69 隣にいるのは誰?
呆れながら、ようやく自分が置かれた状況を鏡で知る。
「……よく似合ってる、可愛いよ」
「似合う人なんかいるんですか、こんなの……」
優しく撫でると思い出したように朱色が浮かび、血の気が引いたおでこに目立つことこの上ない。ルクスルのお世辞も思った以上にやり過ぎたのを誤魔化されているような気しかせず、広がって全体に馴染むかそれとも消えるか選べと自分のおでこをぺちぺちと叩く。それがルクスルには傷痕を意識してると映ったようで、恋する乙女のように指の隙間から私に熱い視線を送ってくる。
そんな…体当たりではない無言の好意を向けられるのは久しぶりなのだ、勘弁してほしい。しかも見逃す気は無いのか、くしくしと前髪を直しながら目を逸らす私にルクスルが更に追い打ちをかけてくる。
「やーん、照れてるの!? 大好きって顔に描いてあるよ、私が描いたんだけど」
恨みがましい目でルクスルに向き合う。しかし、現実の私とは目を合わせてくれず、鏡の向こう側を愛おしそうに眺めている。その喜びように同意してあげたいのだけれど、……だけど、ルクスルには悪いけど、熱が冷めた私にはもう転んで出来た傷にしか映っていない。おでこ程度にそこまで夢中になれる意図と想いが…私には理解出来ない。
「……可愛い…ですか……?」
私のつぶやきに対して、鏡の向こう側の自分は冷めた目で見つめ返してくる。そんなつまんなそうな顔で好意を向けてもらえるとでも思っているのかと優越感が溢れ、それなのに、鏡を介してしか自分を見てもらえていないことに嫉妬のような感情が渦巻き、好きな人と想いを分かち合えない自分は嫌われてしまうのではないかと、無理やり笑顔を貼り付ける。
望む言葉を得られた時、人はどこまでも盲目になれるのだ。
「可愛いって言ってるのに、何で隠しちゃうの!?」
「それはそれです。おおっぴらに晒すのも恥ずかしいですから」
なんだかんだ言っても傷痕なのだ。相手にどうしたのかと心配させるのも悪いし、付いた過程も笑い話にはなりえない。それならばいっそのこと、隠してしまうのが一番いい。
「……トテは本当に自覚が足りない。見せつけることに意味があるのに」
「これ以上面倒ごとを増やしたくはないんです。そうでなくても、何だか監視されてるような気がするんですから」
久しぶりのルクスルとの町へのお出掛けは、おでこの痕なんかに気を取られている場合ではないと考え直さざるを得ない状況だった。
道行く人に手を振られる、声を掛けられる。だけど一瞥するだけで、ルクスルは自分に向けられる好意を完全に無視して歩き続けていた。
だからこそ諦めきれないのか、私たちの後をつけてきてるような人まで見受けられる。このままでは、強引な手段を使ってきてもおかしくはない。
「……ルクスルは人気者だったんですね」
「好きな人が他人から好意を向けられるのはお辛い? もっと、嫉妬してくれてもいいのよ?」
「現実を知った誰かさんが不憫でなりません」
ルクスルに声をかけようにも、隣に居る私と仲良く話しているようだから……ではなく、ルクスルが歩き続けているから立ち塞がる隙も無いだけだ。止まれと念を込められて睨まれたりもするけど、そっちがその気ならばと私も敵意で跳ね返すことも辞さない構えだ。
「……私が手を繋いでいるというのに存在を無視されてるようで、嫉妬を希望してくるルクスル以上にイラっとします」
そう言ったのが悪かったのか、数人の男たちが私の方を呼び止めてきた。ようやく出番かと身構えたのに、時間の無駄だとルクスルが私を強引に引きずってしまう。
「私、この人たちに用があるんですけど……!?」
「駄目、急いでるから」
「それをこの人たちにも説明してあげてくださいよ!?」
「えー? ……何か用? 『泣』って言葉が出た瞬間にぶっ飛ばすから」
「……いや、ルクスルに用は無えよ。トテちゃん見つけられたんだなって伝えたかっただけだ」
「そう‼︎ 大変だったんだから⁉︎」
……ルクスルが見事に釣られてしまった。私のことを気にして声を掛けてくれた風なのに、私と目線が合ったのは最初の一度だけ。蚊帳の外に放り出された屈辱をほっぺたに込めるけど、既に私は認識さえされていない。
ならばと矛先を変え、名前も知らない誰かと仲良さげに話し込んでいるルクスルの手首を掴む。
「ルクスルこそ自覚が足りないんじゃないんですか!? 今は私と一緒にいるんですよ!?」
話題の中心は隣にいるのだから、そんな雑談くらいいつでもしてあげられる。それなのに、どこまでも私を正面から見てくれないルクスルに怒りを覚える。
手首を無理やり掴んだりなんかしたら傷付けてしまうかもと思いとどまりそうになるけど、お互い様だとおでこの傷を思い浮かべ、言葉の意味を未だ検索中のルクスルの思考は置き去りにして強引に手を引き走り出す。
「……え、でも、トテもこの人たちに用があるって……?」
「用なんてありませんよ、ただの敵です。私の敵なら、ルクスルにとっては何なんですか……!?」
「え、人類の敵?」
「……私は世界規模で暗躍しているつもりは無いです」
人混みを駆け抜け、脇の路地へ。走る速度さえ上げれば、私たちなら振り切るのもなんてことはない。途中、袋小路に迷い込んでしまい、追いかけて来た人たちに丁寧に通りに抜ける道を教えられ締まらない逃走劇ではあったけど、目を輝かせるルクスルを見れただけでも良しとする。
「えへへ、トテったら強引なんだから」
「……ルクスルまで私を見てくれないからですよ。この私を可愛いって言ったなのら、それ相応の対応を望みます」
「じゃあ、トテからも大好きだって言ってほしいな? おでこの痕も消えちゃってるしね? やっぱり言葉でちゃんと言ってほしい」
「……おでこの痕…消えてるんですか?」
「場所が場所だしね。たとえば、首筋なんかは残りやすいよ? ……というか、しばらく残ってた。実証済み」
……そんな話は聞いていない。つまり、首筋にそんな痕を付けて気づかず過ごした日々があったということだ。でも、傷があると誰かに言われたことが無いということは気付かれなかったということのはずで、まさか見ただけで傷付いた過程を推測するなんてこと出来るはずも無いだろう。
「ご所望なら、もう一度付けてあげようか? はむはむ」
「腕を噛まないでくれますか? 歯形が付くのはさすがに嫌です」
「痛みを我慢出来ずに目の前の物に思わず噛みついてしまったって設定でいこうと思うの。深い愛情の証」
「……愛情…ですか? 痛みに関しては良くわからないですけど、……仕方ないですね」
「え!? いいの!? 自慢する、これは自慢する!!」
「……何か噛み千切られそうなので、気持ちだけ頂いておきます」




