am2:00の女について。
「彼女に浮気されたんすよ。」
連れてきた牛丼チェーン店で、後輩はそう語った。
脈絡も無いといえば脈絡も無い話で、仕事終わりに牛丼屋に来てそういった話をされる心構えをしているわけでもない。とはいえ世間話とはそこまで脈絡の有無を考えて話すような小難しいものでもないと思う。だから後輩は、そんなに突拍子も無い話を振った訳でもなく、しかし僕は、それに対して上手い返しを予め用意しているわけでも無かったが、
「最近の話?」
と咄嗟にそういう返答を捻り出す事は出来た。…浮気をされた?ふむ?などと内心は考えている。
「はい、…浮気されたのは一昨日で、聞かされたのは今日です。休憩の時で。」
と、彼は僕の内心の動揺に気づいた素ぶりも見せず、今日は正直仕事どころじゃなくってぼーっとしてました。すみません。と少しだけ戯けた調子を含めて返した。
僕も少しずつ話を聞く態勢を心中で整えながら、おい仕事はちゃんとしろよ、などと返しながら、今日の彼について今さらながらに考えてみる。はたして確かに、彼の今日の仕事に対する反応の鈍さに少しだけ戸惑い、またほんの少し苛立った場面があったのは事実だ。
まさか、恋人に浮気をされているとは思いもしなかったけれど、確かに20歳を越えたばかりの彼にとってそれは、仕事どころでは無い事件であったのかな、と考えたりもした。
まぁ話してみろよ。と彼を促す。
いやぁ、と半笑いを浮かべる彼の後ろに掛かった時計が丁度、am2:00のオルゴールを鳴らした。
何処にでもよくある恋の話。浮気話。
店員と僕達しかいない深夜の店内で語られる、愚痴のような暴露話を聞きながら、僕は浮気をしてしまった彼女とやらの心境に思いを馳せた。
これは半分癖みたいなものだ。世の中の多くの男性と同じように、また、3つしか年の変わらないこの目の前の後輩と同じように、僕も女の子に浮気をされるのはあんまり得意な方ではない。
浮気をされるのは怖い。
現在恋人は居ないけれど、かつて恋人が居た時、或いは恋人が欲しくて欲しくて堪らなかった時代に、どうして人間は浮気をしてしまうのか、というテーマについて真剣に考えてしまったことがある。
傷つきやすく、また、自己尊厳の高い人間だった学生の時分、それほどまでに浮気をされて、自分を思いきり否定されたような気分になるのが怖かった。
その時得た答えのようなものは、その後何回かの実体験やパターンを経て、言葉というよりも身体に染み付いてしまって上手く思い出すことができないけれど、女の浮気話を聞くときに、女が何故浮気をするに至ったのか想像してみる奇妙な癖が身についてしまった。
食事が済み、店員が空いた丼を下げに来る頃に彼の話は終わった。
しかしまぁ、ある種ドラマのワンシーンのように、綺麗に浮気されるものだな。
そういった少し筋の外れた感想を抱いてしまう程、順序良く浮気をされたらしい。ちなみ彼は、彼女から聞いた話で真偽の程は分かりませんがね、と付け加えるのも忘れなかった。
ある時喧嘩をして、少しだけ疎遠になる。そんな時、なにがし先輩から気分転換にドライブに誘われ、話をするうちに打ち解ける。気分もスッキリする。気づけば遅くなる。泊まっていけばと提案されれば、ついついその流れに乗ってしまうのがお約束で、その後ほんの少しの強引さを含んだやり取りを経て、事に至る。ところで彼女は、最後まではしてないんだけれど…付け加えるのを忘れなかった、らしい。
そろそろ店員の目線が少しだけ気になってきたので、席を立ち会計を済ませて外に出てから、後輩は、まぁ勢いで許しちゃったんですけれど、なんか悔しいっすね。などとこれまたお約束みたいな感想を口にした。
なんだか話の入りからオチまで、何もかも小気味よくまとまり過ぎていて、僕としては上手く次の言葉を探し出す事ができない。am2:20過ぎの星空はパッとしない空模様で、星たちもどこか居心地悪そうに瞬いているような、どこかこそばゆい心持ちで、後輩の吸う煙草の煙を、眺めるでもなく眺めてから、僕は二、三慰めのようなものを口にして、曖昧に笑って話を締めくくって、車を運転して後輩を送った。
「納得できるように考えてみろよ。」
なんていまいちきまらない台詞を後輩に託して、ひとりで車を出した。
いつもスマートフォンから流している音楽ではなく、深夜のカーラジオを流してみながらぼんやりと考えてみると、何となくその彼女は後輩に、少しだけ嘘をついているのかな、という気がしていた。
でもまぁ、前戯だけで済ませたのは本当かもしれないな。と、考えたりもした。結局、どのあたりで嘘をついているのか見当がついたわけではなかったし、全ては何となくの勘で、答えのない考えであったが、極めて個人的に、いささか捻くれた感のある僕の脳内で、その彼女が話したらしい事の始終が、いささかまとまり過ぎていて、かえって僕にとってどこか引っかかる、奇妙な存在感を持ってしまったのだった。
家に辿り着くまでに、30分ほど車を運転した。
それまでに、名前も顔も知らない後輩の彼女は、僕の考えと筋書きの中で、何度も何度も浮気を繰り返した。
何度も先輩に愚痴を吐き出し、何度も先輩の部屋で酒を飲んだ。
何度も先輩に触れられ、脱がされ、引き寄せられた。
何度も嫌がる素振りを見せたものの、最終的には彼に従った。
浮気をした彼女を庇いだてするつもりは無いが、恐らく事を荒立て無いように仕方なく致した、というのが僕の出した答えである。
人間は時に、思うより簡単に浮気をしたりする。しかしその一方で、思うより簡単に人の心は動いたりしない。というのが僕の見解だった。真実の為にも、どうせ、なんていじけた考えで人の感情を理解しようとはすまい、と、心に決めたのは何歳の時だっただろう。人間の事を信じたくなくなる出来事は今までに何度かあったが、しかし、どうしても行きずりの、しかも、弱った心につけ込むようにして、一般的に考えてまともとは言い難い提案をしてくる男性を、簡単に魅力的だと考えたり、悪くないと考えてしまう女性が多数であるとは思えなかった。
もちろん、実際にどんなやり取りがあったのかは僕は知らない。彼氏である後輩も知らない。
しかし僕は、人間の…女性の、理性というか、気持ち悪いものに対する嫌悪感や忌避感といったものを信じた。
部屋に辿り着くまでにも女は、考察の物語の中で、仮定の中で、何度も浮気をした。とめどなく浮気をした。
何度考えてみても、いや、考えてみるごとに、その彼女が暗闇の中で、どんな気持ちで、前戯を致したのか。愛撫をしたのか。その感情だけがどうしても気になった。僕は女でも無いし、そんなこと考えても仕方がないと、冷静になろうとしたが、ずいぶん前から、後輩に話を聞かされた時から、僕はもう冷静では居られなかった。
気分を切り替える為にビールを飲んでみたものの上手く行かず、結局am4:00前に布団に入るまで、彼女は、もう僕の意思と関係なく、何度も、先輩と浮気をし続けた。
何度も。
後輩の話によると、彼女は一昨日のこんな時間に、買ってきたビールも買い置きの梅酒も飲み尽くした後に、
愚痴などを語り尽くした後に、
この時間に、彼氏では無い男を愛撫したのだという。
夜明け前に僕がやっと眠りにつくまでに、もう少し時間がかかった。
お久しぶりです。例によって40%だけ真実の小説です。
僕が寝苦しい夜を過ごしたことや、am2:00に牛丼を食べたことは、紛れもない真実です。