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咲かない蕾

 波の音が遠くに聞こえる。

 飛んで行く海鳥の姿が、白い砂粒のように見えている。


 ここは大陸の端の、海に囲まれた小さな小さな岬----。


 照り付ける太陽の光が、揃いの長衣を纏って丘の上に佇む少女達を照らしていた。


 少女達は三人。

 年齢も髪の色も瞳の色も違うが、強い日差しの中にあってその肌は一様に透けるように白い。


「いよいよ明日が成人の儀かぁ……なんだか全然実感がないのよね」


 まだ幼さの残る少女の声に合わせるようにして、満開の青い薔薇の花がそよ風に揺れる。


「確かに、こうして振り返ると今日まであっという間でしたわね」


 大人びた声は年長の少女のものだ。


「ただ、成人の儀も大切ですが……姫様、明日は貴女が監督官へ昇任される日でもあります」

「分かってるわ、フォルトナ」


 小さな溜息をついて、少女は応える。


「……だからここに来たのよ」


 ひときわ強い風が吹いて、少女達の腰丈ほどの薔薇の木々が揺れた。

 まるで大きな一匹の生き物であるかのように青い丘はうねり、芳香を撒き散らす。


「この岬は死角になっていて、惑星機構に音声までは届かない……そうよね?」

「でも、すぐ側に補佐官の私がいますよ」


 フォルトナと呼ばれた年嵩の少女の声は、あくまでも落ち着き払っている。


「私は帰還後、貴女のこの星での全ての行動記録を評議会に提出しなければなりません。それは御存じでしょう?」

「……ええ、その後また『調律』を受けなければならない事も……私達の事は忘れてしまう事も、ね」


 白い指先が、空の青を集めたかのような薔薇の蕾を撫でる。

 

「だからこそ本当に感謝しているの……貴女が私の補佐官として適合しなかったら、私はいつまでも成人の儀を迎えられないままだったのだから」


 白い指先は何度も蕾を撫でる。


「そう、あの時は貴女が同じ枝の薔薇なのかと思ったわ。そのくらいに貴女は……」

「そう思っていただけただけでも、身に余る光栄ですわ」


 白い指先は青い薔薇の蕾を撫でる。


 何度も。

 何度も。

 満開の薔薇の中にありながら、ただ一つ開くことのない青い蕾を。


「ずっと思っていたの。貴女は本当はこの世界を、機構の下での平和そのものを恨んでるんじゃないか、って……だって心なんかを持って生まれたせいで貴女は……」

「確かに、今は心を持って生まれる者はごく僅かです。貴女のように『継承者』の血統に生まれるか、あるいは私のように突然変異で生まれて『不適合者』として一生を終えるかの、どちらかしかない」


 でも、とフォルトナは続ける。


「幸運にも私は補佐官として選ばれ、貴女にお仕えする事ができました」

「本当にそう思ってる?」


 少女の指が、弾かれたようにして青い薔薇の蕾から離れた。


「どうして? 心さえ持っていなければ経験しなくてもいい辛い思いを、貴女は何度もしてきたじゃない? 私だってもしあの家に生まれていなかったら今頃は……!」

「姫様、お言葉が過ぎますよ」


 宥められて、なおも少女は絞り出すような声で続ける。


「……分かってるわよ、でも……これまでも、これからも、機構の下では心を持って生まれてしまった人間は、あってはならない存在として恭順か離反の二択を迫られる……それのどこが幸運だなんて言えるの……!?」

「言えますよ」


 フォルトナの声は、どこまでも穏やかだ。


「心を持って生まれて、私は良かったと思っているんですよ?」

「……フォルトナ?」


 いつの間にか二人の少女から離れた小さな影が、岬の端に立って海の向こうを見詰めている。


「貴女達とこうして過ごす事ができて、本当に私は幸せでした」

「……なんか、そんな改まった言い方されると、ちょっと怖いかも」


 そう言って少女は「なんてね」と笑って見せた。


「もしかして、緊張されてるんですか?」

「当たり前じゃない、だって明日はどんな事やるのかすらまだ教えてもらってないし」


 どこかで海鳥が鳴いている。

 見上げても、目に入るのは射るような日差しだけだ----。


 小さな影は、まだ海の向こうを見詰めたまま微動だにしない。


「……何も心配は要りませんよ。貴女が機構の一員として迎え入れられるお祝いの日なのですから」

「それはもちろん分かってるんだけど……」


 しばらく沈黙が続く。

 二人の少女は、どちらからともなく緩やかな丘を下り、岬の先端へと歩みを進める。


「……今朝、夢を見たの」

「どんな夢ですか?」


 どこまでも広がる青い海。


 だが、目を凝らせば、海の向こうは蜃気楼のようにゆらゆらと揺れているのが分かる。

 夜に同じ場所に立てば、不思議な色彩が空を乱舞するのが見えるだろう。


「全然覚えてないんだけど、とても怖くて悲しい夢だったのは覚えてる……」


 この先に見えるはずの島々を、少女達は一度もこの目で見た事がない。


 少女達のいる大陸は、四方を見えない結界で守られている。

 見えない結界で、世界から隔てられている。


「目が覚めたらボロボロ泣いてた……だから、本当は今でもちょっと怖いの」


 小さな影がこちらを振り向く。

 両手を挙げて、無邪気に駆けて来る。


「もしかして、私は何か取り返しのつかない大切なものを失ってしまうんじゃないか、って……ねえフォルトナ、明日の成人の儀って本当に……」

「マリア!」


 マリアと呼ばれた少女は、胸元に勢いよく飛び込んで来た小さな少女を慌てて抱き留める。


「ねぇ、あの鳥はどこまで飛んでいくの? 私達の行けない『ずっと向こう』まで飛んでいくの?」


 小さな手に長衣の袖をギュッと掴まれて、マリアと呼ばれた少女は曖昧な笑みを浮かべた。


「そうね……そうかもしれないわね」

「マリア、私も行ってみたい……! マリアが教えてくれた雨や雪の降る『ずっと向こう』に行きたい!」


 小さな少女はまるで母親にするかのように駄々を捏ねる。

 首を振るたびに、長く艶やかな黒髪が束になって賑やかに跳ねている。


「我儘はダメよ、私達は『ずっと向こう』には行けないの……この島に住む者は誰であれこの岬から先へ出る事は禁じられてるんだから……」


 言い聞かせる声を掻き消すように、薔薇の木々がざわざわと揺れる。


「それに、もう明日は一緒に帰る日でしょ?」

「ほんとに、ほんとに一緒? 私だけここに置いて行ったりしない?」


 黒髪の少女の目には大粒の涙が浮かんでいた。


「急に何言ってるの? そんな事する訳がないじゃないの」

「だって……怖い夢みたんだもん……」


 泣くまいとしているのか、小さな唇がギュッと結ばれる。

 

「大丈夫よ……大丈夫、何も心配はいらないわ……」

「ほんとに……?」


 どこまでも青い丘の麓で、二人の少女は固く抱き合った。


「……ねぇ、フォルトナはどんな夢を見たの?」


 ふと、小さな少女が顔を上げて問うて来る。

 その瞳は美しい紫色をしている。


 日差しをも吸い込む、宝石のように美しい紫の瞳。

 まるで緑の瞳と対で作られたかのような----。


「……私は夢を見ないのですよ」

「どうして?」


 その紫色の瞳が、こちらを覗き込む。


「どうしてフォルトナは、心があるのに夢を見ないの?」


 また風が吹く。


 微かに潮の香りのする風が、少女達の長衣の裾を、袖を、はためかせて丘を越えて行く。

 少女達が行く事のできない海の向こうへと渡って行く。


「……『調律』を受けた者は、夢を見ないのです」


 黒髪の少女を抱く金髪の少女が、両腕に力を込める。

 その緑の瞳を強く閉じる。


 まるで悪い予感を打ち消そうとするかのように。


「約束するわ、私達は同じ枝に咲いた二輪の青い薔薇……だから、いつまでも一緒よ……」


 囁いたその声は、風に掻き消されて----。


 青い薔薇の木が揺れる。

 青い薔薇が揺れる。


 一斉に揺れる青い薔薇の花は、どこまでも美しい。


 フォルトナはそれを見ている。


 咲く事のない一輪の蕾を隠した、一面の薔薇の花達をいつまでも、見ている----。

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