67 思い出の味
建築とは違い、一瞬で作り出せない料理というものが私は好きだ。調理の道筋は見えてるけど、火加減や食材の切り方で出来上がりが大きく左右されてしまうのがとても好ましい。何より、私の作った料理を全部美味しいと言い出すルクスルの採点の甘さは、私に料理の腕を上達させたい理由を与えてくれる。
「あのー? 手伝いに来ました」
事前に食事の準備を手伝いたいとは言ってある。
だけど、私は本格的にここで料理を習おうとは思っていない。私の本職は建築であり、二つの物事に手を出せるほど器用でもない。それでも、いざルクスルと二人暮らしを始めた時に、料理の腕が鈍っていると思われたくない気持ちくらいは持ち合わせているのだ。
「本当に来てくれたのですね。……ですが、料理の下拵えは既に終わっておりますので、皆様が集まった時の配膳と、後は…せっかくですので料理の味見の方をお願い出来ますか?」
夕食の準備は既に終わっていたようだ。
そういえば、他の団員は仕事で誰もいないなんて時でも、食堂に来ればご飯はすぐに食べられた。団員の行動時間はそれぞれ違うようだし、軽食ならいつでも食べられる状態を常に保っているのだろう。
「……まずはこれを、率直な意見をお願いいたします」
微かに湯気が立つ小皿に入った乳白色のスープを渡される。……味見だからと言い訳めいたことを考え、みんなより先に食事をとる行為に優越感を感じた。
「……にがい」
香草の良い香りが鼻に抜け美味しいだろうと確信して飲んだのに、意外な味に私の舌がおかしくなってしまったのかと思い、もう一口含む。
「……え? にが――」
「いいですね、その反応。頑張って作った甲斐がありました」
「……私、からかわれてますか?」
「いえいえ、その苦さで完成なのですよ。時に、あなたは苦い料理を進んで食べようとしたことはありますか? 無いでしょう? だから私は作るのです。美味しい料理に紛れ込む、苦い料理を食べた時に首をかしげる皆の仕草を見たいがために!」
……変な人だった。
苦い料理と言えば、昔ルクスルと毒トカゲを焼いて食べた時以来だ。懐かしさでこの苦さも病みつきに…そんな酔狂な想いはない。
料理自体は苦いだけで、毒が入っているような舌が痺れる感覚は無い。口直しですと渡された違うスープを舌で味わい、さっきの苦みを消していく。
「お気に召していただけたでしょうか……?」
「……美味しそうな匂いだったのに苦かったせいで、何て言えばいいのか混乱しています」
「でも、不味くはなかったでしょう? 美味しい料理ばかり食べていては感動は生まれないものなのです。予想外の味に触れることで、命を頂く行為なのだと人は改めて実感してくれると私は信じています」
……出来れば、そういうのは個人で密かに楽しんでいて欲しかった。大勢での食事に紛れ込ませるのはどうかと思う。
「……食堂の方が騒がしくなってきましたね。皆様も待っているようですので、料理を運ぶのを手伝ってもらえますか?」
「え? 出してしまうんですか、これ?」
「もちろんですよ。せっかく作った料理を食べてもらわないでどうするんですか」
……考え直してもらうことは出来ず、器に盛ったスープ類を台車で食堂へ。談笑しながら待ちわびているみんなの前に心の中で謝りながら並べていく。
「トテが手伝った料理はどれ?」
私は運んでいるだけだと伝えたら残念そうな顔をするルクスルの前を通り過ぎ、合掌の声が響く食堂に後ろ髪を引かれながら使い終わった台車を調理場の隅に片付ける。
「お手伝いありがとうございます。こちらはもう十分ですので、皆様との食事をお楽しみください」
調理場では早くも使い終わった食器類を洗って片付けていて、少なくなった料理を同時進行で作り始めている。これが大勢で暮らす盗賊団での食事の量かとその仕事ぶりに驚きながら、全力で手招きしているルクスルの隣の席に座る。
「おつかれさまー」
ルクスルは私を待っていてくれたようで料理にはまだ手を付けていない。せっかくだからと、二人で遅めのいただきますを小声で言う。
「トテのおすすめの料理はどれ?」
私が味見した料理は一つしかない。だけど、美味しいかと聞かれたら首をかしげてしまうわけで……、思い出の味だとしても、積極的におすすめしたいものではない。それなのに、視線を感じ取ったらしいルクスルは、私が止める間も無く苦い料理を食べてしまう。
「……思い出の味だね」
「思い出したくないですけどね」
「……ただ苦いだけか。……ということは痺れ薬を密かに入れられても、この料理は苦いものだと認識しているトテは躊躇なく飲んでしまう訳だね」
「……食後に何故か身体が痺れてしまったら、ルクスルに具合が悪くなってしまってごめんなさいってずっと言い続けますよ? ルクスルが後悔して謝ってくれるまで、ずっとですからね!?」
「……ごめん、もう入れた」
「二回目の謝罪を所望します!」
食後はゆったりとした時間が流れている。特段、私の身体は痺れるようなことはなく、舐めるようなルクスルの視線さえ気にしなければ異常はない。
「……トテ、身体が痺れたなんてことはない?」
毒が遅効性の可能性は捨てきれないけど、恐らく私が動けませんと言い出すのを待っているのだと思う。それはいわゆる合意のしるし。ふざけて言ってしまったら終わりだ。
「……ルクスルは明日、暇ですか?」
だから話題を変える為に、森でさんざんお世話になった工具の汚れを落としていた腕を止めて、明日の予定を聞いてみる。独りで出掛けることの寂しさと虚しさは身に染みていた。
「……暇だよ」
「ティグルに、仕事しろって追いかけられたりしないですよね?」
「私が捕まるとでも……?」
「……追いかけられる理由は払拭してきてください」
「言わなくてもいいんじゃない? 今までずっと一人で掃除してたんでしょ? 追いかけられるのならまだしも、仕事が暇になったから付いてきたいなんて言われたら、トテとのせっかくのお出掛けも台無しだよ!」
「……むしろ、今まで一人でやってきたから、良き理解者になったルクスルを逃したくないとか言い出すのでは……? うん、私が代わりに断ってきますね。ルクスルは私との用事を優先したいからって」
「その通りだから、強気でお願いね?」
……そうは言ったものの、ティグルはこの屋敷で暮らしているのだろうか? 誰かにティグルのことを聞ければいいけど……、こんな時はやっぱり、この盗賊団の首領でもある首領に聞くのが良さそうだ。
ルクスルに少し出て来ると伝え、部屋の外に。夜遅くということもあり、廊下は静まり返っている。既に明日の為に眠っている人もいるだろうし、食堂での阿鼻叫喚が嘘のようだ。
……別に、ティグルに伝えるのは明日でもいいのだけれど、出掛ける前の楽しい時間に要らない問答を繰り広げたくはない。私が一緒に出掛けたいと言ったら、ルクスルは全てを投打ってまで私を優先することは分かり切っていたし、その想いは私も同じで、これはただの我儘なのだ。
「……首領、帰ってますか?」
食堂には誰も居なかった。
何故、首領といったら、食堂に居ると決めつけたのか。……会える可能性が高い場所を最初に探すのは当然だと思い直し、仕方なく個人の部屋を一つずつ確認していくことにする。
「……首領、首領。……部屋に首領って書いている訳ないですよね……? 首領の名前って何なんでしょうか? ティグル、ティグル――……」
首領に聞きたいことはティグルが屋敷に住んでいるかということで、ここまで来たのならティグルの部屋を探した方が早いと考え直し、部屋の前に掲げられている名前を一つずつ読んでいく。
「……無い?」
……ありえないけど、まさかと思いつき、私たちの棟にある部屋も確認していく。
「……良かった、無い。ティグルが女の子な訳無いですよねー」
男性の居住区と女性の居住区はある程度分けられている。ある程度とはつまり、普通の恋人同士が同棲したい場合だ。そんな時は男性棟に女性が住んでいる。二つ並んだ名前がその証のようだ。
「……結構な人が、この屋敷に住んでいるんですね」
ティグルはどうやらこの屋敷には住んではいないみたいだけど、無駄足だった訳でも無い。住んでいる人の名前を一通り確認出来た。顔と名前は一致しないけど、覚えてあげるに越したことは無い。
「……知っている名前の人が居ません。全員覚えてあげたいけど、そんなこと私に出来るんでしょうか……?」
苦い料理って言うと、ピーマンとか苦瓜とかうさぎのニガヨモギ煮ですね
『え~!?』だよ!




