厳つい男と淑女だった(前)
通用門から快く入れてもらったけど、街の中はまだ静かだな。
人は疎らにいるが、そのどれもは露店や屋台の準備中で、当然お店自体もまだ営業していない。
それ以外だと朝方の散歩を生き甲斐としている老人くらいだろう。
「取り敢えず、滞在期間中の宿を探すかな?」
背後から朝日が僅かながらに覗いているこの時間ならば、既に何軒かは開いてるだろうと街中を探索してみることにした。
……close。
………close。
…………close。
「どこも開いてない。」
案の定…いや、多少分かってはいたけどどこも開いてない。かれこれ一時間近く探し回ってるけどどこもまだ閉まっている。
「宿は諦めて目的地の下見に…ん?」
そんな半ば諦めながら歩いていると、ふとある看板の下に掛かっている木札の文字に目が止まる。
『宿り木の宿』、『open』…と。
「お!?」
どうやら神は俺を見捨ててなかったようだ!!
あ、いや、あの神に感謝するのはやめよう…アレだし、なにより癪だ。
『宿り木の宿』…名前は店主の独特の感性が窺えるが、建物は割と綺麗だ。扉を潜り中へと入る。
木造りの一般的な宿と言えた。まぁこの世界の建築基準なんて分からないから俺の所感だけど。
「…ん?誰だい?こんな朝早くに。」
そう言いながらカウンターらしき場所で書き物をしていた中年の女性に声をかけられた。
「あの、宿を取りたいんですが。」
「は?」
あれ?なんだろう、歓迎されてる感がゼロだぞ?もしかして一見さんお断り系か?
「まだ『close』の木札が出てたはずなんだがねぇ…」
「え?あの、『open』になってましたけど?」
「「え?」」
うん、二人には明らかな認識の齟齬があると見た。それも決定的な。
「……はぁ…またあの娘は…済まないねお客さん。どうやらうちの娘が木札を交換し忘れたみたいでね、まだ開いてないんだよ。」
「え…マジっすか…」
…朝日が昇ったとはいえ、やはりこんな朝早くに開いてる宿なんかなかったか。
「とは言え…完全なこちらの落ち度だ。受付をするからこちらに来てくれるかい?ふふっ、そんな絶望的な顔をしなくても追い出すような真似はしないよ。」
そう言いながら中年の女性は手招きをした。
…あなたが神か。
「あ、ありがとうございます。」
「なに気にすることは無いよ。元はと言えば木札を変え損ねたこちらが悪い。で?文字は書けるかい?」
そう言いながら女性は俺の目の前に台帳を差し出してペンをくれた。
「あ、大丈夫です。」
…この世界の文字は最初、俺たちも戸惑った。言葉自体はラムリスさん達と会話が成立した事から日本語だと分かっていた。
しかし文字はどうも関わる機会が少なかった為に、どんなものかと思っていたら…なんとこの世界の文字はローマ字だった。
それが分かったのはあのザックス殿下とジュウゲンが交わした契約書を見た時。アルファベットでツラツラと書かれたそれを見た時、俺は嫌な予感がした。
見た瞬間、英語やスペイン語の類では無いことはすぐに分かる。何故ならカンマやピリオドがなく、スペースもなくただのアルファベットの羅列。英単語やスペイン単語の法則性もない。
一瞬、この世界独自の文法かと思ったが、音読みした瞬間にそれが何か…いや、日本語をローマ字で表記したものと分かったのだ。
「これで良いですか?」
台帳にはきちんとtakumi datouと記載した。
だが俺はこの世界の言葉が日本語で、文字がローマ字と分かった時点で頭を抱えた。
なんだかって?よく考えてみてくれよ。
『懐刀 匠』を平仮名にすると『だとうたくみ』となる。この時点で漢字が如何に便利か分かるだろう。文字に含まれる情報量が同じなのに、労力は半分なのだから。じゃあここから平仮名からローマ字に変えるとどうなる?
『だとうたくみ』から『takumi datou』…そう労力は倍になる。
…まぁ名前だけならばまだいい。だがこれが文章となるとヤバイ。
あの契約書も内容自体はそこまで多くなかったのにローマ字表記なだけで羊用紙10枚はあったから。そしてこれがまた読み難い読み難い…イメージしてほしい。
例えば外国人留学生は比較的平仮名だけならすぐに覚えてしまうらしい。まぁ50音しかないし、漢字は絵みたいに見えるらしいからかなり時間をかけて覚えないと無理らしい。そして最初は平仮名だけで文章を書くんだけど…あれ、かなり読み難くない?平仮名だけの文章ってさ。
それに日本語には文章同士を区切る為の句読点があるけど、当然、漢字にもその役割がある。
つまりなにが言いたいのかというと…かなり読み難く、書きづらく、労力がかかるという事だ。
しかも単語によっては先程の『open』や『close』のように英単語の場合もある。良くも悪くもそこも日本式の文化だが、やはり純粋な日本語文化に染まっている俺にはこの境の言語文化には慣れない。
ああ、懐かしき母国語…。
「…宿の説明を始めてもいいかい?」
はっ!いつのまにかトリップしてたぜ。中年の女性、女将さん?から怪訝な目で見られてた。
「あ、すみません。お願いします。」
「大丈夫かい?なんか遠い目をしてたよ?…まずは、料金制だね。部屋は個室か相部屋で、素泊まりか食事付きがある。食事付きは1日3食朝昼晩で決まった時間に食堂に来て、部屋の鍵を見せれば食事を貰えるからね。相部屋で素泊まりなら小銀貨2枚、相部屋で食事付きなら小銀貨3枚と大銅貨5枚、各プランの個室の値段はその2倍になるよ。料金は前払いで、例えば5日の予定で3日しか泊まらなかったら残りの2日分は違約金として3割貰って7割返金になるから、泊まる日数は正確に決める事だね。質問はあるかい?」
成る程。相場は分からないけどまぁ適正だと思う。女将さんの対応も丁寧だし、宿自体も綺麗だ。これで多少ぼったくられても文句は言うまい。
「いえ大丈夫です…じゃあ個室、食事付きで取り敢えず1ヶ月お願いします。」
「…いいのかい?一応ここって高級とまでは行かずとも中堅の宿だよ?それを前払いで1ヶ月?さっきも言ったが、途中キャンセルの場合は損する事になるよ?」
「ええ、お願いします。じゃあ値段は小金貨2枚と大銀貨1枚でいいですか?」
「え?……あ、あぁ、たしかにその値段になってるね…あんた身なりはアレだけど文字も書けて計算もできる…どこかの坊ちゃんか、学者の子供か何かかい?」
女将さんは何故か驚いた顔でそう尋ねてくるが、俺の身分を嘘偽りなく答えても…
「いえ?辺境の村人ですけど?」
としか答えようがない。
「…はっはっ、分かったよ…訳ありだね?大丈夫さ、お客の情報守秘も仕事のうちだからね。」
いえ、本当に辺境の村人なんです、はい。そんな『わかった…みなまで言うな』みたいな顔されても困るから。
「これが部屋の鍵さ。これは食堂の識別にも使われるから失くさないことだね。風呂は個室なら標準で付いてるから自由に使いな。」
「分かりました。ありがとうございます。」
俺は鍵をもらうと女将さんにお礼を言い、部屋へと向かう。
部屋番号は『207号』つまり二階か。受付近くの階段を登ろうとした時、上から人が降りてきた。
階段は2人がギリギリ通れるくらいの幅しかないため、俺は2人が降り終わるまで待った。
「おう、すまねぇな。」
「あら、ごめんなさい?」
上から降りてきたのは男女…夫婦…いや、カップルか?
男の方は身長が180センチを少し超えるかという筋肉隆々の男。髪型はソフトリーゼントとでも言うのか?一昔前のヤンキーみたいな髪型て、顔もヤンキー。
顔の右眼に一筋の数が深く入っており、見た目だけで判断するなら5、6人殺ってても不思議じゃない。
対する女の方は対照的で小柄だ。160センチはないだろう身長に、きめ細やかな白い肌。長い真紅の髪をサイドポニーにして肩から垂らしている美女。歩き方にも気品があり、何故隣の男と一緒にいるのかが分からないくらいだ。
見た目だけで判断するなら虫も殺せない箱入り娘と言った雰囲気だ。
…見た目だけなら、な?
「いえいえ、お気になさらず。」
愛想笑いでその場はやり過ごす。気になることはあるが、今の俺には関係のないことだ。
二人組を見送った後そのまま階段を上がり、借り受けた部屋へと入った。
「っと、少し急いできたから疲れたな…少しだけ昼寝、ならぬ朝寝してから活動開始と行きますか。」
起きたら夜でした…となると笑えない話だが、別に今回は急務と言うわけでもない。時間を掛けてゆっくりとやるつもりだ。
「ふぁぁぁ…お休み…と…」
◆
「なぁ、さっきの少年どう思う。」
「少年?…あぁ、宿屋ですれ違ったこの事かしら?うーん、只者ではないことは確かね。雰囲気を擬態してたし。」
「そうか。」
厳つい男はそう頷くと考えを巡らせる。見た目に反してその思慮深さは隣の女も認めるところだ。
「…恐らく偶然よ。そうでなくても私達と敵対する、と言うことはないと思うわよ?」
「ほう?その心は?」
確信にも似た女の自信ありげな言葉に、男はニヤリと笑いながら(獰猛な、人を喰ったような笑み)女に聞き返した。
「ふふ、女の勘よ。」
「はは、そうか…女の、特にお前の感は当たるからなぁ…そう言う事にしておこう。」
朝日が照らす眩い後光を背に、男女は街の中を闊歩して行く。
◆
「んぁ?あー、少し寝過ぎたか?」
窓の外を見ると太陽が頂点より僅かに傾いていた。
どうやら昼を少し回ったところのようだな。
「んー…取り敢えず飯でも食ってから考えるかな。」
一階に降りて右手に曲がればすぐ食堂。丁度昼下がりということもありそこそこ人が居た。
何はともあれ飯にありうこうと食堂の出窓のような場所にいる恰幅のいいおばちゃんに部屋の鍵を見せる。
「あいよ、昼飯だね?ちょっと待ちな。」
すると目の前にトンッと1杯の水が置かれた。
「あの?頼んでないけど…」
日本にいた頃は、水は潤沢にあり、また飲料水としてきちんと整備された上で無料というのが当たり前だった。
しかしここは異世界で、且つ時代水準は中世ヨーロッパといったところだ。水1杯〇〇円というのは当たり前な世界である。
「あぁ、これは無料だよ。ここ最近のことさね、皇帝の命令で地下水脈が整備されたらしくてね。しかもそれを無償で各家庭に分配してくれるってんで私達も水は無料で出してるんだよ。全く、あの皇帝さまも偶には良いことするよ。」
そう言うとおばちゃんは他の宿泊客にも水を配っていた。
「へぇ、まぁ無料って言うなら有り難く。」
と、一口口を付けたときだった。
【報。微弱な毒性物質を検知しました。解析、血花石と言う鉱物の微粒粉と判明。微量ならば無毒と同義ですがレジストします】
「味は普通だけどな(まぁ地下水脈から引っ張ってるって言ってたからな、時代背景考えるなら仕方ないだろ)。」
タクミは特段気にすることもなく席を探す。人はいるがまだテーブルは空いているため適当に座り、おばちゃんが持ってきた遅めの朝食をとる事にした。
中々にボリューミーな朝食に舌鼓を打っていると、近くのテーブルから興味深い会話が聞こえた。
「なぁ聞いたか?“軍人狩”の噂。」
「あー、あれだろ?職業軍人の通り魔惨殺事件。半殺しと惨殺死体が入り混じって発見されるって言う不可解な。」
「それそれ、なんでも半殺しの方はその殺された軍人の従者や秘書官らしい。で、殺された当の軍人は内臓はぐちゃぐちゃ、顔もぐちゃぐちゃ手足は変な方向に曲がってて見るも無残…って話だぜ?」
「おいおい…飯食ってる時にする話じゃねぇだろう。」
「っと…それもそうか。悪い悪い。」
半殺しと惨殺死体、ねぇ…ちょっと気になるな。
「なぁ、兄さん達。その話もう少し詳しく教えてくんない?」
「あ?なんだお前、いきなり何…ん?まぁいいけどよ。」
「…まぁ少しくらいなら。」
最初は怪訝そうな顔をしていた2人だが、いつもの“袖の下”で解決する。この国の人間は『特務尉官』の地位を持っているため、多少内部事情にも通じているはずだ。当然、箝口令も敷かれているだろうが、中途半端なセミプロならば比較的懐柔しやすいんだよな。
「で?何が聞きたいんだよ。」
「半殺しの人間の状況と惨殺死体の殺害方法を知りたいんだ。」
「状況と殺害方法?なんでまた?」
「まぁまぁ…見ての通り俺は外から来たからね。そんな悲惨な事件なら安全を確保するために情報は必要だろ?“軍人狩”とか言われてるけど、なんかの拍子で一般人にその牙を剥かないとも限らないし。」
「まぁ…俺らは別にいいけどよ。状況としては専ら夜が一番多いな、次いで明け方。どちらも人通りが少なく、且つ人目のつきにくい時間帯だ。被害者はどれも正式に任官されてる…いわゆる職業軍人だよ。お供してた奴らも一緒に襲われてるけど、特務尉官…要は臨時の軍人は見逃されてる。まぁお供でも職業軍人の方は漏れなく殺されてるんだけどな。」
「へぇ…」
問題はどうやって見分けてるのか?特務尉官と言えども仕事に携わるならば職業軍人と同じで軍服だろう。ならば事前に下調べをしていたか?
となると内通者、ないしは情報が漏れていると言う事になる。
「で殺害方法と言えば惨殺の一言。臨時の方は基本的に殴り飛ばされて気絶させられてるんだけど、殺された方はそりゃもう悲惨極まりないって感じらしいぜ?えらく鋭い太めの槍みたいなものでまず手足の関節を穿ち、そのあと嬲り倒した上で心臓をブスリってな。」
「惨殺死体の方は槍で殺されてるのに、獲物が分からない?どう言う事だ?槍で決まりなんだろ?」
槍みたいなものという所まで特定出来ているなら、“槍で刺し殺された”と断言してもいいはずだ。そもそも槍状の武器なんてそうある物でもない。それにも関わらず“みたいな”と濁すって事は何かおかしな点があるって事だ。
「それがな?歪なんだよ、その心臓を一刺しした痕がさ。」
「歪?」
「ああ、一直線の線状痕ではなく何か傷の形が歪んでいたんだと。それにいくら人通りや人目が少なくても槍を持ち歩いていれば人目につくだろ?でも聞き込みの結果、そんな大物を持ち歩いていたという証言は一つもなかったんだよ。」
成る程ね。
槍ではない、しかし武器でもない限りそんな惨状は生まれ得ない…という一般人故の思考の落とし穴か。
「ふーん、くわばらくわばら。せいぜいそんな事件に巻き込まれないことを祈るとするよ。あ、これで追加の酒でも頼んだよ。」
懐から小銀貨2枚を取り出して、男達の目の前に置いた。
「お、悪いな兄ちゃん。」
「しっかし、こんな情報でいいのか?この街の特務尉官…住人なら大体知ってることだぜ?」
「はは、俺にとっては重要な事だったからね。助かったよ。」
「まぁ君が良いなら良いけどさ…ならオマケをあげるよ。」
そういうと男達の片割れが、ニヤッと笑う。
「さっきの事件とは関係ないけどさ、この宿に若い男女が泊まってるのは知ってるか?」
若い男女…あぁ、さっきのカップル?か。
「ああ、それが?」
「男の方は殺し屋、女の方は娼婦って話で駆け落ちでもしてきたんじゃないかって言われてる。まぁ噂だけどなぁ…でもあの男の方は、絶対に何人か殺ってるって。反対に女の方は何人とヤってるかは知らないけどな。」
…下世話な話、のつもりなんだろうなこの2人にとっては。
「なんだよ、そんな苦い顔すんなって。言ったろ?オマケ程度なんだからよ。」
「はは、まぁ話を聞けて面白かったよ。ありがとう。」
後ろ手に手を振り、食堂を後にする。本来の目的に関する情報ではなかったけど、有益な情報を聞けたのは間違いない。
すると食堂の出口を抜けようとしたとき、丁度反対側より件の男女が入ってくる。
男の方は仏頂面、女の方は妖艶な笑みで会釈をしてきたので俺も軽い会釈で返した。
食堂の奥では先程のオマケが尾を引いているのか、割と大きな声で男達が未だに話に花を咲かせている。
「はぁ、オマケで命を落とさないよう気をつけるんだな…」
後のことは本人たち次第だろう…




