1話 祀られた星
偉大なる二体の精霊を逃したことで、世界情勢に変化が生じた。
水面に起きた波紋の如く、悪党がゾロゾロと気持ち悪く動き出した。
リブラの隣国にあたるヴァーゴと、大陸西部に位置するスコーピオが密接な同盟関係にあるのは周知の事実である。
たった数年前までは、互いに高い軍事力と豊かな生産力を誇っており、国同士が一刻も早い発展を賭けて競い合っていた。
しかし、ある日を境にスコーピオに新たな王が誕生したのだった。たいへん不自然な運びで、近隣国家は揃って前王の暗殺を疑ったのだが、スコーピオに新たなパイプが組まれたことを知った途端、何も言わなくなってしまった。
つまり、そこにある圧倒的な「何か」に無理に黙らされたのだ。
それからは、スコーピオとヴァーゴの二カ国は良好な関係を保っている。
まるで家族のように。
◆◆◆
「――あのー、新聞のコレ、何て書いてあるんですかね? まだ字を読めなくて」
「あぁ、これだね! これはお祭りだよ!」
(声うるさ……いつもこうなのか……?)
イオは手に持っていた新聞をパタパタと鳴らし、ソファの後ろを通り過ぎようとした女性に代わりに呼んでもらおうとするのだった。
彼女の言葉によると、どうやら近々ヴァーゴとスコーピオと合同祭を開催するらしいと分かった。
その内容はよくあるベタなもので、王が国を行き交って互いの発展を祝うというものだった。
おそらく会場にいる客が食べ尽くせないほどの豪華な料理が、綺麗な布地に覆われた長机に乗せられて振る舞われたり、まるで宝石のように美しい女を国中から集めて、会場のド真ん中で華麗なダンスをさせたりするのだろう。
イオは想像を膨らませながら、鼓膜を突き破ってくるような声に耳を傾けていた。優しく音読してくれている彼女の名前はスコルピイとか言うらしいが、失われた記憶の中で会ったことがあるっぽい。
その証拠に、さっき試しに声を掛けた訳だが、やけに親しく付き合ってくれているし、こうしている間もイオの顔をチラチラと見ている。
彼の方は覚えていないが、前に会ったことがあるのではないだろうか。それとも考え過ぎか。
合同で行われる豊穣祭の話に戻るが、新聞の表紙の隅っこに「開始は一週間後」と書いてあるらしかった。
字が読めないと面倒なものだ。
「――俺も行ってみたいな」
「それは無理かも! その日は仕事だから!」
「うっ……現実に引き戻さないで……」
「はいはい、甘えてないで仕事だよ! 朝休みはお・わ・り!」
「ぐぁ~っ!」
読めるはずがない新聞を片手に悠々と朝の時間を満喫していたイオは、スコルピイの手によってズルズルと仕事場へ連行されたのだった。
まだ休みたかったのだが。
「そう言えば……スコルピイさん、でしたっけ? シロンのこと見かけませんでした?」
「……見なかったよ!」
「なんすか、その知ってそうで知らない反応」
また寝坊でもしているのか、とイオは考えた。
と言うのも、彼女の寝起きの悪さなら、この一ヶ月にも満たない短い共同生活の中で、本当に呆れるほど思い知らされていたのだ。
今更どうということない。
「あの、倉庫に行く前に呼んできても……? 流石に俺だけじゃ雑用の勝手も分からないので」
「そうだよね! でも、イオくんがシロンちゃんの部屋に入って大丈夫なの? 怒られない?」
「ふふっ……何を隠そう、俺たちは何度も夜を共にした仲ですから。心配ご無用ですよ」
「…………」
「何ですか、その目は」
まるで罪人を追い詰めるかのような視線を向けられたので、イオは逃げるように寮へ戻った。
もしこうなると分かっていたなら、仕事場に来る前に女子寮に寄っておけば良かった。我ながら損な立ち回りをしたものだ。
しかしまあ、このままでは仕事に遅れが生じるだろつし、イオ一人にはどうしようもない問題なので、彼は仕方なく寮に関する数少ない記憶を頼りにシロンの部屋へ向かったのだった。
ちょっと心配だったが、彼自身意外にも迷わずに目的地に辿り着くことができた。
彼は、無遠慮にも何故か少しだけ開かれていた扉を押し開け、中にいる少女を起こさないように忍び込んだのだった。
「――おーい、おは……って、起きてたのか」
「ん、おはよ」
「おはよう。仕事らしいぞ」
「そっか……もうそんな時間……」
てっきりシロンは眠っていると思ったが、彼女は予想に反して窓辺に寄りかかり外を眺めていた。
部屋に流れ込む朝の風に、彼女の揺れる金髪が美しく煌めいていた。しばらく一緒にいたので忘れかけていたが、そういえばシロンは美少女だった。
それ故に、疲れが透けて見えた。
白の中に黒があると、何とも見つけやすい。
「寝不足か? 綺麗な顔が台無しだぞ。俺が治してやるから、早く仕事場に行こうぜ」
「……うん」
どうやら彼女は既に起きていた訳ではなく、ただ眠れなかっただけらしかった。その証拠に目の下には薄いクマができていたし、肌が少しだけ荒れていた。
しかし、あえて原因を聞くことはしない。
「――暑いね」
「そうだな」
「今日はたくさん汗かくかもね」
「そうだろうな」
イオは必要以上に喋らなかったし、シロンも必要以上に会話を望まなかった。
互いに一歩引いたところから、最低限のコミュニケーションを取ろうとしていたのだった。
静けさに包まれた廊下を歩く二人。
朝日に照らされた二人の影は、薄く遠くまで伸びていた。




