一話 もしも能力があれば
突然だが、本当に突然だが、ふとしたときに「こんな能力が欲しい」と、そう思うことはないだろうか?
俺――遠藤輪離は、今、このとき、"この状況で"、『能力』を欲していた。
もしもベクトル操作とテレポートができれば……!!
その状況とは、――死が確定した時だ。
工事中だった建築物の鉄骨が、俺や、他の人に降りかかってきている。十メートルは軽く超える鉄骨――それほど大きな物体が複数以上降りかかってきたのだ。この物体が地面に落ちれば、必然と俺は死ぬ。もちろん、鉄骨に巻き込まれてる俺や他の人たちは必死に逃げているが、それ以上に鉄骨の落下速度が速い。
死ぬかもしれないとは思ったが、あること――IFのことがあれば、俺は助かるかもしれないとも思っていた。
俺はとあるアニメにハマっていた、中二病の一端を持っている人間だ。だからこそ死ぬ間際で思ったのだ。
もしもベクトル操作とテレポートができれば……!! と。
常人にとってみれば、そんなのはあるはずもないと、一蹴されるだろう。でも、俺はあきらめなかった。そのチカラがあれば、劣等ヒーローと言われていた自分が、本当にヒーローになれる気がしたから。
しかしながら、願いは叶うはずもなく、迫ってきている鉄骨からは逃げられない。
これから死ぬことはほぼ間違いない。奇跡的な可能性を除けば、死ぬのだ。俺も――落下する鉄骨から逃げられない人たちも。
だからこそ、俺は願ったのだ。
死にたくないと思っているだろ!! 俺も!! 他の人も!!
そして、俺は死んだ。
鉄骨に押しつぶされて、微塵に、ミンチにされて無残に死んだ。
そして――
*貴方の"常時"能力はベクトル操作とテレポートです*
そんな意味不明な言葉を、聞いたような気がした。
*****
最初に感じたのは、浮遊感だった。次にどこかに飛ばされている感覚。感覚が後追いして状況を逐一教えてくれるが、そのほとんどは速すぎるとか、ヤバいとか、そんなところ。そして疑念――なぜ、それほどの速さなのに死なないのか?
どこかに着地したのか、速度体感がなくなる――零キロメートル毎秒。
そして俺――遠藤輪離は目を覚ます。
そこは――その場所は、現代とかけ離れたかのような木材建築によってできた家ばかりで、1DK の大きさも満たない建物ばかりに見える。
古さ加減が甚だしいほどの家が、立ち並んでいた。時代から言えば、現代から五百年程度は前なのかもしれない――そう思えるほどの古臭さ。木々が多くみられる。綺麗な川も見える。そして、その川に架かる、石をベースにした橋。やはり古臭い。いや、別世界と言った方が、的確だろうか? もしかしたら、昔の時代に似ている異世界なのかもしれない。
疑問は尽きない。
だけど、それらの考えは後回しだ。
その理由は、それ以上に、異常な光景が目の前に映っているから。
「おいお前、いつからそこにいた?」
目の前にいたのは屈強な男。声の主はいかつく、声もいかつく、スキンヘッドで上半身裸。下半身は半壊したかのようなジーンズを穿いていた。オマケにかなりの長身で、頭を上げないと相手の顔が見えないほどの巨体。
「…………」
そして何より衝撃なのが――何より衝動に駆られてしまうのは、スキンヘッドの男が片手で持ち上げていたものの興味、いや興味というよりは不思議――意味不明、と言ったほうが適切かもしれない。
持ち上げていたものは――人であり、少女である。
まだ小学生ほどの幼いその少女は、男の巨大な手によって首を持ち上げられていた。黒髪ロングの紫紺の瞳で、長い髪が縛られておらず乱れ、服装も淫らにされ、ボロボロの布一枚しか着ていない。
「おい、答えろ!!」
そのスキンヘッドの男の怒号は俺に向けられていたことで、ようやく理解した。
この状況は、あまりにもヤバい! そのことに遅れながら気づいた。
男の身体はくまなく鍛えられており、筋肉もいかつく顔もいかつく、さらには至る所に斑模様の刺青が刻まれていた。
間違いなく、間違いをしないで分かる。このスキンヘッドの男は関わっていけない類の人間だと、遅れながら気づく。
俺は、頭を動かさず、目だけを動かして状況を把握する。
木造建築の家屋には、窓の向こう側に人がいることを確認できた。もっとも、彼ら彼女らは俺と目を合わすと、窓から見えない位置に隠れたが。
「答えないのか、お前?」
ドスのある声は、声の主もドスがあり、その存在には畏怖するしかない。
しかしその畏怖足る存在に、口出しした人がいた。それは、男に身体を持ち上げられていた少女だった。
「私を殺したかったんじゃないんですか?」
「ああ!?」
少女は首を男に持たれながらも、そう言った。
首を持たれている絶望的状況で。
相手にセンセーショナルな言葉を吐いた。
少女は、この世のすべてを見透かすような瞳で、世界が戯言めいていると答えてしまうような瞳で、何も何者も何事も興味がないように、無表情でそう言った――言い切った――言い切ってしまった。
少女は、少女らしからぬ少女だった。
「お前わかってんのか? 俺は今ここで、お前を殺そうとしてるんだぜ? 理解してんのか?」
「事象は変わらないです」
ヘンテコな台詞を発する少女は、しかし混乱しているわけではないように見えた。
スキンヘッドの男から目を離さず、しっかりと話をしようとしている。常軌を逸しているような状況なのに、彼女の情況は、平常心から逸脱していない。それほど冷静冷徹に見える。
「何が言いたいんだ、お前は?」
「出来事を見たいだけかもしれないです。貴方がこれから私を殺すのか否か、その結果を見たいのかもしれません。
まあ、私は貴方に殺されても、なんとも思わないですが」
その言葉を聞いた瞬間、頭に血が上ったのか、男は顔を激怒色に染めた。それを見ても、少女は何も怖じ気ず動じず、無表情無抵抗。だから俺は思ってしまったのだ。
もしかして、この巨漢の男はあの少女を殺すことは無いかもしれない。そもそも、まだ首も絞めてもないかもしれないんだし……。
よくよく考えれば、少女を片手で持ち上げているだけで、手に力なんて入れていないかもしれない。
そんな憶測を――そんな妄想を抱いていた。その愚かさに気が付くのは、愚かにも刹那だ。
「――殺す!」
ついにスキンヘッドの男は少女の首を絞めた。腕に力が入ったことが、筋肉の動きで簡単に理解できた。
「やめろよ……!」
「ああ?」
それを口にした声の主は、驚きを自分でも隠せない。
何も考えてもいられないほど、恐怖していたのに。声を出す必要はなかったのに。声の主である俺は、そう言ってしまった。
しかも、少女は既に気絶していた。完全に、言った損になった。
スキンヘッドの男は嘲る。
「なんだお前。まさか俺に喧嘩売ってんのか?」
「っあ、いや! そんなことないです。ごめんなさい……」
俺は正義には――ヒーローにはなれない。だから委縮する。だから前言を、撤回しようとした。
「じゃあ金をくれ。いや、金になる物なら何でもいい」
「…………」
黙る。黙ってしまう。
金なんて、あるわけない。
いきなりこんな場所に飛ばされたのに、金なんて持っているわけがない。そして俺は気づく。
コイツは……盗賊か……?
早くもこの状況に、情況が少しずつ慣れてきた気がする。
そして冷静になって結果を導き出したのが、この男は盗賊だということ。確証はないけど、それに近しい言行から、その可能性は十二分にあった。カツアゲしていたし、シニカルに笑って見えた歯は金歯だった。多分、盗んだ分の金で、金歯でも作って入れてもらったのだろう。
……。
それが分かったところで、無意味だ。どうにもならない。
俺は金銭や金に代わる物なんて持っていないから、
「すいません。無一文なんで、金なんてありません……」
こう答えるしかない。Noかいいえでしか解答できない選択。あまりにも残酷だ。
「分かった。じゃあ見せしめに、この女を殺せばいいよな?」
「はっ?」
呆けた表情で答えた。
あいつは本当に少女を殺すのか?
確信はない。しかし可能性は十分なほどある。あいつは少女をなんの躊躇いなしに気絶させたのだから。
俺は無意識に正義なる言葉を、再び口にした。
「少女から手を離せ」
「分かった。手を離す。代わりにお前を殺す」
「えっ……?」
心の準備も何もできていない。意味も分からなかった。少女を殺すことに拘りがあったはずなのに、どうして標的を俺に変えるのか。思いのほか簡単な理由だと察した。
――殺せれば、誰でもいいのか。見せしめに殺せば、恐怖と畏怖で自宅にいる彼ら彼女らから金を搾取できるから。だから殺すのは一人で十分。誰を殺しても良かったのか……!
それに気づいたとき、もう前言を撤回できなかった。
スキンヘッドの男は乱暴に少女から手を離して、数瞬で俺のもとに来る。巨体なのにあり得ないほどの速さだった。そして巨体から繰り出す拳を俺に喰らわせ、
「…………、えっ?」
スキンヘッドの男は勝手に吹き飛んでいた。