8話 人生で最も明るい日
そこには太陽があった。
眩しくて大きな太陽。
「…………」
しかし、見ることしかできない、触れることも感じることも許されない太陽。
イオはそれを見る度に思い出す。
「……なあ」
自分がやらなければならなかったこと。
それに賭けた思い。
「……シロン」
今でもあの日が、人生で最も明るかった日だと信じている。
あの、焼けるように暑かった日。
◆◆◆
管理局東側の廊下。
そこを一人の少年が早歩きで駆け抜けた。
(俺が記憶喪失? 未だに信じられない)
イオは焦る心臓を抑え込んで、自分の影から逃げるように歩き続けていた。
と言うのも、先程メルガから語られた大変信じがたい事実が彼をそうさせていたのだ。
イオの記憶が抜け落ちているという、中々に信じがたい事実。
「でも、ここに来た時の記憶は確かにない……」
今のイオにとって、この世界で初めて見たものは療養室の天井だ。色鮮やかな異世界の町並みでも、美少女の可愛らしい顔でもない。
白く無機質な天井なのだ。
「――誰かに聞くか? いや……」
シロンなどに直接聞いて真偽を確かめるのが手っ取り早いのだが、何となく気が引ける。
やはり彼が気にしているのは、イオの記憶喪失について誰も言及しなかった点だ。もし彼が精霊を受け継いだ時に、そのショックで記憶を失ったなら、誰かがその過去を伝えてくれるはずだ。
しかし、現実はそうではなかった。
誰一人として、それこそ一番の親友であるシロンでさえ語ってくれなかった。彼女が知らないなんてことはないはずだし、他の人も同じはず。
皆が知っているはずだ、だって精霊に関係しているんだから。この世界に一体しかいない『耳』を、何故かイオが持っていたんだ。逆に知らない訳がないだろう。
そうだ、騙したのだ。
メルガでさえ知っていたのに、皆はこうなるまで言わなかった。
「何だよぉ……っ! やけに馴れ馴れしいと思ったらそういうカラクリかっ!」
思い出したのは、彼と異世界人の最初の会話。
当時のシロンはイオと積極的にコミュニケーションを取ろうとしてきた。てっきり異世界召喚後特有の謎のモテ期だと勘違いしていたが、今となってはバカらしい。
思い返してみれば、記憶喪失になる以前のイオに話し掛けていただけじゃないか。
今のイオに惚れていた訳ではない。
「ひでぇ話だ……会うのも億劫になる……」
今まで通りシロンと会話できる自信がない。もう会話は噛み合わないだろう。
だって、イオはシロンに精一杯話し掛けているつもりでも、相手は記憶を失う前の自分を見てくる。
そんな状況で、彼は平静を装えるほど演技派な男でもない。
「シリウスの所に行こう……」
こうなったら頼れるのはシリウスだけ。なぜなら彼女はシロンと違って以前のイオを知らないから。
だから、普通に接することができるはずだ。幸いにも彼女の居場所は把握している。
確か『火星』の名を冠する男と一緒に、中庭で火魔法の特訓をしているはずだ。彼女が魔法留学の一環で訓練に励むことは事前に聞いていたのだが、まさかそんな高位の人物が指導に来るとは思っていなかった。
きっとシリウスの能力に対する評判は、国内外で並々ならぬものなのだろう。そこにイオが割り込むのは若干気が引けた。
「……まあ、邪魔にならない程度ならいいか」
疲弊した心を抱えながら、彼は長い長い廊下を歩いて行くのだった。
いつもより目的地が遠く思えたのは、きっと気のせいだろう。




