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月桜  作者: 未田 尚
10/22

三日目4

「あんちゃん、あんちゃんってば、おーい。聞ーてる? ないだろう、おい」

 直ぐ後ろの緑が絶え間なく話しかけてくる。それを無視して、僕は無言で歩き続けた。下町らしい入り組んだ道は幾度も折れ、もう何処にいるかも分からない位の時間歩き続けていた。

「あんちゃんさ、いーかげんに止まろうぜ。なあ。だーから止まれって」

 どんっ、と背中に緑が激突する。年下で華奢に見える緑と比較しても僕のほうが非力だ。衝撃で二、三歩よろける。

「だからってったって、急に止まんなってばよ」

 別に緑に言われたから止まった訳ではない。時間と距離を置いたせいで、形代と呼ばれたあの人に対する恐怖より、長い間運動不足を続けてきた足の痛みが勝っただけだ。

 その場で少し息を整える。さっきとは違う意味で、膝ががくがく言っている。

「な、あんちゃん。少し休んでいこうぜ。これからどうするかとか、話したりもしなくちゃだしさ」

 確かに、いまは少し休みたい。疲れは少しすれば回復するだろうが、足の痛みはそうはいかないだろう。とにかく、暫くの間座って休みたい。

「そう、しようか」

 息も切れ切れに、緑にそう答える。少し早く歩いただけでここまで息が切れてしまうなんて、そうとう体力が無いんだと実感する。緑はなんとも無い様子なのに。

「んじゃさ、さっきの店に行こうぜ。味も値段もこの辺りじゃ一番だからさ。ちょうどそこだし」

 それだけ言って、人の返事も聞かずに歩き出す。マイペースと言うか、よくよく人の話を聞かない奴だ。さっきの店と言っても、あそこから随分歩いている。あの距離を戻るのは、今は無理だ。

「ちょっと待ってよ。すぐそこって、そんな訳ない」

 ことは無かった。震える足で緑を追いかけて行くと、本当に直ぐそこに、さっきの店はあった。どうやらぐるぐる回っていただけらしい。さっきは夢中で気付かなかったが、多分同じ景色を何度も見ていたのだろう。

 その店の前に、救急車が止まっていた。ちょうど後ろのドアが閉められたところだ。患者を乗せたところなのだろう。そのドアを閉めた救急隊員が助手席に飛び乗ると、救急車はサイレンを鳴らして走り出した。直ぐに角を曲り、見えなくなる。ドップラー効果で妙に間延びしたサイレンだけが、後に響いてくる。さっきまで救急車がいた辺りに緑がいた。救急車のライトを少しだけ見送ってから、興味深かげに救急車の後ろ姿を眺めている緑の横に並んだ。

「なんだろ?」

 緑が聞いてくる。聞かれても、来たばかりでわかる訳がない。多少なりとも早かった緑の方が分かっている筈だ。

「さあね。見えなかったの?」

「ん。おれが来たときは、もう最後の隊員が乗るところでさ。全然わかんなかった」

 いかにも残念そうな顔。この程度のことでこんなに楽しめるなんて。呆れたけれど、少し、羨ましい気もした。こんなに極端になりたいなんて思わないけれど、この半分くらいでも人生を楽しめたなら、もしかしたら今の僕では無かったのかもしれないのに。

「ま、いいや。さっさと入ろうぜ」

 相変わらず僕の事などまったく気にせずに先走る緑の後に続いて、店に入る。やはり、春休みの最中だからだろう。学生くらいの客で、店は結構な混雑だった。気が滅入る。やはり人が多いとそれだけで気が重くなってしまう。それも、外ならば入れ代わり立ち替わりで、人数自体は多くても、実際そこにいる人間は頻繁に入れ代わっているが、ここでは閉じられた空間に同じ人間が居続けている。通りすがりではなく、しばらくだけでも近くに居続ける人間。息苦しい。

 そんな僕の気持ちなど、勿論誰も気付きなどしない。客たちは楽しそうに食事を続けていた。その雰囲気に浮かれたのか、着物姿の小さな女の子が店内を駆け回っている。皆自分のことで夢中なのか、誰もそれを止めようともしない。店員は何をやっているのだろう。勿論、僕もそれをどうこうしようとも思わないのだけれど。

 ちょうど入り口の脇、禁煙席の窓側の一番手前の席から、ウェイトレスがコップやお絞りの乗ったお盆を持って離れて行く。空いた席なのだろう。テレビや雑誌でしか見たことが無いような制服を着ている。しかもローラーブレードまで履いていた。ちょっとだけ目を奪われる。その姿を視線で追い、・・・ふと視線を感じてそちらに向く。緑がにまー、っとこちらを見ていた。

「・・・何」

 ぶっきらぼうにそう言う。少し気まずい。緑はにまーっと笑ったままだ。

「べつにぃ。さぁ、座ろうぜ」

 ちょうど今空いたばかりの席に腰を下ろす。まるで見計らっていたかのようなタイミングで、ウェイトレスがやって来た。

「いらっしゃいませ」

 ぺこり、と頭を下げてから、水とお絞りをテーブルの上に置いていく。

「あー、ちと聞きたいんだけど」

 緑がウェイトレスに、そう声をかけた。

「はい?」

「あのさ、さっきの救急車だけど。なんかあったの?」

 緑のぶしつけで、しかも答えにくいだろう質問に、案の定ウェイトレスは困ったような笑いを浮かべた。

「ちょっと、お客様の中で、気分の悪くなられた方がいらっしゃったみたいで・・・」

 事実だろうけれど当たり障りの無い言葉。なるほど、社員教育が行き届いている。

「ご注文のほうはお決まりでしょうか」

 失礼にはならない程度の時間を空けてから、口を開こうとした緑の話の腰を折る。ねらってやったのだったら大したものだ。

「おれ、ハンバーグセットのオレンジジュース。あんちゃんは?」

 話の腰を折られてちょっとだけ戸惑った様子の緑だったが、どうやら食欲の方が勝ったらしい。メニューも見ずに、すでに決めてあったらしい注文をする。僕は慌ててメニューを開くと、とりあえず一番最初に目に着いたものを指差した。

「じゃ、じゃあ、これを・・・」

 言ってしまってから、それが緑と同じハンバーグセットだと気付く。格好悪かった。少しだけ、恥ずかしくて赤面する。

 僕の指先を確認してから、ウェイトレスさんは手に持った機械に注文を入力する。

「ドリンクは何になさいますか?」

 ちょっとだけ小首を傾げて、僕の返答を待つ表情。

「えと、・・・同じ、オレンジジュースを」

 とりあえず早く終わらせたくて、調べたり選んだりする必要のないものを選ぶ。

「パンとライスをお選びいただけますが、どちらになさいますか?」

 にっこりと微笑みつつ、僕を見詰めてくる。居心地が悪い。何を言えばいいのかわかっていたとはいえ、緑のときはあんなにあっさりだったのに。

「あ、じゃあ、ライスで・・・」

「こちら、200円増しで、デザートの付くセットにできますが、いかがでしょうか?」

 さっさと済ませて欲しいと思っているのに、商売熱心な人だった。

「い・・・え、いいです」

「50円増しでライスの大盛もできますが、いかが致しますか?」

 間髪入れずに聞いてくる。もういい加減にしてくれ、と思ってちらりとウェイトレスの顔に視線をやる。相変わらずの営業用スマイルだが、頬の辺りが緩んでいる。もしかして、わざとだろうか。見ると、正面で緑も笑いを堪えていた。

「いらないです・・・」

 言いながら緑に向かってじーっと睨んでみせた。緑は横を向いて知らん振りする。頬をひくひくさせたままで。

「ご注文は以上でしょうか」

 睨むのと知らん振りするのに忙しくて無視されているのを確認する程度の時間をおいてから、

「では、少々お待ちくださいませ」

 来た時と同じ様にぺこりと頭を下げて、ウェイトレスは厨房へ注文を通しに行った。

「んーでさ、あんちゃん」

 僕がまだ睨んだままだというのに、何事もなかったかのように緑が切り出した。本当に相手のことを気にしない奴だった。

「情報を整理しとこうか。その娘って、どっかの高校の制服を着てたんだよな?」

「・・・制服に見える服を着てたんだ。私服には見えなかったけど、本当に制服だったかは断言できない」

 高校生だということは、まず間違いないと思う。中学生には見えなかったし、高校を卒業していたなら、ああいう服は普通着ないだろう。

「とすると、だ。まず何処の高校か、確認するところから始めた方がいいと思うんだ。範囲も絞れるし」

 なるほど。今もっている情報の中からでは、それが一番確実だろう。

「でも、今は春休みだろう。制服なんて、どうやって確認する?」

 誰も着ていないのでは、自分で持ってでもいない限り、実物を見る機会なんて無い。

「でもさ、部活とかあるだろうし、いるとこにはいるんじゃないの?」

 そうか、部活。帰宅部で、休日にも外を出歩こうとなんてしない僕にとっては、休日に学校に行くなんて行動も必要も思い付かなかった。そもそも、彼女だって休日に学校の図書室の物だろう本をもって、制服だと思われる服を着ていたのだ。休日に学校に行くことは、別段珍しい事ではないのだ。

「制服を見るには、駅で張ってるのが一番だと思うんだ。町の外の学校に行くには電車が一番だし。問題は私鉄と国鉄、どちらに張るかってことと、・・・」

 緑が珍しく言葉を濁した。珍しいこともある。思わず緑を見詰めた。

「・・・いやさ、ひとつだけ、面倒な学校があるんだよ」

 嫌そうな顔をする。へえ。人生楽しくて仕方がないみたいなこいつでも、やっぱり嫌なもの、嫌な事はあるんだ。何となくいい気分になる。

 自分の昏い部分。

「聖蘭、っつー県内じゃ名の通ったお嬢様学校でさ。いちお、私服の学校なんだけど、そこには指定制服ってのがあってさ。着たい奴だけ着る、って事になってるんだよ。しかも、新しいのができたからって前のがなくなるって事もなくて、毎年どんどん増えてくんだよ。大正の頃の矢絣の着物に袴なんてのが、未だに普通の制服で残ってんだぜ。全部調べようがないよ」

 確かに、それは凄い。ちょっとだけ想像してみた。卒業式に良くある袴姿で日常生活をしているところ。

 なんだか凄いことになっていた。

「だから、ま、聖蘭じゃないって事を祈りつつ、探すしかないよな。なんか、『やっぱりな』って事になりそうな気がするけどさ」

 それは奇遇だ。たった今、僕もそんな気がしてきたところだった。彼女のあの制服姿を見たときに、もう上品な学校の制服だろうと思っていたのだから。

「まぁ、続きはとりあえず食べてからにしようぜ」

 注文のハンバーグセットを持ったウェイトレスを視線で追いながら、緑が嬉しそうに笑った。その表情を見ながら、僕は憂欝な気分になるのを押さえられなかった。

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