波紋
惑星機構の原型は、銀河系の外れの名もなき小惑星に作られた図書館だと言われている。
言われている、というのは、市民の一挙手一投足まで『観測』している惑星機構に対して
----いわば唯一にして万能なる惑星機構に対して、随分と曖昧な表現ではある。
まるで神話か伝説に対するかのようない畏怖さえ含まれていると貴女は感じるかもしれない。
確かにそうだ。
惑星機構の成り立ちとして語られている断片的な伝承が全て事実なのかを確かめる術がない以上、我々はもはやこう言い換えてもいいだろう
----神話はそう語っているのだ、と。
そう。
惑星機構の成り立ちはあまりにも古い。
そして、関連する資料が散逸してしまっているため、惑星機構という宇宙最大の社会機構の成り立ちとそこに至る歴史を正しく知る者はほとんどいない。
その始まりの小さな図書館の名前を知る者もいない。
銀河系に存在する無数の文明から様々な媒体の記録が集められ、幾つもの惑星から研究者が訪れては自分達の言葉に翻訳し、持ち帰り、新しい知識として伝播させていった。
その過程で、皮肉な事に最初の一滴は希釈され、ただその波紋が静かに広がり続け、時に人々の無意識を静かに揺すぶる古代の神が生きながらえる事もあっただろう。
果てなき銀河に落された一滴に過ぎなかった他文明の知識は、今は全宇宙統合のために読み解かれ、分解され、再統合され目には見えぬ武器として秩序を守る思想に精錬された。
「……それでは参りましょうか」
フォルトナに優しく促され、手を繋いだままの私と少女は、ほとんど同時に一歩、塔の内部へと足を踏み入れる。
「心を、全て解放してください……あとはこの塔自身が貴女方二人を導いてくださります」
導く?
この塔が?
それでは、フォルトナは----この補佐官はもう私達を導く役割を終えたという事なのだろうか?
「ねぇフォルトナ……貴女も、貴女も一緒に来てくれるんでしょ?」
「いいえ、ここから先はお二人だけです」
年上らしくその声はあくまでも穏やかだ。
「さぁ、お進みください」
「……行こう」
覚悟を決めたかのような響きと共に、私の手を握っていた少女が、ぽつりと呟く。
「だって、二人なら……怖くないよ……ね?」
「そうね……ええ、そうよね怖くなんかないわ」
そうだ。
このまま立ち尽くしている訳にはいかない。
私達は行かねばならないのだ。
でも、どこへ----?
(……そうよ、これは私の成人の儀式なんだから……何も怖がる事なんかないのよ……!)
恐る恐る歩みを進めようとした途端に、
「……!?」
繋ぎ目すら見当たらなかった白い床の中心から波紋のようなものが現れ、私達の爪先を洗った----ように見えた。
「……何これ!?」
それは瞬きする間もない出来事だった。
「階段が……!」
思わず漏らした声が白い空間に何度も木霊する。
それはまるで見知らぬ他人のもののように聞こえて、私は自分の頬が強張るのを覚えた。
「こ、これが……入口、なの……?」
私達はほんの数秒のうちに、深く巨大な縦穴の淵に立っていた。
どれほど目を凝らしても穴の底は見えない。
ただ昏く、茫漠とした空間が地下深くまで伸びている様子が、恐ろしいほどにはっきりと感じられる。
「……ここから入るしかないようね」
穴の縁にへばりつくようにして始まる細い階段が、螺旋を描きながら下へと向かっていっている。
白い空間と昏い穴の対比が目に痛いほどだ。
そして、それは私の記憶を揺さぶる。
これこそが私のために用意された場所なのだと、容赦なく突き付けて来る。
「……じゃあ、先に行くね」
ふわりと少女の髪が波打ったかと思うと、彼女は何の躊躇いもなく螺旋階段を一人で降り始めた。
「待って! 一人じゃダメよ!」
タッタッタッタッと軽やかな靴音を立てて少女は跳ぶような勢いで階段を駆けおりる。
あっという間に先に降りていく。
私は、覚悟を決めてその後を追う事にした。




