56 出立
方角さえわかっていれば、後は真っ直ぐ進むだけで目的地には着ける……わけは無い。雪解けが進む山道は足場が悪く、そびえ立つ樹が行く手を阻み、邪魔だと愚痴りながら回り込もうものなら代わり映えしない景色が方向感覚など簡単に狂わせる。
「……迷っちゃいましたね」
「闇雲に動かない方が良いよ、トテ。……こんな時はここに家を構えて、誰かが探しに来てくれるのをイチャイチャしながら待つべきだよ」
「それじゃあとりあえず、ここら一帯を平らに均しますね?」
「……止めてくれない!? 空腹を紛らわせる為だけの会話に物騒な単語を混ぜるのは!?」
……そうは言っても、ルクスルとは手を繋いで歩いているのではぐれる心配は無いし、緊張感など疾うの昔に消え失せているのだ。
「……ご飯の調達くらい、今の私なら楽勝だと思っていました」
「大丈夫、私は今でも楽勝だと思っているから。トテのせいじゃ無いよ」
町への帰り道を知っているのはデジーさんだけだけど、森の中を先頭で歩いてもらうのも不安だったので、用心の為にルクスルが殺気をばら撒いた結果、怯えた獣たちが近づかなくなってしまい私たちはお昼ご飯にもありつけないでいた。
「……やっぱり、ノーダムさんに遠慮せずに食料は持てるだけ持ってきた方が良かったですね」
家に残してきたノーダムさんたちとは涙ぐみながら別れたわけではなく、お互いの事情を察して町での再会を約束するだけに終わった。見送りの際にノーダムさんたちもお互いの手を繋いでいたことから、邪魔だと思っていたのは私だけでは無かったと気付いたのだ。
「……ねえ、今日中に町に着くことって出来るの? トテが早く休みたいんだって」
ルクスルが何故か私の気持ちを代弁する。
「普通に向かったら夜中だな。首領への帰還報告は日が出てからの方が良いから、どこかで休んで調節した方が良いだろ。……と言うか、ルクスル。お前も町からここまで来たんだから、大体の距離はわかるだろ?」
「……まったく検討もつきません。私が方向音痴だってことにしても良いから、その指摘はやめてくれない?」
「ルクスルって方向音痴だったんですか……?」
「闇雲に逃げ出したトテを見つける為に当てもなく森の中を探し回ったせいです!」
「ごめんなさい、ルクスル!」
「トテは悪くないよ。悪いのは、えーと……」
ルクスルの視線がちらちらと揺れる。
「……無実の罪を何とか俺に被せようとする努力だけは認めてやるよ」
呆れながらもデジーさんの歩みが止まることはない。何度も私たちの為に物資を持って来ていたのだから道をわかっているのは当然なのだろうけど、同じような景色の中を確信めいた足取りで進み続けるのは凄いと思う。
「……トテがずぼって、雪にはまりますように」
「何を祈ってるんですか、ルクスル……」
「トテの歩き方が見てて可愛いから、颯爽と手を差し伸べる理由が出来ますようにって」
木々の隙間から春の日差しが差してきていて、気を付けて歩かないと融けてきている雪に簡単に足を取られてしまう。ふらついている様な私の足運びがルクスルにはとても気になるようだ。
「ルクスルは私の前を歩いてください。視線がとても気になります」
余裕ぶった足取りのルクスルの動きを見て覚える為にも前を歩かせる。……足運びや足を置く場所に規則性は無さそうだ。足音を消すのとはやり方が違うらしい……?
「――わ⁉︎」
突然の落下の感覚に、自分の口を塞ぐ暇も無い。
「……トテ、……振り返ってみても、良い?」
「駄目です! ちょっと転んだだけですので、恥ずかしいので見ないでください!」
……まさか、私の下半身が埋まるほどに雪が積もっているとは思いもしなかった。
ルクスルたちが雪を踏み固めるように歩いてくれているおかげで安心してついて行ってしまい、軽いはずの私の体重でも勢いよく踏み抜いてしまったせいで思った以上に深く落ちてしまったようだ。這い出そうと藻掻くたびに、足元の雪を固めてしまい地面が遠のく。……自力では抜け出せそうにない?
「……ルクスルゥ」
……恥を凌んで助けを求めるしかなかった。
「トテの泣き声が聞こえるよ、何で? ……っぷ」
「――笑いましたね⁉︎」
「見事にはまったなー。ちなみに、俺は落ちるところから見てたぞ」
……極秘裏にデジーさんに頼めば良かった。それだったら、私の期待以上の成果にルクスルが感激している姿なんてのも見ることは無かったのに。
「ほらほら、今引っ張り上げてあげるから」
「お願いします、手が冷たいです」
ルクスルが私の脇に手を差し込んで、持ち上げるように助けようとしてくれる。
「……何で抱き付くような格好で引っ張ろうとしてるんだよ。それじゃ力も入んねえだろ」
……確かに、なまじ私の身体が小さいからルクスルもしゃがむしかなくて重心が私寄りになってしまい、腕力だけでは引き抜けそうに無い。しかも、軽い私でさえ落ちたこの辺りの雪は脆いはず、このままではルクスルまで巻き込んでしまう。
「……手を掴んで引っ張ってやるだけで十分だろう」
「嫌! これは救助だから! 抱きつける理由が出来たこの瞬間を逃す気は無いよ!」
「離せ、面倒くせえ! 俺も手伝ってやるから」
「えー、デジーさんと手なんか繋ぎたくないです。それに、もう少しで私を笑ったルクスルも同じ目に合わせることが出来そうなんですよ?」
「……トテ、もしかして……結構怒ってる?」
「怒ってはないですよ。ただ、ルクスルの希望通りの姿になってしまった私の苦労も知ってくれればなと思っています」
私の体温で融けだした周囲の雪で、埋まっている下半身が濡れてしまい正直言って気持ち悪い。こんな理由で順調だった歩みを止めるわけにもいかなそうなので、この窮地を抜け出してもしばらくは居心地の悪さを感じる羽目になりそうなのだ。
「……ルクスル、後ろで狼が私たちを覗き見てます」
こっそりと跡をつけてきた獲物が遊んでいるかのように歩みを止めて揉めていたら、誰だって好機だと思い襲い掛かる準備くらいはするだろう。
樹の陰から静かに動向を眺めていた狼は、私と目が合った途端に勢いよく飛び出して来た。
「ルクスル、トテは一時放っておけ、迎え撃つぞ!」
「そんな、トテを見捨てるなんて出来ないよ!」
言い争いをしている二人の視線から外れるように、狼は円を描きながら移動する。
ルクスルなら例え死角から襲われても迎撃出来ると信じているけど、あえて見向きもしていないということは――。
「……堀りますね?」
――べコンッと、私の手が届く範囲の雪を地面が剥き出しになるほどに掘り起こす。
狼は狙いを定めていたはずの私との距離感が狂い、自分の置かれた状況が理解出来ないまま、深く掘られた雪穴に共に落ちた。
悪いとは思ったけど、みんな道ずれだ。
狼にまでお荷物だと思われていたであろう身体が自由になり、仕切り直しの意味も込めて改めて私も身構える。
「……トテ、動けたんだ」
「何でがっかりしているんですか?」
「身動きが取れないトテをもっと見下ろしていたかったのに、こんなに早く抜け出されるなんて……!」
「心の声が駄々漏れです! もっと反省してください!」




