75 引っ越し前々――夜
お菓子も十分に堪能したし、そろそろ夕食の手伝いでもしようと思ったところで自分の身体が埃っぽいことに気付いた。
「……私には母性が足りないのかも」
なので、お菓子の余韻を噛みしめながら湯舟に浸かっていると、私の隣で大人しくしていたはずのルクスルがまたもや良くわかんないことを言い出してしまった。
「母性が足りないのかも!!」
「……浴室に響くので静かにしてもらえますか?」
他にもお風呂に入っている人はいるのだ。何事かと視線を向けられるのは少し恥ずかしい――――誰も見てくれてなかった。
帰って来てわずか数日だというのに、ルクスルの奇行は知れ渡っているようだ。
「そう! そんな哀れむような目で見るほどに私の胸は小さいでしょ!? 母性の象徴と崇められる胸さえあれば、トテが他の女に誘惑されることもなくなるはず!?」
「たとえルクスルの胸が小さくても私は気にしませんよ? これでルクスルに母性は必要ないと証明出来ましたね。……夕食の準備をしなければいけないので、私はお先に失礼します」
私は専属で料理の仕事をしているわけではなくただのお手伝いなので、今日の献立の情報を持っていない。準備にどれくらいの時間を要するのか把握出来ていないのだ。
早めに顔を出して手伝う意思を示さないと、ただのご飯が待ちきれない子供のように映ってしまうので、今すぐどうこう出来ない問題に構っている暇はない。
「……トテの方が大きいもんね」
だから何だと言うのだ。母性が足りないと自覚したのなら、無い物ねだりで対抗心を燃やす真似はすべきではない。
「……夕食の準備も進んでやるなんて、母親みたい」
――――これは、まさか……⁉︎
自分に無いから妬んでいたら、実は共有財産だったことに気づいたと……⁉︎
「私には母性が足りないのかも??」
「だからと言って私に母性を求めないでください⁉︎」
……挙動不審になってしまうのは、致し方ないと思う。急いで着替えて食堂へ向かわないと母性を求めた野獣にどんな扱いを受けてしまうか知れたことでない。
(……――トテ)
……嫌な予感がする。
扉の向こうから私の名前が聞こえた気がした。
それでも、調理場に入るには食堂を通り抜けるしかない。……いつまでも扉の前でまごついていたら背後から奇襲されてしまう。
「トテが屋敷から出て行ってしまう――!!」
首領だった。大音量で泣き喚く声がテーブルに押し当てた顔の隙間から漏れている。屋敷を出て行くことを伝えていなかっただけで、こんな情けない首領の姿を拝む羽目になるとは思っていなかった。
「……子供ってのは、いつの間にか大人になっているものさね」
夕食の時間にはまだ早いのに席は埋まっている。物見遊山で集まっただけか、それとも首領が招集命令でも発動したのかわからないけど、お酒を片手に相手をしてくれているノーダムさんにも後で労いの言葉を掛けておこうと誓う。
……あくまでも、後でだ。
何でここに居るのとか、お元気そうで何よりですなんて、自分から存在を主張しに行く気には到底なれない。酒の席で自分の話題に混ざろうとするのはやめた方がいいことは身に染みていた。
「……おや、お待ちしておりましたよ」
気配を消して食堂へ滑り込むと、料理長のムイギさんが出迎えてくれた。
「すみません、ムイギさん。騒がしくて」
「いえいえ、それだけトテさんが想われているということなのでしょう。……せっかくですから、手伝いだけではなく簡単な料理も出してみませんか? 作り方はそこに書き記してあります」
どうやら食材を切って盛り付けるだけの簡単な料理のようだ。しかし、私には見たことも無い食材を使うようなので手探り状態。食材の切り方を教えてもらい、流れ作業でどんどん切り分ける。
「……トテさんは屋敷を出て行かれるんですね」
「はい、それでも出て行く日程は決まってませんから、またお手伝いしに来てもいいですか……?」
「いつでも。料理をする意味を持つ方を邪見にする気はありませんから」
……今日は胸を張って言える。この料理は私が作ったのだと。しかし、伝えてしまったらルクスルは条件反射でべた褒めすると思うので、本当の意味で私の手料理は美味しいと言わせる為にも黙っているつもりだ。
「トテが屋敷を出るだって――!?」
……何で、ルクスルの叫び声まで聞こえてくるのだ。周りの空気に乗せられたのか……?
「……もちろん、ルクスルも付いて来てくれるんですよね?」
いつまでも食堂に引っ込んでるわけにもいかないので、料理を運ぶついでに声を掛ける。料理を並べる際に、ルクスルが取りやすい位置に私の手料理をさり気なく置くことを忘れない。
「はい!! 付いて行きます!!」
「首領には聞いてないですよー? お酒の飲みすぎですね、早く寝た方がいいです」
「……だが、寝て起きたらトテが居なくなってると思うと……」
「だから出て行く日程はまだ決まっていないんですってば。明日も会えますから、考え過ぎないようにしてくださいね」
日程どころか、まだ妄想の段階だ。町に空き家はあるのか、空いている土地があるのかも確認していない。
「じゃあ、明日も屋敷にはいるんだな。それなら、トテには町を案内してもらいたいんだが……?」
ノーダムさんからのお願い。ルクスルも明日は仕事をしたいと言っていたし、引っ越し先の目星をある程度つけておくのもいいだろう。
「いいですよ」
「……もう少し私の姿に驚いてくれてもいいだろう。満を持した私の雄姿にトテが慌てふためく姿を楽しみにしてたのに」
「それならそれ相応の登場の仕方をしてください。ノーダムさんはいつ頃屋敷に着いたんですか? と言うか、良く屋敷に入る許可が出ましたね」
「トテの母親だと名乗ったらすんなりとな」
「……虚偽の報告は違法ですよ」
「大丈夫だ。作り話ではなく、トテの過去は真実しか告げていない。並の情報では信憑性に欠けると思ってな、最古参の私しか知りえない情報も大盤振る舞いだ」
「……ノーダムさんなんか大っ嫌いです!!」
――――だから町に来てほしくなかったのだ! どんな話を漏らしたか追及しようにも、こんなところで話させてしまったら二の舞になる!
……私の過去を知られたのは屋敷の門番さん。
目を逸らした奴が口を封じるべき相手!?
「……トテにもそんな過去があったとはな」
声を出したのが運の尽き!! 私の視線で居殺す――――視線が定まらない!? ……まったく、首領はどれほど飲んでいるんですか……!?
「今のトテからは想像もつかない!! 追加情報をもっと求めます!!」
……既に拡散された後のようだ。
「すまないねえ、トテがぐずりだしたからお眠のようだ。続きはまたの機会にね」
「……ノーダムさん、交換条件といきましょう。何が望みですか?」
「トテがこの屋敷でどんな扱いをされてるか知りたいねえ。……みんなと仲良くやれてるかい?」
「おかげ様で、私の人となりは知れ渡ってますよ!?」
私の方は団員の名前も覚え切れていないんですけどね⁉︎
「……それなら町の方はどうだい?」
――――悪いけど、難しい話は後にしてもらいたい。今まさに、ルクスルが私の手料理に手を伸ばしたのだ。
「……言いたくないのか、それとも言えない出来事があったのか……。辛いのなら、無理してここに居ることもないんだよ……?」
私の予想通り、ルクスルは味について一切感想をのべない。ここで私が作ったんですけどねって伝えでもしたら大絶賛されることは目に見えているので、何も言わないということは、これが今の私の実力なのだ。
「……トテ? 何かあったの?」
不思議そうにルクスルが聞いてきてくれる。だけど、伝えるべきではないと気合を入れ直す。
私は食材を切り揃えただけで、『こ、これはトテの切り口!?』などと気付いたりしたら、さすがに引く。味付けもムイギさんの指示通り行った。元々、食に興味のないルクスルに気付けと言う方がおかしい。
一時の優越感で種明かしをしたいなど、傲慢な考えだ。
「……私たちは先に部屋に帰るよ」
有無を言わさぬ力強さでルクスルに手を引かれてしまう。その真剣な眼差しに、言ったら悲しませるとわかってても話してしまいたい欲求にかられた。
「……まだご飯の途中だったんですけど」
「…………」
「ルクスルもあまり食べてないですよね……?」
「…………」
「わ、私も作ってみたんですけど、美味しかったですか……?」
「……ハァ⁉︎ だって、……いつも、運ぶだけで……⁉︎」
飛んで戻ったところで、大所帯の男連中の前に並べられた料理が残っているはずもなかった。
あれれー? 『とっぷす』って言葉あるよね?
毛利のおっちゃんとかがよくやる、自分の腕を枕にテーブルで酔いつぶれてる様だったと思うんだけど、調べても見つからない。間違えて覚えてるのかな?




