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高時が首  作者: チゲン
2/15

第2幕

 元弘三年五月八日。上野国で挙兵した新田義貞は、十八日に鎌倉を攻め、二十二日に陥落させた。

 幕府の中枢である北条氏……その本家たる得宗とくそう家当主の北条高時は、一族郎党と共に東勝寺で果てたという。

 照隠はそのことをまだ知らなかった。

「それが、得宗家の首だと」

 声が震えている。

 由茄ゆかは小さく頷いた。由茄とは娘の名である。

「ならば北条は……」

「滅びました」

「まさか」

 にわかには信じられない。天下の要害と言われた鎌倉が、簡単に落ちるはずがない。

 だが由茄の眼差しを見ていると、偽りを言っているようには見えなかった。

「では、わたしはこれで」

「待たれよ」

 背を向けて去ろうとした由茄を、照隠は再び呼び止めた。

 まだ訊かねばならないことが山ほどある。

「仮にそれが得宗家の首だとして……それをどうするつもりだ。そもそも、何故そなたがそんなものを持っておるのだ」

「殿の無念が、わたしを死の淵から蘇らせたからにございましょう」

「無念とな」

「わたしも殿と共に死ぬはずでございましたのに」

「そなたは得宗家の縁者か?」

「いえ、お側にお仕えした者にございます」

 由茄は、かぶりを振る。

「わたしの命は、すでに殿と共に尽きております。この体は、いわば仮初めのもの。身も心も、殿の無念によって生かされているのです」

「では、わしがその無念を払うてみせよう」

 照隠は声を落とし、腹に力を込めた。

 突然、重圧が体にのしかかった。

「なっ!?」

 全身が空気の壁に押し潰されているようだった。

「おお……」

 膝が音をたてて震えだし、立ってさえいられなくなる。念仏を唱えようとするが、声が出ない。

 しだいに呼吸もままならなくなり、意識が遠のいていく。

 このままでは本当に体ごと潰される。

「おやめください、殿」

 由茄の声が遠くで聞こえた。

 空気の壁が、不意に消滅した。

「あ…くっ……」

 その場に膝を突きそうになるが、照隠は錫杖を支えにして何とか踏み留まった。

「なんと……」

 脂汗が滴り落ちた。

「大事ありませんか、御坊」

 情けないことに、呼吸が整うまで、返事ができなかった。

「殿がお目覚めになったのです。こちらが騒がねば、すぐお休みになるのですが」

「……凄まじい妖気であった」

 荒い息の下から、照隠は途切れ途切れに言葉を漏らした。

「わしの法力ではとても及ばぬ」

 よほど恨みを抱いたまま死んだのだろう。恐ろしいほどの怨念を感じる。

「得宗家の首と言われても、得心がいくな」

 由茄の言葉の真偽を確かめるつもりが、逆に軽くいなされてしまった。

「これ以上、わたしどもに関わるのはおやめ下さい。御坊の身が危のうございます」

 由茄は軽く会釈えしゃくすると、背を向けて歩きだした。

 照隠は両足に力を込めると、その背中に向かって声を張り上げた。

「そのような怨霊おんりょうを見過ごす訳にはいかぬ」

「わたしどものことは、放っておいて下さいませ」

 それが妙に捨て鉢な物言いに聞こえ、照隠は眉を寄せた。

「いったいそなたは、これからどうするつもりなのだ。得宗家の首となれば、新田の手の者が黙っておるまい」

「故郷に帰り、ねんごろに供養いたしとうございます」

「そなたの故郷はどこぞ」

「上野の来餅くるもちという村です」

「新田の領地ではないか」

「はい」

「たった一人で帰るつもりなのか」

「はい」

 そう言うと、由茄はまた歩きだす。

「待たれよ、と申しておる」

 由茄は律儀に立ち止まり、照隠の言葉を待った。

「わしも同道させてもらえまいか」

「えっ?」

 由茄が振り返った。僅かに困惑の表情が浮かんでいる。

「わしの力では、今すぐそなたを救ってやることはできぬ。だが時をかけて供養すれば、怨霊となった得宗家を成仏させられるやもしれん」

「ですが……」

「仮にも仏の道にある者として、見過ごす訳にはいかんのだ。だいいち、女子おなご一人で行くには道中も心細かろう」

「…………」

 由茄は口を閉ざした。

 黙りながらも、照隠から目を逸らさない。見つめているのか、見つめられているのか、しだいに判らなくなる。

 一陣の風が由茄の髪を掻き上げ、去っていった。

「確かに、御坊がいっしょなら心強うございますなあ」

 掻き上げられた髪が、夕日を受けて、再び黒と橙の紋様を織りなしていた。

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