43 訓練は諦めました
「……前が見えないというか、眼を開けていられないんですね」
陽が落ちた森の中へ準備万端で入ってみると、ルクスルの予想通りに吹雪いてきてしまった。風が強く吹いているせいで前にもうまく進めず、一瞬弱まった隙をついて顔を上げて周囲を確認しようとすると、突風が顔に当たり息を吸うことも出来なくなる。
「狼も獣も、何も歩いていないね」
ルクスルの声も聞こえにくい。風が周囲の樹の間を駆け巡り、枝を揺らす轟音だけが響くこんな世界で、狩りなんて出来るのかと不安になる。
「私からすると、前を歩いているトテが風上って奴ね。雪で風向きがわかりやすいでしょ?」
「……意識してる暇は無いですよ」
「ここは樹が沢山生えているから、風向きもすぐに変わるけどね。風が弱くなったと思っているのは、今までとは違う方向から吹いているから。息はその時に吸うんだよ?」
「吸ってる暇も無いです!」
歩き続けなきゃいけないのに、息を吸うタイミングを自分で決められないから余計に疲れる。進んでいる先も確認しながらでは、これじゃあ目的の場所にも……。
「あれ?」
「トテ、大丈夫? 疲れたかな」
「はい、疲れたのでここで狼を待ち伏せしましょう」
吹雪いているから負けないようにと前へ進んでいたのに、そういえば特に目的地なんて決めていなかったんだった。歩くだけで体力を消耗するのに、狼が見つかるまで探し続ける必要なんてなかったのだ。
「休む時は樹の陰ね。少し風がおさまるから」
「……最初に言ってくださいよ」
「歩く所も道の真ん中だと風が強いから、樹から樹へ移動するようにね」
「歩く気が無くなってから言わないでください!」
……たしかに心なしか風が弱まった気もするけど、吹雪がおさまったわけでは無いので、折れそうになりながら揺れている頭上の木の枝が落ちて来ないかと不安になりながらも一息つく。
「……こんな状況の中に、また踏み出す勇気は湧いてこないです」
「絶望だね」
「ルクスルと一緒じゃなかったら本当にそうですよ。というか、ルクスルはずいぶんと余裕がありますね」
吹雪の中を平気そうに歩くことは知っているけど、実際に私が先導していると赤くてぼんやりとした顔でついて来るのだ。倒れてしまうのではないかと気が気では無かった。
「トテの後ろを歩いてたから風の影響が少なかったしね。私がちゃんとついて行ってあげているか、怖くなって振り返った時のトテの顔は最高だったね」
「元気が有り余っているようで何よりです!」
私の方がルクスルのことを心配していたのに、どうやらこんな状況でも楽しんでいるようだ。
「トテは大丈夫? 寒くない?」
「準備してきたので温かいですよ。こんなに頑張って吹雪いてくれているのに平気なのは、少し申し訳ないですね。家を出る前に温かいスープも飲んできましたし」
「でも、このままじゃお腹が空いて動けなくなって、春にならないと見つけてもらえないんだからね。……そうなる前に保存食でも食べておこうか」
「……美味しくないから、嫌です」
「我儘だなー、トテは」
空腹で倒れでもしたらそのまま死んでしまうような世界の中で、のんびり話しながらくつろいでしまっている私たちは可笑しいのだろうか……。
猛烈な風で雪が舞い散り、私たちが不格好に歩いてきた道を消して迷わせようとしている森の誘いに、綺麗に均してくれてありがとうと感謝している私は……。
「……綺麗だね」
「はい、私もそう思ってました」
「吹雪がおさまって明るくならないと、帰れそうにないんだけどね」
「歩いていればそのうち思い出せます。ここの生活も長いですし」
寒さには慣れた。
夜の暗さにも慣れた。
でも、お腹が空く辛さに慣れることはないので、生きるために私も命をかけて獣を狩り続けるしかない。
「お腹空いたねー、……お肉食べる?」
「あるんですか!?」
「全然 熟成されてない干し肉だけど、食べられないわけではないから」
そういえばそうだ、さっき飲んできたスープにもお肉は入っていた。それなら、無理して吹雪の中へ狩りに出る必要も無かったと思うけど、狩りに出たいと言ったのは……私だった。
「狼が見つからなかった時のために持って来て良かったよ。このままじゃ、寒くて疲れてお腹が空いて死んじゃうからね、3日後くらいに……?」
たしかに、吹雪がおさまらずに朝も来ずに狼も通りかからなかったら――――、3日もここにじっとしているつもりは無いけど……。
「30分で家は建ちますので余裕ですね」
「薪も持って来てるから、温かくして一緒に寝よう?」
「ここは天国ですか?」
「トテ、死んじゃったの?」
「はい、狩りに出たいという気持ちは死にました」
早速、家を造り始める。お肉が残っているのなら、無理して狩りをする必要は無い。訓練なんて、そのうちまた挑戦しに来ればいいと思う。
「……家はどうやって造りましょう。雪が積もっていて地面が見えません」
――――見えますけど。
雪を深く掘ってみると地面はだいぶ下にある。ここに建てたら、積もっている雪と造った家の屋根が同じ高さになってしまって、2分で家は雪の下に埋まってしまいそうだ。
「うわっ、びっくりした!? いきなり凄い落とし穴を掘らないでよ」
「雪はけっこう話を聞いてくれますね。簡単に掘れます」
家が倒れないように地面に支柱を建ててから作りたいのに、家に入りやすいように積もっている雪と同じ高さに入口を作ろうとすると、家の床がとんでもない高さになって不安定になりそうだ。
「……生えてる樹をそのまま家の支柱にしちゃいますね」
木材で樹の幹を囲うように足場を作る。そこを土台にして家を建てたいけど、それだけでは家は自重に耐えられないと思うので、家の床を積もっている雪に接地させて、申し訳程度の支柱を地面にまで伸ばしてあげる。
地面を掘って土を少し分けて貰い家の中に囲炉裏を作り、焚火だけでは寒さをしのげないかもと床の木材は厚くして床冷えを防ぐ。
「家の中に樹が貫いて立ってますけど、一時しのぎですし、これくらいの大きさの家で十分ですよね」
「お肉は私が焼くよ。下味はついてるし、それくらいはさせて……」
「はい、お願いします。良い匂いをさせて、狼を誘い出しましょう」
囲炉裏に種火を起こし、薪を少しずつ継ぎ足して燃え広がらせる。月明かりだけだった家の中が赤く灯り、2人分の影が静かに揺らめく。
「……寒いね」
壁が吹雪を遮っているおかげで、ルクスルの声も良く通る。
「暑くないですか?」
「そうだね、暑いね」
「……適当に言っているでしょう?」
「寒がったら、トテが温めてくれるかと思って」
この吹雪の中を平気で歩ける防寒装備だ、焚き火を前にすると少し汗ばんでしまいそうな程だ。気温が低い時に汗をかくと、身体が思っている以上に冷えてしまい危険なので、焚き火からは少し距離を取っておく。
「ルクスルはお肉を火のそばで焼いててください」
贅沢な悩みから逃げ出した私に、不安気に伸ばしてきたルクスルの手はがっしりと掴んでおく。こんな調子では、お肉が焼き終わるのが当分先になりそうなので致し方なくだ。
「――――熱っついですよ!? ルクスルの手!?」
「心頭滅却すれば……?」
「火傷しそうなのを誤魔化す言葉では無いはずです!」
火照ってしまっているルクスルの手の熱を冷ますために優しく揉んであげる。
「……反対の手もお願い」
むにむに。
やがて、薪が燃え落ちる音の他に、肉汁が滴り落ちる待ち望んだ瞬間が訪れた。
「トテ好みの焼き具合になってるかな?」
「私はルクスルが好きな味の方が知りたいんですけどね」
「食べられれば炭でも大丈夫」
「私好みの焼き加減にしてもらって、感謝感激です!」
こんな雪山の中でも、人が暮らせている証拠のように温もりが広がりご飯の匂いが立ち込める。焚き火の熱が家全体に伝わり、屋根に積もっていた雪が落ちてくる音と振動に驚いて、顔を見合わせてしまったお互いの行動が可笑しくて笑顔になる。
――――そのせいで、気づくのが遅れた。
「……だ、誰か居るか!?」
必死な叫び声。
ここにわざわざ死にに来るのはデジーさんくらいだと思っていたけど、それ以外の知らない声だ。こんな吹雪の中を訪ねてくるなんて、きっと真面な感性の持ち主では無いと思う。




