね」
朝の管理局の廊下にて。
シロンに容姿をイジられた。これは出会い頭に皮肉を言った訳ではなく、単純にイオの心配をしただけだろう。
しかし、彼はそれを皮肉と捉えられるまでに回復していた。こんな時、あの最悪な記憶が、嫌でも彼の脳裏にちらついてしまうのだった。
「まあ、慣れればいいさ」
イオは自分にそう言い聞かせた。
もちろん、無理をして働く気は更々ない。自分の体を壊してまで何かに尽くせるほど、彼は優しくないのだから。
そんな彼の静かな決意の後、シロンが仕事について説明を始めた。
「主な仕事は、書類運びと倉庫整理だから……簡単でしょ?」
「はっ! 楽勝だな!」
好条件だ。体を動かすだけなら、気も紛れて一石二鳥だ。ここで働きまくって、元の世界へ戻るための扉を開いてやる。
それから、二人で仕事場まで移動したのだった。
◆◆◆
イオは、意気揚々と書類の山に飛び付いた。
魔法管理局ということもあってか、色々なことが書類には記されていた。魔法に関する事件や事故が、詳細に綴られたものが主だった。
……今更だが、イオのような部外者に作業をさせて平気なのだろうか、この機関は。
「イオ君、書類の内容を喋ったら……分かるよね?」
「ひぃ……よく分かっております」
これは、彼女なりの冗談だと信じたい。
しかし考えてみたのだが、魔法で殺害された場合は証拠は残るのだろうか。
例として、こっそりシロンに焼かれた場合、満足に捜査を行えるだけの能力はあるのか。
何だか、考えれば考えるほど不安になってきた。沼に足を突っ込んでるみたいだ。
「な、なぁ……魔法で事件を起こされたら、ちゃんと捜査できるのか?」
「大丈夫だよ。専門の能力を持った人がいるから、あんまり気にしなくていいよ。逮捕率十割だし」
逮捕率十割とはちょっとばかし聞こえが良いが、いささか質が伴っているのか不安だ。
これ絶対誤認逮捕とかあるだろ。
「あー、信じてない顔してるー」
「普通信じねぇだろ……」
「だーかーらー、そういう能力があるの。絵本を読んだ時に言わなかったっけ?」
絵本とは、図書館で読み聞かせてもらったあの本のことだろう。
しかし、それが捜査と何の関係があるのか。
イオは少しだけ気になった。
「特別な力で、遠くの場所を見ることができる人がいるの」
「いつも監視してるってことか?」
「まあ、そんな感じ。イオ君も気を付けてね。悪いことしちゃだめだからね」
「する訳ねぇだろ。仕事だ仕事」
いつも監視している、というのは、流石に言い過ぎじゃないかと疑っている。
だって、それでは皆の私生活がソイツに筒抜けではないか。それを人々が許すはずがないだろう。
しかし、順当に考えてみれば、きっとファンタジー世界にありがちな、未来予知や千里眼などを持った人間がいるのだろう。羨ましい限りだ。
やりたい放題ではないか。イオならそうする。
「あ、他にも魔法の匂いを嗅ぎ分けられる人もいるよ」
「色々いるんだな。たった五種類の魔法しか存在しないのに」
駄弁りながらも、イオは仕事をこなしていった。自身の能力のおかげか、疲れは一切感じなかった。
だから、達成感もあまり感じなかった。ひたすら画面のキャラを操作してる気分で、何か物足りない。
「意外とやるね……はぁ、はぁ……」
「まあ、能力ありきだからな」
「そうだった……はぁ、はぁ……じゃあ、働いていないのと同じでは?」
「げっ……飯行こーぜ!」
「あぁっ! 待ってよ!」
滞在期間も残すところは後二十日ほど。今のペースを保てば、この先でもバテることはないだろう。むしろドンと来いという感じだ。
イオは思わぬ天恵に救われたのだった。
二人は仕事を片付けた後に、揃って食堂へ出向いた。
「イオ君これあげる、へへ」
「何だこれ……俺も野菜は好きじゃないんだよ」
「気にしないでいいよ、ボクの奢りだから」
「会話が噛み合わねぇ!」
イオは、机に並べられた料理を一通り味わった後、シロンと別れて部屋に戻った。
着替えを取りに行くためだ。これから風呂に入って、一日を締め括る予定なのだ。誰にも邪魔させはしない。
「また……アルなんとかって人がいるのかな」
インテリアが一切置かれていない無機質な部屋の端にあるクローゼットから予備の服を取り出し、部屋を後にしたイオ。
その後、特になにかあるわけでもなく入浴を終えた。今は火照った体を夜風に当て、熱を冷ましているところ。アルテルフは浴場にいなかったし、帰りにシロンやブラキウム、スコルピイと出会うこともなかった。
まあ、そんなものか。
「くしゅん……ああ、お腹痛くなってきた」
この世界の季節感はよく分からないが、元の世界は寒さが残る四月の始めであった。何となく、その頃の気候と今の気候が同じような気がした。
元の世界で過ごした夜が、今でも身近に感じられるようだった。
爽やかな夜風がおでこを撫で、熱い体を徐々に冷ましてくれる。汗なんかもいつの間にか乾いており、体調は万全の状態へ近付いて行く。
イオは気分を良くしつつ、空に視線を上げた。頭上に広がるあの星空に。
「空は元の世界のものと似てるな……もしかして、視線を戻したら、元の世界に戻ってました~……とか、ある訳ないか」
リブラ魔法管理局の職員寮には屋上へ続く階段があり、イオはそれを利用して異世界の綺麗な星空を満喫していた。
元々星に興味がある訳ではない。しかし、どこか人間を圧倒するようなプレッシャーというか、大きな魅力を星空からは感じる。不思議だ。
「星に詳しかったら、夜空を眺めるだけでも面白いんだろうな……いや、ここは異世界だから意味ないか」
空に浮かぶ星々が、元の世界と同じように散りばめられている訳がないと結論付けて、イオは心を空っぽにして星空を眺め続けた。
たまに雲が邪魔しに来るのではと危惧していたが、それも杞憂に終わった。
彼が空に向かっていた間は、一点の曇りなき快晴が続いていた。
「そろそろ戻るかなぁ……」
視線を暗い下界へ戻し、体を少しほぐしてからイオは階段の扉へ向かった。何となしにドアノブを見た。
その時――――
「っ!? 何だ……?」
イオは、驚いた時には声を押し殺すタイプだ。だから、このような場合は痙攣したように胸をひくつかせるだけに留まる。
しかし、それが大きな仇となった。
もし大きな声を上げれば、階下の職員達が直ちに駆け付けてくれただろう。この脅威から脱することができる可能性もあっただろう。
残念無念、彼に助けが来ることはなかった。
「靄……?」
墨を水に垂らしたような黒い靄が、屋上の隅の扉の前に佇んでいた。
いや、それだけなら敵意は感じないのだが、驚くべきことに、ソレはゆっくりとイオの方に近付いてきたのだった。
正体不明の黒い靄。怖くないはずがない。
「おいっ! 何だよ!? 来るなっ!」
敵意がないなら、それをはっきりと相手に示すのが最低限のマナーと言える。そうでもしなければ、恐怖に駆られた相手が暴走してしまう可能性があるからだ。
しかし、靄は何も言わず、ただイオに接近するのみ。これは最早、敵と判断しても問題はないだろう。
イオは我に返り階段へ駆け込もうとしたが、時既に遅し。階段の扉のドアノブに、その黒い靄が絡み付いており、回し開けることが不可能な状態になっていた。
退路を断絶された。逃げ場はない。
「クソっ!」
どうにかして逃げなければと考えたが、その扉以外に下へ向かう方法は一つしかない。
そう、屋上から地面へ飛び降りることだ。これは現実的な方法ではないが、何か危害を加えられるより余程マシな選択肢に違いなかった。
職員寮はかなり大きく、階数は四階分にもなるが、靄から逃げるためには致し方ない。
と言うか、イオの能力を利用すればそんなこと容易い。デメリットなしで逃げられるはずだ。
「う……っ」
しかし、地面を見下ろした途端、足が固まった。
イオは能力で一度生き返ったとは言え、それをもう一度実現させることは望ましくない。だって、痛いのは嫌なんだから。
彼も、それ以外の人間もそのはず。痛いのが怖くない人なんていない。
だが、やるしかない。
靄は容赦なくイオに迫って来る。黒い触手を顕現させ、彼を絡め取ろうとしてくる。
もしソレ捕まれば、後のことは保証できない。
最悪の話だが、体をグチャグチャに捻り潰されて、二度と再生ができなくなるかもしれない。
本当に死ぬかもしれない。
「何で……何で俺がこんな目に……っ!」
アイツに捕まるよりマシだ。そう思うと体が軽くなった、というのは真っ赤な嘘だ。
どんな理由があれど、自ら命を投げ捨てるのに前向きになれる人間はいない。
そして、イオも立派な人間だ。
死ぬことは、何よりも恐れるべきことだと認知している。ここから飛び降りることが一番マシな選択だと思っている。
とまあ、そんなことを考えている間にも靄は勢力を拡大しており、屋上のほとんどを埋め尽くさんとしていた。
もう時間はない。
「っ、うぅぁあああっ!!!」
だから、思い切り叫んで、耳を撫でる嫌な風の音が聞こえないようにした。
固く瞼を閉じて、迫りくる地面に気付かないようにした。
必死に体を丸めて、自分を守ろうとした。
黒い触手が背中を掠めた気がしたが、まあ、とりあえず逃げられて良か――――




