11話 土の下、奥深く
こんなに高い場所から落ちたことはないし、落ちたらそれが最期だ。確実に息の根を止められる。
しかし、いつまで経ってもイオの意識が消えることがなかった。
彼は死後の世界を信じないタイプの人間だが、今だけはその存在を信じてしまいそうになる。
目を閉じたまま、慎重に自身の体の様子を確認して、腕の中に眠る華奢な美少女の無事を願い、ゆっくりと目を開いた。
「シロン……おい、起きろ……大丈夫か?」
「ん、あぁ……なんとか」
二人は起き上がって、目一杯背伸びをした。どうやら体に異常はない模様。歩いたり跳ねたり、基本的な動作に支障はない。
しかし、それこそが異常である。
なぜなら、二人はあんなに高い崖から飛び降りたのだ。どう転がっても無事で済むはずがない。
「シロンの魔法に助けられた感じか? ありがとな」
「ボクは君に思いっきり締め付けられて、全然魔法が撃てなかったんだけど?」
「そ、そうなのか? すまん」
「……なんでボクたちは無事なんだろうね」
「つ、ついに俺のチートスキルが……!」
「そんなのあり得ないってば」
二人がこの異常の原因を推測していると、上から岩が軋むような音が聞こえてきた。その方向に顔を向けて見ると、なんと駆除対象であるウミウシ変異種がヒレを崖にピッタリと密着させて、ゆっくりとこちらへ下って来ているではないか。
どこまでも獲物を諦められない、そんな危険な野性が剥き出しなって、二人を追いかけて来た。
「まだ追って来てるの!?」
「クソっ! シロン、急ぐぞ!」
崖下も崖上とあまり変わらない植生になっており、林がどこまでも広がっている。これは、ヤツにとって都合が良い場所だ。だから、一刻も早くこの林を脱出しなければならない。
イオは息を切らしながら、シロンに必死についていった。
しばらくしてから、駆除対象の姿が見えなくなったので、二人は走るのを止めて、体力を温存することに努めた。
ここで厄介なのは、今の二人の空腹状態だ。すでに時は経ち、太陽は高く昇っている。体力の限界は近い。
「それで、帰り道は分かってるのか?」
「なんとなく……ね」
「そうか、良かった」
「……話変わるんだけど」
「ん?」
「さっき無事だった理由って、君が魔法を無意識の内に使ったからじゃない?」
「そうか? やっぱりチートス――――」
「そうじゃなくて……君の適性魔法は風とかじゃないかな、って」
「風か……俺とシロンを風で持ち上げたのかなぁ」
「たぶんそうだと思う」
「俺は魔法使いじゃないから分からないんだが、シロンがそう思うなら、たぶんそうなんだろうな」
どうやらイオの中に眠る魔法の才で助かった、という漠然とした解答に落ち着いた。逆に言うと、それ以外考えられないのだが。
イオにとって風魔法の印象は悪くない。風に華麗に乗って、敵を不可視の斬撃でなぎ倒す。そんな颯爽としたイメージがあるからだ。
自分もいつかそんな存在になれるのだろうかと、くだらない妄想をした。
「いや、やっぱりおかしいぞ。風魔法で突風を起こしたら、もっと砂が散乱してたりとか、地面が少し抉れてたりしても良いと思うんだが」
「そうなんだよね。考えれば考えるほど、訳が分からなくなっちゃう――――静かに」
シロンは突然注意を促した。イオの脳裏には、すぐに悪寒の再来が連想された。
気付いてみれば、林が不気味な静けさに囚われていた。彼は顔を跳ね上げるように上に向かせ、枝葉の隙間に視線を掻い潜らせる。
しかし、あの黒い巨体はどこにも見当たらない。
では、一体どこに――――
「シロン、次はもしかしたら――――」
そう言い終わる直前、地面が異常に膨れ上がり、土煙をあげて爆発した。爆発の原因は確認するまでも無い。
イオは寸前で巨体の猛進を回避し、シロンはそれにすぐに気付いて、素早く爆心から飛び退いた。
「相手の死角に潜るなら上か下……ゴホゴホっ!」
「大丈夫!?」
「ああ、何とかな!」
イオとシロンは土煙を纏った巨影に分断される形になった。
あの黒い悪魔が地面の下からやって来たのだ。
しかし、ここまで来たら逃げられない。どうにかして立ち向かい、どうにかして勝たなければならない。
土煙が地面に沈着し、その姿が木漏れ日の下に露になる。
何度見ても慣れない姿で、神が創世の際に手を滑らせたとしか思えないくらい、禍々しくおぞましい造形をしている。
顔はイオの方を向き、肝心の尻はシロンの方を向いていた。
見方によっては、これは大きなチャンスになるだろう。
「キキッ! キキッ!」
鳴き声は悪魔の笑い声みたいだ。喉のどこを使えば、そんな音が出せるのか甚だ疑問だ。
今すぐ、それ以上鳴けないようにしてやりたいと思えるほどに耳障り。
そんな声を聞き届け、イオは彼女に合図を出した。
「シロン! 思いっ切りかませ!」
「――――う、りゃぁぁぁぁあ!!!!」
その合図と同時に、イオはそこから逃げ出し、シロンが放出した爆炎が、そこら一帯を黒の塊ごと飲み込み、真っ赤に染め上げた。
しかし、炎に怯みながらも、駆除対象はゆっくりとシロンの方に向き直る。
そして、彼女を補食せんと飛びかかり――――
「弱点が見えてるよ! くらえっ!」
「キッキ!?」
光に炎を纏わせたシロンの渾身の一撃が、露出した駆除対象の口に飛び込み、炸裂した。
死を覚悟しなければ放てない最強の切り札が、ヤツの口内を熱でどろどろに溶かし大ダメージを負わせたのだった。
流石にこれは堪えたようで、駆除対象もその場でじたばたと跳ね回っている。
そして、そこに――――
「おらぁっ! 腸内検査だ!」
「キッ!?」
イオがダッシュで駆け戻り、木の枝を駆除対象の肛門らしき部位に挿入した。
それだけではなく、枝をグリグリと捻り、内臓を破り裂いた。ようやく露出部位から直接的なダメージを与えることに成功したのだ。
棒を勢い良く引き抜くと、穴から体液と内臓の欠片が混ざった、汚い液体が吹き出してきた。
イオはそれに反応できず、もろに浴びてしまう。
「うおっ!?」
「イオ君、今すぐその液体を拭き取って!」
どうやらヤツの体液は危険なものらしく、すぐにシロンから警告をもらった。
イオの体に異変が起きたのは、それを浴びたすぐ後のことだった。突然皮膚がピリピリと痺れ、ひきつり始めたのだ。
イオが必死になって液体を拭き取ろうとするが、痛みは引くことを知らない。拭こうとして液体を拡げてしまい、また拭こうとして皮膚が裂けてしまった。
イオは痛みに耐えかねて体を捩らせて、駆除対象と同じように地面に倒れ込んだ。
「イオ君、しっかりして! 起きて!」
急にシロンに体を抱き上げられて、イオは心の隅で驚いた。どうやら水辺まで行き、液体を洗い流す算段らしい。
なぜ優しくしてくれるのだろう。なぜ必死になってくれるのだろう。何の価値も無い自分を助けて、得することは何もない。このまま死んでも誰も悲しまない。
それなのに、彼女は助けようと頑張っている。
不意にイオはとある感情に目覚めた。今までに感じたことのない、生暖かくてむず痒い感情に。
イオは消え行く意識の中で、その感情の正体を掴むのに躍起になった。しかし、答えにはなかなか辿り着けない。
それにしても、シロンの力には驚くばかりだ。どれだけ鍛えたら、自分より身長が高い人間を、軽々と抱えられるのだろうか。
そんな現実逃避の思考にはまったのを最後に、イオの意識は完全に途絶えた。
これは確実に死んだ、イオはそう思ったのだった。
◆◆◆
「――――きて……起きて…………」
「……? ああ……何だ?」
「うわ、本当に起きた!?」
「耳元で叫ぶな。ってか、あのまま死ねるかよ……シロンが助けてくれたのか?」
「そ、そうだけど」
意識が覚醒する瞬間は、自分では全く想像がつかない。ただ、目覚めた時に改めて自覚するだけだ。ああ、今まで自分は寝ていたのだと。
イオは瞼をゆっくりと開き、椅子に座っていたシロンを見た。照明灯が眩しかったので、目を細めつつ。
それから、周囲を見渡した。
どうやらここは管理局の中のどこかで、今は夕方らしい。窓からオレンジの日差しが差し込んでいた。
そして、シロンの顔からは疲れが見える。どうやら長く引き留めてしまっていたらしい。
自分の体に視線をやってみる。
見てみると、ヤツの体液による裂傷は綺麗に治っていた。
そこからシロンの尽力の結果が見てとれた。
「どのくらい治療に付き合わせてたんだ? 本当に、感謝してもしきれない」
「ああ、そのことなんだけどね……皆で話し合ってるんだ。ボクはイオ君が心配で残ってたんだけどね」
「…………」
イオは何となく感じた。きっと治療費を免除してもらえる代わりに、厳しく働かされるのだろうと。
しかし、彼に覚悟は備わっている。あのまま死ぬところだったのを、わざわざ助けてもらったのだ。
むしろ、何か恩返しが出来ないか脳内で検討しているところ。
傷が綺麗に治ったのは、大方魔法の力によるものだろう。傷痕が一生消えなかったらどうしようと、悩む必要もなくなった。
この感謝は山より高く、海より深いことに違いない。
イオは覚悟を決めて、シロンの話に耳を傾けた。
「まず説明すると……イオ君の体がものすごい勢いで治ったんだ。ボクが水辺でイオ君の体を洗う頃には、すっかり傷がなくなってて……あと、ボクが間違って駆除対象の体液に触れて怪我をしたんだけど、それもすぐに治っちゃたの」
「ん?」
予想と関係ない話を聞かされ、彼は拍子抜けした。一体全体、それは誰の話なのだろうか。
しばらくして、自分の話をしているのだと気付いた。
しかし、内容が頭に入ってこない。理解が現実に追い付いていない。
「ふん……つまり?」
「イオ君の魔法適性が少し怪しいの」
分かったつもりになって内容を掘り下げるも、更に分からなくなってしまった。
魔法適性が怪しいとはどういうことなのか。
イオの知らぬ間に、禁忌の魔術を極めていたということだろうか。
「まず魔法について話さないと……だよね?」
「おう、そうだな」
「魔法属性は全部で7種類あって、1つも使えない人だっているし、幾つも操る人だっている。
でも、その内の2つは大昔に失われているんだ。誰もその血を有していないから、誰にも再現できないの。
ここで問題になったのは、君が使ったと思われてる魔法が、その失伝魔法だったって事なの」
「……よく分からん」
「じゃあ、ずばり聞くけどさ」
イオは咄嗟に恐怖を感じた。ここで、その質問を聞けばもう戻れないと。
何か嫌な予感を、本能的に感じ取った。それに触れてはならないと、心の底から思った。
しかし、シロンが待ってくれるはずもなく、彼に無遠慮に質問をしたのだった。
「君は、どこから来た誰なの?」




