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月桜  作者: 未田 尚
7/22

三日目1

 辺りはまだ暗かった。昨日よりもまだ早い時間。白々とすら、朝の気配はまだしてこない。なのに、僕はここにいた。あの、いつもの公園。いつもの桜の下。いつもは桜色に染まっているその枝も、暗がりの中で昏く染まっている時間。

 どうしてだろう。ここに来る時間がどんどん早くなってくる。何故だろう、ここに来る事がだんだん待ち遠しくなってくる。

 大きくあくびをする。寝不足。近頃、ろくに眠っていない気がする。眠ろうと瞳を閉じると、決まって瞼に浮かぶ。

 瞳。

 なんとか眠ろうと寝返りを打つ。脳裏をよぎる。

 風にそよぐ髪。ほっとしたような微笑み。

 あれから時間が経ったのに、今でもまだ克明に覚えている。いや、時間が経てば経つほど鮮明になってくる記憶。否定しても否定しても、考えまい考えまいとしても、少し気を抜いた途端に、いつのまにか考えている。

 彼女の事を。

 認めたくはないけれど、僕はずっと待っているのだ。ここにいるのは、彼女に会いたいから。一目だけでも、もう一度彼女に会いたい。

 会って、どうするつもりだ? 彼女にもう一度会って、それでどうする?

 人間の本質なんてものがどんな物か、充分にわかっているはずだ。彼女も、今までに出会って来た他人達と同じだと、落胆することになるだけだとわかってるのに。いままで幾度と無く受けてきた傷が、また深くなるだけだとわかっているのに。

 そう、彼女が他の他人達と同じだと、いつまでも想い続けるだけの相手ではないのだと、そう納得できるのならば、彼女ともう一度会うだけの価値はあるかもしれない。

 ほんの少しだけ、眠かった。瞳を閉じる。いつものように浮かび上がる、彼女の姿。あの日以来、ずっとこの繰り返し。でも、今は敢えて否定しないでいる。

 日に融けてしまいそうな、その朧気な姿。手を伸ばせば、それだけでかき消えてしまいそうなその存在感。その深い深い湖のような瞳が

「おはようございます」

 一瞬、体がびくっ、とすくみ上がる。自分でも気付かない間に眠ってしまっていたようだった。

「す・・・すみません、びっくりさせてしまったみたいですね」

 よほど僕の驚き方が派手だったのだろう。僕よりも余程びっくりした様子で、そこには巫女姿の女の人がいた。遠目だったので良く覚えていないのだが、多分、昨日神社の掃除をしていた人だろう。

 迂闊だった。昨日掃除をしている姿を見掛けて、この場所を掃除した跡を見ていたのだから、昨日よりも早く来ればかち合ってしまうなんてことは当然わかってしかるべきだったのに。

「あの・・・昨日も、いらしていた方ですよね?」

 しかも、どうやら顔を覚えられていたらしい。それでも、僕に話しかけてくるなんて、ずいぶんと物好きな人だ。いや、この街に来てから、話しかけられるのはもう三人目になる。この街の住人自体が物好きなのかも知れない。

「どなたかをお待ちなんですか?」

 微笑み。この世につらいことなど何もないとでも言うかのような、純粋な笑顔。きっと、苦労などなにも知らずに育ったのだろう。

 胸の奥で何かが暴れだす。この微笑みをぶち壊してやりたい。こんな幸せそうな表情のできる人間に、幸福なんて物は幻想に過ぎないのだと、絶望に悶え苦しませてやりたい。

 静かに目を閉じる。やはり、最近の自分はどうかしている。他人が幸福だろうと不幸だろうと、僕には何の関係も無い。どうでもいい事じゃないか。

「いいえ。誰も待ってなんて、いないですよ」

 冷たい声。いつもどおりの自分だ。

 沈黙。少しだけ傷付いた雰囲気。いつもどおりの展開。でも、何故かちくりと胸を刺す痛み。

 罪悪感をなんて、感じている訳はない。でも、胸に針が刺さる。それでも、それを無視して、目を閉じている。

「・・・この桜の木には言い伝えがあって、この桜の下で誰かを待っていれば、いつまでも待ち続けられるだけの勇気がもてるそうなんです」

 良くある話だ。古いもの、目立つものには必ずこうした話のひとつふたつはある物だ。目立つものには人が寄って来る。人が来るなら何かが起こる可能性は高くなる。存在している時間が長ければ尚更だ。それに近くに住む者なら、そういったものに愛着を持つだろうし、そうなれば特別な言い伝えのひとつくらい欲しくなるのも当然だろう。

 でも、何故待つ勇気なのだろう。普通なら、必ず会える位は言うだろうに。

 こちらの反応を伺う気配。声を出したくなるのを押さえて無視する。

「お邪魔してしまったみたいで、すみませんでした」

 残念そうな、傷付いたような声で、立ち上がる気配。

「もう春とはいっても、まだまだ冷えます。お風邪など召さないように、気を付けてくださいね」

 衣擦れの音と共に、遠ざかっていく気配。なんだか後味が悪い。でも、そのまま動かない。こうするのが当然なのだから。

 暫く待ってから目を開く。神社の境内で掃除をしている巫女姿が見えた。昨日は公園を先に掃除してあったのだから、多分僕を避けるために神社を先にしたのだろう。でも、いずれは神社の掃除も終わってここに来る。そうなれば、また言葉を交わさなくてはならない事になる。できればそれは避けたかったし、相手もそれは嫌だろう。

 神社の掃除が終わって、この公園の掃除にとり掛かったら、一度、どこかに行こう。公園の掃除が終わるくらいの時間まで。そう言えば、まだ朝食も取っていない。ついでに食事もしてこよう。この時間では、まだコンビニくらいしか開いてはいないだろうけど。

 ここに来てから、何故か食事がおいしい。いや、何故かではない。あの二人と一緒ではないからだと、あの女の作った食事ではないからだと、はっきりわかっている。

 だから、食事に行こう。もう少ししたら。

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