表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月桜  作者: 未田 尚
20/22

七日目4

 広いとは言え、あくまでも学校の敷地内だ。それも、性質上入り口の近くにあったらしい。間もなく購買部につく。購買部と言っても、校舎の一角にある物ではない。それだけで単独の棟を持っている、思っていたよりもずっと本格的なものだった。

 建物が見える位置の物陰で、僕たちは様子を窺っていた。

「セーラー服、では無くて、セーラー服のような、とおっしゃいましたわね。ピンク系で純粋なセーラー服でない、アレンジを加えられたものが加わったのは、ここ2、3年ですわ。でしたら、まだウィンドウに出ているはずですわ。取り敢えず、あるかどうか、確認していただけます?」

 オペラグラスを手渡される。なんでこんな物まで、と思ったけれど、あえて口にはしなかった。それを目に当てて、ショーウィンドウを覗く。普通の学校ならば、それだけで売りになりそうなデザインの制服が無造作に並んでいる。それを確認していた僕の視線が、一点で止まった。

「やっぱり、あれでしたのね」

 隣から声が聞こえていたけれど、僕の頭までは届いていなかった。その代わりに、僕の脳裏には、視界に大写しになった制服と同じ、桜色の天井が浮かんでいた。そして、今目の前にあるのと同じ制服を着た彼女の姿。

「さ、確認がとれたのならば、行きますわよ」

 僕の感傷には全く興味の無い様子で先を促す。確かに、一秒でも長居すれば、それだけ危険が増えることになる。

「それで、次はどうするの?」

 すっかり頼りきりになってしまっていた。他に選択のしようが無いとはいえ、初対面の相手をこんなに信用してしまうなんて。他人を頼ってしまうなんて、僕は弱くなってしまったのかも知れない。でも、自分が変わってしまったことを、僕はかえって嬉しく思っていることに気付いていた。

「とりあえず手掛かりが少なすぎますわ。この状況では、その方が確かに所持していたと確認の取れている物から追うしかないでしょう? 制服のほかに、その方が持っていたもののあるだろう所に行くのですわ」

 彼女が持っていたもので、学校の中にあるだろう物。分類のためのシール。それの張られた本。本がある場所。図書室。

 図書室までは、そこから結構距離があった。何度か危ない思いをして、何とか辿り着く。

「呼ぶまで、待っていてくださいます?」

 僕を戸口の脇に待たせて、ひとりで中に入っていった。話し声が暫く続き、そのあと誰かが去っていく気配。それから少し様子を見てから、ようやく僕を呼ぶ声が小さくした。大丈夫な事はわかっていたけれど、それでもなんとなく辺りを警戒しながら中へと入っていく。

「取り敢えず、司書の方には書庫に本を取りに行っていただいていますわ。程無く戻っていらっしゃるでしょうから、急いでください」

 中に入って、まずは本の量に圧倒される。僕の学校の図書室など問題にならない。もっとも、僕の学校には独立した建物の図書室などありはしないけれど。

「伝承の類いの本は、二階の入り口のすぐ右脇にありますわ。わたくしはここで司書の方を引き止めていますから、その間に本があるかどうか、確認してください。今は誰もいないそうですけれど、十分注意なさった方が宜しいでしょうね」

 呆れたことに二階まであるらしい。そもそも本なんてあまり読まないから、なおさら威圧感を感じるんだと思う。

 促され、慌てて階段を登る。

 辺りの様子を窺いながら進んでいった。二階の入り口を横目に、階段はまだ続いている。立ち入り禁止の札も無いところを見ると、多分この上まだ三階があるのだろう。

 呆れながら二階の入り口を潜る。そこはやはりというか、一階とほぼ同量の本で溢れていた。いや、司書室のない分、一階よりもさらに多いかも知れない。

 この中から探すのか、と途方に暮れながらも言われた場所に移動する。入り口直ぐ脇。確かに伝承のコーナーがある。でも、一体棚が幾つになるのだろう。しかも、ここにあるとも限らない。戻す棚を間違えてでもいればそれまでだし、もしかしたらあの本は小説だったという落ちもありうる。いや、まだ返却していないと言うだけでもう致命的だ。

 探すしかない。立ち止まるのは止めようと決めたはずだ。どうにもならなかった時はその時だ。その時に考えれば良い。僕の後ろには、もう道は無いのだから。


 それがあったのは、五つほどの棚が過ぎてからだった。

 その棚にかかって直ぐに、そこに目がいった。他の本とは違う存在感を持っている。そこだけ何故か昏く闇に沈んでいるようだった。あの晩の彼女のような存在感。

 本に右手を延ばそうとして、自分のそれが小刻みに震えていることに、初めて気が付いた。震える右手を左手で押さえ、一度胸の前まで戻す。二・三度軽く深呼吸し、最後に大きく息を吐く。

 ただ本を手に取ろうというだけなのに、何て緊張の仕方をしているんだろう。なんとなくおかしくなった。それから、ゆっくりと手を延ばす。それが震えていない事を確認しながらゆっくりと。あのときと同じ考えが頭をよぎる。もしかしたら、触れることもできないのではないか。あの時の彼女と同じ様に、この本もあちら側の物で、触れようとした僕の指を擦り抜けて何処かに行ってしまうのではないか。

 でも。僕は、手を伸ばす。そうしなくてはいけないのなら、ためらっている余裕なんてないのだから。

 『吸血鬼の系図』。

 今、あの時と同じ様に、この本が僕の腕の中にある。彼女のあの腕の中にあったあの本。僕と彼女とを繋ぐ、唯一の現実。

 恐る恐る、その本の裏表紙を開く。図書室の本といえば、大体ここにあるというのが相場の筈だ。図書カード。貸し出しの記録が書き込んである筈。その本を借りた者の名が書き連ねてある筈だ。

 その僕の予想は、珍しく外れなかった。まるで当たり前のように、そこに張り付けられた紙製のケースに収まっている、一枚のカード。そんなことが有り得ないなんて事は十分にわかっているのだけれど、何故か破れたりしないように、脆く崩してしまったりしないように、慎重な手つきで引き出す。

 やはり、こういった学校では、この手の本を借りる者は少ないのだろう。そこには、名前は一人分しか書き込まれてはいなかった。でも、まだこの本が確実にあれと同じ本だとは限らない。同じ本が二冊ある可能性だってあるのだ。まずは、貸し出し日を確認する。彼女と始めてあった、あの日。あの時、この本を借りた帰りだったのだとすれば、ちょうど辻褄が合う。慌てて返却日を確認する。

 今日。間違いない、彼女はつい今までここにいたのだ。この本を持って、ここにいたのだ。

 落ち着け。自分の体を抱えながら、必死に心の中で叫ぶ。焦る気持ちを押さえながら、名前の所に視線を送る。

 『1年A組 桜木月夜』

 落ち着いた感じの楷書でそう書かれていた。それが、彼女の名前。その文字を頭に叩き込んで、僕は本を棚に戻した。桜木月夜。桜木月夜。その言葉が頭の中をぐるぐると回る。


「こんな所にいらっしゃいましたのね」

 はっ、と現実に戻る。慌てて身構える。ここが何処だったのか、すっかり忘れ去ってしまっていた。

 でも、そこにいたのはこの場所で唯一安心できる相手だった。その意思の強そうな瞳が、今は少し急いでいるように見えた。

「捜し物は見付かったようですわね。わたくしも司書室のコンピューターで調べてみたのですけれど、必要はなかったようですわね」

 確かに、これだけの数の本があれば、コンピューターでも使わなければ管理しきれないだろう。でも、それならそうと、先に言ってくれればいいのに。

 恨みがましい僕の視線を、少女は、自分でできることはご自分でなさい、という視線で答えた。確かにその通りではあるのだけれど。

「それより、状況が変わりましたわ。病人が出てしまいまして、わたくしそちらにいかなくてはいけませんの」

 何故病人が出るといかなくてはいけないのだろう。疑問に思ったけれど、喋る暇も惜しいという様子が分かっていたので、あえて口は挟まなかった。

「別行動になってしまいますけれど、逆に考えてみればかえって好都合かもしれませんわ。野次馬も出て騒ぎになっているようですし、力仕事があるかも知れないから、と守衛さんも呼んでいただいてあります。今なら校門には誰もいない筈ですわ。騒ぎに乗じて目立たずに済みますもの」

 言いながら、僕を促して入り口へと向かっている。話は歩きながら、と言う事らしい。本当に忙しいのだろう。病人が相手では、一分一秒をあらそう状況の場合もありうる。

「ここまで来た道は覚えていますわね? 購買部に寄って来た分遠回りになってしまいますけれど、止むを得ませんでしょう。人を見掛けて隠れるとき以外は道を外れないように注意なさった方がよろしいですわ。守衛室に人がいないのを確認したら、一気に通り抜けてしまったほうが無難ですわね。何かあれば、そのまま逃げてしまえるように」

 玄関に辿り着く。外の様子を窺うと、その子は僕の方に向いた。

「わたくしが先に出ますから、少し待ってから出たほうがよろしいですわね。途中で誰かに会ったら出来るだけ連れて行くようにしますけれど、わたくしにできるのはそこまでですわ」

 僕の方を見て、少しだけ真剣な表情をする。でもそれは一瞬だけで、・・・外に、飛び出していく。

 その後ろ姿を見送って、僕は心細さに苛まれていた。ここから抜け出して、緑と合流できるまでは、またひとりになってしまった。

 でも、自分ひとりの力だけでやるしかない。これだけのお膳立てをしてもらったのだ。これ以上の泣き言は、ただの甘えだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ