一話 神様
すべてを虚空の彼方へと消し去るように、俺は意識が曖昧だった。いや、意識が曖昧というと、多少の語弊がある。
端的に言ってしまえば、無に近づいている……気がする。
俺は何者なのか? 俺ってそもそもなんだ? 俺って誰のことだ?
すべてがごちゃごちゃ、すべてが混ざる、混ざり合い過ぎていて気持ち悪い。いや、気持ち悪ささえも曖昧。感触も、感情も、曖昧曖昧。
それが終わったらと思ったら、感情も含め、すべてが零になった気がした。
まるで零から、感情が生成されているような。まるで零から、自身の生命が生成されているような。まるで零から、存在が形成されているかのような。
「こんにちは……起きて、ますか?」
艶やかな声が聞こえ、俺は目を覚ます。
「……えっ?」
白、白、白。
白のみで構成されたような場所に、俺――遠藤輪離はいた。
そして、様々な記憶がリターンされる。
俺は何があったのか。今まで、さっきまで何をしていたのか。
死んで異世界に飛ばされて、能力を得て、少女を助け、また死んだ。
なのに、生きていた。生きて……いる?
「俺は……死んだはずじゃ……?」
身体中を見る。身体の原型はしっかりと保っていた。ちゃんと五体満足を保っている人間だ。
「……混乱しているようですね。大丈夫ですか?」
キョロキョロするのを止め、正面を向く。
艶やかな声の主は、憂慮さある翠の瞳を俺に見せていた。
日本人にとってはあまり見ることのない瞳と髪の色だ。
「――!」
しかしそれよりも、彼女が屈んで俺を心配することによって、豊満な胸が迫ることが、俺の思考を追い込む。
「あら……頬が赤く染まっているようですが、大丈夫ですか?」
「あ……ああ、大丈夫だ」
…………。
ようやく、落ち着きを取り戻す。
その落ち着いた姿を翠色の瞳は確認して、艶やかな声は遠ざかる。
ここで俺は眼前の彼女の全体像を、初めて見た。
桃色の長い髪を靡かせながら、おっとりした容姿をしていて、それに同調するかのように暗紅色の着物を着ている。
「それはよかったです。それで……早速本題に話したいのですけど、よろしいですか?」
「……本題?」
しかし、彼女の容姿は俺にとっては今現在、些細なことだ。
だから、彼女をあまり見ない――というか正確にはテンパっていて、そのようなことに頭を回せない。
そんな情況を知るか知らずか、桃色髪の彼女は、言葉を紡ぐ。
「――遠藤輪離様。貴方は他の方々を護りながらも、自身の命を落としてしまいました」
命を落とした……か。命は一回しか落とさないはずなのに、それ以上の数死んでいる。異常だった。
一回目は鉄骨に押し潰されて。
二回目は、少女を護るために、再生者を殺すために、自分も死んだ。
「俺は……二回命を落とした、ってことでいいんだよな?」
「はい。貴方は二回死にました。ですが同時に、二回とも、人の命を救っているのですよ」
「救った? どういうことです?」
イマイチ、話が読み込めない。
記憶を段々と思い出す。
そうだ。俺は少女を助けた。
でも。その前の、地球にいたときに、人助けなんてしたか? そう思った。
「貴方は、地球。それに、まだ名前は知らなかったと思いますが、貴方が行った世界――『エル』の世界。
その二つの世界で、人々を救いました」
「だから、俺は地球にいたとき人を救ったなんて――」
「したのですよ、貴方は死ぬ間際、地球でも人助けをした――人の命を助けた。
貴方は死ぬ間際、思っていたのでしょう?――『ベクトル操作とテレポートが使えれば、他の人々を助けられる』と」
……確かに、そう思っていた。
ただ、
「確かに思ってましたよ。ですけど、地球で能力なんて使えるわけがない。というか俺はそのとき、能力なんて使った記憶がありませんよ?」
「無意識に、使ったのですよ。助けたいという気持ちが働いて、新たに能力が与えられたのです。貴方は地球内で方向量転移者となって、貴方は他の人を全員、助けたのですよ」
「――!? あり得るのか、そんな能力を地球で使うことができるなんて!?」
俺は驚愕した。そのようなことが日本で、地球内で起こることは無いと思っていたから。
しかし、俺の驚きの反応を受け流すように、彼女は俺の発言に淡々と答え始める。
「当たり前ですよ。
そもそも、様々な事例がありますよね? 未来予知、サイコキネシス、霊能力。これらの能力は地球上である程度隠しきれず、噂されているはずですよ? 裏面では――貴方の知らない場所ではもっと人類に影響を及ぼす能力者が地球にはいますよ?」
何を言っているのか? 分からない。
いや、そもそも。
「お前、何者なんだ?
そんなことを――ネットにもどこにも載ってないないような情報を知っていて、俺がさっきいた異世界のことを知っている。少なくとも人間じゃない、よな?」
恐る恐る、そう聞いた。
そんな異常なことを知っていて、この白のみに形成された空間、その中にいる彼女は何者なのか、本当に分からなかった。だから聞いた。恐かったから彼女のことを知ろうとする。
「ええ、そうですよ」暗紅色の着物を着ている彼女は言う。「私は日本兼『エル』を管理する神――櫛玉ですから。そのようなことは、簡単に知れるのです」