冒険者ギルド
あたまからっぽ
裏路地を抜けると、そこは沢山の人が行き交う大きな道路。
「凄い数だ……」
道を歩いているのは人間だけじゃない。子供ぐらいしかない髭面のおじいちゃんや、三メートルはあるんじゃないかっていう巨人、あっちで車椅子みたいな乗り物に乗っているのは、人魚だろうか。とりあえず、多種多様な種族が、俺の目の前を歩いていた。
「これぐらい、この町じゃ普通だよ。ほら、置いてくぞ!」
ウリダラが俺を急かす。本当はもっとゆっくり見て回りたいが、そうは行かないようだ。
これだけ人がいれば、俺の姿も目立たないかもな……。あっちの男は全身タトゥーだし、あっちのアレは……機械? なんだ? とりあえず、凄い物に乗ってる。民族衣装みたいなのを着た人もいれば、普通のシャツの人も居る。
そうか……ここは本当に、異世界なんだ……。
ウリダラが、人混みの間をするすると通り抜けていく。感動していたこっちのことなんてお構いなしだ。
右。左。すぐに踏み出すと足を踏まれるから、少しだけ待つ……。右、右。
俺は未来を覗き見ながら、少しでも人にぶつからないように進んでいく。気にしなくてもいいのかもしれないが、面倒事に巻き込まれる可能性を少しでも減らしたかった。
これだけ沢山の種族が居るんだ。もしかしたら、見ただけで石にされたり、全身が毒針で覆われていたり、とてつもない体温で触れたら燃えてしまったりなんて事もありえるんだ。
二人組の獣人の間をくぐり抜け、足元を走っていった小人に驚かされ、竜人の尻尾をまたぐ。そんな感じで進んでいけば、大きな白い建物の前に着いた。
「おう! 着いたぞタナカ! ここがギルド病院だ!」
確かに看板を見れば『冒険者ギルド病院』とデカデカと書かれている。冒険者ギルドが如何なる機関か分からないが、どうやら経済力はありそうだ。建物としては、五階建てくらいだろうか。横に広くて、窓が沢山ついていて、その殆どにカーテンが掛かっている。
「頭の問題だったら、エドモンドの所に行けばなんとかなるだろ!」
「エドモンド?」
「妖精術と白魔法に精通した、腕利きの医者が居るんだよ。本人がちょっと健康的過ぎるのが問題なんだけど、あいつに任せりゃ大体なんとかなる」
健康的過ぎる……。めちゃくちゃ筋肉質なんだろうか。俺の頭の中で、まだ見ぬエドモンドがポージングを始めるが、俺はそんなことより気になる事があった。
「魔法?」
「なんだ、魔法の事もわからないのか? ま、記憶が戻ればすぐに解決だな」
それは困る。俺の記憶が戻ることは、金輪際、何があろうとありえないのだ。
「今知りたいんだ。教えてくれ。魔法ってなんなんだ?」
「魔力を使って、色々するんだよ。炎を出したり、傷を癒やしたり……。賢者とか言われる人間は、空から星を降らせたり出来ちまう。それが魔法で、魔術さ。正確に言えば、魔術と魔法は少し違うんだけどな?」
「それは俺も使えるのか……?」
「魔法は知らないけど、魔術は使えるだろ。安心しろって、記憶が戻れば、どうせ魔術も使えるさ」
病院の廊下は、固いタイル張りになっていて、歩くたびに足音が響いた。看護婦や医者が歩いているが、俺たちの事を気にかける様子はない。普通、病院って受付とかありそうなものだけど、ここのシステムはどうなっているんだ……?
「おーい! エドモンドー!」
高らかに声をあげながら、ウリダラが扉を蹴り開けた。
なんだ? この世界ではこれが当たり前なのか? ワイルドが過ぎるぞ。
「やめてよぉ……。ウリダラ、そうやって扉を乱暴に蹴られると、壊れちゃうんだぁ……」
部屋の中にいた白衣の男が、入ってきたウリダラを見て、迷惑そうな表情でそう言った。
良かった。彼が迷惑そうにしているということは、たぶん異世界でも扉を蹴って開けるのはマナー違反なんだ。
椅子に座って書類の整理をしていた、この男がエドモンドなのだろう。彼は、ウリダラとは対照的に、横に大きい。メタボリックなアメリカ人のような見た目をしている。もしかしたらそういう種族なのかもしれないから、あまり強くは言えないけど、いわゆるデブだ。
確かに、健康的過ぎる。栄養をたっぷり取り込んで、健康に育ったのだろう。一周回って不健康だ。
「いいじゃないか! 直せば! それより、患者を連れてきたぞ! 金なら俺が払うから、見てやってくれ!」
青肌のオーガは、俺の肩を持つと、軽々と持ち上げて近くのベッドに投げ込んだ。とんでもない力である。
「んん~? 見た所元気そうだけど、この人がどうかしたのぉ?」
「さっき、路地で倒れてるのを拾ってきたんだ。なんでも記憶喪失らしくてな」
「記憶喪失ぅ……? それは大変だねぇ……。すぐに診るよぉ……」
エドモンドは、その二重顎をたぷたぷと揺らしながら、空中に向けて手を伸ばす。
「オリヴィエ、頼むよぉ」
「はぁい!」
エドモンドが言うと、何も無かった場所から突然に、小さな影が現れた。鈴の音のような可愛らしい声をあげるのは、宙を舞う一体の妖精。……妖精の数え方は、体か、匹か、それとも人か。そんな事が気になったけれど、後で考えることにする。
俺は自分の頭の周りを飛び回る、その美しい姿に目を奪われる。半透明の緑の身体は不思議な光の粉を纏っていて、背中には透き通った二対の羽があった。目には黒目も白目もなくて、青いビーズみたいに見える。
「確認しますねー!」
オリヴィエと呼ばれた妖精は、俺の頭をその小さな手でぽこぽこと叩く。
なんだ? 記憶喪失の治療をするときは、頭に衝撃を与えるのが異世界流なのか? 大した力でもないが、それでも、ちょっと痛いかな? 程度の威力はある。
「あれれぇ……? 変ですねぇ……? 頭に傷とか何も無いし、魔術や呪術も掛かってないし、魔法の痕跡も何もないですよぉ……?」
本当は記憶喪失になっていないのだから当たり前だ。むしろここで、頭に魔法がかけられていました! なんて言われたらそれこそ信じられない。……あの胡散臭い神様なら、なにか細工をしていてもおかしくないけれど。
「おやぁ? オリヴィエが原因を突き止められないなんて、珍しいねぇ。タナカ君だっけぇ? 記憶が無いっていうのは、どこまでなんだい?」
「名前以外はなにも分かりません」
「年齢は分かるぅ?」
「あ、年齢は、十九歳です。たぶん……」
この身体が構築されて何年かと言う話なら、きっとまだ一日も経ってない。が、あえてそんな事を言う必要もない。
「たぶん……? 自信がないってことぉ?」
「はい。家も、この町がどんな所なのかも、分かりません。魔法や魔術も全然……」
「変わった服を着てるけど、何処で生まれた、とか、何処からここに来た、とかも分からなぃ?」
「はい」
「わぁ。重症だねぇ。ふぅむ。オリヴィエが原因を見つけられないと言うなら、高度な封印術か、記憶自体を食い荒らされたかのどっちかかなぁ……。他にも考えられるけど、メジャーなのはここら辺だねぇ」
「それじゃ、あんたでも治せないってことか?」
ウリダラが不満そうに口を尖らせる。この人、どうしても俺と戦いたいらしい。勘弁してくれ。
「そうなるねぇ……。残念だけど、たぶん君の記憶は戻らないよぉ……」
「そう……なんですか……」
一応、今の俺に出来る精一杯の『記憶が戻らないと告げられて落ち込む哀れな男』を演じる。ここで普通に聞いていては、記憶喪失が嘘とバレる可能性がある。それだけは絶対に避けなければ。
「う~ん。家も分からないってなると、どうするべきかなぁ……。とりあえず冒険者ギルドに行って、カリーナさんに相談してみるとかぁ?」
「そうしてみるか。よしっ! タナカ! 行くぞ!」
「治せなかったからお代は結構だよぉ。だけどウリダラ、どうして君なんかが人に親切にしているんだい? 何時もの君なら、適当に放り投げておしまいだろぅ?」
「ああ、聞いてくれよエドモンド。こいつ、俺の不意打ちを躱したんだ」
「えぇ? 君の攻撃を? そりゃあ凄いねぇ……」
「だろ!? 記憶を取り戻したら、絶対こいつは強い。俺はそう確信してるんだ。手合わせしてみたくてな。その為に、こうやって連れ回してるんだが……。記憶が戻らないなら、カリーナに押し付けちまおうか……」
「それが良いよぉ。君じゃ、彼の面倒なんて見れないだろぅ? カリーナさんに任せれば、なんとかなるよぉ」
カリーナというのが誰か分からないが、少なくともこの好戦的な青いオーガよりは安全なはずだ。ここまでやって貰っておいて失礼だが、さっさと解放して欲しい。
「それじゃあねぇ~」
「じゃ~ね~」
ハムのような腕を振るエドモンドと、その横のオリヴィエに礼をして、俺はウリダラと共に部屋を後にした。
「ようし、それじゃあ冒険者ギルドに行くぞ。残念だけど、俺はそこでお別れだ。そろそろクエストに行かなきゃならないからな」
再び人であふれる通りに戻って、ウリダラは俺に向かって言うが、聞き慣れない単語ばかりで、全くついていけない。彼女はさっさと歩き始めてしまったので、俺もそれを早足で追いかけた。
「冒険者ギルド……?」
「そうか……、全部説明しなきゃならないのか。面倒だな」
ウリダラは困ったように頬を掻いた。彼女には申し訳ないが、出来る限りの情報を聞き出さねばならない。この世界の仕組みを知らなくては、俺は生きていけないんだ。
「……まず、この国がどこか分かってるか?」
「いいや。何も知らない」
「ここは王国タリアータ。魔法と魔術で発展してきた、この大陸で一番大きな国。そして、ここがタリアータの首都イミシアイア。大陸中から人と物と金が集まる、世界一の街さ」
「だからこんなに人が多いのか」
「そう! そういう事だ。それで、今から向かっているのは冒険者ギルド。俺たちみたいな冒険者の元締めで、クエストを仲介したり、冒険者のランク付をしたり、素材の買取やらをしている」
「へぇ……。そんな場所に俺が行って大丈夫なのか?」
ウリダラみたいの人間が沢山いる場所に行ったら、俺はどうなってしまうんだ。五体満足で居られるのかわからない。
「心配しなくても、国に認められた正式な組織なんだ。運営資金の半分以上は国が負担しているし、そこで働いている人間もまともだよ」
俺が聞きたいのはそういうことじゃなかったのだが、取り敢えず安心できそうなことは伝わってきた。
「そうか。それは良かった。そう言えば、何で冒険者ギルドを、国が援助してるんだ?」
昔やったゲームでは、国と冒険者ギルドは対立してた気がする。この世界の事を、前の世界の知識で考えるのは間違っている気もするが、何となく気になってしまった。
「戦争の為さ。冒険者をいち早く取り込むためだよ」
「戦争……。この国は、戦争をしているのか……」
「今は平和だよ。昔は……俺が生まれるもう少し前は、いろんな所と領土を巡って争ってたらしいけど、今じゃそんな事無い。……隣のジュドールとは、最近仲が悪いらしいけどな」
異世界と聞いて、何となく平和でメルヘンチックなファンタジーの世界を想像していたけれど、そんなことは無いらしい。前の世界と同じ様に、国があり、領土があり、戦があるのだ。
「で、だ。タナカ。何となく冒険者ギルドに向かってるけど、お前は冒険者になるつもりはあるのか?」
「冒険者?」
「モンスターを狩ったり、ダンジョンを探索して生計をたてる奴らの総称さ。俺もその一人」
「モンスター……? ダンジョン……?」
「言葉の通りさ。魔獣、魔物、悪魔、魔神。取り敢えず、ヒトに害を及ぼす生き物をまとめてそう呼んでいるのさ。ダンジョンは……、う~ん? なんて言ったら良いんだ? そういう、モンスターが棲み着いている所、かな?」
「この世界には、モンスターが居るのか……」
「うようよ居るぜ? 居ないところを探すほうが難しい。この街の地下水路にも、しょっちゅう魔物が入り込んでるからな」
「嘘だろ?」
なんて物騒な世界だ。恐ろしい。
「本当さ。で、冒険者って言うのは、そういうモンスターを殺したり、貴重な資源を採ってきて売ることで、金を稼いでるんだ。中には、モンスターの首に賞金が掛かってる事もあるけど、ま、そういう詳しい話しはカリーナに聞いてくれ」
「俺は……戦いに自信なんて無いし、出来れば平穏に暮らしたいんだ……。それは、無理なのか?」
「働く場所のアテが無いんじゃ、無理だろうなぁ……。この街じゃなきゃ、仕事も見つかるだろうけど、ここは金払いが良い奴らが集まってるから、それだけ働きたいやつも多いんだ。タナカは、裁縫や料理のスキルは何も持ってないんだろ?」
「スキル……?」
「ああ……スキルも説明しなきゃ駄目か……。簡単に言えば、体系化されて細分化された、能力や技能の総称さ。例えば俺は『上級炎魔術』とか『武術の達人』とか、そういうのを持ってる。これによって就ける仕事も変わってくるし、払われる給金も変わる」
「それはどうやって身につけるんだ? 自己申告?」
「まさか。試験を受けたり、それ相応の実績を積まなきゃ駄目だ」
前の世界で言う、学歴や資格みたいな物か……。何となく、俺には冒険者になる以外の道が無いように思えてきたぞ。前の世界で言えば、俺は何の学歴も資格も無い人間。誰も雇ってくれないだろう。
「スキルは結局、その個人個人が持つ技能や能力に名前を付けた物だからな。それで、持ってるスキルによって冒険者は肩書が変わる。俺は魔法剣士とか、剣聖とか、武神とか、いろんな称号を持ってるけど、スキルがない奴はただの冒険者だ」
「ウリダラは、もしかして凄い人?」
魔法剣士はともかく、剣聖と武神は並大抵の呼び名ではない。力加減を知らない戦闘狂だと思っていたのだが、もしかしてこのオーガの鬼娘、とんでもないのでは?
「大したこと無いさ。不意打ちをあんたに躱されたんだから、同じくらいの力量だよ」
「そうか……」
あれも、何となく未来を視なければ死んでいた。俺の力量だと言われても、いまいち実感は沸かない。
「俺の攻撃を躱せたんだ。タナカ。あんたは絶対、冒険者でもやっていける。むしろ、冒険者にならなきゃ損だ。それは俺が保証する」
「そう言われても……俺には知識も無ければ経験も無いんだ……」
「生きていくだけなら、知識も経験も要らないさ。その日その日の食い扶持ぐらいは稼げる。まあ、詳しい話はカリーナに聞いてくれ。着いたぞ。ここが、冒険者ギルドだ」
俺の前に聳えるのは、要塞のような、灰色の石を積み上げて作られた建物。巨大で、重厚で、上を見上げていると、押し潰されてしまうような感覚を覚えた。風にはためく緑の旗に描かれているのは、白い狼。
周りは水路で囲まれていて、跳ね橋を通ら無くては敷地に入れないようになっている。
種族も年齢も性別も違う、たくさんの人が、橋を通って、その建物に入っていく。
これが、冒険者ギルド……。
「さあ、行くぞ」
「あ、ああ」
俺はウリダラに促されるまま、入り口に向かって歩を進める。
一体俺は、どうなるんだ?