37 繋がった心
詩人になるのだ
抽象的表現で困難な状況でも立ち向かうのだ
でも、運営さんに迷惑をかけては駄目だぞ
ルクスルが無遠慮に私の背中を撫でまわしている手が温かかったせいで、それに気づくのが遅れた。
冗談を交えながら会話を広げてくれていたデジーさんが薪を足すのを忘れているだけだと思ったけど、その脇に積まれていた薪が少なくなっているのを見て、部屋を暖めてくれていた焚火は維持していくのも精一杯な状況だとようやく気が付いた。
まさかこの氷点下になりそうな気温で温かい毛布も無いのに、火種も無しに朝くらい普通に迎えられるだろうと呑気な期待を持っている人がいるわけがない。
「……薪が少なくなってきたね。私が探して来ようか?」
部屋の空気が重くなっていることにも気づかずに、私たちが置かれている問題をルクスルが口に出してしまった。どうやら、寒さで震える事態になることを察して私の身体を温めてくれていたわけではなく、ただ単純に触れていたかっただけみたいだ。
私たちが止める間もなく、ルクスルが不用心に扉を開けたせいで突風が室内で暴れ出す。ついでとばかりに入り込んでくる雪が、私の視界を細くした。
「ルクスル! 寒くても私は平気です! だから行かないでください、外は危険です!」
「そうだぞ、案外平気なものだ。……三人で寄り添って固まっていれば何とかなる!」
私たち二人の意見で考え直して欲しかった。
誰かにこんな役目を押し付けるが嫌で口をつぐんでいたのに、こんな吹雪の中 外に出てもしものことがあったらと考えると、きっとみんなでいればこんな寒さなんて大丈夫だと思いたかった。
「私がデジーとくっついて寝るのが嫌なの」
こんな時でも我儘なルクスルが、外に出て扉を閉めた音が無情に響く。
そんな言葉がルクスルとの最後の会話になんてしたくはないので、祈るように帰りを待った。少しでも外にこの淡い光が漏れてルクスルの視界の助けになるようにと、残り少なくなった薪でこの火を維持する作業を無心で行う。
「……俺、そんなにルクスルに嫌われてんのかな?」
口数が減ってしまうのはこの状況では仕方がなかったけど、時折デジーさんがせめてこの雰囲気だけでも明るくしようと他愛ない会話を投げかけてくれた。
「……ルクスルが意地っ張りなだけです」
「それにしてもよう、トテの時とは対応が違い過ぎるだろ? 昔とはちっとは変わったと思ってたが、やっぱりそう簡単にはいかないのかねえ」
「……ルクスルって昔はどんな感じだったんですか? 首領にも仕事が出来ないとは聞いたんですけど、それでどう思われていたのかはよくわからなくて……」
周りにどう見られていたのかなんて本人がわかるわけがない。見ていた時によって感想は変わってしまうし、ルクスルのその時の対応によって違っているはずだ。
だからそんなことを知らなくても、ルクスルはいつも私の傍にいてくれるし笑いかけてくれるから聞かなくても良かったのだけれど、私まで口を閉ざしていたらこの絶望の中では心が持ちそうにない。
「ルクスルか……、俺はあの町の出身だが、初めて会ったのはけっこう最近だな。……いつも笑ってて可愛い奴だと思った」
デジーさんは私ではなく、最初はルクスル狙いだったようだ。好きな人を簡単に変えるなんて、やっぱり酷い人だった。
「……それがある日から笑わなくなった。何かあったのかって聞くと、面倒になったからって……。その時は冗談かと思ったがずっとあんな感じだ。……それからだな、俺がルクスルを避けるようになったのは。……その後で、今までの笑顔は全部演技だったってことを首領から聞いた」
――――。
聞かなければ良かった。
所詮デジーさんの意見だけど、ふとした瞬間に今の言葉に惑わされてしまうかもしれない。……無理して笑ってくれてるんじゃないかって、同情で探しに来てくれたんじゃないかって。
「……ルクスルは、そんなことしません」
「え? 普通にやってくるだろ? ……最近は笑ってるように見えるけどよ、俺と二人っきりになった時とか酷いぞ、会話の合間に殺気が飛んでくるから!」
……私にもたまに飛ばしてくる。無表情になって、周りのことなんてどうでもいいなんて顔で見下ろしてくるのだ。
「……でも、今は、違うと思います」
「ああ、ただ笑ってるんじゃなくて……楽しそうにしてる。だから大丈夫だ。……でも、だからこそ心配なんだ。トテがもしそんな眼を向けられて、壊れちまうのが……」
――――叫び出したい。
ルクスルに会いたい。今までのことは全部演技なんかじゃないよね?って問いただしたい。
「ただいまー。いっぱい集めてきたよ」
ルクスルが両手一杯に木の枝を抱えて家の中に入って来た。
「ルクスル!? 無事でしたか!?」
「こんくらいなら余裕だよ、心配してくれたの? トテはやっぱり優しいね!」
向けられる笑顔が嘘のはずは無いと、たとえ嘘だとしてもルクスルが無事なら関係ないって思ってしまう。……デジーさんの言葉は、やっぱり私の胸に残ってしまっていた。
「……悪かったな、ルクスル。無理させちまって」
「そうだよ、あんたのせいでトテと眠れないんだからね?」
デジーさんと話しているうちに、ルクスルの頭や肩に付いてしまっている雪を丁寧に払ってあげる。こんな姿、見ているだけで私まで寒く――――。
「ルクスル……?」
引いた手が死人のように冷たくなっていた。
それなのに平気そうに会話しているその姿に……戸惑う。
「大丈夫、痛いのは我慢すればいいだけだから」
「そういう問題じゃありません! デジーさん、もっと部屋を暖めましょう、ルクスルは火の傍で休んでください!」
「震えてたトテのためだもの、何だって出来るよ?」
……怖い。私のためだからとか言って、自分のことは顧みないルクスルが。
そのうち、自分が何で倒れたのかわからないように呆けてしまいそうな笑顔と、私の気持ちには鈍感で無自覚なその覚悟に。
「あ、頑張ったご褒美にトテとくっついて休みたい」
「そんなことはお安い御用ですから! こんなに……冷たくなっちゃって」
凍ってしまったようなルクスルの腕をさすって、少しでも温まるようにと努める。
「トテ、トテは……寒くない?」
「……ルクスルが頑張って薪を集めてくれたから大丈夫ですよ。……デジーさん、薪を!」
「……トテは温かいね」
「ルクスルが冷たすぎるんですよ!?」
さっき私がされたみたいに、ルクスルの背中に手を入れて強くさする。コートの背中が捲れてぐしゃぐしゃになるけど構わない。
「トテ、……泣いてる?」
力尽きそうに途切れるその言葉も、眠そうにとろけているその瞳も今は見たくは無かった。……お願いだから、いなくなったりしないで、私の傍にずっといて!
「……トテをまた泣かしちゃったね」
自分の軽率な行動で、私がどれだけ心配したのかが解ったのかルクスルの頬にも涙が流れた。右手はルクスルの背中をさすっているので左手で拭ってあげる。零れる涙の冷たさに、ほんの微かだけど奪われていく体温さえも逃さないよう、自分の身体を強く押し付ける。
「……トテ、くすぐったいよ」
恥ずかしそうに身をよじって笑うルクスルの冷えて青くなっている頬を何とかしようと、両手でルクスルの顔を包み込む。目の前で朱色に戻っていく頬に安心して、もう二度とこんなことをしないよう願うためにお互いの額を合わせ、満足そうに微笑む瞳に頼み込んだ。
「……もうこんな無茶はしないでください」
「ちゃんと帰って来たでしょ? ……だから、大丈夫だよ」
「だからこそ心配なんですよ!? 死ぬかもしれないところに、当たり前に向かおうとしないでください。何が起きるかなんて誰にもわからないんですから、もっと自分を大事にして!? 我慢なんてしないで、……私が、傍にいますから」
……私に怒鳴られたことで、ルクスルからまた感情が消えた。
デジーさんに聞いた話では、笑っているのは演技だとか言っていたけど、まさかこの状態がルクスルの普通だとでもいうんですか?
……それでも構わないと、自分の瞳に意思を込めて覗き込む。ルクスルの感情を探すのではなく、私の想いを伝えるために。
「外は寒くて怖かったですよね? 本当は行きたくなかったんですよね!?」
「寒いのは平気。……そんなことは、どうでも良かったから」
自分のことにもまるで興味が無いように言うルクスルに反論したかったけど、何も置かれなかった私たちの部屋に、料理もまともに出来ないこと、……自分のことはおざなりになっていたルクスルの私生活ばかりが思い出された。
「……今まで、ずっと……演技してたんですか?」
「うん。トテを困らせたくなかったから」
冷えた心は悟らせない。
何気なく告げられた真実を、飲み込んでしまわないよう押しとどめる。
「……怖い?」
ルクスルの指先が私の着ている服に差し込まれて肌を撫でる。掴んでひねり上げることも容易にできそうな速度でゆっくりと進み、その行き先を私は冷めた眼で見送った。
「……こんなに凍えているのに? それなら、私に触れて温かいって言ってくれたのは何だったんですか!?」
「……トテは別。私はトテしか温かいモノを知らない。トテは私が持っていないモノを全部持ってるから、だから……私は、トテのことが好きなんだよ?」
改めて伝えられた告白を聞いて、騙されていたと憤っていた感情を前へと向ける。
ルクスルが失っているモノが何なのかはわからないけど、私が持っているモノなら全部あげると覚悟した。
息をするのにも躊躇するような距離で、私の気持ちを見通そうとするかのようにルクスルの瞳が近づいてくる。
「……我慢してた。それはトテも同じでしょ?」
触れられた唇の温かさに、強張る身体の力を抜いて身を任せてしまったから、……ルクスルの指先を、見失った。
「いつもは撫でてあげるだけだったけど……」
包まれているという安心感があって、ルクスルに頭を優しく撫でてもらうのは好きだけど――――。
「……入れるね?」
背筋にヒヤリと汗が伝う。指先でそっと触れられた感触に身体が跳ね上がり、息を吸おうとしたした口も塞がれた。
振り払いたいけど、今は動いたら危ないと、理性が痙攣しながら警鐘を鳴らしている。
「――――ルクスルの笑顔は演技じゃないかって聞きました!」
「うん。ずーと我慢してた。でも、トテの準備も出来てるみたいだし最後までいいんだよね?」
黒い感情がゆっくりと私の中に入って来る感触に、せめて落ち着いて息をさせて欲しいと、乱れた呼吸をしながらも懇願する。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 怖い顔したルクスルも大好きです!」
「……傷つくからやめてって言ったよね? あ、傷ついちゃうのは――――」
自分の喉が高く震えて出す音に、覚悟してたはずの想いは崩れた。楽しそうに私に感想を聞いてくるルクスルの姿が演技でありますようにと、私は祈ることしか出来そうにない。
「……あのさぁ、色々見えちまってるんだけど、お前ら大人しく休むことも出来ねえの!?」




