10話 泥の造花
ウミウシの進む速さは、案外速い。現世の車には劣るが、自転車とは良い勝負をするのではないか。
木々の間を縫い針のようにすり抜け、イオとシロンは目的地を目指す。
「こいつらの体って乾き過ぎたら良くないよな?」
「そうそう、だから後で水辺に放してあげるの」
しばらく走り続けていると、ウミウシの体が風に晒されてカピカピになってきた。イオは少し心配になったが、目的地にはすぐに着き、ウミウシとは別れて別の道へと進んだ。
そいつらは水辺まで帰っていった。
「じゃあね~」
「じゃあな」
「ヒリヒリカッ」
何度聞いても、この鳴き声に慣れることはないだろう。耳を突くような、嫌な鳴き声だった。
巨木の前に到着して、ウミウシは左に、イオとシロンは右へ進んで行く。
それで、どうやら目標はこの先にあるらしい。イオは緊張を隠せなかった。
どうしても、先の悪魔との対峙が思い出される。
もし駆除対象が襲いかかってきたら、ここでイオを守るのは―――――
「お前ってさ、本当に強いのか?」
「もちろん。と言うか、君の魔法指南役として一緒にいる訳だし。ボクは結構強いんだよ?」
シロンは可愛らしく、そしていたずらっぽく笑ってみせた。彼女の笑顔には木漏れ日が差し、まるで太陽そのもののように見えた。
それに加え、そよ風になびく金髪は美しくしなやかで、彼女が柔らかな日光を纏っているように見えた。
「自信満々って感じか」
「君も少しは自信持ってよ。幼気なボクがウミウシに襲われたらどうするのさ」
「恐れをなして逃げる」
「うわぁ……」
「冗談だ。ウミウシをどうにか引き離して……囮くらいはやってやる」
「ふーん、そう」
「ってかさ、縁起でも無い話をするなよ。もし本当にお前がダメになったら、俺がウミウシの餌になるんだが?」
イオの法螺に対し、シロンは静かに笑った。どうやら、返答には満足したらしい。
しかし、本当にやれることはそのくらいしかない。
イオに特別な点は何も無い。
勉強も運動も平凡で、気を抜けば平凡以下に堕落する自信がある。中学の時の通知表だって、備考欄には何も書かれなかった。
ABC評価ならBで染まるし、5段階評価なら3で埋まる。色で例えるなら、白でも黒でもない、中途半端なグレー。
自分が何者かさえ理解していない。自分のやるべきことも分かっていない。だから、何かをやって見せようという気概も無い。
自分の良いところを聞かれても、口が磁石のように引っ付いて何も答えられない。
だから、目の前の美少女が少し羨ましかった。彼女の顔には暗さが無い。
いつどの瞬間を切り取ったとしても、彼女は太陽であり続けるだろう。例えるなら、彼女は眩しい光で、燃え盛る炎だ。
イオは確信した。シロンと仲良くはできるが、きっと分かり合えることは無いと。
ジェラシー、コンプレックスがこの関係にはお似合いだった。
二人は林の中を進み続けた。
今回の任務はウミウシの変異種の視察だ。最初の任務にちょうど良い、簡単なものだ。
その対象は、一度だけ林で目撃されていた。
「おかしいな……」
「ウミウシの報告は嘘じゃないのか? 何かと見間違ったんだろ」
「でも帰るわけにも・・・」
しかし、依頼に記されていたウミウシの変異種は、いつまで経っても見つからない。本当にそんなものがいるのか怪しくなってきた。
ここでイオは一旦緊張を解いた。このまま無事に帰ることができる、そう思ったからだ。
二人は周辺をうろついた後、もと来た道を引き返した。
「成果を出せなかったら、君は昼食を抜かれちゃうかもね」
「……ここで食えそうな雑草でも探すか」
「ボクも手伝おっか? すぐ隣に大きな雑草が――――」
「誰が雑草だ。ウミウシの餌にするぞ」
「ははは、ご勘弁」
シロンはまだまだ体力に余裕があるようだが、イオは既に疲弊しきっている。しかし、冗談をかます余裕だけは残してあるが。
少し歩いたところで、あの目印の巨木に戻ってきた。ウミウシと別れた所だ。
朝日は高く昇り、巨木の皺を目立たせている。そこでイオは、フィトンチッドとか呼ばれる、森林に漂う特有の異臭に気づいた。
「こういう匂いが虫を遠ざけて木を守るらしいぜ。知ってたか?」
「これが? 何か変な臭いじゃない?」
「別にそういうもの、じゃ……ん?」
「明らかに臭いよ」
フィトンチッドの匂いではなかった。いや、正確にはフィトンチッドだけではなかった。
鼻腔を刺す心地良い刺激臭に隠れ、裏で肉が腐った臭いが暴れていた。嗅ぐだけで気分が害され、脳が狂ってしまうほどの異臭。
しかし、これだけの臭いを放つのだ。原因は自ずと近くで見つかるはずだ。
突然のことにイオは気分の整理がつかない。
それでも、シロンと協力して辺りを歩き回り、臭いの原因を探した。
「おい、シロン。こっちを見てみろ」
「……うわっ」
イオが、声を潜めてシロンを呼んだ。彼女は足音を立てないように注意して、彼がいる木の下へ向かった。
屈んでいるイオの背中に手を置き、そっと覗いて見ると、ぐちゃぐちゃになったウミウシがそこらに散らばっていた。
抉られたように中身が露出しており、何者かに喰われた後だと推測される。そこから犯人も何となく想像がついてしまった。
「なぁ、変異種は共食いもするのか?」
「報告には無いよ。ただ、あれはどう見ても駆除対象による仕業だ――――注意して、離れないで」
ウミウシの移動速度は自転車と良い勝負だ、と言った。しかし、彼らが発する音は自転車の駆動音より格段に小さかったと記憶している。自転車のキリキリと鳴るチェーンの音は、ウミウシにはなかった。
周囲を常に警戒しなければ、喰われるまで数秒もかからないだろう。
そして、それは通常種の場合だけだということも留意せねばなるまい。共食いを行うかもしれない気性の荒い変異種が、通常種と大差無い運動能力で収まるものだとは到底思えない。
パワーもスピードも想像の上を行くはずだ。
「イオ君はそのまま、ゆっくり帰り道を進んで。ボクが後ろを見る。異変は常時報告するように」
「あ、あぁ……」
「念のためにボクの背中を掴んでて」
臭いで鼻が曲がりそうで、度重なるシロンの命令も合わさって混乱してしまう。
だが、気付きませんでした、では済まされない。
イオは全神経を目と耳に集中させた。足は一定の速さで音をたてずに前へ前へと動かすだけでいい。音と視界に意識を向け続けた。
しかし、こんな時こそ林の音が嫌になってくる。今は物凄く大事な時で、微かな葉音の奥に別の音を聞きたいのに、肝心な時にうまく聞き分けられないかもしれない。
それでも、二人は歩みを止めなかった。何にせよ、ここから脱出することが最優先事項なのだから。
「……っ」
「…………」
「……シロン、いいか?俺が合図をしたら、お前の後ろに、俺に向かって魔法を撃ってくれ」
「対象の居場所が分かったの?」
「いや、まだ分からない。ただ、何となくだが……対象は俺を狙ってくる気がする。こんな所に魔法を使えないヤツが、怯えながら来てるんだから。逃がしたくないはずだ」
「でも、いつ来るの? それだけでも教えて」
「――――今だっ!」
「っ!? う、うりゃぁっ!」
息を潜めて辺りを見回していたイオは、あることに気がついた。ウミウシが分泌するヌメヌメした液が、どこにもくっついていない事に。
しかも、ウミウシの死体から推測するに、口の大きさが分かり、そこから体の大きさが大体分かる。それが、かなり大きいはずなのだ。
加えて、死体から噴出した体液が対象に降りかかっているから、どこかに痕跡があるはず。
だが、そんなものは、辺りを見た限りでは存在しなかった。きっと、索敵が及ばない場所へ行ってしまったはず。
その場所こそが、この林に乱立する木の枝の上だと推測した。
そして、イオの予想通りにことは運んだ。できれば、その予想は外れて欲しかったのだが。
対象はシロンの魔法を受けて、酷い叫び声を上げたのだった。
「……ッ! ゼッカッ!」
「よくやったよ、イオ君!」
「あっぶな……」
駆除対象のウミウシは、イオに真っ直ぐに落下してきた。
その林には、所々日光が差している場所があるのだが、ちょうど二人は枝葉の影に入ったところだった。
つまり、上に何かがいても気付かない訳だ。
イオは紙一重で巨体をかわし、シロンがそこに火球を撃ち込んだ。駆除対象はあまりの熱さに身を捩ったが、致命的なダメージを与えられた訳ではなかったようだ。
すぐにムクリと起き上がり、角のような目で二人を睨んできた。
「逃げるよ!」
「分かってる!」
シロンはイオの袖を引っ張り、一目散に走り出した。そして、駆除対象と思われる黒い甲殻を纏った巨大なウミウシもそれに続いたのだった。
足の代わりにヒレをバタバタと振動させて、物凄い勢いで進む姿は、他のウミウシからは想像も出来ないほど恐ろしかった。
しばらく走り続けた先に、良い感じの木の洞を見つけたので二人はそこへ逃げ込んだ。
「大丈夫かな……?」
「全然大丈夫じゃないだろ。魔法が効いてなかったぞ」
「じゃあ、どうしよう……」
人が入るには少し狭い洞穴だったので、二人は互いに肩をぶつけながら作戦会議を行っている。
シロンがいるから、どんな敵でも倒せると安心していたイオだったが、このような事態は想定していなかった。
あの黒い甲殻が、魔法を受け付けない方面に特化していると思われるが、どうすれば良いのだろうか。
「あの殻を剥がすか、壊すか……って近付くのは危険か」
「炎で怯ませたら隙をつけるかも」
案はいくつか出てくるが、どれも解決には繋がらない。こうしている間にも駆除対象は近付いてくる。
「なあ、一旦情報を纏めないか?」
「そ、そうだね……ウミウシは一般的に昼に活動するが日光や乾燥に弱い。そして、目が良くないが嗅覚と聴覚を発達させているため、仲間同士のコミュニケーションには困らない」
「開けた場所を目指せば、勝手に自滅してくれるな」
「そうかもね。あ、変異種は甲殻で日光を防いでいるから、乾燥に強いって聞いたことがあるような」
「は? 無敵じゃねぇか……」
相手を知れば知るほど、隙の無い奴だと思い知らされる。自ら逃げ場を塞いで回る感覚に陥り、精神をすり減らされた。
「でも、殻がない場所くらいあるだろ? ヒレとか触角とか」
「チラッと見たけど、触角は黒ずんでて固そうだったし、ヒレは切ってもすぐ再生するらしいよ。通常種の場合だとね」
「マジで無敵じゃん……倒せる訳ないじゃん……」
「あっ、でも一つだけある。殻が付いてない部位が」
「本当か? それはどこなんだ?」
「お尻の穴」
「は?」
「駆除対象のお尻の穴には甲殻が無い」
確かに、無いと言われても不思議ではない。だって、そのまま内臓に繋がっているんだから。
しかし、そこをどうやって狙うのか。近付くのだって難しいのに。
「まずは木の枝を見つけよう。それを刺すんだ、君が」
「あいつの穴に俺が刺すのか? 汚いな……」
「出来ることはやってよね。ボクも精一杯やるから」
「俺がやるって方針は変えられないんだな……って、やけに静かじゃないか?」
「ん? そうかな?」
洞穴の外の音が、全くと言っていいほど聞こえない。少しくらいは鳥が鳴いていても、不思議ではないのだが。
イオは顔を出してみて、すぐに肝を冷やした。すぐそこに、索敵を行う黒い巨体が見えたのだ。
しかし、まだこちらの様子には気付いていない。
もしもバレてしまったら、ヤツの餌になるのは時間の問題だろう。
それで、イオがゆっくり洞穴の中へ戻ろうとした時、盛大にやらかした。
イオの足元でパキっと音がして、黒い悪魔がこちらに振り向いたのだ。どうやら枝を踏んでしまったようだ。
「シロン、逃げるぞ!」
「ええ!?」
死にたくない、そんな欲求を携え、ひたすら走った。シロンが必死な表情を浮かべ、並走しているが、気遣ってやる余裕も無い。ただ、追いつかれないように走り続けた。
しかし、逃走劇は唐突に幕を下ろすことになる。
「しまった!」
「嘘でしょ!?」
二人を阻むのは、見下ろすほど高くそびえる崖だ。覗き込むのも躊躇われるほどの、荒々しい黒い岩肌を見せていた。
もし落ちたら、行き着く先は一つだけ。それは崖下ではない。
もっと上の、あの世へと誘われることになるだろう。
イオは濃厚な死の気配を感じた。死神の鎌を首に添えられている心地がした。
その鎌は、間違いなく二人の首を切り落とすだろう。
では、どうやったら逃げられるのだろうか。そんなこと、考えるだけ無駄に思えた。
「シロン、どうする? 引き返したら、間違いなくヤツに喰われる。飛び降りたら……絶対に無事じゃ済まない」
「……諦めるの?」
「いや、そういう訳じゃなくて――――」
「ボクがヤツを引き付けるから、逃げる準備をして」
「はぁ!? いやいや、それだとお前が……」
「片方だけでも助かる方法があるじゃん」
「それはダメだ! 二人で助からないと!」
「召喚した子供を死なせた、って噂が流れたら管理局の威信に関わるかもしれないし。だから、絶対に助けなきゃ」
「いや、お前は!? 俺とお前だったら、絶対にシロンの方が生きてて有益だって!」
「有益って……ふふっ、面白い考え方をするね。それって誰がどうやって決めるの?」
「誰が決める訳でも無いだろ! と、とにかく……ヤツが来たら全速力で脇を走り抜けるぞ! 俺が右で、お前が左だ!」
「君は優しいんだね」
「当たり前のことを言ってるだけだ! だって、どっちも助かりたいだろ!?」
言い争いが終わることはなく、ついに黒い奴が姿を表した。崖際は木が生えていないので、相手の姿がくっきり見えた。
林の中で見た時よりも、何倍にも増して恐ろしく思える造形だった。
触角はプルプル震え、何かを探している様子。
そして、ヒレをばたつかせ、黒い甲殻の隙間から激しく息を吐いている。
二人はその姿を見て、息を呑んだ。
「本当に囮をやるつもりか?」
「うん、もし逃げられたら君に追い付くよ」
「そこまで信頼出来ない約束は初めてだ。ったく、ブラキウムさんたちにどんな顔を向ければ良いんだか」
「悲しいことを言わないで……大丈夫だって」
「いや、大丈夫じゃねーだろ」
イオとシロンは、黒の巨体に襲われる前に少しだけやり取りをした。まあ、やり取りと言っても、一方通行している感が否めないが。
そこでイオはあることを感じた。シロンが本気で囮を演じようとしているのだと。もしそうなら、絶対に止めなければならない。
しかし、為す術は無い。どうにもならない。
そうやって、考えが停滞しかかっていたとき、黒の巨体が突然スピードを上げて、二人に突撃してきた。崖の危険性を気にせず、猪のように突っ込んできた。
シロンが魔法を使う間もなく、イオが脇を走り抜ける隙もないまま、終焉のときを迎えてしまった。
だが、無惨に喰われる訳にもいかない。
イオは咄嗟に判断を下した。
「クソっ! 飛び降りるぞ!」
「っ!?」
イオはシロンを抱きしめて、彼女を守るように飛び降りた。これが彼の最終判断だった。
きっと肉がクッションとして働くはずだ、と願いを込めて、目を閉じて飛び降りた。
背中に風が吹き付ける。すぐ近くにシロンの顔があるようで、吐息の温かさを感じる。
しかし、特に何かを考える暇もなく、真っ逆さまに地面へ叩きつけられたのだった。
血を吹き、肉を散らし、骨を折って、二人は完全に死んだのたった。




