62 掃除
前話のティグルの性格と言葉遣いを変えております。
大人の世界にいきなり投げ出された時、話し方を変えなければいけなくなった時、……慣れた時にタメ口がポロっと出てしまった時の空気の変わりようは忘れられませんね!
そういえば布団をまだ確保していなかったとルクスルが突然言い出し、ちゃんと仲直りしてね私の客だからね無理言って来てもらったんだからねと……私を諭すように頼んできたので、布団なら代わりに取ってきますよと私は返事も待たずにその場から逃げ出した。
こいつと二人っきりなんて耐えられそうにないし、ましてや私たちの部屋に案内するなんて屈辱以外の何物でもない。もしかして道に迷ったのかなんて言われたら怒りで我を忘れてしまいそうだ。私がこの屋敷で迷うことなど有り得ないと言い張ったところで現実は変わらないし、この屋敷を造ったのは私だからという優位性も今は重荷でしかない。
そう……私は迷ってなどいない。
「……デジーさん、どこですかー?」
大声を出せないのは、さっきみたいにルクスルが突貫して来ないようにだ。さすがに何度も呼ぶような真似を控える分別くらいは私にもある。並ぶ部屋の中で団員が休んでいるかもしれないし、情けない声が気になって様子を見に来られでもしたら迷子のように彷徨う私をばっちり目撃してしまう。
見覚えがある大きな扉の前で立ち止まる。この先は食堂。ここに用事はないと引き返そうとしたところで、それならどこへ向かっていたのかと考え直す。
「……誰かいますかー?」
探しているのはデジーさん。特定の目的地などはない。もしかしてここにいるかもと、重い扉を開けて隙間から覗き込む。
「……お!?」
……居たのは首領だった。疲れ切っているかのようにテーブルを枕に塞ぎこんでいて、熱があるかのように顔が赤くなってしまっていた。
「トテー!! こっちだ、こっち!?」
……酔っ払いだ。役に立ちそうにない。デジーさんが言っていた通り首領が王都から買ってきたのはお酒だったようで、所狭しとお酒の空き瓶がテーブルの上に転がっている。
とても楽しそうに私に椅子を勧めてくる首領に『……私、忙しいんですけど』と断りながらも、首領ならデジーさんか布団を置いてある場所を知っているかもと考えたところで、聞いても無駄そうだと思われても仕方ないくらいに首領は泥酔していた。
小さなコップにお酒を注ぎ、この気持ちを共有しようと笑顔で渡してくる首領を見つめ返す。
「……私、お酒は金輪際飲まないって心に決めてるんですけど……?」
「んん? 飲んだことあるのか!? 悪い奴だなー!? ……まあ、座れ」
いきなり真面目な顔で語り合おうとしてこないでほしい。
「……俺に、聞きたいことがあんだろ」
「はい、布団を置いている部屋か、デジーさんを探してます」
「――違うだろ!?」
首領が突然叫び出す。
いきなり大きな音を起てないでほしい。
ルクスルが飛んでくるかもしれないし、手に持ったコップが割れてしまうかもしれない。……私が落ち着いていられたのは、首領が怒りを向けた先が、何もない壁だったからだ。どれだけ酔っているのだという私の哀れみの視線も首領は気づかない。
「……トテの助けはいらないって言ったことだ」
「い、言いましたっけ……?」
「言いましたー! トテはしっかり聞いたはずだ、首領舐めんなよ!? 寝た振りか気絶かで起こし方は変わるからな!? 拷問する時とかの必須技能だ!」
……そうすると、私がルクスルの膝の上で寝た振りをしていたことも首領にはわかっていたのかー。
「トテが邪魔な訳じゃ無い! ……だが、誰がどっから見てるか分かんねえんだ、目立つような真似はしてほしくない。トテの手を借りなくてもこの町の連中だけでどうにかできる……今までそうしてきたんだからな」
「……はい」
首領の自立宣言。それを、両手で顔を隠して聞く私を許してほしい。
「ほら、水だ」
「……それ、お酒ですよね。騙されませんよ」
「良いじゃねえか、ちょっとくらい付き合ってくれても……」
私が壊した門の周辺がどうなっているのかとか、町の人たちに挨拶とか明日から色々忙しくなるのだ。
酔っぱらった首領にこれ以上絡まれるわけにもいかないので私は退散することにする。ルクスルが待っているのに、いつまでも構っている暇はない。
「トテ、お帰りー!」
部屋に何とか辿り着くと上機嫌なルクスルに迎えられた。首領と同じく酔っているのかと思うほどだけど、これが素だ。
「天井と壁は綺麗になったよ。掃除も難なくこなす私をトテに褒めてほしいけど、床の掃き掃除が終わるまでは我慢するよ」
汚れて壁の色が変わってしまっていたのならまだしも、しばらく放置されて埃が漂っていただけなので作業が進んでいるかどうかはわからない。
だけど、あと少しで終わるのなら早く終わらせてしまおうと私も箒を手に取り手伝おうとしたところで、奴が私の行動を監視していたかのように近づいてくる。
「……おい」
「何? 私たちの部屋なんだから手伝うのは当然でしょ。……それとも、それは俺のだってまた言い出すつもり?」
「……あの姉ちゃん何なんだ? お前と別れた途端にいきなり何もしゃべらなくなって――」
聞くと、二人で部屋に向かっている時も掃除の仕方を教えている時も、さっきの騒がしさが嘘のようにルクスルは簡単な返答しかしてくれなくなったらしい。教えた通りに掃除はしてくれるけど、雰囲気がまるで変ったルクスルに声が掛けづらくて、私が来るまで異常な沈黙に耐え忍んでいたそうだ。
「……俺、ここまで怒らせる気は無かったんだ」
……私が思うに、これがルクスルが何も出来ないと首領にも言われていた原因ではないかと思う。気分によってまるで態度が変わる姿に怯え、今も何故か箒を振り回しているルクスルに注意することもためらっている。
教える前に、ルクスルとの接し方を模索する羽目になってしまい全然先に進めていない。
「話せば分かってくれるから」
「……それは分かる、教えればその通りにやってくれるから。だけど、ここまで態度が変わると――」
「ルクスルー、こいつが、ルクスルのこと怖いってー!」
「……おい!?」
「ふっ、ようやく私の恐ろしさに気付いたみたいだね。だけど、これくらいで恐がっているようではとてもトテの隣にいることなんて出来ないよ? まあ、この私が許すはずないけどね。……トテと年が近くて仲良く話せるからっていい気にならないでよ!?」
……後半は完全に私情だ。だけど、これもルクスルの素だ。
「……助かった、さっきの姉ちゃんだ」
「ルクスルは私にもこういう時はあるよ? 機嫌が悪そうに見えるけど、……きっと、私のことを考えて頭がいっぱいになってるだけだと思うから」
私が好きな人を意味が分からないからって遠ざけたりしないでほしい。ルクスルが覚えたいことを手伝ってくれるのなら、私がルクスルの誤解は解くから。お願いだから、見捨てたりなんてしないでほしい。
「……さっきは悪かったな」
「良いよ、……もう、気にしてないから」
「ティグルだ、俺の名前。お前はトテ…だったよな」
「うん、よろしく。……ティグル」
「――いけません!!」
和解の手を無理やり引きはがしたのはやっぱりと言うか、ルクスルだ。
「私はそこまで許した覚えは無いよ!?」
大変ご立腹な姿に申し訳ない気持ちはあるけど、引き離した私の手をついでとばかりに揉みだすのはやめてほしい。怒られている理由は不明だけど、気が散ってしょうがない。
「……これは、お仕置きが必要だね!? 明日の朝は私の顔をまともに見れなくなるくらいに可愛がってあげるから、綺麗にしたばかりのベッドで一緒に眠ろうね?」
「えっ? お前、姉ちゃんと一緒に寝てるのか? 子供かよ!?」
……子供? この…私が!?
でも、確かに、私を思いっきり子供扱いするノーダムさんは事あるごとに私との添い寝を希望してきていたし、そのノーダムさんと同じことをしてくるルクスルの行動に、私は眠る時はそういうものだと疑問に思うことも無かった。
子供の時からの変わらない日常。
それでも、大人になると決めたのなら――。
当たり前だと思っていたことを指摘され笑われたのなら……変えるべき!
「いえ、私は大人なので……一人でだって、眠れます!」




