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月桜  作者: 未田 尚
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日常1

 チャイムがなる。少し遅れて教師が教科書を閉じた。ぼそぼそした声で授業の内容もよく聞こえない、定年間際の教師だった。年のせいで動作もひどく鈍くなっていて、教卓の上の荷物を片付けるのにも酷く時間を食っている。その教壇を降りる準備もまだ終わっていないというのに、週番の終了の号令が掛かる。その声に追いかけられるように、教師は背中を丸くして、教室のドアを潜っていった。ほぼ同時に、教室の中の騒音指数が一気に上昇する。これから、僅かに気分転換をする余裕さえ無いほどに短い休息時間が始まるのだ。

 抑圧されていたものが一気に外れたようなその喧騒を、聞くとは無しに聞きながら、僕はいつもどおり教科書とノートを広げ、教科書の内容をノートに写し出す。

 かりかり、とノートの上を黒く汚していく音が辺りを埋め尽くした。いや、この喧騒の中で、そんな細やかな音が耳を汚す筈はない。多分、紙の上にシャープペンシルを軋らせればそういう音がするはずだという、僕の思い込みの作った幻聴だろう。

 かりかり、かりかり。

 寸分の狂いもなく、文字の羅列を製造しているという報告音が時を刻む。その世界中で僕の耳にしか届かない単調な音が、静かに時を支配していく。

「ちょっと、いいか?」

 ふいに、乱入者が現れた。

 びくっ、と肩が震えた。一瞬の硬直の後、僕はゆっくりと視線を上げた。

「な・・・何・・・?」

 心ならず、吃ってしまう。どんな状態だか、自分でも想像できてしまう。それほど、その外見は焦っていただろう。

「いやさ、昼休みサッカーやるんだけど、人数が集まんなくてさ。良かったら、いっしょにやってくんないかな」

 確か、クラスの中では中心的だといわれる二人組だった。何かある時には、大抵この二人が関わっていた。名前までは覚えていない。運動部の筈のこの二人と平均身長にすら達しない僕とでは、普通に並んでいてさえ見上げるような身長差なのに、自分が腰掛けているぶんだけ、さらに相手が大きく見えた。

 あるいは、もしかしたら精神的なものがそう感じさせているのかも知れないけれど。

「・・・ごめん。そんな余裕、無いから」

 それだけ言って、また視線を落とし、単調な作業に戻った。ほんの一瞬だけ、沈黙があった。気を悪くしたのかもしれない。

「・・・そうか、邪魔したな」

 そう言って、遠ざかっていく気配がする。

 嘘だった。忙しい訳でも、どうしてもしなくてはいけない訳でも、勉強している訳でさえなかった。

 ただ、教科書の内容をノートに丸写しにしているだけ。教科書の内容を覚えようという気さえない。そうしていれば、わざわざ話しかけてくる奴はいないから。勉強しているから話しかけないでくれという雰囲気を作っておけば、それを邪魔してまで関わろうという奴はいないから。

「だから言っただろ。あいつは絶対駄目だって」

 自分たちの席で話しているのだろう。そんな声が喧騒に混じってここまで届いて来た。

「ま、俺も期待しちゃいなかったけどさ」

「あんなとろそうな奴が入ってきちゃ、かえって邪魔だろ」

「まあ、そりゃそうだろうけどさ」

 聞こえているのにも気付かずに、言いたいほうだいを言っている。いや、聞こえても良いと思っているのかも知れない。本当の事だから、別に気にもならないけれど。

「でもさ、もう直ぐ進級してクラスも変わるって言うのに、あいつはいつもああやって、誰とも話もしないだろ。そういうのもどうかと思ってさ」

 止めて欲しかった。誰とも関わったり、話したりしたくなかったからこうやっているのに。それをわざわざ邪魔してほしくは無かった。

「いーじゃん。好きでやってんだからさ。ほっときゃいいよ」

「ちょっと、そういう言い方ないでしょ」

 女の子の声が割り込む。見なくても分かった。学級委員長の声だ。学級委員長なんかをやっているくらいだから、わりと人望もあるようだし、なによりもうるさいくらいに人一倍お節介だった。もちろん、僕は直接話をした事なんかは無かったけれど。

「仮にもクラスメイトの事をほっとけばいいなんて、無責任だわ」

「それじゃあどうしろってんだよ。嫌だっつてんのをむりやり連れてこいって言うのかよ」

「そうじゃないでしょ。嫌な事を無理にさせるべきじゃないし、いつもひとりでいるクラスメイトを仲間に入れてあげよう、っていうのももちろんいい事だわ。でも、その後のほっとけばいい、っていうのは酷いじゃない」

「なんだよ、ほっといてくれっていってるのをほっとく以外にどうしろってんだよ」

「だからそうじゃなくて、そういう事を無神経に言うなって言ってるのよ。あなただってそんな事言われたら、嫌でしょう」

「全く、委員長はうるさくっていけねえよな」

「だったらうるさく言われないようになってもらえる? 私もそのほうが助かるんだけど」

「へーへー。わかりましたよ」

「全っ然わかってないでしょ。いい、そもそも・・・」

 その時、チャイムがなった。息抜きをする暇もない、短い休息時間の終りを告げる鐘の音。誰かに声をかけられるかも知れない時間が終わったことを告げる音が。

 委員長はまだ何かをいいたそうにしているようだったけれど、やっぱり委員長がチャイムがなった後に席に着いていない訳にはいかないと思ったのだろう。すぐに自分の席へと戻っていった。

 これでようやく一息つける。なんとなく視線をあげて、委員長の背中を眺めながら、なんとなく心の中がもやもやしているのに気が付いていた。

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