57 恐怖
「……私はトテに嫌われたいわけじゃなくて、トテを助ける権利を誰にも渡したくないの」
ルクスルの言い分はわかる。
……私もルクスルに助けて欲しかったから、恥ずかしさを押し殺してまで名前を呼んだのだ。
「だから、私だけに向けてくれるそんなトテの顔を、もっと眺めていたくなったから手を抜いてしまうのも致し方ないと思わない?」
「……そんな不埒な考えをしてる間に、私は自力で抜け出してしまいましたけど……?」
「……トテは、やっぱり凄いね!」
「そんな笑顔で騙せると思ってますか⁉︎」
……しかも、私に抱きついて来て、機嫌を取るついでに狼から遠ざけようとするのだ。
「狼くらい、私でも戦えます! ルクスルは私の勇姿を後ろで黙って見ててください!」
「……その提案はとても心躍るけどね」
……私が円型に掘った雪の側面が一部崩れ落ちる。
融けかけていたのだから当然だろうと、私が穴から脱出して狼を混乱させるための時間稼ぎなのだから補強したわけでも無いし、想定よりも長く持たなかったのは残念だったけど……?
「……何だ?」
ただそれだけのことでデジーさんも気にしすぎ、です……?
……雪の塊が落ちる音が何故か足にまで響いた。その違和感を感じて、穴に一緒に落ちた狼は雪壁に爪を立て必死によじ登って逃げようとしている。
「トテは殺気を向けられるのには私のせいで慣れちゃってるみたいだけど、殺気を向けてもくれない強者ってのはいるんだよ」
……地面が、揺れている?
樹々の向こうで何か……⁉︎
「……動くな。俺たちに関心が無いのなら見送ろう」
二本脚で、立っている?
だけど、私が手を伸ばせば頭に手が届く程度の高さだ。警戒した割にはそれ程大きな生き物では無さそうだけど……?
……そう言えば、雪は融けかけているんだった。
自重を支えきれずに雪に埋もれながら現れた姿は巨体。私が掘った穴に辿り着き、久しぶりに両脚が地面に届いたことに歓喜の声を上げている。
「……思いの外、大きいですね」
「どこかで見た顔だね?」
「毛皮一杯獲れそうさんですよ」
厳密には違うとは思う。ウチの子はもっと優しそうな眼差しをしていたし、何よりこれ程大きくは無かった。
「草とか、食べるんだよね……?」
「教えてくれたのはルクスルじゃないですか?」
「……自信無い。雑食だったのかも」
「今更ですね。でも、頭に乗ったりも出来ましたし、この子もきっと……大人しい良い子――」
期待は掻き消された。
再びの咆哮。
行為の意味なんてわかりたく無い。私とずっと目が合っていたのは、同類がお世話になったお礼をしに来てくれたに違いないと思いたかった。
「……顔見せも済んだみたいだし、もう行こうか」
「トテ、道を作れ」
穴から出られるよう急いで斜めに雪壁を掘る。
この子から目を離したら襲いかかってくるんじゃないかと、手探りで雪壁に触れて掘った横穴の位置を確認しながらゆっくりと後ずさる。
獣は私たちに興味が無くなったかのように湿った地面に身体を擦り付けながら寝転びだした。その姿はとても愛らしいのだけれど、この子の至福の時間を邪魔してまで戯れ合う勇気は私には無い。
「早く森を抜けちゃいましょう。デジーさん、引き続き案内をお願いします」
姿が見えなくなったので遠慮無く走り出す。
やっぱりここは危険な場所だった。前にルクスルが盗賊団員では死んでしまうと言ってたことも思い出せた。
「――トテ、止まって!」
ルクスルの叫び声。腕を掴まれ、強制的に停止させられた。
「……未知の恐怖に怯えるのは仕方ないことだけど、まずは現状確認。……トテの靴がすっごく汚れてる」
残雪の上に私の靴底に付いた土が分かりやすく足跡を残していた。……いつの間に? 穴を掘って、剥き出しの地面に降りた時かな……?
「……自分の痕跡を残すような真似は厳禁。盗賊団なんだから尚更ね。まずは靴を綺麗にしましょうー」
「……ごめんなさい、ルクスル」
「トテの絶望顔を拝めたのも久しぶりだったから、私も指摘が遅れちゃったよ……」
「……そんなに怖がってないです」
「いーや、泣き出しちゃいそうなくらいだったね」
……ルクスルには大切な思い出が出来てしまったようだ。
「……まあ、私にも対処くらいは出来そうでしたけどね。落ち着けたら、なんてことはなかったです」
「偉いねー、トテは。その調子でもう少し息を整えていようか?」
……ばれていた。
全力で走ったせいで私の息が上がっていることに。
「……しっかし、何だったんだあいつは。お前らは顔馴染みみたいだが、俺は今まで会ったことは無かったぞ?」
「トテが造った家を揺らしに来る悪い奴です。生態は不明。私の武器に加工出来そうなのは、爪くらいかな?」
「……倒す気かよ」
「余裕。トテの優しさが私の腕を鈍らせているだけ」
私が昔庇ったばかりに、一目散に逃げるはめになってしまったようだ。でも、家に来てたのは良い子だから、さっき会った子は倒しても良いだなんて我がままを通すわけにもいかない……。
「……来てるな。揺れてる」
……私には感じない。
殺気や気配では無い、当たり前の行動には気付けない。
「トテの足跡を追って来てたりして……? ――良いよ、トテ! その顔最高だよ⁉︎」
吠えただけなのに、私に敵意は向けられていなかったのに、あの場での恐怖だけが蘇る。
「……逃げましょう」
「俺もトテに賛成だな。無理して狩る必要も無いだろ」
「そうだね。……戦ったら、もしかして、トテが余裕で狩れましたけどとか言われたら残念な気持ちになっちゃうからね。せっかくだから、あいつにはトテの恐怖の象徴として君臨しててもらわないと!」
……ここで倒してしまった方が良い気がして来た。
「怖くて眠れませんとかトテが泣きながら擦り寄って来たらと考えると……!」
そんな子供みたいな真似、するわけが無いでしょう⁉︎
「……だが、本当にあいつがこのまま追いかけてくるのなら何とかしないとな。取り敢えず何とか撒くか。……町にまでついて来られたら大事になる」
……それなら仕方ないですね。せっかく私が本気で相手をしてあげようと思ったのに。
「――ひっ⁉︎」
不意の揺れに、喉の奥から息が漏れた。
「……近いな。何処かに隠れてやり過ごすか……? ルクスル、……俺の話を真面目に聞いてもらえるか?」
「ひっ、て、……こほん。何処かに隠れるのは良い考えだね。動けずに恐怖に震えるトテを存分に堪能出来そうだから」
「……走って逃げましょう。身体が大きいからそんなに速くは走れないはずです」
「おう、じゃあ準備しろ。そこに居る」
……うん、姿をわざわざ確認する必要は無いです。
「デジーさん、道はこっちで合っていますか⁉︎」
「良いから真っ直ぐ走れ!」
脇目も振らずに逃げ出すとはこのことを言うのだろう。
「……そんなに全力で走ったら、すぐに動けなくなっちゃうよ?」
返事は出来ない。思ってたより体力を消耗していたようだ。昨日、デジーさんと夜遅くまで話してしまったのも関係しているのかも……。
「トテは強くなったんだろう⁉︎ 諦めるな!」
「刹那だけね。疲れたら休むようには言ってあるから」
「ルクスルはどこまでも過保護だな⁉︎ それなら持久戦が出来ないのも頷けるわ!」
……すぐ後ろから荒い鼻息が聞こえる。このまま逃げ続けるのは私の体力的にも厳しそうだ。
「……しょうがない、追い払おう。トテを追いかけて良いのは私だけだからね」
足を止めてしまったルクスルに、私の手が届くはずも無くて――。
……だけど、声くらいなら届くはずだと!
「ルクスル!」
「……トテ、向き合う覚悟は出来た?」
初期に森を抜けた過程を数日すっ飛ばしたのを後悔していて、改めてじっくり書こうと思ったけど、歩き続ける話なんか書いてる暇はねえと結局次回には町に辿り着く予定です。
トテの戦闘はここで書いておかないと、もう戦う事は無いだろうとこの為に暖めておいた奴を登場させておきます。




