42 お出掛け
トテと遊びたい。
だけど、獣が跋扈する危険な雪山で生きていくためには遊んでいる暇なんてあるわけがないし、そもそも私には一緒に遊ぶ程仲が良かった仲間なんて居なかったから、遊ぶとはどういうことを指すのかもわからない。
幼い頃から他人に興味を持たずに生きてきてしまった結果だけど、トテのことを考えながら独りで思案するこの時間も――――。
「ルクスルー、私 お腹空きました」
……現実逃避していた思考を切り替える。
家の中で黙々と作業し始めてしまったトテを邪魔するのも悪いと思い、放置していた狼の肉を今のうちに処理してしまおうと無心で作業を続けていたはずなんだけど、私の心はほんの少しの寂しさにも耐えられずに考えこんでしまったようだ。
「……何か良い匂いがします」
不思議そうに鼻をひくつかせながら無防備に近づいてくるトテの警戒心を解こうと、理性を総動員させて笑顔を作る。
何故かよけいに警戒されてしまったみたいで、トテの笑顔も固まってしまったが、……もう遅い。
両手で頬を優しく包み込むことで左右への回避を難しくさせようとしたところで、自分の手の平が汚れていたことを思い出す。
細かく刻んだ香草と塩を狼の肉に擦り込んで干し肉を作っていたこの手でトテに触れるなんて、そんな酷いこと出来る訳がない。周りを汚さないようゆっくりと手を上に移動させる私に、トテは安堵の表情を浮かべてから、信じていましたよ言わんばかりの泣き顔になって、とっても楽しそうな邪悪な笑みに変わった。
「――――まさか!?」
「いつものお返しです。ルクスルに勝てるチャンスを逃す気はありません!」
宣言通り、抱きつかれてしまった私にはトテの指先から身を守るすべはない。
「せめて、手を洗うことが出来れば……!?」
「ルクスルは実は綺麗好きなんですか? 自分の手をすっごい嫌そうに見ていましたけど」
「そういう訳じゃ無いと思うんだけど、ここまで汚れているとさすがにね」
背中に負ぶさって来るトテに注意しながら手に付いた香草を丹念に洗い流す。緑色になっていた手がゆっくりと綺麗になっていき、終わったころには……冷えて赤くなってしまっていた。
「……なんで、お湯で流さないんですか。また大丈夫とでも言う気ですか?」
「そんなわけないでしょ。……ふるえるくらいつめたい」
両手が使えなくなることはわかっていたので桶にはお湯を溜めていたのに、いつの間にか冷めてしまっていた。干し肉を乾燥させるための小屋なので湿気がこもらないよう吹き曝しになっているので当然だけど。
「……手がぬるぬるしてます」
「狼の肉に触っていたからね、油も付くでしょ」
「ふにふにしてます」
「くすぐったいから止めてね?」
これでも鍛えてるつもりだし、握力もある方だとは思っているんだけど、まだまだトテからすれば揉んでいたくなる柔らかさらしい。
「……私の仕事もひと段落ついたし、トテのお腹も鳴ってるみたいだからご飯にしようか」
「ルクスルのお腹は細すぎですね。これから一緒に狩りに行きたいのに、もっと食べないと歩くことなんて出来ませんよ?」
「その時はトテが背負ってくれるでしょ?」
「……私には無理なので、その場に家を造って休みましょう」
それなら逆に、遭難する事態になってしまっても問題無いような気がしてきた。吹雪が止むまで、造った家の中で待っていればいいのだから。
「それじゃあ、トテも戦えるようになってきたから精神面の方を鍛えようか。吹雪で前も見えない恐怖の中で、それでも生きるためには歩き続けなきゃいけない訓練ね?」
「……ルクスルも一緒なんですよね?」
「当然でしょ。トテに1人でそんなことさせるつもりはありません」
傍に居ないと訓練の過程が見えないのに、1人で歩かせるなんて意味の無いことをさせるつもりは無いし、そうなると私も1人で離れて歩くことになってしまう。
雪が積もると一面が真っ白になって距離感が狂い、本当に進んでいるのかもわからなくなるから、崖なんかがあるとわかりづらくなってしまうことを身をもって教えてあげたい。……そして格好良く助けてあげたい。
「もう夕方ですけど、雪はそれほど降っていませんね。吹雪にはならないのかな」
トテの言う通りに、気にならないような粉雪が降りてきているだけで、薄く広がる雲の向こうに淡い夕日が消えようとしているのも見えている。それなのに――――。
「……雲が流れていくのが早いから、もしかしたら吹雪いてくるかも」
私の予想を聞いてトテが空を仰ぐ間にも、微かな風が降りてくる雪の軌道を変え始めた。明日は雪が積もるかもと憂いだ表情で遠くの空を見つめることで、トテの何でわかるのと言いたげな眩しすぎる眼差しを極力見ないように努める。
「一応、戸締りはしておこうか。帰ってきたら狼とかが家の中に巣を作ってたら嫌だからね。……ただの訓練なんだから、準備は万全にしておこうか」
吹雪で家に帰って来れない場合のことを考えて、どこかに泊まるための荷物を最低限は持っていく。目的は夕飯のための狩りなのだから調味料も持って行って、吹雪の中 絶望しながら温かいご飯を食べてみたい。
「ルクスルとお出掛けですね」
「こらこら、遊びじゃないんだよ?」
訓練とは言ったけど、今日の夕飯を捕るための大事な仕事だ。
「狼と出会えなかったら、ご飯は無しなんだからね」
……言ってしまったことを、後悔した。
「干し肉があるんじゃないですか?」
「ごめん、考え事しながら作っていたせいで肉は全部干しちゃった。熟成させるのにもしばらくかかるから、ご飯はあのマズイ保存食しかありません!」
「えー、あんなのじゃお腹は膨れませんし、大きくもなれないですよー」
非常用にとデジーが保存食を持って来てくれたけど、栄養しか詰まってないし量も少ない本当に最終手段の代物だ。その味気ない塊のせいでトテが狩りに本気になってしまったようなので、はっきり言ってありがた迷惑でしかない。
「……どうやら、私の本領を発揮する時が来たようですね」
「トテの全力はもう見せてもらっているから。こんな所に暖かい家を建ててもらえただけで、十分だから」
最近のトテは家を建て終わったからやることが無くなったかと思いきや、家の各所に木の皮を貼り付けて微かな冷気も許さないと言った具合に、更に快適な空間を求め続けていた。
「私の全力をルクスルが見ることは無いです。ルクスルが私のお守に気を取られて、満足に戦うことができないなんてことが起きないようにするのが私の全力ですから」
「……それは嬉しいけど、まだちょっと足りないかなーって」
実際はトテも戦えるようにはなってきているけど、わざわざ危険な前線に積極的に送り出す気はまだ無い。転んで膝に擦り傷でも作ったりでもしたらと考えると、過保護と言われようが手を繋いででも護ってあげたいと思っている。
「でも、ようやく一緒に狩りに行っても良いって言ってくれるようになりましたね。……危険なことはわかっているんですけど、ずっとルクスルと森の中にお散歩へ行きたかったんですよ」
その想いは、私も一緒だ。
逃げて来てしまったにしろ、こんな所に隠れるように閉じこもっているのはやはりつまらないと思う。だけど、こんな雪山を歩かせるにはそれなりの強さが必要だ。
「私もトテと遊びに行きたかったから……、だからトテに訓練なんてさせて、強くなって欲しかったからなんて言ったら……怒る?」
「怒りますねー、私の方がルクスルと一緒に遊びたかったんですー。強くなりたかったのはそのためなんですー」
「そっか、頑張ったね」
「はい、そろそろルクスルも倒せてしまうんじゃないですか?」
……それは無い。
自分の力を過信してしまっているトテには、冷え切っている私の手を、背中に入れてあげよう。
修行編を終わらせる前にルクスル視点の話を一本書いておくかと思ったら、ルクスルで書くのは久しぶりだし、頭の中がピンク色で自重させないとマズいしで何度も書き直してしまいました。
新年一発目で暗い話は書きたくなかったから、意見の食い違いによる喧嘩話は無しな方向で。
今年の目標は、いい加減「ルクスウ」って打ち間違えないことです。




