29 遠吠え
百合を挟まないと死ぬ病気ですか?
Exactly !
トテが私の手を引いてくれている。
敵意を向けられた恐怖で走り出したから呼吸をするにも苦しそうで、それでも一生懸命に走るトテは私の方ばかりを気にしてくれていた。
繋いだ手を強く握っていてくれることに、久しぶりに自分が守られている感覚を、私は思い出していた。
「……何か、視線を感じます」
トテの言葉に警戒を強める。
後ろから追ってくる気配は感じないけど仲間がいると言っていたし、窓は無いけど両脇の家に誰か潜んでいて、私たちがどこに逃げるつもりなのか観察しているのかも?
「このまま走り抜けよう、捕まってしまうわけにはいかないから。 ……ところで、逃げるトテに後ろからついていくと、とても興奮してしまうんだけど……?」
「……ルクスルからじゃないですか!?」
「たまに、私を心配して振り返ってくれる時とか、もう……!」
「逃げてる自覚はあるんですか!?」
あんなに大きな焚火をしていた訳はわからないけど、武器を持っているようには見えなかったし、知らない人が来た時のあいつらの反応もにぶかった。
怪我している私でも簡単に制圧できるとは思ったけど、トテが逃げ出してしまったし、戦えないトテを守ることが最優先だ。このまま領主のところへ戻って指示を仰ぐ。
トテが走る速度が遅くなってくる。
そろそろ体力の限界かな? 上半身の動きがブレてきているし、息も荒い。
「トテ、もう大丈夫じゃないかな? 少し休もう」
私の提案でトテの足が止まった。地面に座り込むトテの足は小刻みに震えてしまっている。それが私を頑張って守ってくれた勲章に見えて、愛おしさからつい意地悪したくなってくる。
「――――えい」
「ふわっ!? ……何するんですか!?」
無防備に倒れていたので、指先でつついてみたい衝動を抑えられなかった。走り続けたのに、トテの足の筋肉は張ること無くぷにぷにだった。
「怖くて震えてるみたいだったから……」
「そんなんじゃないって、わかってますよね!?」
「……動けないトテを襲いたくなって」
「私は逃げる相手を間違ったんですか!?」
動けずにいた期間が長かったのに、目の前に私と同じく動けないトテがいるのだ。しかも今まで、その小さな手で引かれてここまで連れてきてもらった。
「そんな場合じゃないとはわかってたんだけど……我慢できなかった」
「自覚があったのなら、何よりです!」
休憩はもう終わりのようで、膝をはたきながらトテが立ち上がった。
「……行きますよ、領主に早く伝えないと」
「私のいたずらを?」
「焚火の件です!」
怒らせてしまったようで、トテは私と手を繋ぐことはせずに1人で歩きだそうとする。トテを追いかけるために、私も膝立ちの姿勢から立ち上がる、まさか1人で行かせるわけにはいかない。
「おい! お前ら!?」
いきなり声をかけられたので、周囲を警戒。トテが私の出す空気の変わりようにびくついているが、守るためだと自分に言い聞かせ、服の下に隠している武器の感触を確かめる。
「トテ、下がって!」
「デジーさんですよ!?」
「……だからだよ!」
屋根の上から音も無く降りてきたのはトテをナンパした奴だ。知っている人だからと警戒を緩める気は無いし、要注意人物をトテの視界に入れ続ける気は無い。
「煙が上がってるから様子を見に来たんだが、燃やしていたのはお前らか?」
私が戦闘態勢だからか、相手も喧嘩腰だ。
私のせいだけど、いつもと違う相手の声色にトテが及び腰になって下がってくれるといいけど……。しかし私の願いは虚しく、緊急事態なのはトテも理解してしまっているようで、臆することなくその問いかけに答えた。
「違います! 奥の路地の先ですっごく大きな焚火をしてる人たちがいます。他に仲間がいるようで、私たちのことを捕まえるって言ってました」
「火事ではないんだな? ……捕まえるってのは何でだ?」
「それは……わかりません」
「トテがぶつかったせいじゃない? 怒ってたんだよ、きっと」
「そんなわけないです! 見られたら困るって言ってましたし……」
状況は伝えられたし、私たちは戻ろうか。町の修理をしに来ただけだし、トテをわざわざ面倒なことに巻き込みたくない。
「こっちです!」
私の意思とは裏腹にトテが先導して走り出してしまう。
「トテ、後のことは任せた方がいいんじゃない?」
「そんなわけにはいきません! ルクスルは気づきましたか? 家の補修するために木材がそこら中に置いてあったのに、無くなっていることに。きっと、燃やしていたのはその木材です!」
……あいつらが焚火に投げ入れる前から気づいてた。
でもそんなことを伝えたら、家の補修をするために町に来たトテを怒らせちゃうと思って言い出さなかった。
「何でこんなことをしたのか、調べる必要があります」
それを任せちゃおうと思っているんだけど……。火事は町にとっても死活問題だし、確認しに来たのがこいつだけなわけはないから、他にも団員が走り回っているはず。
「火の周りには何人いた?」
デジ-がトテを止めることはせずに、さらに情報を聞き出そうとする。
「5人くらい、でしょうか……」
「多いな……、そういえば怪我してると聞いたが、ルクスルは戦えるのか?」
「トテのためなら本気出せるけど、疲れてるから嫌」
「……そっか」
デジーは予想以上な私の言葉にあきれているようで、鼻で笑った。
「仕方ねえ、応援を呼ぶか……。ただの火事では無さそうだしな」
デジーが吹きだした笛に応えるように、いくつも遠くから音が鳴る。笛の音の数が多い気がするけど、そういえば町の修理にみんな駆り出されているんだった。
団員が集まるのには少し時間がいる。
先に状況を確認しておくために、私たちもトテの後を追いかけた。
「あれ? 煙が消えかけています」
トテの言葉に空を見上げる。
一瞬、白い煙が大きく出てたので、水でもかけて消してしまったのだろう。
「……もう用済みってことか? だが、何故だ?」
デジーの疑問に答えられる人はいない。知りたければ、直接聞きに行くしかないだろう。
しかし、焚火をしていた広場に戻ってみると、男たちはおらず、消えかけて白い煙を細く揺らしている焚火跡しかなかった。
「燃えてたのはこれか……。でかい焚火だな、……南側の奴らのやることは意味わからん」
デジーが焚火跡に近づく。木材の組み方や、火を消した何かを調べても何もわからないとは思うけど……。
「……ここは南なんですか?」
「そうだよ」
「お菓子が売ってる?」
「……よく覚えてたね」
決まりだね。これだけ熱心なら、このまま焚火跡なんて放っといて、南側のお店に行ってお菓子を買い占めに行こう。
「これだけでかい物を燃やしたんだ、何か意味があるはずなんだ……」
あきらめきれないデジーなんか置いて、トテと買い物を楽しもうと考えていた時に、笛の音に呼ばれて団員がようやく集まってきた。
「おーい、何だよこれは?」
「消すなよ! 寒いだろ!?」
「呼ばれたから来たのに、もう終わっちまったのか?」
人も増えたし、本格的に私ができることはもう無いね。
焚火跡の周りの他にも、遠くの建物の屋根からこっちの様子を伺っている団員もいる。
……呼んだんだから仕方ないんだけど、少し来た団員の数が多くないかな? 領主が指揮を執ってるんじゃないの?
あ、……忙しくて、余裕無いんだった。
呼んでしまったのは私たちだけど、みんな考え無しに集まり過ぎだよ。
集まったけどやることは無い団員たちがだらけ始めたその時に、遠くから狼の遠吠えが聞こえてきた。
「おい! またか!?」
「どこからだ!?」
「……近く、では無いな。南側の奥の方じゃないか!?」
――――マズい!?
少し離れたところにいたトテを抱き寄せる。
「ルクスル、今度はそばにいてくれますか?」
狼はここからは遠いみたいだけど、あの時の恐怖を思い出してしまったのか、トテが震えだす。無理やり抱きしめたのに、優しく抱き返してくれたトテを、今度こそは離すつもりは無い。
「狼どもは南側にいるとは思うが、バラけ始めてる! 北に行くつもりだ! 何故か俺たちを避けてな!」
団員の叫び声で、尋常ではない事態だと皆が気づいた。
私たちを素通りしてしまうということは、迎撃ができない。建物を補修していた団員の大多数はここに集まってしまった。
もし、領主がいるところにでも向かわれたら被害がでてしまう。
「ルクスル! お前たちは逃げろ!」
「任せて、トテは絶対に守る」
「ああ、頼んだ」
ふざけているつもりは無い。
いつもの言葉を真剣に、瞳を黒に染めることで覚悟を示す。私が怪我をしていること、小さなトテを連れていることで前線から外れることができた、他の団員の判断に感謝する。
「……ルクスル?」
「トテ、逃げるよ!」
「南側に逃げろ! 狼はそこにいたが、今はそれぞれの方向に動き出してる!」
「わかった!」
団員が狼を追いかける形で元来た道を戻りだす。私たちは南へ。
それでも狼がいないわけでは無い、トテの手を引いて走り出そうとしたが、片手がふさがったら万が一の時に対処できない。怪我をしてるってことを思い出せ。
……いつもの調子で戦ったら、もしもが起こる!
「ルクスル、私も覚悟を決めてます!」
「……トテは戦わなくていいの」
トテの言葉が嬉しい……。
泣きたくなってくる。
心が弱くなって、意識がトテの方を向いてしまう。
「――――守ると決めた」
「私もです! 強くなるって決めたんです!」
戦意がそがれる。
……戦おうとしないで、大人しくついて来て。
「……お願いだから、黙って」
「嫌です!」
涙がこぼれた。
滲む視界を振り払う。
見えたのは、異様な光景。
「……家が」
「南側ってこういう造りになってるんですか?」
家や路地に木材が張り付けられていた。交差点が塞がれて一本道になっている。私たちは曲がることも出来ずに直進するしかない。
「道が何で……? まるで誘導されているような……。でも、誰を。私たちがこっちに逃げて来るとは限らないし……」
…………。
……誘導されてるのは、狼たちか!?




