二話 両親は存在しない
少女の感謝の言葉は、嬉しかった。
当たり前に、嬉しい。
少女の「私を助けてくれてありがとう」、この言葉自体はとても嬉しい。
だからこそ、困るのだ。少女の表情は笑っていない。表情は無表情なのに、感謝している。
この歪な状況に戸惑いを隠せない。
それに気づいたのか、少女は頭を下げた。
「ごめんなさい。私、能力のせいか、表情が変わりにくいらしいの」
それを聞いて、胸をなでおろす。
同時に、その少女の一言で、ある憶測が、俺自身の中で渦巻く。
この少女は、再生者に首を持たれていたとき、本当は怖かったのではないかと。
少女は、ギリギリで気を正常に保ちながらも、無表情ながらも再生者と対話を図ろうとしていたのではないかと。
ならば俺は今、ヒーローにならなくとも、一人の人間として彼女に何かをしなければならない。励ましたり、慰めたりしないといけない。
でも、その言葉が出ない。
俺は、日本では高校生だった。いい大人なら、嘘っぱちでもなんでもどうにかできるかもしれないが、子供の――ましてや世渡り下手で、処世術が人並み以下の俺は、彼女になんて声をかけていいのか、分からない。結果、
「そう……か。俺も表情は変わりにくい方……だな」
そんな、気の利かない返答をする。
「表情が変わりにくいなんて嘘。貴方は、本当は感情も表情も豊か。違う?」
「…………」
「貴方、私を助けるとき、感情が強すぎた。そして、貴方は私に様々な表情を見せてくれた。私はそれを、覚えてる」
実は、俺は人よりも感情豊か。そう、かもしれない。『正義』担当のときも、感情の昂ぶりによって表情を歪め、最悪なことを犯した。だから俺には様々な表情がある。一般平均以上の様々な表情を――様々な仮面があるかもしれない。
「ほら、貴方は今、泣きそうな顔をしている」
彼女は無表情で、しかし声は心配そうで。今に彼女も泣き顔を作ってしまう、そんな声。しかしその顔は無表情。変化しない。微少の変化もない。
「貴方の感情はごちゃごちゃしてる。それでも、私を助けてくれるほどに、一貫性のある人で、優しい人。だから私は貴方に感謝するし嬉しい。
そして何より、貴方の隣にずっといたいと思ってしまった」
少女は、無表情のまま、俺に感謝していることを話し、そして、
「だから、私の隣にずっといてくれる?」
…………。
彼女は、俺のような人間に、そう言った。
「……それって、俺の仲間になるみたいなニュアンス、か?」
「ニュアンスじゃなくてそのまま。貴方の仲間になりたいの。仲間じゃなくて、奴隷ってやつでも問題ない。とにかく、貴方の隣にずっといたいの。それが私の運命、だと思う」
運命。命を運ぶと書いて運命。
俺の命は失っては取り戻し、失っては取り戻したけど、もうホントにこれが最後の命というのが現状だ。命が死に、復活し、魂が運ばれて、俺は今ここにいる。
だから、彼女にそう言われるのは、確かに運命そのものといっても間違いない。
「運命、か。仲間ってのは突拍子な気もするけど、確かに運命的なものは感じるよ」
「そう? 良かった。貴方がそう言ってくれて」
その声音が、優しさを表していて、安心感を覚えさせる。表情に表せずとも、心で繋がっている、そんな感覚。
「そう言えば、貴方の名前、まだ聞いてない」
「ああ、そういやそうだったな。俺は遠藤輪離。君の名前は?」
「雛、恋情敵雛」
恋情敵雛。恋情敵なんて聞いたことは全くないけど、そこは異世界ってことで納得しておこう。
「じゃあ、雛、これからよろしく頼むよ」
「うん、よろしく輪離」
*****
お互いの名前が分かったあと。
病院のベットの上で二人、隣に並びながらも、俺はこの異世界――エルという世界の情報を知ろうとしていた。
だから俺は質問した。だけど、中々欲しい返答が返ってこない。
例えば、
「エルの世界ってさ、モンスターっているのか?」
「いるはず」
例えば、
「エルの世界って、魔法は使えるのか?」
「多分、使える」
例えば、
「恋情敵って苗字はエルの世界じゃ結構一般的なのか?」
「分からない」
このように、曖昧過ぎる返答が多いのだ。
だから思い切って聞いた。
「雛はエルの住人か?」
これほどまでに、のらりくらりと躱されるなら、雛はこの世界の住人ではないのかと思った。だから聞いたのだが、
「うん」
その考えは一刀両断された。どうやら、これほどまでに曖昧に返答されているのに、エルの住人らしい。怪しいとは思っても、何故だか不思議と嘘だとは思えなかった。
そして俺は、雛がエルの住人と言ったからこそ、あることを聞いた。
「両親はどこにいるんだ?」
それは当たり前のこと。雛は見た目から、小学生程度だと判断できる。しかし、両親がここにきていない。
両親がここにいないなら、呼ぶ必要がある。雛の帰りを待っているだろうから。
でも、雛は両親から虐められているという可能性がある。それは、雛と初めて会った時、髪が淫らにされ、布しか着ていないということから、親からの虐待が考えられたからだ。もちろん、再生者によってできたケガとも考えられるが。その場合は、どこかの施設に送った方がてきせつだろう。もっとも、それが分かれば影先生がいろいろと手続きしてくれるだろうけど。
彼女は口を開き、
「両親は、存在していない、と思う」
ということは、死んでしまったのか。
「悪い、嫌なことを聞いたな」
「? 悪い? どうして?」
どうして? それは――、
「両親が、亡くなっていることを聞いたからだよ……」
「違うよ、両親は亡くなったんじゃない。私の親は、存在しない」
「…………」
異常なことを言っている。
しかし冗談で言っているのではない。雛は、間違いなく正直に、誠実に、訴えかけるようにして、俺に断言した。
親はいない。親は存在しない。親と呼べる人間がいない。
それは結論から言えば、あり得ない。アダムならば、親が存在しないのは周知の事実なのだから、分かる。だけど少女は――雛は、アダムなわけが――一番最初の人間なわけがない。試しに雛に、「雛は人間か?」などという、最悪な質問をぶつけたけど、「うん」と、Yesの返答がされた。
もしや、雛は適当なことを言っているのだろうか。
もしや、雛は真逆の返答を言っているだけではないだろうか。
いろんな考えを巡らせていた俺は、しかし扉の開く物音に気が付く。
「やあ、上手く話せていたようだね」
影先生が個室の扉を開き、俺たちに話しかけてきた。