13話 血は水、命は川の如く
「すまんの、年寄りの話に付き合わせてしまって」
「い、いえ……」
アークトゥルスは自分の白い髭を撫でながら、そう小さく言った。
イオは、たった今魔法についてレクチャーを受けたところだ。その内容はイオにとって新鮮であり、簡単に飽きないかと思われたが、何しろ時間が長くて堪らなかった。
それに老人特有の遅い話し方も相まって、レクチャーの内容は退屈を極めたのだった。
「――それで、俺の体は一体どうしたんですか? やっぱり変なんですかね?」
「否定はせん。じゃがな、星の数ほど生まれてくる人間の中に、先天的に失伝魔法を使える者がおっても何ら不思議ではないことは伝えておこう……前例はないがね。それにしても厄介じゃの……」
「…………」
これまでと変わらずに扱ってもらえるらしい。イオは彼の口振りからそう判断して一安心した。
どうやらアークトゥルスは寛容な人物のようで、彼が不安に感じていた問題点を全て聞き入れてくれたのだった。
本当にありがたいことだし、ここは目の前の権力者に大人しく従うのが吉だろう。イオは利口な態度をとることを努めた。
「君には失伝魔法の失伝魔法たる所以を話しておかねばならん」
「そうですか。聞かせていただきます」
「畏まらんでよろし。それは遠い昔の話じゃ――」
アークトゥルスは瞼を閉じ、まるで亡き親族に思いを馳せるように語り始めた。
今から千年以上前、混沌を極めた戦乱の世にとある魔法使いがいた。彼は戦争を一人で止めて見せた、いわば英雄だった。
当時は魔法を使える人間は一人しかいなかった。
しかし、そんな希少な存在が世間一般に知られたのは英雄としての功績があってのことだった。
英雄たる魔法使いは行いを称賛され、国の首領から美女と財産を与えられ、裕福な暮らしを約束されたのだった。
その後、魔法使いは子供を作り、その才能を血によって継がせ、財産を削り孤児院を建てた。
英雄の余生は幸せそのものだった。
しかし、ある日を境にそれは悪夢へ変貌を遂げたのだった。
ある日、魔法使いが家に帰ったところ、自分の妻と子供が殺害されているのを見つけたのだ。すぐに彼は犯人を探し始めた、それも眼に血を滾らせて。
それから怪しい者は彼の魔法で容赦なく、そして例外なく殺された。
国民らは彼を止めるよう国に嘆願したが、国は彼の功績を重んじて見て見ぬふりをした。
しかし、これはただの言い訳に過ぎなかった。
何を隠そう、当時の軍事力では彼を殺せなかったのだ。どうにもならないことを王は悟っていた。
その後も彼は殺し続けた。
泣きついてきた遺族も殺した。
彼に抗議しに行った国民も殺した。
挙げ句の果てに、この事件を防げなかった国軍の兵士たちも一人残らず殺した。
国は血で溢れたのだった。
遂にその状況を看過できなくなった近隣諸国が、彼を殺すため連合軍を総動員した。彼はそこでようやく命を落とし、この事件は終結した――と思われた。
その魔法使いが過去に建てた孤児院で、怪奇現象が次々と起きていることに気付いたのは討伐作戦終了から数日後のことだった。
信じがたいことに、孤児たちの中に魔法を操る者が現れたのだ。国は歴史が繰り返されることを恐れ、孤児達を鏖殺することを試みたが、そこで何人か取り逃してしまった。
原始の魔法使いは火、水、木、土、風、光、闇の七つの属性を操っていたのだが、国は何十年もの歳月をかけて、木と土の魔法を操る者しか根絶できなかったのだった。
やがて魔法使いは世界中に広がった。
「――と、一般にはこのように伝えられておる」
「複雑な歴史があるんですね」
「昔は魔法使いの人権はあってないようなものじゃったらしい。儂らがこんな風に生活ができるのも、つい最近の話という訳じゃ」
イオは自分の顎に手を当てた。
「話を聞く限り、確かに俺は怪しいですね……」
「珍しいだけじゃ。もう気にするな」
「でも――」
「案ずるな……いいか、儂と約束をしなさい」
「約束?」
「うむ、約束じゃ。この世界には君の力を羨ましく思う輩がおる。力を無闇やたらに振るえば、君の能力が白日の下に晒されるのも時間の問題じゃ。
この事はシロン君と儂、そして君しか知らん。じゃから外ではくれぐれも魔法は使わんように。
儂と約束できるか? 君が無事に元の世界へ帰るためじゃ」
「……は、はい! 約束を守ってみせます!」
「良かろう。では、シロン君と共に仕事に励みなさい。期待しておるぞ」
アークトゥルスの気遣いには感謝しなければならないが、イオはあまりの感激に礼をすることも忘れてしまった。
ベッドの上で彼の背中を見送ることしかできなかったのだった。
確かに言われてみれば、傷が治る能力はイオにとって都合が良いし、それは周囲の人間も同じはずだった。
シロンの傷が治ってしまった事例を思い返せば、悪用される可能性を容易に想像できる。
イオは自分の足を眺めながら、自分の能力の危険性について考えていた。
そんな時、彼の暗い思考を吹き飛ばすような、元気で明るい声がかけられたのだった。
顔を上げて見れば、そこには金髪紅眼の美少女が佇んでいた。窓から差す日光を浴びる彼女を見て、彼は自身の心が落ち着きを取り戻すのを感じた。
「具合はどう?」
「ばっちりだ。それこそ不自然なくらいにな」
「ふふっ……じゃあ一緒に行こうよ。君には働いてもらうからね」
シロンが分かりやすく気遣うので、イオは拍子抜けした。出会ってからの期間が短いなりに信頼はあると思っていたのに。
彼は、てっきりシロンが軽口を叩いてくるものだと予想していたのだが、現実は全くの逆だった。
「ごめんな。ナイフなんか持って変なことして」
「……あのさ、そうやって簡単に謝るけどね! こっちは結構怖かったんだからね!」
「はははっ、本当にごめんな。頑張って働くから許してくれ」
イオは精一杯謝ってみたが、彼女を怖がらせてしまったことへの罪悪感は消えなかった。どうしてもそれが心の靄になって、彼の思考を阻害してきた。
そうやって、心と格闘しながら案内された先は管理局の仕事場ではなかった。
起き上がったばかりのイオは、自身の腰を叩きながら目を見開いた。
「ここって図書館だよな? 仕事って本の整理か?」
「いいや、病み上がりのイオ君を働かせるのは酷だし、ボクの独断でズル休みをさせようかなって……」
「は!? 怒られたらどうするんだ!?」
「その時はボクが理由をつけるから。ゆっくり気を休めてよ……君は自分が思ってるよりショックを受けてるはずだから、ね?」
「……お、おう」
気を休めて、と言われても無理な話だ。
元の世界に帰るまでの滞在権を得る代わりに頑張って働くと決めたのに、ズル休みとなると気分が落ち着かない。罪悪感の上塗りだ。
それに図書館と言っても、置いてあるのはイオが読めない言葉で書かれた本だけだ。どこを見ても日本語の片鱗すらない。
イオの時間を潰せるのは絵本か図鑑くらいだけ。
そうして広い図書館の中で、本棚の前に呆然と立ち尽くしていると、シロンから声をかけられた。
「何となくでいいから読みたい本を選んでよ。ボクが読み聞かせてあげるから」
シロンはその年齢にふさわしくない、イタズラっぽい笑みを浮かべてそう言った。
しばらく彼女の顔から目を離せなかったが、何とか本棚に向き直ってから適当な本を手に取った。
彼女はその本の表紙を覗き込んで呟いた。
「タイトルは『善と悪の神様』だよ。読むの?」
「ああ、表紙の絵が気に入った。カッコいいし」
シロンは屈んだ姿勢のまま、イオの方に顔を向けて尋ねた。
特に断る理由も無かったので、彼は静かにうなずいた後に席に着いたのだった。




