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月桜  作者: 未田 尚
19/22

七日目3

 校舎の壁と壁の間の人目に付かない場所で、僕はどもりながら必死で話をした。もちろん大した話などはないし、彼女が人間ではなかった事など話す訳にもいかないから、ずいぶんとはしょった話になってしまったのは仕方が無いけれど。

「つまり、端的に言ってしまえば、街で見掛けた可愛い女の子を追いかけて来た、という事ですわね」

 泣きたくなってきた。確かに言ってしまえばそれだけだし、僕が話した内容もそこから幾らも変わってもいないだろう。けれど、その一言で片付けられてしまうのは、幾らなんでも悲しすぎる。

 でも、その子のまなざしは、何故か優しい風に見えた。

「これは、もう必要なさそうですわね。もっとも、最初から使うとは思っていませんでしたけれど」

 そう言って、その子はポケットから手を出した。何かが握られている。四角くて長細い機械。携帯電話だろうか。僕の視線に気付いたのだろう、その子はボタンらしきものを押してみせた。

 途端に青白い火花が走る。

 スタンガンだ。実物を見たのは初めてだったけれど、以前テレビで見たものよりもずっと小型で、ずっと火花が激しかった。下手をしたら、気絶程度ではすまない威力かも知れない。

 それを平然と腰のケースにしまいこむ。こうしていると、携帯電話にしか見えない。実際、腰の反対側につけられた、多分本物の携帯電話との区別は僕には付かなかった。

「さ、では参りましょうか」

 え、とその子を見詰める。こうしてまじまじと眺めてみると、この子の顔立ちがかなり整っている事に気付いた。

 いや、顔も整っているけれど、まず目を引くのはその髪だろう。長い髪を腰まであると言うが、それを越えておしりまでを完全に覆い隠してしまっている。もっと近くで見てみなければ分からないけれど、それ程の長さなのに痛んだ様子がまるでない。

 本当に、最近はほとんどない、本当の日本人の髪という感じ。この髪を維持するには、相当の努力が費やされているのだろう。

 その髪の余りの見事さが、その「きっつい」まなざしとあいまって、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。間の抜けて見える筈のおおきなトンボ眼鏡は、それを打ち消すためだろうか。強烈な意志の強さを秘めた瞳とはアンバランスで、そこがかえって似合っていたりもするのだが。

 どこかで会ったことが在るだろうか。なんとなくデジャブを感じる。でも、この瞳を持った相手を忘れるとも思えない。多分気のせいだろう。その瞳が、今はおかしそうに僕を見返していた。

「まあ、泣けはしませんでしたけれど、それなりに楽しめましたから。それに、あなたひとりではすぐに見付かってしまうでしょう? わたくし、あまり騒ぎになるのは好きではありませんの」

 はっきり言ってこの状況で協力して貰えるのは、この上なく有り難い。このままでは、この子の言う通り、直ぐに捕まってしまうのは目に見えているし、何といっても何処に行けば何があるのかすらわからない。

 でも、何故協力しようなどという気になったのだろう。ただの気紛れだろうか。あるいは最悪の状況に追い込んで、その時の様子を嘲笑おうという気なのかも知れない。だけど、それでもいいかも知れない。この子にその気があるのなら、少なくともここで申出を断った瞬間に、通報されるなりして捕まることがほぼ確定する。ならば、少なくとも様子を伺う余裕のある方がいいに決まっている。

「でも、行くって、何処に?」

「思い浮かぶ方がいない訳でも在りませんけれど、貴方の説明では誰かという特定は出来ませんわ。髪形は簡単に変えられるものですし、相手から受けた雰囲気というものは、見た者によって全然違うものになってしまいますから。とりあえずは、その方の着ていらした服が、本当にここの指定制服だったかを確認しましょう。もし違ったら、危険を押してまでここを調べる必然性が無くなってしまいますもの」

 そうか、購買部。ここくらいの学校ならば、確かにそこに制服も置いてあるだろう。尤も、それに気付いていたとしても、僕一人ではそこまでいけなかっただろうけれど。

「わたくしの後を、5mくらい開けて付いてきていただけます? もし誰かを見掛けたら、わたくしがそちらに声を掛けますので、その隙に隠れるなりしていただければ宜しいでしょう。後ろから誰かが来た場合には、ご自分で対処していただくしか在りませんわね。それと、できるだけわたくしが歩いたところ以外は歩かないように、気をつけていただけます?」

「どうして・・・?」

 5mくらい間を開けて、と言うのが、ただ相手に隙を作らせるだけのためのものでないことは分かっていた。それだけ距離が在れば、自分は無関係だという言い訳が立つ。要するに、自分の保身の距離だろう。もちろん、罪を被るのは僕一人で十分だけれど。

「あなたも、ここにいたと言う証拠を残すのは嫌でしょう? 防犯カメラに姿を映すのは避けたほうが無難でしょうね」

 確かに、ここならばそのくらいあっても不思議ではない。でも、この子は何故防犯カメラの、それも撮影されている範囲なんてものを知っているのだろう。

「・・・忘れるところでしたわ」

 歩き出そうとしていたその子が、不意に立ち止まった。

「ここへはどうやって入っていらっしゃいましたの?」

 唐突な質問。取り合えず隠す理由もないので、正直に答えた。

「それでしたら、入るところは大丈夫ですわね。あとは、学内にいる理由ですけれど・・・。今、幾らくらい持ってらっしゃいます? 一万円もあればいいのですけれど」

 親戚の家に来ただけとはいえ、こんなに遠くまで来ているのだ。普段よりは随分と余分に持っている。一万円くらいはならなんとかなる。

 それを確認すると、彼女は腰のスタンガンとは逆のケースから、どうやら本物だったらしい携帯電話を取り出して、電源を入れた。 

 しばらく待ってから、ようやく返答があったらしい。

「もしもし、琴音さんですか。わたくしですわ。ええ、故あって答える訳にはいきませんけれど、貴女の思っている通りですわ。お仕事のお話なのですけれど。これから、ひとりの男性が貴女のお部屋にお邪魔しますわ。いいえ、違いますわ。貴女の専門のお仕事ではありませんわ。そもそも、わたくしがそんな事に関わりを持つ訳がありませんでしょう。良いですか、貴女にお願いをしたいのは、これから男性が訪れるという約束をしていただく事です。貴女が約束通り自分の部屋にいらっしゃる必要はありません。ただ、あなたのお部屋に男性がお尋ねすると言う約束だけしていただけるかどうか、お聞きしたいのですの。ええ、そういう言い方がお気に召すのでしたら、わたくしの専門のお仕事と言う表現でも構いませんわ。はい、ええ。それで、レートはどれくらいですの。ええ、ええ。分かりましたわ。言い値で結構です。はい。言っておきますけれど、こう言った取り引きは信用が第一ですわ。わたくしがそれを破らない事くらい、充分ご承知でしょう、つまり、貴女がわたくしを裏切ったりなさらなければ、お互いこれまで通り良い関係でいられますわ。それがどれだけの利益になるかくらいは、ご存じでしょう。ええ、ええ、勿論、そこまでは求めたりはしませんわ。できる事とできないことの区別くらいできない訳がありませんでしょう? そう言った事を踏まえた上で、この金額で納得した訳ですから。貴女の不利になるような状況までを要求はしませんけれど、できる事をなさらなかった場合と、わたくしの事を口外なさった場合には、それなりの覚悟をなさっていただく用意がありますわ。そのくらいはこの金額の内でしょう。勿論、信頼していませんでしたら、貴女にお話しを持っていきはしませんわ。ええ、わかりましたわ。それでは」

 端で聞く第三者には分からないように巧妙に隠した会話。実際、僕には訳が分からなかった。小学生がする話にはとても聞こえない。 

「予定通りの金額で話がつきましたわ。さて、宜しいでしょうか」

 なにが宜しいのかまったく分からなかったけれど、とりあえずうなづく。

「ここの生徒に、『駒田琴音』という方がいらっしゃいます。彼女の部屋へ訪れる約束をなさった貴方は、聖蘭が男子禁制だと言う事も知らず、丁度お休みになっていらっしゃった守衛さんの邪魔をするのも悪いとお思いになって、あえて声を掛けずに中にお入りになった、という訳ですわ。男子禁制だと言う事を知らなかった事は、実際にお休みになっていて貴方に注意をする事ができなかった守衛さんと、部屋を訪れる相手のそれを教えていなかったという証言でなんとかなるでしょう。それを考慮した上でなら、ここを訪れた理由も正当なものになりますわ。もっとも、そこから無罪に持って行くのは、貴方の言葉の選び方次第ですけれど。でも、100%捕まるよりは、五分五分、それも確実に情状酌量の余地有りの方がましでしょう」

 なるほど、おおよその事情は読めた。一万円というのは、その人への協力と口止めのための費用と言うことだろう。と言う事は、第三者を挟むことで、自分の立場が悪くなる危険を犯してまで、僕のために逃げ道を用意してくれたという事だ。

「あ、あの・・・ありがとう」

 他人からの好意になんて、僕は慣れていない。そんな物があるなんて、この街に来て初めて知ったような気がする。こんな時にどうしていいか、分からなかった。

「気にしていただく必要はありませんわ。彼女に良い仕事を回して差し上げる事により、わたくしはより良い商売相手になる訳です。信用は金銭だけではどうにもならない事ですもの。本当でしたら、もっと安い金額で話をつける事もできましたわ。でも、支払いの良さは信頼に関わってくる事ですもの。ですから、あなたが実際に支払う金額と最低の金額との差から、今回の事で得た信頼が、わたくしの受けた報酬、という事になります。ですからこれは純然たるビジネスであって、けっしてボランティアをした訳でも、貴方をお助けした訳でもありませんわ」

 そうか。なんとなく分かった。この子は自分の好意を素直に表現できないんだ。だから、こうして言い訳をするんだ。多分、自分自身に。

「最後に言っておきますけれど、これで貴方は言い訳ができるようになっただけですわ。ここで何かをなさった場合、貴方は犯罪を犯した事になりますし、それを庇う義務は、わたくしにも彼女にもありませんわ。もし貴方が見付かった場合、わたくしはたまたま居合わせただけというスタンスを取らせていただきますけれど、宜しいでしょう?」

 冷たい口調でそういうと、その子は僕を無視して歩き出した。

「ね、君のこと、なんて呼べばいい?」

 その背中に声を掛ける。

「名前を教える訳にはいきませんわ。許可無く私有地に入り込んでいる以上、あなたは不法侵入者ですし、それを知った上であなたに協力している私は共犯者ですもの。あなたの口から私の名前が出てしまっては、少々面倒な事になってしまいますから。ま、その程度なら、いかようにでも対処の仕方がありますけれど、面倒にならなければ、それに越したことはありませんもの。ですから、貴方の名前も不要ですわ。お互い、知らない方が面倒になりませんもの」

 それだけ言って、今度こそ歩き始める。僕は慌てて後を歩き始めた。

 確かにいう通りではあるけれど、はっきり言ってどう接していいのか分からない相手だった。僕にとっては相手が誰であっても、他人だと言うだけでわからないものけれど、この子は特に激しかった。外見と言動の不一致に眩暈すら覚える。

 でも、信用はしてもいい気がする。とりあえず僕にできることは、指示通りに後をつけて行くことだけだった。

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