二話 ベクトル操作
不意に吹っ飛んだスキンヘッドの男を、俺は呆然と立ち尽くして見ていた。
「ぁがっ……何が……!?」
スキンヘッドの男は大木にぶつかり、血を吐いた。
男は驚愕し、家に怯えながら隠れていた人たちも驚愕し、そして何より一番驚いているのは多分輪離だろう。
――何が!? 殴られたと思ったら、スキンヘッドの男がいつの間にか吹っ飛んで――
ここで、俺はあることを思い出した。
*貴方の"常時"能力はベクトル操作とテレポートです*
それは戯言のように感じ取ってはいたが、しかし現実だった。現実に如実に現れていた。ということは、
俺はベクトル操作とテレポートができる……のか? それなら今の現象も納得できる。
さっきの事象を説明するなら、俺は無意識にベクトルを操って、男の速度に変化を生じさせた――ベクトル操作によって男の速度を真逆に変換して跳ね返した、となるはずだ。
「やってくれたな……クソ野郎っ!」
男は再び俺のもとに一瞬で、刹那で肉薄――しかし、
一瞬で止まった!?
急発進、急加速、急停止。
それは地面との摩擦度から考えれば、自爆行為。出来たとしても足はいきなりチャッカマンに燃やされるように熱いだろうし、捻挫や骨折をする危険性もある。それほどの速度で、しかし男は痛がる素振りを顔に出していない。
そして既に肉薄している男は、巨体を活かして右手で殴る――ことはなかった。左ポケットに隠し持っていたピースメーカー――リボルバーを即座に取り出して、異常な素早さで俺の耳元に当てて、引き金が引かれて銃弾は放たれた。
その結果、血は吹き出し銃創が出来上がる。
……その血は、俺の血ではなかった。スキンヘッドの男の血だ。左手から血が流れ出ていた。それどころか、ベクトル操作によって跳ね返ってきた銃弾は、男の小指か薬指に当たり、指が完全に吹っ飛んでいた。
「ぐっ……」
「えっ?」
遅れながらに、そのような動作が起きていたのだと、理解した。後追いしながら、今起こった状況を頭の中で流されたような感覚だった。
それと同時にバックステップで男は距離を稼ぐ。
俺は呆然とするしかなかった。あまりにも、男の動作に対応できなかった。しかし対応はせずとも、対処は無意識に行っていた。
俺の茫然とした表情から察したのか、眉を顰め、男は話しかける。
「まさかテメエ、無意識に拳銃の弾を跳ね返したのか? それとも『設定』かなんかして、攻撃を延々と跳ね返すようにしてんのか?」
手から噴き出すほど血が流れていても、男は平然と俺に質問をした。
――否、違う。
男の傷は既に治り始めている。急速に壊死は生命を吹き返し、小指と薬指が再生していた。
「治って……る……」
恐怖だった、奇妙だった、珍妙だった。これほどの速度で再生する肉体は人間ならあり得ない。
しかしながら、彼は人間にしか見えない。巨漢でスキンヘッドで、斑模様の刺青という異様さを放つが、外見からどう考えても人間だ。
それならば。
どうしてこの男の再生力は異常なのか?
…………理解した。
「ここは異世界、か……」
先ほどまで曖昧模糊だったものが、今までの現象を理解して声に出したことで、確信に変わった。異世界ならば現実では――地球ではありえないことが可能になる。能力、魔法、魔術、なんでもあるかもしれない。
なら、アイツは再生者……か?
一瞬ではなくとも、ほんの数秒で身体が治ったことから、そのように推測した。
その思考の間にスキンヘッド男は、俺に笑い飛ばすように話しかける。
「はんっ! もしかしてテメエ、甘ぇ野郎か? 指の再生中に俺を殺せただろ?
女を護ろうとして、いきなり現れた甘ちゃんヒーローとか、じゃあねぇんだよな?」
ヒーローという言葉は俺の心を…………抉る。
「ヒーローじゃない。俺は人を殺すこともできないし、できればケガもさせたくない。ヒーローでもないし正義さえも貫くけないさ、俺は」
悲しげに、自虐的に語る。
「じゃあお前、なんだよ、ナニモンだよ。ヒーローじゃないんだろ? それなら大人しくしてくれよ、テメエ。いや、ヒーローに憧れているクソガキ」
ヒーローに憧れているだけ。そうかもしれない。俺は劣等ヒーロー。ヒーローとしてあらゆるものが欠けている。
でも、ここは異世界だ。それで俺には能力があって、相手の能力も分かっている。なら、勝てる。勝てるなら、ヒーローになれるかもしれない。
それを自覚して、俺は道化師のように語り始める。
「お生憎様、ヒーローでなくても一般市民なんでね。少女が虐められているなら助けるのは、一般市民だったら当たり前だろ?」
男を嘲笑する。鼻で笑うかの挑発。いや、過去のことを思えば、それはやはり自虐。
「そうか分かったよクソガキ。正義も決心も、何もなさそうなクソガキ。現実を叩きつけてやるよ」
「……何を」するんだ?
そう言いたかった時には既に。再生者は行動していた。
「死ね――ッ!」
急発進。
急加速。
急停止。
それは再生者だから可能な技術。
再生者の一番の強みは再生力よりも、それを応用することによって、慣性の逆らいをものともしないレベルの加減増を可能とすることだ。どんなに速くても、骨が折れるほどの速度を常人ではたたき出せない。しかし、再生者はそれを可能とする。
時速百キロメートルで走っていると思ったら、次の瞬間には真反対に時速百キロメートルで走り出すのは凶獣でさえも現実不可能。生物において、その速さを――加速度をたたき出す陸上生物は存在するはずがない。
しかしながら、再生者だけはこの芸当が可能。それこそが、再生者の最も恐ろしいところだ。
再生者は一瞬のうちに加減増を司って、最短で、数瞬で、その場所にたどり着く。たどり着いたのは、俺の近くではない。
少女の近く。つまり、少女を殺そうとしている。
絶望を、ヒーローになれない俺にたたきつける。
巨な身体は、小の身体を殺すために、幼き少女を殴り殺――、
「あっ……!?」
「おい悪役。どこ見て殴ったんだ?」
俺はテレポートで、少女のもとに行き、助け出し、元いた場所にテレポートで戻る。結果、再生者の拳は空を殴る。
「ふざけんなよ……! お前は攻撃を反射する以外にも、能力を持ってんのか!?」
「さあな」
俺がとぼけたことによって、再生者は顔が赤くなる。
「殺すッ!!」
巨体な男は既に頭に血が昇っている。昇りあがり過ぎている。
巨体な男は腕を地面につけた。地面に突き刺さるほど、爪を立てた。まるで凶獣のような、百獣の王のような体勢を取った。もっとも、"ような"、ではない。自身の骨格を、骨を折りながら、折り曲げながら、獣が獲物を捕らえるような体勢となった。
さらに、唸る。
本物の肉食動物のように涎を垂らしている。骨が折れた痛みなど知らないのか、アドレナリンによってどうでもよくなっているのか、再生者だから痛みに慣れているのか……。
とにかく、最高速度を出すための最適解を本能によってはじき出した。
もしも俺が眼に追えない速さで、あの男が少女を捕まえれば、この少女は――死ぬ。
簡単に予想が付く。
今や肉食動物のように、本能的に少女の命を平らげようとしている男は、少女を捕まえる時と喰う時を同一にしようとしている。
少女を掴んだ時には、すでに歯を少女の体躯に当てていると同義で、さらにそのままの勢いで食いちぎろうとしている。
容易に想像できて、だからこそ恐ろしい。
それ故、俺は先に手を打った。
テレポートして上空に、少女を抱えながら逃げた。これなら追えない。空を飛べないなら、この手が最も有効な手段だと考えた。
「なっ!?」
しかし肉食動物は俺のニオイ、はたまた少女のニオイをを嗅いでいたのかどうかは判然としないが、そこに現れるのを予期していたように襲い掛かってきた。
俺がテレポートで逃げた先は上空二十メートルのはずだ。並の人間でも、トップアスリートでも不可能な高さを、軽々と跳んだ。しかもかなりの速さ。重力によって速さは遅くなるにも拘わらず、まるで重力がないと、感じさせるほどの速さで、跳躍していた。
俺は、再生者をベクトル操作で跳ね返そうと思ったが、刹那疑問が生じた。
この少女が、ベクトル操作の効果を受けるとしたら……。
俺の能力はテレポートとベクトル操作とは言われたが、詳しい部分が分かっていない。
だからこそ躊躇った。その躊躇いの原因は、ベクトル操作を発動した場合、手に抱えている少女は一体どうなるのか? ベクトルの効果をそのまま受けるのか? それとも受けないのか? という考え。もしもベクトルの効果を受ける場合なら、少女を殺してしまう……。
その疑問が出てしまえば、どうしても迷いが生じる。その間に肉食動物は肉薄。
あることが脳裏をよぎる。
少女の顔面が、食いつぶされて、亡くなる未来が。
ベクトル操作に少女を巻き込んで、骨を砕いてしまい、絶命の声を上げる少女の姿が。
それを意識した途端、それ以外の未来を導き出すために能力を発動。それすなわちテレポート。
それを実行して俺は肉食動物が見えない場所へ移動した。